表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/17

三章 その③

 その後、ふたりは戻ってきたケレット夫妻に誘いを受ける旨を伝えて、行動を共にすることにした。

 馬車でさらにニ十分ほど走らせた所でケレット家の屋敷に到着した。裕福な商家らしい立派な館に足を踏み入れた瞬間、エルシーは重い空気を感じて立ち眩みを起こしそうになった。


(何……今の感覚……)


 とても切なくて胸が締め付けられる感覚。アーネストが支えてくれたお陰で倒れずに済んだが、周囲の人間は至って普通で、何も変わったところは見られない。


(私だけなの……?)


 そんなエルシーに気づいたケレット夫人がそばにやって来た。


「エルシー様、やはりご気分が優れないご様子ですね。客間を用意させますから、ひとまずそちらでお休みになられてください」

「いえ、大丈夫です……」


 自分から誘いを受けて、迷惑はかけられない。エルシーは慌てて辞退しようとしたが、客人に何かあってはいけないと思ったのか、ケレット夫人はそばにいたアンナを呼んだ。


「アンナ、ほら、エルシー様の手を支えて差し上げて」

「は、はいっ……」


 アンナはためらいがちにエルシーの手を取る。その時。


《イッショ》


 弱々しい響きではあったが、エルシーは確かに〝声〟を感じ取った。


(え……、一緒、って言ったの? 何が…?)


 しかし、ケレット夫妻やアンナ、ヴィンスや迎えに出てきた使用人など、大勢のいる前で聞き返すことはできない。いくら心の中で念じても、当然声の反応はなかった。


 そのままアンナに手を繋がれて客間へと案内されるエルシーだったが、その手がじんわりと熱を持っていることに気づいた。まるで心を覆われるような温かさが伝わってくる。


(一緒って……まさか……)


 はっきりとした確信は持てないが、エルシーの中で、とある可能性が芽生えていた。


「では、私はこれで……」

「ちょっと待って」


 客間に案内し、早々に立ち去ろうとしていたアンナをエルシーは引き留めた。故意に視線を合わせまいとしていたアンナが、ようやく顔を上げてエルシーを見る。


「しばらくここにいてくれないかしら。あなたといると、何だか落ち着くみたい」


 エルシーがにっこり笑いかける。しかしアンナは戸惑ったように視線を宙に彷徨わせた。


「もしかしてだけれど、あなた……〝声〟が聞こえる体質なんじゃない?」


 アンナの身体がビクッと震え、驚いたように目が見開かれたが、やはり口は固く引き結ばれたまま。すぐに否定しないところを見ると、エルシーの考えはどうやら図星のようだ。


「ごめんなさい、突然こんなこと聞いて失礼だったわよね。実は私もそうなの。大丈夫よ、ここには私たち三人しかいないから誰も聞いてないわ。あ、アーネスト様はね、私のこの力のことはご存知で受け入れてくださってるの。何の偏見もお持ちじゃないから、安心して」


 それでもアンナは警戒しているのか、何も発せず俯いている。アプローチを間違えたかしら、とエルシーが次の手段を模索しにかかっていると、アーネストが急に言葉を放った。


「アンナだったな。俺たちがここに滞在するのは長くてもあと数時間だ。エルシーに何か伝えるチャンスは二度と来ないぞ」


「ちょっと、アーネスト様、またそんな言い方して……! 相手は子供なんですよ、怖がらせてしまうではありませんか」


「俺はただ訪れた機会は逃すな、と諭しているだけだ」


「諭すなら、もっと言い方というものが……」


 エルシーが反論しかけたところで、プッと噴き出す声が聞こえた。見ると、アンナが楽しそうに笑みを浮かべている。


「仲良しでいいなあ……私も皆に会いたくなってきちゃった」


 いかにも子供らしい呟きとともに、その表情は次第に曇っていく。エルシーは、アンナの小さな背中に手を回すと、ソファへと誘導し、一緒に並んで腰を下ろした。


 アーネストは座らず立ったまま、腕組みをしてドアに背を預けている。自分が近くにいてはアンナが話しにくいと配慮してくれたのだろう。しかし、それだけではなく部屋に近づく他の足音をさりげなく警戒し、ふたりを守ってくれてようとしていることはエルシーにも伝わっている。なんだかんだと言い合ってはいるが、アーネストには絶対的な信頼を寄せているのだ。


