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合縁奇縁トロポスフィア  作者: 失木 各人
Case:01『種族:ウェアウルフ 個人名:エルダ・■■■■■ の場合』
1/2

NN:Sub/"ウルフパック"

「散歩に行こうぜっ!」

「やだよ寒い」


 そんな会話が三月、まだ冬の残響とでも言うべき寒さが残る季節に、団地の一角のとある部屋で響い

 た。


「そうやって部屋にこもってばっかだからそんな枯れ枝みてぇな身体になるんだろ? いい加減外出るぞ良平。ほら、ばう、ばう」

「わかったから耳元で咆えないでよエル姉ぇ。今出るから」


 良平がそう言うと、エルダは頭上の耳を動かしながらわふんと一咆えして彼を促す。ぼさぼさのロングヘアを雑にまとめたポニーテールが揺れる。アッシュグレーの冬毛でおおわれた彼女はさぞかし温かそうだ、と彼は思う。実際、彼女はタンクトップにホットパンツとまるで真夏のような恰好をしている。一方、夏になるとばてるのは彼女の方であった。

 この恨み、六月になったら覚えていろよと良平は心に誓う。暑いとマズルから長い舌をだらりと垂らし、扇風機の前を占拠するこの駄犬を炎天下の下に引きずり出してやるのだ。残念ながら去年、同じようなシチュエーションの中で、あまりの暑さに限界を迎えた彼女に抱えられ、そのまま公園の泉に突っ込まれたことを覚えていなかった。

 時刻はもう昼過ぎ。両親は仕事に出かけている。春休みと言うことで存分に堕落した生活を送るつもりだったが、堕落した微睡は一四年彼を弄び続けた隣人にあえなく叩き壊されることになった。

 良平は長袖の上にパーカーを羽織り、スニーカーを履いて玄関を開ける。三月の冷えた空気が空いたドアから部屋の中に流れ込んできて、彼は一瞬身を震わせた。そんな彼にかまわずに、エルダが横をすり抜けて、やや身をかがませながらドアを全開にして外に歩いていく。文句の一つも言いたくなったがエルダに手を引かれてドアの外に引き出されたので、やめた。

 空はまばらに雲が散った透き通った青空で、日差しの下に出ると幾分か寒さはマシになった。良平の手を握りながら、真夏に着るような薄着のエルダが尻尾を振りながらずんずんと歩いていく。彼は大型犬の散歩で引きずられている小柄な女性に、自らを幻視した。


「やっぱり寒いじゃん。出るんじゃなかった」


 ふてくされたように良平が言うと、前を歩いていたエルダがふとするりと良平の後ろに回り、やや屈むとそのまま良平の後ろから抱き付いてきた。高い体温、柔らかい毛皮、少し獣臭いけど決して嫌な臭いではない彼女の香り、そして後頭部に当たる柔らかな感触に、こういう事になれている良平も顔が熱くなる感覚を覚えた。


「な、何してんだよエルねえ!」

「なにって、こうした方があったけえだろ? ほら、腹減ったし何か喰いに行くぞ、とっとと歩いた歩いた」


 そう言ってエルダは良平を後ろから抱えたままぐいぐいと良平を体で押してくる。それによって彼女の色んな柔らかい部分が押し付けられるのに溜まらなくなり、良平はやや慌てて早歩きし出す。歩幅の大きなエルダにせっつかれて、歩幅の小さい良平がいそいそと足を動かして商店街へと向かっていく。

 商店街は賑わっていた。いろんな店が活気よく暖簾をあげており、昼時だからだろうか、冷たい空気に混じって何処か食欲をそそる香りを孕んだ、温かい空気が鼻孔をくすぐって来る。午前中は炬燵で横になって過ごしていた彼だったが、少し歩いていたのと、こうして空腹を刺激されては腹の虫が鳴り出す。


「肉喰おうぜ肉!」

「エル姉そればっかだよね」

「人生を豊かに生きるコツってやつだ」


 良平の抗議もむなしく、後ろからがっつりホールドされた彼は肉屋の隣に小さく佇むケバブ屋に押しやられていった。店先では褐色の肌が眩しい、エキゾチックな黒髪をバンダナで抑えたダークエルフの女性が黙々とケバブの肉塊を回している。二人が店先まで来ると、エルダがショートパンツに直に突っ込まれていた千円札を二枚、銀色に鈍く光る浅い受け皿に押おしつけると、ケバブ弁当を二個頼む。ダークエルフの女性は無表情ながらはきはきと注文を受け取ると、慣れた手つきで肉塊から肉をそぎ落とし、手際よくピタパンに野菜と共に巻いて紙袋に詰め込んできた。エルダはそれを受け取って良平に渡してくる。素直に受け取って両手で抱えると、食欲を誘う熱が紙袋を通して腕の中に伝わって来た。


