第5-2話 魔力は蜜の味
会場内はしんと静まり返った。
ソルティアはほぼ反射で調香師の魔力を探るが、そこでふと気づく。
「…ちっ」
(あいつ、魔力を探られないように何か細工している)
どんな細工をしているのかはわからないが、今のソルティアでは魔力を探ることはできなかった。観客たちの様子を窺うと、魔法使いは一種の比喩表現だと受け止めたようで先ほどの困惑した雰囲気は薄れていた。
ソルティアがまだ街に住んでいた頃も思ったことだが、西域は全体的に魔法使いへの意識が希薄のように感じる。魔法使いが自身の存在を隠すようになって100年以上が経つことと、西域では大規模な魔法使いによる惨劇がなかったことから、魔法使いを遥か昔にいた存在と認識している人々が多い。
『良い魔法使いと悪い魔法使い』という絵本を読んだときは大笑いしたことを覚えている。
魔法使いに良いも悪いもないのに、と。
魔法使いだと名乗った調香師は堂々としたままだ。
「皆様をこの醜い世界から、苦しみから、開放させてあげましょう。では、私が調合した神秘の香りをお楽しみください」
調香師が合図をすると横に控えていた女性がろうそくに火を灯していく。
すると、不思議な香りがしてきた。”ノ・ラントゥ”との違いといえば香りがより柔らかくなったところだろうか。最初の少し甘い香りはそのままだ。
あの調香師が魔法使いであろうがなかろうが、ソルティアにとってはどうでもいい。ましてや街で調香師として働くことになんの感情も抱かない。魔法使いだと隠してうまく人間と共存している者も確かにいる。
しかし、人間にとって毒となる魔力を混入させた香水を売るとは何を考えているのか。
それに、香水を数回使用するだけで魔力中毒の症状がでてくる人もいるはずだ。最初は風邪のような気怠さ。それから発熱、人によっては低体温になる。ひどくなれば呼吸が苦しくなり最後には死に至る。
香水だけでもそうなるのに、今ここは人間にとっては魔力という毒ガスの籠った密閉空間だ。香水でちまちまと魔力を体内に摂取するのとはわけが違う。
それなのに周りにいる人間たちは、ろうそくの香りにうっとりとしたままだ。
非常にまずい。香りが充満しきるまでになんとかすべきだ。ソルティアはそう考え、無理にでも入ってきた扉を開けに行こうと腰を上げたそのとき、
「やーん、この部屋ちょっと煙たい~」
そう言って一人の女性が勢いよく扉を開けた。その女性はセミロングで薄桃色のカールした髪をもつスタイル抜群の女性だった。扉の横には、警備として配置されていたであろう屈強な男が倒れている。
「香水は好きだけど、煙はちょっと苦手なのよね。邪魔しちゃってごめんなさいね、調香師さん……ってあれ?」
調香師が会場からいなくなっていた。ソルティアも女性に気を取られていて調香師がいなくなったことに気が付いていなかった。
「あほビアンナ!タイミングって言葉知らねーのか!裏に引っ込んだぞ、逃げる気だ!」
客の中から女性に向かって叫ぶ声が聞こえた。そちらを見ると、程よく引き締まった筋肉が服の上からでもわかる茶髪の男性がいた。
「あら?でもまあ大丈夫よ。外にはアリサー君が待機してるから逃げようなんてないわ。それじゃ、私たちはゆっくり後を追いますかー。ほい、研修くん!ついてきて〜。プラトンたちはここの収拾よろしく〜」
そう言うと、ビアンナと呼ばれた女性は背筋の良く伸びた青年を1人従え、この会場から出て行った。だからあいつと仕事すんのやなんだよ、というプラトンの呟きがソルティアの耳に届いた。
「えー、皆さま。お騒がせして申し訳ありませんでした。私達はガードン軍です。まずは、ここから落ち着いて且つ速やかに外へ移動してください。ご説明はその後でします」
「っ―――」
プラトンの言葉を聞いてソルティアは頭を抱える。
客の中にガードン軍の隊員が紛れていたなんて全く気付かなかった。
それもそのはずだ、今ガードン軍の隊員はみな私服姿だ。
