薔薇色カマキリ
目が疲れた。眉間を揉みながら休憩を入れる。
もう、かれこれ出勤してからどれだけ経っただろうか。自分の手際の悪さとはいえ、一体いつまで残業をしないといけないのだろうか。
「あー、ホントにしんどい」
ゴンッ――と額を机につけて突っ伏す。ヒンヤリとしたプラスチックの冷たさが伝わってくる。もう、限界ですよ。
「はあ……」
机につけている部位を額から頬に変えて横を向く。今度は頬に冷たさが伝わってくる。
「ん?」
何だ?
薄紅色の何かが――
「うわっ!?」
驚いて飛び起きる。よく分からない薄紅色の何かが動いたからだ。
「え? なに?」
恐る恐る見ると
「虫? カマキリ?」
自分の机の上に掌の上いっぱいに乗りそうな程の大きさの薄紅色のカマキリがいた。
何でこんな都会のオフィスのデスクにこんなでかくて珍しい色のカマキリが?
マジマジ見ていると、カマキリは両手の鎌を振り上げて、背中の羽を広げた。確か威嚇の時の行動ではなかっただろうか?
「おうおう、兄ちゃん。何をガン垂れとんねん」
「は?」
どこからかボイスチェンジャーを使った時のような甲高い声が聞こえる。会社には自分一人だけのはずだが。
キョロキョロと辺りを見回しても誰もいない。外か?
「どこ見とんねん。こっちやアホ!」
「…………」
嘘だろ?
「いや、こっち見ぃとは言ったけど、そないマジマジ見んな。なんやワシに惚れたんか? アカンで兄ちゃん、なんせワシには可愛い嫁ハンがおるからな! ガハハ」
いやいや、いや。
「いやいや、いや……」
「なんや突くな。この鎌が見えへんのかいな。いてまうぞ、この鎌で?」
「いてっ!?」
突いていたカマキリの鎌が指に当たる。
「おっと、スマン、当てるつもりはなかったんや。いや、でも、今のは兄ちゃんも悪いで、そんな突かれたら防衛本能も働きますわ」
「あ、あの、何で喋ってるんですか?」
虫の勢いに気圧されて敬語になってしまっている。
夢か? いや、さっき頬をツネるまでもなく痛みを感じた。夢じゃない。
これ夢じゃない!?
「何を不思議そうに言ってんねん。兄ちゃんだって喋ってるやろ?」
「でもアナタ、カマキリですよね?」
「ワシをそこら辺のカマキリと一緒にすなや。ただのカマキリとは一味も二味も、一兆味もワシはちゃうで!」
「ですよね」
流石に。
「なんせワシは薔薇色のカマキリやからな!」
「えっと、薔薇色だとカマキリって喋るんですか?」
「え、喋るんちゃう? 知らんけど。ちゅうか、ワシ以外のカマキリも喋るんちゃうん? ワシが他の有象無象と違うんは、このデカさと、この薔薇色の肉体だけやで?」
アナタ以外に喋っているカマキリ知らないんですけど。
「なんや、難しい顔して。ちゅうか暗いな兄ちゃん! 顔が暗い。染み出てるでー? 負のオーラちゅうんかな? 兄ちゃんの体の色、負のオーラで灰色になってるで?」
「いやこれ、体の色じゃなくて服の色なんですけど」
ただのスーツの色だ。
「一緒や、一緒。ワシは今日までずっと薔薇色の人生を送ってんねんで? 何でかわかるか?」
「体が薔薇色だからですか?」
「兄ちゃん天才やな。花丸あげるわ! ガハハ!」
なんで虫にこんな上から目線で説教をされているのだろうか?
「ワシの人生はな、それは成功に満ちとるんや!」
カマキリの武勇伝が始まった。飲みの席の上司かお前は……。
「まずゴッツ大量の兄弟達と一緒に生まれた所やねんけどな、なんとワシ一人だけ色違いやってん、どう? 奇跡や思わん?」
突然変異とかいう奴か。よく知らないが。
「最初は、そら浮いたわな。浮きすぎて、実は飛べるんちゃう? って試したら、ホンマに飛べて驚いたもん」
羽があるから、鳥ほどではないけどカマキリも飛べるだったけ?