「よかったら、あなたの話を聞かせてくれない? ゆっくりでいいから」


 再び優しく声をかけられて、アンナはコクリと頷いた。


「私、会った時からエルシー様が自分と同じだとわかりました。〝声〟が教えてくれたから」


 エルシーは先ほど気づいたばかりなのだが。年齢が低いほど、声に敏感なのかもしれない。


「私の他にも、擁護施設には同じ力を持つ子が数人いました。私たちのような人間はどこに行っても爪弾きにされるだけだったから、分かり合える仲間や友達ができて、すごく嬉しかった」

 

 知らなった事実にエルシーは驚きを隠せなかった。自分と同じ能力を持つ子供が集まっていたなんて。自然と導かれでもしたのだろうか。


「でも、だんだん皆、引き取られていって、力を持つのは私だけになりました。そして私の番になりました。皆、ケレット家に引き取られていったのは聞いていたから、私もここに来たらまた皆に会えると思って、とても楽しみにしていたんです。でも……」


 アンナは膝上のドレスの布をぎゅっと握りしめる。


「ここに来たら誰もいませんでした」


「え……? どういうこと?」


「わかりません。ケレット夫妻に聞いてもはぐらかされて。使用人の人たちに尋ねても、知らないと言って教えてくれないんです。皆がいないことも悲しかったけど……何事もなかったように私に接してくる夫妻が不思議でしょうがなくて。でも、せっかく引き取ってくれたんだから、機嫌を損ねてはいけないと思って二度と聞けませんでした。そして、しばらくしてケレット夫妻には、数年前、亡くなったお嬢様がいたことを知ったんです」


 アンナの声は少し震えている。


「私に、そのお嬢様のように振る舞うことを、要求されました。同じような服装、仕草や癖まで……」


「お嬢様の代わり、ってこと?」


「私はそれでもいいと思いました。大切な人を亡くした悲しみが少しでも癒されるのなら。私のような孤児に少しでも価値を見出してくれたのなら。でも……だんだんそうじゃないとわかったんです。夫妻の……特に夫人の目的は……」


 アンナはそこで言葉に詰まる。エルシーは急かすことなく、気長に待つことにした。アーネストも、早くしろ、などと不躾な発言は一切せず、黙って耳を傾けている。


「夫人の目的は……私にお嬢様の声を聞き取らせることだったんです。お嬢様の魂はこの屋敷にまだ留まっているはずだから、私の持つ力で聞けるだろう、って……」


「そんな……」


 エルシーは衝撃を受けた。声なき者の声、すなわち死者の声だという間違った解釈が過去に定着したせいで、エルシーやアンナが持つ能力は、長い間世間から偏見を持たれて続けている。そして今もなお、それはケレット夫人のような人物によって助長されているのだ。


「私は嘘をつくのが嫌で、できない、って言ったんですけど、夫人はすごく不機嫌になって……気が触れたようにすごく嘆くんです。折檻されたりはしないんですけど、その目がすごく怖くて……」

 

 アンナの告白は、さらにエルシーを震撼させた。それが真実なら、先ほどまで朗らかに語り合っていた夫人には誰も知らない裏の顔がある。


「私、ここに皆がいない理由がわかった気がしたんです。皆も夫人から同じ要求をされていたんじゃないかって……でも、夫人の思うような〝働き〟をしなかったから、期待外れとみなされて、どこかにやられてしまったんじゃないかって……」


 アンナの目からはらはらと涙が流れだす。


「……私、いい服も贅沢な料理もいらない。ただ、いなくなった皆や養護院の友達と仲良く過ごしたい」


 エルシーはアンナの肩を抱き寄せた。


「そうだったの……。誰にも言えずに我慢してたのね。アンナ、あなたは偉いわ。自分の保身のために、嘘の演技で夫人を喜ばせるなんてことはしなかった。とても強い意思がないとできないことよ。よく頑張ったわね」


