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二章 その②

 次にエルシーが連れて行かれた場所は、騎士団長専用の私室だった。右には先日訪れた執務室があり、左は簡易的な寝室となっている。基本は屋敷からここへ通っているが、職務が忙しい時は泊まり込むこともあるという。


「陛下は介入しないとおっしゃったが、決して君への疑いは消していないだろう」


 アーネストはエルシーに椅子を勧めると、自分も向かいに腰掛けて早速本題に入った。


「はい……」


 エルシーも静かに頷く。ここに来るまでの間、ふたりとも無言だった。そのおかげか、エルシーも自分の置かれている状況を落ち着いて整理することができた。おそらくジェラルドは、エルシーが〝声を聞く力〟を持っているのではと疑っている。しかし、母の宝石が盗まれた事件に言及されたのは、一体どういうことなのか。


「陛下は先ほど、先日の事件のことをお尋ねになりました。犯人の供述……ロブは何を話したのでしょう?」


「ああ……実は」


 アーネストは少し言いにくそうに重い口を開いた。


「取り調べでわかったことだが、ロブの生き別れた娘が病にかかって、至急治療代を工面しなくてはならなくなり悩んでいた。我々も当初、宝石を盗み出した理由はそれだと思ったが、実は違っていた。ロブは莫大な報酬と引き換えに、誰かに宝石を盗めとそそのかされたらしい」


「その誰かって……?」

 

「全く知らない男だそうだ。行き詰っていたロブはその話に飛びついたが、その怪しい人物は最後におかしなことを呟いたらしい。……これで、あの令嬢の力が本物かどうか確かめることができるだろう、と。ロブは何のことかわからず、気にも留めていなかったらしい。そうしてロブは犯行を終え、その人物と落ち合う約束の場で待っていたが、結局、男は現れなかった。その男にとって、宝石などどうでもよかったんだ。知りたかったのは、ロブがどうやって捕まるか、だ。だからあえて姿を見せず、ロブを野放しにしていた」


 エルシーはアーネストの話に聞き入り、じっと彼の目を見た。


「あの令嬢、というのは、おそらく君のことだ、エルシー。真犯人は君の力の有無を確かめたかったが、実際にロブを捕まえたのは第二騎士団の尽力による。それだけなら、ロブのたわごととして処理されたはずだった。しかし、今日、君が王女殿下の危険を示唆する行動を取ったことで、陛下としてもロブの供述を軽視できなくなった」


「……そうですか」


 エルシーは膝の上でぎゅっと手を握りしめながら、腹を括った。王女の危機を回避できたのは本望だが、騒ぎを大きくしてしまった責任は取らなくてはいけない。ここは取調室ではないが、尋問されていることにかわりはない。


 アーネストにも察しがついているかもしれないが、自分の口から真実を告げたら、彼はどんな顔をするだろうか。


 父のように、険しい顔をしてーー自分を遠ざけてしまうだろうか。


「……私は子供の頃、〝声なき者の声〟を聞く力がありました。世間では、忌み嫌われている力です」


 それでも、勇気を振り絞って、言葉を紡ぐ。


「父が出発する日、危機を知らせる声が聞こえました。私はそれを父に伝えましたが、当然聞き入れてもらえず、父はそのまま馬車に乗り……行く先で事故に遭い亡くなりました。それ以降、全く声は聞こえなくなったんですが、なぜか最近また聞こえるようになって……そして今日、また同じ声が聞こえたんです。私は、父のことを思い出しました。どうしても、後悔したくなかった。だから、王女殿下の出発を阻止しました。馬車に不備があったとのことですが、私にはその原因まではわかりませんでした。行き先で、何かあった可能性もありますし……」


 そこまで一気に話し終えてから、エルシーはアーネストの顔を窺った。彼は相変わらず表情ひとつ変えず、エルシーを見ている。


(えっと、この表情は、信じてもらえてない?それとも気味悪がられてる……?)