「そんで、もう若い頃は喧嘩に明け暮れてたな。まあ、出る杭打たれるって奴やな。ま、余裕で全勝な訳やけど、そうじゃなけりゃ、もうお天道様ところ行っとるんやけどな。弱肉強食やから! ガハハ!」
「いや、笑えないです……」
昆虫の世界がシビア過ぎる。
「笑っとき、笑っとき! 大切やで笑うのは! ガハハ!」
表情が一切変わらないのに笑い声だけが聞こえて不気味であった。
「ま、若い頃は荒れとったちゅう話やな。まぁ大人になってからは、嫁ハン探しに明け暮れてたわ」
「明け暮れてたって、若い頃に彼女とかいなかったんですか?」
「アホ! ワシがモテない奴みたいに言うなや!? こんな強くてカッコええんやぞ! 死ぬほどモテモテやったわ。作ろうと思えばハーレムの一つや二つ余裕やったわ!!」
「じゃあ、何でハーレムを作らなかったんですか?」
まだ会って間もないが、かなり傲慢な性格をしているように見える。本当にハーレムが作れたのなら、作っていそうなものだが。
「それこそ何を言うてんねん。男はたった一人の女を愛して死ぬもんやろが」
「…………」
む、虫のくせに。
「ま、結局今の嫁ハンに行き着いた訳やけど……はぁ」
「え、どうしたんですか?」
急にダウナーになった。
「あースマンな。嫁ハンの話をしたら思い出してもうてな……」
「何をですか?」
「ワシの死期や。季節の四季とちゃうで? 死ぬ時期やで?」
「わかりますけど……え、死ぬんですか?」
こんなに元気そうなのに。
「嫁ハンと子供らのためや。ワシらオスはな子孫を多く残すために、交尾の後、嫁ハンに自分を喰わせるんや。エロい意味とちゃうで? 兄ちゃんらの所でいうカニバリズムやで」
そういえば、共食いをする昆虫だったか。
「覚悟はしてるんやけどな。どうも、子供の顔も見れんで死ぬんが未練でな……」
ギャグにも勢いがない。
「ま、兄ちゃんに言ってもしゃあないんやけどな……」
カマキリは小さな顔を俯かせて、机の上を鎌で掻いている。
落ち込んでいるのだろうか。少し調子が狂う。
「げ、元気だしてください。ほら! 笑いましょう! 笑顔が大切なんですよね!」
「兄ちゃん……」
「それに、アナタの子供なら強よくて逞しくて綺麗な薔薇色の子供が生まれますよ。確かに子供達の顔は見れませんが、アナタの輝きは必ず子供達にも遺伝するはずです!」
……俺は虫相手に何を熱弁しているのだろうか?
「おう、励ましてくれてありがとな。元気もろたわ」
「すいません、こんな若造が上から」
「なに、ワシも生まれて数ヶ月やから気にせんといて」
「そ、そりゃそうですよね……」
虫だったなコイツ。
「兄ちゃんのおかげで、吹っ切れたわ。嫁ハンにエロい意味でも、正しい意味でも、喰われてくるわ。ホント知らんで兄ちゃんらの文明を食い散らかしても。なんせ、ワシみたいなビッグなオスの子孫が大量に生まれるんやからな! ガハハ!」
「あんまり冗談になってないです……」
こんな喋るカマキリが大量に生まれたら本当にない可能性ではない。
「ま、世の中弱肉強食やからな。そんときは受け入れて貰うしかないわな」
それなら今すぐにでも、未来の不安と一緒に薔薇色カマキリを叩き潰してしまおうか。
「ほな、兄ちゃん。楽しかったわ。もうワシに会う事はないやろうから、せめてワシの子供にワシの武勇伝聞かせたってなー」
潰すかどうか考えている間にカマキリは去ろうとする。
「兄ちゃんもワシみたいな薔薇色の人生送りや。まず、大切なのは笑う事と薔薇色に体を染める事やで」
「あ、家まで送っていきましょうか? 外は危険ですから」
「ええよ、ワシはこの世界のプロやで? セミプロや。セミやなくてカマキリやけどな! がはは!」
カマキリはピョンピョン飛んで開いた窓の近くまで行くと
「ほな、本当にバイバイや兄ちゃん。子供達によろしくなー」
羽を広げて薔薇色のカマキリは外に飛んでいった。
「痛い……」
一応、頬をツネってみるが痛みがある。
「あーそうだった」
残業中だった。
「仕事を終わらせないとな……」
次の年、会社の近くにある公園でピンク色の珍しいカマキリがいると少し話題になっていた。
喋るという噂は聞かない。どうやら、アイツの子孫が文明を喰い散らかす事はないようだ。
「はぁ……」
そんな事より今日も残業である。アイツはしっかり子孫を残したというのに俺は何も変わっていない。
机に横に突っ伏すと
「なあなあ、兄ちゃん。お父ちゃんの話聞かせてくれへん?」
あの時であったカマキリにそっくりな薔薇色のカマキリが関西弁で話しかけてきたのだった。