 よほど追い詰められていたのだろう、アンナはその言葉を聞くや否や、エルシーに抱き着き、わっと泣いた。


 その小さく震える背中をエルシーが優しくあやしていると、それまで成り行きを見守っていたアーネストが静かに近づいてきて、アンナのそばでしゃがんだ。そして、大きな手で少女の頭をクシャクシャと撫でる。


「ちゃんと言えたじゃないか」


 アーネストの唇が優美に弧を描く。エルシーがつい見惚れていると、それに気づいたアーネストが少し顔を上に向けた。視線が合った瞬間、気恥ずかしくなったエルシーは顔を逸らす。


「どうした?」


「……いえ。たまに見せるそのお顔、破壊力抜群だと思いまして」


「なんの話だ」


「ご自覚がないのでしたら結構です」


「よくわかならないが、それより、アンナ、ここに連れて来られたのは何人だ? いつから?」


 アーネストの声に反応して、アンナは辛うじて涙を引っ込めると、そろりと顔を上げた。


「半年ほど前からだったと思います。私を除くと三人です」


「そんな短期間に三人か……。早く探し出さなくては。夫妻がずっとはぐらかしているのも気になる」


「ですが、アーネスト様。話を聞いた以上、ここにアンナを置いていくわけにはいきません」


「かといって、勝手に連れ出すこともできない」


「はい。誘拐だと思われては敵いませんから。ですので、私から夫妻に接触して、話を聞こうと思います。これは私の勘ですけれど……夫人は私がアンナと同じ力を持つことに気づいているかもしれません」


「え?」


 アーネストが眉根を寄せる。


「さっき、この屋敷に入って立ち眩みがした時、夫人は心配してくださったけど……少し口角が上がっているように見えました。夫人は、ここに留まるお嬢さんの魂の気配を私が感じ取った結果だと、捉えたのかもしれません」


「だが、それなら嫌な予感がする。今度は君を手に入れようと、何らかの手段に打って出るかもしれない」


「ですから、そうなる前にきちんと話がしたいんです。私が感じた空気についても」


 アーネストはすぐに賛同してくれない。でもそれは心から自分を心配してくれているからだと、エルシーにもちゃんと伝わっている。だからこそ、素直になれる。


「アーネスト様がそばにいてくださるだけで私、とても安心なんです。大丈夫ですわ」


 そう言ってエルシーがにっこり微笑むと、アーネストの黒い双眸が一瞬見開かれた。しかし何を思ったか、彼はすぐに立ち上がり、身体ごと向きを変えてしまった。


「まさか……こんな奇襲を喰らうとは」


「えっ? き、奇襲!? どこから!?」


エルシーは素早く立ち上がる。


「……自覚がないのならいい。とにかく、早く事を済ませよう」


「えっ、では賛同してくださるのですね」


 安堵の息を吐くエルシーに倣って、アンナもサッと立ち上がる。アンナはアーネストの広い背中を見つめたが、すぐに廊下に向かった。


「私、エルシー様が回復なさった、と夫妻に伝えてきます」


 アンナは見てしまった。率直に物を言う少し取っつきにくそうなこの男が身体の向きを変える直前、その頬に少し朱が走ったのを。そして、自覚がない、と互いに言い合っているふたりは、なんだかよくわからないけどとても仲良しで気が合うんだわ、と温かい気持ちになった。








「大変ご迷惑をおかけしました」


 エルシーとアーネストはケレット邸の応接室に招かれた。彼らの前にはケレット夫妻、アンナが座っている。ヴィンスは仕事があると先刻帰ったらしい。エルシーが部屋を借りた礼を述べると、ケレット夫妻は微笑みながら首を横に振った。


「いいえ、大事に至らなくてよろしゅうございました」


「ですが、正直申しますと、ここに到着してからというもの、まだ身体の重さが抜けきっておりませんの。まもなく夕刻ですし、これ以上、長居してしまってはさらにご迷惑をおかけいたしますので、これで失礼させていただきたいと思います。お世話になった礼は、後日改めてさせていただきます」


