第34-1話 貴族
テルーナ王国王太子リディノアの17回目の誕生パーティーには、たくさんの貴族や主要な貿易を行う世界屈指の豪商たちが集まっていた。会場は王宮内のため、招待状がないと中に入ることはできない。
「殿下、ミリアンヌ・ルクーティス様がお見えです」
第一補佐官のビンがこの大勢の中で誰かを見つけて耳打ちをしてきた。名前に聞き覚えはないが、姓の方はどこかで聞いたことがある気がする。はて、どこだったか?
「オルセイン帝国の公爵令嬢ですよ。しかもご学友のはずですが」
「ああ」
ビンがしっかりしろよ、という目で見てくる。
ミリアンヌ・ルクーティス嬢は、オルセイン二大貴族の一つ、ルクーティス公爵家の一人娘で王女のいないオルセインでは貴族令嬢の中で17歳にして頂点に立つ女性。王家の外戚でもあるルクーティス公爵家は王族でも慎重に接する家柄で絶対的な権力を握っていると親友であるイルシットが言っていた。オルセインの王太子に嫁いで次期王妃にでもなるのかと思っていたが未だ婚約の話は出ていないらしい。
「なるほど。ルクーティス公爵は貪欲な方なのだな。国内だけでなく他国の王族とも繋がりを作っておきたいというわけか」
これにビンは何も反応しない。こういった場合は肯定の意味だ。ルクーティス公爵家の評判はとても良いらしく実際に話をしたこともないから人柄までははっきりとわからない。だが、絶対的な権力を握るほどの栄光を手にしているのだから政の裏、つまり汚い部分もよく知っている人間だろう。そんな人間が無欲であるはずがない。一人娘のミリアンヌ嬢をテルーナの次期王妃にでもしたいと考えていることだろう。
「殿下に必要なものはこの国での確固たる後ろ盾。もしくは世界最大の国オルセインとの繋がり。今回どちらを選ばれるか、よくお考え下さいね。最終的にどちらも手に入れられると良いですが、その場合順番がトラブルのもとなのでお気を付けください」
「わかってるさ。それにしても、ルクーティス家とはあの……?」
以前、歴史の教師に聞いたことがある。13年前、ルクーティス家の長女が悲惨な事件に巻き込まれ亡くなったそうだ。原因は婚約関係にあった大貴族リーデル侯爵家にある。当時、亡くなった長女は6歳だから今日来ているミリアンヌ嬢は3歳のときだ。ほとんど姉の記憶はないだろう。
「そのことについて触れてはいけません」
「ああ」
ビンと話していると、当の本人がこちらに向かって歩いてきた。同じ学院で学ぶ者同士、顔見知りであってもおかしくはないが不思議なことに今まで一度も話をする機会がなかった。ひとまず万人受けする人懐っこい笑顔を浮かべて挨拶を交わす。
「リディノア王太子殿下、17歳のお誕生日心よりお祝い申し上げます。わたくし、オルセイン帝国ルクーティス公爵の娘、ミリアンヌにございます」
美しいシルバーブロンドの髪が揺れる。庇護欲をそそる小動物のような可愛らしさの中に女性らしい艶と可憐さがある。そんな第一印象を受けた。
「わざわざお越しいただき感謝する、ミリアンヌ嬢。あなたも学院に通っているのだろう? 今まで気づかなくて申し訳ない。歳も同じなのだし今後は仲良くしてくれ」
ミリアンヌ嬢はまあ、と小さく声を漏らした。頬がほんのり赤色に色づいている。どうやら思わず声を漏らしたことに恥じているようだ。他の令嬢がこんな姿を見せたらわざとらしさが見え隠れするが、ミリアンヌ嬢にそれはない。可愛らしい少女がこれほど似合う令嬢はいないだろう。
「リディノア殿下がわたくしのことをご存じだったなんて、とても嬉しゅうございます。少々体調を崩しておりまして、ヒースで療養をしておりました。ですから、学院ではご挨拶できなくて申し訳ございません」
ヒースと言えばオルセイン帝国で一番人気の療養地だ。王族も愛してやまない温泉があると有名で先の王も大きな病を患った際、訪れた場所。確かヒースの地は最近ルクーティス家の領地になったらしい。ルクーティス公爵の権力拡大は留まるところをしらないようだ。
「そうか、今はもう回復したのか?」
「はい。……あの、不躾ではありますが一つお願いがございます。宜しいでしょうか……?」
上目遣いでこちらを見上げてくる。並みの男ではこれだけでイチコロだろう。
「なんだ?」
ほぼ初対面の相手にいきなり願い事とは大した度胸だ。今までこんな彼女の言動に異を唱えたり咎めたりする人間はいなかったのだろう。良くも悪くも、さすが令嬢の頂点に立つ存在だ。
「リディノア殿下のことをお名前でお呼びしたいのです……その、リディノアさまと」
「……は」
思わず気の抜けた声を出してしまったら後ろからビンの咳払いが聞こえた。それにはっとして崩れかけた笑顔をもとに戻す。呼び方がそんなに重要だとは思わないが、それぐらいならお安い御用だ。女性として気に入ったかどうかは置いておいて、ミリアンヌ嬢は有力正妃候補の一人のため無碍にすることはできない。交易の面から見ても良好な関係を築いていた方がいいだろう。
「失礼。好きなように呼んでくれて構わないよ」
それを聞いたミリアンヌ嬢の表情がぱっと明るくなった。まるで太陽の光を浴びた向日葵のように輝いている。貴族特有の自尊心の高さからくる気の強さがなく、まさに天真爛漫を絵にかいたような少女。ここで比較対象にソルティア嬢を出すのは可笑しいかもしれないが同い年なのにこれほどまで違うのかと思うとなぜだか面白くなってきた。
そんな気持ちが顔に出ていたのかミリアンヌ嬢が不思議そうな顔で見つめてきた。
「どうかされました?」
「ああ、いや。何でもないよ。ミリアンヌ嬢、一曲どうかな」
すっと手を差し出した。大勢の視線を浴びながら何のためらいもなくミリアンヌ嬢はにこりと笑って手を取る。ソルティア嬢ならしかめっ面で断るのだろうな。
「喜んで。リディノアさま」
鈴の音のような声がなぜだかよく響いた。