「で、どこで食べるの?」

「どっか景色のいいとこ行こうぜ。天気もいい事だしよ」


 おつりを受け取って、小銭をポケットにねじ込んでそう言ったエルダの尻尾はブンブンと振り回されている。

 商店街を抜けて、暫くバス通りを歩く。青い肌で、羊のような角を青みがかった黒髪から生やした、魔族と思われるスーツを着た女性が、黒い白目に金色の瞳を眠そうに揺らしながらバス停のベンチでうたたねしていた。

 長い緩やかな坂道を下ると、住宅街が唐突に途切れて道路が走っていた。片側一車線のわりに交通量が多いその車道にかかる横断歩道を、春の昼過ぎの日差しに照らされながらのんびりと待つ。青になると、道路を渡って反対側へ。道路を挟んで住宅街だったところは、葉の落ちた桜林になっていた。新芽が膨らんで、所々鮮やかな桜色が木を飾っていた。

 人のまばらな桜林を抜けると、コンクリートの緩やかな段差とその先に灰色の砂浜が広がっていた。その先一面に広がるのは、空を映す湖。


「おし、ここらでいいか!」


 エルダがコンクリートの段差にどしりと腰を下ろした。エルダの横に昼食が包まれている紙袋を置いて、それをエルダと挟むようにして良平も座る。待ちきれない、と言った風にエルダが紙袋を漁り出した。出てくるのは、焼き立ての熱がまだ残っているのか、わずかに湯気をなびかせるケバブサンド。


「いっただきまーす!」


 そう言って盛大にエルダはケバブサンドにかぶりついた。ステーキナイフの様な牙が容易くケバブサンドを引き裂く。そうしてエルダは満足げに咀嚼をし出す。豪快な食べっぷりに圧倒されながらも、良平もケバブサンドにかぶりついた。肉の塩気に香辛料の香りが、野菜のシャキシャキとした歯ごたえと共に口腔内で崩れて行く。美味い。


「ほらよ、良平」


 そう言われて良平がエルダの方を振り向くと、エルダが齧りかけのケバブサンドをこちらに付きだしてきた。良平はしばし、彼女とケバブサンドを交互に見ると、観念したように、ケバブサンドの乱雑な断面にかじりついた。エルダはそれを満足げに見ると、良平が手に持っていた彼のケバブサンドにかじりつく。


「あっ! 食べ過ぎ!」

「誤差だよ誤差! オラ、冷める前に食っちまえ!」


 そう言って満足げにガシガシとケバブサンドを咀嚼するエルダにため息をつきながらも、良平も食を進めた。香辛料と肉の香りが食欲をそそった。いつの間にかエルダはもう食べ終わったのか、長い舌でべろべろと鼻先を舐めている。


「お、ほっぺたに弁当が残ってやがるぜ」


 そう言ってエルダがべろりと良平の頬を舐めた。渇いた舌で頬を撫でられる感触。唇の端をエルダの舌が撫でて、良平は顔に血が上った。

 あっという間に紙袋は軽くなった。良平はゴミを纏めると、桜林の歩道に置かれていたゴミ箱に向かって放り投げる。外れてゴミ箱の傍に落ちたそれを、エルダがどこか嬉しそうに小走りで拾いに行ってゴミ箱に突っ込んでいった。その顔は満足げであった。良平はそれを見て小さくため息をついた。これは彼女のリクエストだった。

 一息つくと、日の熱でじんわりと生暖かい砂浜を歩く。天気がいいからか、貸しボート屋の手漕ぎボートが湖面にいくらか浮いていた。


「ボートやろうぜ! ボート!」


 エルダがそう言って渋る良平を引き摺ってボート屋に走って行く。エルダがポケットから出す小銭で、一時間にぴったりだった。ボートを借りるや否や、エルダは勢いよく湖の真ん中に向かって漕ぎ始めた。日差しが湖面に反射して、上からも横からも良平を照らす。もうクタクタだった。

 暫く漕いで、エルダは手漕ぎボートの底に腰掛け、椅子を枕にして寝そべり始めた。手漕ぎボートは小さいのか、エルダの足はしばし居心地悪そうにあちこちを動いた後、良平をホールドした。