 エルシーは立ち上がると、礼儀正しく頭を下げた。アーネストも席を立つと同じように礼をし、彼女の腰に手を回してドアの方へと足を向けた。


「お、お待ちくださいませ、そんなお身体で馬車に揺られるのはあまりよくありませんわ。私どもは構いませんので、どうぞゆっくりなさっていってください」


 少し焦ったような夫人の声が、背後から聞こえてくる。それは、優しさゆえか、それともエルシーを引き留めたい口実なのか。


 すぐ出ていく、というのは、エルシーが考えた作戦だ。本当にエルシーが必要なら、絶対に引き留めるはず。


 エルシーはゆっくりと振り向いた。


「お心遣い、心から感謝したします。なぜかここにいると……なんと申し上げればいいか……ご気分を悪くされないでいただきたいのですけれど、とても悲しい気持ちになりますの」


「……悲しい……? それは、どんな……」


「上手く説明できませんけれど……嘆くような、悲しい感情です。ああ、申し訳ありません、きっと身体の不調がそういう気分にさせてしまっているんですわ。お気になさらないでください」


 エルシーが再び踵を返そうとした時、夫人が彼女の手をグッと握ってきた。


「その悲しい感情とやらを、詳しくお聞かせ願えないでしょうか……? この家に入って来た時に感じた重い空気というのも、その影響では?」


 夫人がさらに手に力を込め、エルシーの目を凝視してくる。答えを聞くまで逃すものか、という心情が見えてくるようで、エルシーは少したじろいだ。そんな夫人の行動に、ケレット氏も心配して、そばまでやってくる。


「お、おい、お前、突然失礼じゃないか。エルシー様が困っていらっしゃる」


「あなたは黙ってて。私は少しお話が伺いたいだけよ。エルシー様はこの家の空気が悲しみに満ちていることを感じ取られたのよ。きっと、マディが」


「何度言ったらわかる。マディはもういないんだ」


「どうしてそんな冷たいことが言えるの。なんてひどい人!」


 夫人は声を荒らげたが、瞬時に自我を取り戻し、口元を手で押さえた。なんとも言えない重い沈黙が部屋を覆ったが、いち早くそれを破ったのはアーネストだった。


「マディというのは?」


 問いつつもアーネストはもちろん、エルシーにも大方察しはついている。だが、自分たちはあくまで今知った体を装わなくてはならない。


「……私たちの娘です。二年前、病気で他界しました」


 思った通りの答えが、ケレット氏から返ってきた。





「大変お見苦しいところをお見せしました」


 ケレット氏が深く頭を下げる。


「妻は普段は明るいのですが、時々娘のことになると、このように……。マディは、なかなか子宝に恵まれなかった私たちにやっとできた子でして、私も妻もとても可愛がり、大切に育てていました」


 一同は再び、席に着くことになった。ケレット氏の横には、夫人が力なく肩を落として座っている。


「……わ、私はただ、マディの魂がここに留まっているなら、その声を聞きたいだけで……」


 夫人はうつむいたまま持っていたハンカチを握りしめた。そのやや憔悴した様子を見て、エルシーは静かに口を開いた。


「ここに足を踏み入れた瞬間、重い空気を感じたのは確かです。悲しい声のようなものも」


「じゃ、じゃあ、……! ええ……ええ、そうでしょう、やっぱり娘はここにいて、悲しくて彷徨っているんですね……?」


「いいえ、残念ながらお嬢様の声ではありません」


 望みが叶ったかと明るい表情で顔を上げた夫人だったが、エルシーの神妙な面持ちとその回答に、再び言葉を失った。


「あなたが望んでいる答えを、私は用意することができません。そんな力は、そもそも持ち合わせていないのです。私が聞こえるのは、自然や空気などに宿る思念のようなものだけです。お嬢様への愛情の執着が、悲しい声を呼び寄せているんです」