 答えを見出だせないエルシーは、深く頭を下げるほかなかった。


「この力のこと、黙っていて申し訳ありませんでした。でも、アーネスト様を騙すつもりはなかったんです。再び聞こえるようになったのは、婚約成立したあとですし、ましてや、この力は完全に自分の中から消えてしまったと思っていましたから……。驚かれるのも無理ないと思います」


 きっとこれで婚約破棄されてしまうだろう。母やルークにはどう説明すればいいのか。


 失望する家族の顔を思い浮かべ、エルシーの心に暗雲が立ち込める。


 しかし、アーネストは静かにかぶりを振った。


「いや、驚かない。知っていたから」

  

「えっ!?」


 勢いよく顔を上げれば、アーネストと視線が交わる。


「知っていた、と言うのは誤りだな。昔、君の家を訪問した際、庭でひとりで誰かと話している幼い君を見て、そうじゃないかと感じていた。それはタブーと見なされる力だから、真偽を尋ねることはできなかったが。でも、俺はそんな君が少し羨ましかった」


(アーネスト様に見られていたなんて……! だけど、この力が羨ましいって、なぜ……?)


 驚きの連続で、エルシーは瞬きすら忘れてしまう。


「はるか昔、その力で民を煽動して、王政を脅かしかねない勢力があった。陛下は個人的に君を危険視しているわけではないと思うが、王女殿下の輿入れも近いし、ご自身の婚礼も控えているとあって、少し敏感になっていらっしゃるんだろう。君がロブの供述に出てきた人物と繋がりがないことを、確かめたかったんだ」


「も、もちろんです、私、そんな人、知りません! この力を知っていたのは両親だけですし。ウェントワース侯爵家の名誉のためにも、両親が誰かに話すとは考えられません」


「そうだろうな。……ともかく、陛下には俺から、エルシーは何も関わりはない、と報告しておく」


「はい、よろしくお願いします……」


(誰かが私の力を欲している。でも何のために--)


 得体の知れない不安を感じていたせいだろう、エルシーがよろよろと立ち上がると、いつの間にかアーネストが傍に来ていて、身体を支えられる。


「大丈夫か? 今日はもう休んだらどうだ」


「いいえ、グローリア様のご様子も気になりますし。あのあと、陛下に窘められて、落ち込んでいらっしゃらなければいいんですけど」


「こんな時まで主の心配とは、君の侍女気質は見上げたものだ」


 アーネストが少し表情を和らげる。それにつられてエルシーも微笑んだが、やはり先ほどから抱く不安は簡単に消えそうもなかった。



 

 それから一週間後。

 盛大な夜会が王宮の大広間で催された。グローリア王女の婚約を祝って国中の貴族が招待され、王女にとってはこれが祖国での最後の公式行事となる。


 ひと際高い段の玉座には国王ジェラルドが腰掛け、その一段下には母君のアンドレア王太后が座していた。本日の主役であるグローリア王女は王族席を立ち、祝辞を述べに来た貴族に丁寧に応対している。誰よりも美しく輝く王女をひと目見ようと周りには自然と人々の輪ができ始めていた。


 王女の最後の夜会ということで侍女たちは今宵、一旦役職から解放され、一貴族としての出席を許されている。皆が思い思いのドレスに身を包み、夜会の雰囲気を楽しんでいる中、エルシーはあまり目立たない青紫のドレスでひとり、壁際に立っていた。視線の先には、招待客に可憐な微笑みを向けているグローリア。


(大変なお妃教育にも耐えられて、ご立派に成長された王女殿下……。きっと嫁ぎ先でも皆さんに愛されるお妃様になられるわ。清らかで優雅でお優しい、私の大切なご主人様……わかってはいるけれど、もうすぐお別れなのね)


 見つめているうちに感慨深くなったエルシーの視界が、涙で不透明になる。祝いの席で涙は禁物だ。エルシーは俯きながら人々の間を縫うと、急いで大広間から抜け出た。


 夜会の最中なので、広い廊下には誰もおらず、衛兵たちのみ見張りの定位置についている。エルシーは夜風に当たって気持ちを落ち着かせようと、廊下を進み、庭園を望める回廊へとやって来た。

  