 今日は疲れたな。良平がため息を漏らす。エルダはそんな良平を気にせずに気持ちよさそうに空を眺めている。そんな彼女に文句の一つでも言ってやろうかと思って――

 ――ふと、空が陰った。


「ん?」


 やや傾いた太陽の方向を思わず見た。青い空に、小さなシルエット。遠雷のような音が青空に響き、段々大きくなっていく。

 良平があっけにとられながらそれを見続けていると、その影が段々大きくなって彼にもシルエットが分かるようになった。

 ドラゴンだ。

 竜人の姿で、銀色の竜が空をかけていた。遠くに見えていたはずの竜はいつの間にか良平の頭上をフライパス。どれだけの出力なのだろうか、湖に響き渡る飛行術式の轟音。竜は完全な機動で右に旋回すると、翼の先から鋭く飛行機雲を引いた。竜はそのまま空に弧を描きながら駆け上がって行き、そこでふと不自然に真下を向いた。そしてそのまま翼をきらめかせ、湖面にまるで突っ込むかの様に真っすぐダイブしてきた。

 思わず良平が声を上げようとした時、竜は水面の寸前で急上昇に切り替わった。湖面から飛沫が舞って一対の渦を巻いた。その風がだいぶ離れていた良平の所まで来て、思わず彼は小さく悲鳴を上げた。


「すごい……」


 竜はまるで空が彼に味方しているかの様に自由自在に空中を舞った。宙返りし、螺旋を描きながら空に登って行ったと思ったら木の葉のように落ち、そして何事も無く姿勢を正したと思うと完全なU字を描いてまた空に駆け上って行く。

 竜はそのまま垂直に水面まで降りてくる。良平たちだけではなく他の人も釘付けになっていた。竜はまるでフィギュアスケートの選手の様に滑らかに周囲を見渡しながら一回転すると、翼を盛大にきらめかせ、湖面を叩き割りながら空へ駆け上って行った。

 あっけにとられる良平の元に、季節違いの雪が舞って来た。それが日光に照らされて煌めき、その向こうで空へと一つの輝きが駆け上って行っている。あっけにとられていると、横で口笛が上がった。


「ヒューッ! なんだアレ、すげえよ!」


 いつの間にか起き上がっていたのか、エルダが口に指を突っ込んで盛大に口笛を鳴らしていた。しかしそれでは満足しなくなったのか、空に向かって響かせるようにして遠吠えをし始める。

 雪の結晶が舞い、煌めく中、空へ向かって力強く遠吠えをするエルダ。その光景に、良平は雪原で月に向かって吠える彼女を幻視する。彼女が日本に来る前、どんな生活をしていたのか。ウェアウルフである彼女が、どんな風に力強く生きていたのか。

 彼は、まだ何も知らなかった。そして、それをどうしようもなく歯がゆく思った。


「で、どうしたんだよ、良平」


 帰り道、並んで歩く良平の横でエルダが良平に尋ねる。傾いた日が街並みを緩やかに赤く照らす中、良平は別にと返す。

 あっという間に団地に辿りつき、良平の部屋とエルダの部屋の前。壁一枚。扉と扉の間はわずか数メートル。それがたまらなく良平には大きく感じた。


「またね、エル姉ぇ」

「おお、また明日な、良平」


 そう言ってエルダと別れる良平。そこで、ふとエルダが立ち止まって良平に近づいてきた。突然の動きに良平が驚く暇も無く、彼女は良平の頬を両手で抑える。そして――。


「っ!?」


 良平の唇に強引にねじ込まれた渇いた舌。それに口腔内を蹂躙され、目の前が黒白に明滅する。一体何分蹂躙されていたのだろうか、良平の目を、エルダの月の様に金色に輝く瞳が射貫く。


「お前がどんな不安に思っていても」エルダははっきりと宣告・・する。「オマエは、アタシの群れの仲間だ」


 そう言ってエルダは良平の反応を見ずに自分の部屋へと入って行った。廊下には良平が一人、取り残された。

 良平はあっけにとられながら廊下にたたずむ。遠くで遠雷のような音がしてふと夕焼けに燃える空を見上げると、赤い空に青白い輝きが舞っていた。緩やかに弧を描きながら、空へと登って行く。

 エルダがどういう理由で一人異国の地へたどり着いたのか、故郷の彼女は一体どんなだったのか、彼には知る由はない。だけど。


「群れ、かあ……」


 口腔内から鼻孔をくすぐる彼女の香りは、まぎれもない事実を彼に、ただ静かに示し続けていた。


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