「で、では、どうしろと言うの……? 忘れろとでも?」


「そうではありません。失った人のことなど忘れろ、なんて考え方、横暴以外の何ものでもありません。大切な人はいつまでも心の中にいて当然です。生前、こうしていればよかった、という後悔もまた、相手を大切に思っていた証拠です」


 エルシーは、小さく息をついた。それは、自分にも当てはまることだったからだ。父へ対する後悔は、いつまでも心から消えない。

「ですが、私のような力を持つ人間に、死者の声を聞かせようとする、あなた方の気持ちが、お嬢様の幸せな思い出がつまったこのお屋敷の空気を悲しいものに変えているんです。アンナに触れた時に、すべて分かりました。私も彼女と同じ力を持つので、力のあり方を誤解される辛さはわかります」


 後半の一部は嘘だが、アンナを守るため、エルシーはあえて話を貫いた。アーネストもそんな彼女の思いを察してか、発言を訂正しない。


 エルシーは優しく微笑んで、夫人を見つめる。


「私のような若輩者が出過ぎたことを申しました。お許しくださいませ。ですが、願わくば、どうかお嬢様の魂を繋ぎ止めることに囚われるだけでなく、たくさんの素晴らしい思い出とともに、前を向いていただけないでしょうか……?」


 そして、上体を前に出し、夫人の手をそっと握った。


 夫人はしばらくその手をみつめていたが、やがて小さく嗚咽をもらし、顔を伏せた。その肩にケレット氏がそっと手を回す。


「わしも悪かった。お前の気が済むまで好きにさせてやりたいと思ったが、間違っていた。マディとの思い出をないがしろにし、わしも後ろ向きになっていた。これではこの先いつかマディと再会した時に怒られてしまうな。そうならないように、胸を張って生きていこう」


 ケレット氏の言葉に、夫人の涙腺が決壊した。その横で、アンナも静かに涙を流している。


 アリガトウ、という微かな声を聞き取り、エルシーは顔を上に向けた。見えないが、空気が少し澄んだような気がする。横を向けば、穏やかな表情のアーネストと視線が交わり、エルシーにも自然と笑みがこぼれた。

 



 西に日が傾く中、エルシーとアーネストを乗せたセルウィン公爵家の馬車が、砂埃を上げながら道を疾走している。向かう先は、アーネストの領主館ではなく、ヴィンス・オーモンドの屋敷だ。


 ケレット邸をあとにする前、ふたりは夫妻から情報を聞き取っていた。


『ここに先に来た三人なら、ヴィンスさんにお願いして新しい引き取り先を探してもらいました。……すぐに手放してしまい、今は本当に自分たちの行いを恥じています』


『エルシー様が、アンナと同じ能力をお持ちだということは、ヴィンスさんから聞きました』



 これらの証言をもとに、今度はヴィンスに直接話を聞きに行くところだ。


 まるで不良品を交換するような行いをしたケレット夫妻は許されるべきではないが、これから責任を持ってアンナを育てると、固くふたりに誓った。


 そして、三人の子供が無事に新天地で暮らせているのかどうかも確認しなくてはならない。


 “声を聞ける子供たち”を、言葉は悪いが、ケレット夫妻に『斡旋』していたのはヴィンスだ。養護施設の運営者なのだから能力を持つ子供たちの存在を知っていてるのは当然と解釈できるが、なぜ関係のないエルシーが声を聞ける者だと彼が知っていたのか。疑問は残っている。