 春の夜風がやや肌寒く感じるのは、普段侍女のお仕着せに慣れているせいだろう。今着ているドレスは、アーネストから新しく贈られた物だ。色とデザインはエルシーに任せてくれたので、派手過ぎない装飾と落ち着いた色を選んだ。今宵の主役以上に着飾るべきではないと気持ちに歯止めがかかったのは確かだが、これまでの生活環境からか、どうしても着飾ることに躊躇してしまう。


 美しく整えられた庭園と晴れ渡った濃紺の夜空を眺めながら、二、三度深呼吸し、エルシーはそっと瞳を閉じた。


 宮廷楽士たちが奏でる音楽が遠くから耳に届く以外は、とても静かな夜だ。例の声も聞こえてこない。それはそれで安心なのだが、完全に消えてなくなったわけでもない。しかしここ最近は、以前ほど強い拒絶反応を示していない自分がいる。この能力を知っても、顔色ひとつ変えず受け入れてくれたアーネストの存在が大きいからだろう。


 先日の事件に裏があったと聞かされた時からしばらくは不安が常に付きまとっていたが、今のところ身辺には何も起こらず、これまで通り穏やかな日々を送っている。だが完全に安心するのは禁物だ。


 そろそろ戻ろうと、エルシーが踵を返した時、回廊の角から早足で向かってくる黄色いドレス姿の女性が視界に入った。時折、庭に目を向けて何かを探しているような素振りを見せたが、その女性もエルシーを発見すると、小走りに駆け寄ってきた。


「あの、こちらに誰か来ませんでしたか? 茶色の髪に茶色の瞳をした、高身長の男性なんですけど」


 女性は目を見開いて真剣な面持ちで尋ねてきた。


「いいえ、見ませんでしたけど……」


「そうですか、ありがとうございます」


 礼を述べつつ、一体どこに行ったのかしら、と女性は呟きながらその場をあとにする。家族か恋人でも探しているのだろうか。再び回廊の角に消えていく女性の姿を、エルシーが何げなく目で追っていた時、庭の方から、ガサガサッと葉を掻き分ける音が聞こえてきた。


 不意を突かれて思わずビクリと身体が固まってしまう。音の方へと視線を集中させていると、突然、垣根の中から黒い影が現れた。


「きゃ……っ!」


 小さな叫び声を上げたエルシーだったが、足を踏ん張らせてその場で尻もちをつくという醜態はなんとか回避できた。しかし、驚きで自分の心臓がバクバクと激しく脈打っているのが伝わってくる。


 すると、エルシーが逃げ出すよりも早く、その人影は近づいてきた。


「ごめん、怖がらせてしまったかな」


 若い男性の声だ。思ったより穏やかで紳士的な声音に、エルシーの警戒心がほんのわずかだけ解かれる。服についた葉を払いながらエルシーのもとへと歩み寄ってくる男性の全貌が、回廊の灯りによって明らかとなった。


 背は高く細身で、茶色の髪。同系色の瞳はやや垂れ目だが、割と整った顔立ちの優男だ。きちんとした夜会服を身に着けており、今宵の招待客であることは一目瞭然。しかし、どこぞの貴族がなぜ庭に身を潜めていたのか。


 エルシーはふと、先ほどの女性が探していた人物と目の前の男性の特徴が一致していることに気づいた。


(隠れていた、ってことは、何かそうせざるを得ない状況だったのね。この人、さっきの女性に顔を合わせられないんだわ)


 彼らふたりの歳も近そうで、この場合、たいていは男女の色恋沙汰のもつれだと相場は決まっている。物腰は柔らかく親しみやすそうな青年だが、見方によっては軽薄とも取れる。エルシーは呆れて、さっさとここから離れる決断を下した。


「では、私はこれで」


 一応、失礼にあたらないよう丁寧にお辞儀をし、身体の向きをかえる。しかし、そんなエルシーの前に青年が素早く進み出た。


「ああ、まだ行かないで。礼をさせてほしい。君が匿ってくれたおかげで助かったよ」

「状況から見て、貴方が先にお隠れになったあと、私はここに来ました。あの女性にはありのままをお伝えしただけですし、貴方にお礼を言っていただくようなことではありません」