「最悪だ……」
思わず口からこぼれてしまう。
しかも、先ほど調香師を追って出て行ったビアンナと青年は魔狩り、いわゆる魔物と魔法使いを専門に相手をする特殊部隊だと推測できる。それにビアンナの言葉通りなら、外にもう一人いるはずだ。
ますます迂闊なことはできなくなった。
このまま何事もなく終わりますように!と心の中で必死に祈る。
しかし、神様はどうやらソルティアの味方ではないらしい。
バタンッ
人が倒れた音がした。
「あっ、おい!大丈夫か!?」
プラトンの近くの女性が倒れ、すぐさまプラトンはその女性を抱き起す。見なくても分かる、魔力中毒だ。この状況にソルティアは舌打ちをする。今日何回目の舌打ちだろうか。
そして、次々と客たちが倒れて行く。思ったよりろうそくに込められた魔力が多かったのかもしれない。ガードン軍お抱えの医者なら別だろうが、普通の人間の医者に魔力中毒の診断はできないはずだ。人間にとってもともとないものを感じ取ることなど不可能だから。
ソルティアは最初に倒れた女性のもとへ歩み寄る。
つまり、プラトンのもとへ。
「私は薬師です。隊員さん、こうなってしまった原因はわかりますか?」
あえて原因がわからない呈でプラトンに話しかける。プラトンは一瞬ソルティアを見て驚いたが、さすが鍛え抜かれたガードン軍隊員だ。すぐにソルティアの質問に反応する。
――が、言葉を濁して明確なことを言わない。
一般人に魔力の話をしても分からないと思っているのか。このままでは魔力中毒の症状が悪化してしまう。まずはこの鬱陶しいろうそくの煙をどうにかすべきだ。
ソルティアは少々強引な手を使うことにした。
「隊員さん、私がこの方たちを見ていますので、担架を持ってきてください。早く早く!」
そう言ってプラトンを扉の方へ追いやる。他にも隊員がいたらしく、プラトンを含め4人がこの会場から出て行った。これで邪魔者はいなくなったとソルティアは安堵する。
そして、一応目を閉じて魔法を使う。この鬱陶しい煙を外へと追い出すための魔法だ。
その場の風をソルティアが魔法で操る。
ソルティアにとって、魔法を使うことは呼吸をするのと同じだ。
魔力との親和性が高すぎるために、魔法を使いすぎたり強力な魔法を使うと瞳だけでなく髪の毛まで銀掛かってしまう。ソルティアはそれがひどく嫌いだ。理由はわからない。
昔、君は息をするかのように魔法を使うんだね、と誰かに言われたことがある。あの時はなぜか嬉しかった記憶があるが、今なら失笑ものだ。嫌味にしか聞こえない。
ソルティアが魔法で煙を部屋の外へ追い出し終わるのとほぼ同じタイミングで、外から大きな爆発音がした。ビアンナたちと調香師が派手にやりあっているようだ。
「すまん遅くなった!担架だ」
プラトンが戻ってきた。
そこからは順調に進み、倒れた人たちはガードン軍病院へ運ばれていった。
「手伝ってくれてありがとな。嬢ちゃんは体調大丈夫か?」
プラトンの心配する声に思わず笑いそうになった。
魔法使いが魔力中毒になることなど滅多にない。
むしろこのような場合は、この魔力が不味いか美味しいかで答えるのが魔法使いの間では主流のジョークだ。もちろん、人間には伝わらないが。
「大丈夫です。あの、先ほど外で大きな音がしましたが何が起きているんですか」
ソルティアの問いかけにプラトンは曖昧に笑って、調香師には違法薬物使用の疑いがあると答えた。あくまで、魔法使いや魔力のことは言わないつもりらしい。
このテルーナ王国で魔法使いへの知識や意識が薄い理由がなんとなくわかった。おそらく、ガードン軍または王政府がそれらに関する情報操作を行っているのだ。
こうやって魔法使いという存在は人間の記憶から消えていくんだな、となんとも言えない気持ちになる。それと同時に、これがお互いにとっていいのかもしれないと思うのだった。
「魔力を探られないようにするあの細工、知りたいなあ……」
ソルティアは独り言ちた。