 ふたりがオーモンド邸に到着すると、ヴィンスは突然の来訪者に驚いた。


「セルウィン公爵様、エルシー様……どうなさったのですか?」


「こんな時間に突然申し訳ありません。少しお話を伺いたいのですが」 


「はい、ですが今ちょうど、仕事中でして、手が離せないので……」


 明らかに動揺し口ごもるヴィンスに、アーネストが畳みかける。


「ケレット夫妻にかつて引き取られた三人の子供たちについてお伺いしたい」


 するとヴィンスは、一瞬視線を宙に泳がせたが、「どうぞ」と言葉少なげにふたりを招き入れた。


「では、応接室でお待ちください」


「いえ、時間も遅いので、要件が終わりましたらすぐに帰りますわ」


 エルシーの意志の固さを感じたのか、ヴィンスは小さくため息をつく。


「わかりました。ではすぐに書斎の書類を片づけますので、申し訳ありませんが二階までご足労お長いします」


 エルシーとアーネストは、ヴィンスのあとに続いて階段を上がり、書斎へと通された。ブラウンの家具で統一されたその部屋は王都屋敷のアーネストの書斎の広さに比べると半分もないが、すっきりと整頓されていて、机の後ろにはバルコニーへと通じる大きなガラス扉がある。


 ヴィンスは机の上の書類の束をサッとまとめて端に寄せると、振り返った。


「狭いところで申し訳ありません。その子供三人なら、もう次の引き取り先にいますよ」


「その場所をお聞きしても?」


「なぜ、そんなことを聞くんです? まさか私が嘘をついているとでもおっしゃりたいのですか?」


「嘘をついているかどうかは、あとで調べればわかることだ」


「地位にものを言わせて、他人のあら探しですか? いかにもお金持ちの考えそうなことだ」


 つい先刻の時とは打って変わって、ヴィンスの態度と口調はずいぶんとぞんざいになっている。しかし、挑発とも取れる発言にアーネストが反応を示すことはなく、淡々と話を進める。


「ケレット夫妻は、エルシーが〝声の聞こえる能力者〟だと教えてくれたのは君だ、と証言した。どこで知った? なぜ教える必要があった?」


「なぜ……? 頭のよろしい公爵様ならすでに察しがついていると思っていましたが」


 好青年の仮面を取ったヴィンスが、小馬鹿にしたように薄い笑みを浮かべる。


「あの夫妻は死んだ娘の声を聞ける子供を欲しがっていた。ですが、アンナで最後になってしまった。そのアンナも思うような働きをしない。失望した夫妻にとって、あなたは最後の希望だったのですよ、エルシー様」


「あなたも私たちの能力をそういう風に捉えていたのね! そんなことをしても、誰も救われないのに!」


 エルシーは思わず叫んだ。先入観を持った人間の認識はそう簡単に変えられないことは知っていたが、そうせずにはいられなかった。


「救われなくても、何かにすがりたい人間はいるのですよ。それだけで救われたようになるんです。僕もそんな人々のために、何かしてあげたい。そう思って彼らに子供たちの力と存在を教えたんです」


 まるでそれが正しい行いだと言わんばかりのヴィンスの口振りに、エルシーは何やら言い知れぬ恐怖を感じた。無意識のうちにアーネストの袖をぎゅっと掴む。


「エルシー、ヤツの言葉に、耳を貸すな。所詮は独りよがりの、歪んだ正義感を振りかざしているだけだ」


「え、ええ……」


 エルシーも気を引き締めてヴィンスを見据える。


「どう思われようと結構ですよ。忌み嫌われる能力が誰かの役に立てるなら、その子供たちも幸せでしょう」


「それのどこが幸せなの? 商品のように扱うために、各地から力を持つ子供たちを集めているんでしょう⁉」


「何をおっしゃっているんですか。父があの養護施設を引き継いだ時には、すでに、能力者である子供はもっとたくさんいたんですよ。要するに、これはエルシー様、あなたの父親が始めた〝斡旋事業〟なんですよ!」


 勝ち誇ったような歪んだ笑みを浮かべて、ヴィンスが声高に言い放つ。


(なん……ですって……?)


 エルシーは頭に激しい衝撃を受け、思いきり目を見開いた。足元がふらついて、今にも崩れそうになる。


「僕を責めるのはお門違いだと、理解していただけましたか? エルシー様、あなたは父親からその能力で疎まれたことはありませんか? あなたがその力を開花した頃から、父親はあなたをいつか手放すために、ひそかにルートを確立しようとしようとしていたのではありませんか? 由緒ある侯爵家のご令嬢が忌み嫌われる力の保有者だなんて、貴族社会ではさぞ体裁が悪いでしょうね」














 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