「なんであれ、君が僕を救ってくれたことには変わりないよ。世話になった女性に何もしないなんて、僕の信条に反する。後日礼をさせてくれ。君の名前を伺ってもいいかな?」


 人懐こい笑顔で、ぐいぐいと迫ってくる。驚くほど滑らかに言葉が出てくることから察するに、この青年は常日頃から女性に対し、この類のやりとりを繰り広げているのかもしれない。恵まれた彼の容姿にほだされてしまう女性がほとんどだろうが、あいにくエルシーの心は一ミリも動かなかった。代わりに異性への不誠実さが透けて見える。


「ですから、そこまでしていただかなく……ても……」


 うんざりして相手を見据えたエルシーだったが、語尾が小さくなってしまった。彼の顔にわずかな既視感を覚えたのだ。


(どこかで見たような……あっ!)


 いつもニヤニヤして、我が家にやって来るたびに嫌悪感しか生じなかった顔が記憶から甦る。屋敷の主のように振る舞い、ついにとある失言でエルシーの怒りを買い、頭から花瓶の水をかぶる羽目になった男。いや、当時はまだ成人前の少年だったが。


(この人、ヘクターだわ……! アボット子爵の次男の!)


 エルシーが眉をひそめて無言で凝視してくることに、何かを感じ取ったのか、ヘクターもまた首を傾げて見つめ返してくる。


「そういえば君、どこかで会ったことがあるかな……?」


 その問いかけを無視して、エルシーは彼の横をすり抜けた。


「あっ、待ってよ! ええと、あ、そうだ、エルシーだ、エルシー・ウェントワース!」


 ヘクターが追いかけてきて、再びエルシーの前に立ちふさがる。


「懐かしいな! 元気だったか?」

「……よくそんな気楽に話しかけられるわね」

 

 ヘクターが笑顔全開なのに対し、エルシーの表情は氷のように凍りついている。瞬時に冷気を感じたヘクターは「う……」と気まずそうに言葉に詰まった。


「……あの時は、本当に悪かった。親の財力を笠に着て、調子に乗っていた。何も考えていないバカなガキだった」


 エルシーは少し驚いてヘクターの様子を窺った。顔立ちはそのままだが、雰囲気が異なっているように感じる。以前はふんぞり返った偉そうな少年で、こんな風に自分の非を認めるような人物ではなかった。


〝花瓶の水をぶちまけた日〟以降、エルシーが変わったように、この数年でヘクターの心境にも何か変化が訪れたのかもしれない。事実、あの日の出来事がきっかけで今の自分はある。そう思うと、いつまでも過去にとらわれることの無意味さを痛感した。


「……もういいわよ。私も話で解決するよりも前に思わず手が出たこと、謝るわ。ごめんなさい」


 エルシーの言葉が意外だったのか、ヘクターは嬉しそうに笑顔を浮かべると彼女の両手を握って、ぶんぶんと上下に振った。


「そ……そうか。良かった、君にはずっと謝りたいと思っていたけど、気まずくてなかなか……。でも、これで仲直りだな!」

「わかったから、もう手を離してくれない? そんなに強く握られたら抜けないわ」

「ああ、ごめん、つい嬉しくて。でも、見ないうちにすっかり大人の女性になったな。前から美人だと思っていたけど」


 ヘクターは、少し名残惜しそうにエルシーの手を離した。


「ところで、今頃パートナーが君を探しているんじゃないか?」

「今日はひとりよ。母と弟は家にいるわ」

「……そうか」


 エルシーの回答で、ヘクターは彼女がまだ独り身であることを薄々感じ取ったのかもしれない。視線をわずかに逸らし、なぜか小さく頷いている。


 行き遅れだと思われたのは仕方ないが、実はもうすぐ結婚予定だと伝えるのも、負け惜しみにしか聞こえないだろう。それに、ヘクターとはそれほど親しかったわけでもないので、わざわざ自分の近況を教える道理はない。


 エルシーは、簡単に別れの挨拶を述べると、回廊を戻り始めた。ヘクターは何か言いたげに口をもごもごと動かしていたが、先ほどの女性に鉢合わせるのを躊躇してか、エルシーを追ってはこなかった。


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