第33-1話 眠り姫
1か月間の不可侵の森での訓練が終了してもソルティアは眠り続けていた。基地から首都にあるガードン軍本部に戻って今日で3日。眠り続けてからの日にちを数えれば18日。その間ユリィは細かくソルティアの様子を見ているがこれといって変わった様子はない。規則正しい呼吸が続くのみ。魔力の揺れ方も通常のそれ。一度、森にいる妖精フィーリルに聞いてみようと探したが見つからなかった。理由はわからないがどうも森の様子が閑散としているのだ。
「今日も変わりなし、か」
プラトンはベッドに横たわる眠り姫の顔を覗き込む。その後ろにはアリサー隊員もいる。山脈訓練についての会議が終わった足でそのまま来たのだろう。
「こんなに長くこの状態が今までもあったのかわからないからなんとも言えない」
ただ、とユリィは付け加えた。
「自分の意志とは関係なくこんな感じで眠りについたときは、外からの干渉に無防備になるみたい。なまじ魔力が強力なだけに魔法による干渉は受けないようだけど、今は私ですら簡単に魔力に干渉できてしまう」
「……つまり、どーいうことだ?」
魔力に縁のないプラトンは首を傾げる。
「今なら、簡単にこの子の膨大で濃密な魔力を暴走させることができるってこと」
「なにぃっ!?」
プラトンは思ってもみなかったユリィの見解に驚いた。ソルティアの魔力の量や質を正確に把握していないが、今までみた魔法の威力や同じ魔法使いからの評価からその凄さは十分わかっている。それが今、ユリィですら簡単に干渉できるというこの事態に、はいそうですかと聞き流せるわけがない。
ひとまずユリィ以外の魔法使いとの接触は禁止。念のために魔力の研究をしている研究員たちも診察室にはできる限り近づかないように伝える。何が魔力の暴走の引き金となるかわからない。あとできることは、と考えているとアリサー隊員がぽつりとつぶやいた。
「……その心配は不要かと」
「どーいう意味だ、アリサー隊員」
表情はお面のせいでわからないが、どことなく話すのをためらっている雰囲気が漂う。プラトン同様、ユリィも静かに耳を傾けた。
「ソルティアには耳の魔封じ以外に魔力を強制的に抑えつける魔法がかかっています。それは簡単に魔力が暴走しないためのもの。古代文字による複雑な古のまじないです。それを理解してましてや解くことのできる存在などそうそういないはずです」
アリサーのいつにない饒舌さとその内容に呆気にとられる。
「なんでそんなこと知っている」
誰が聞いても当たり前のように抱く疑問をぶつけると、アリサーはソルティアが眠るベッドに近づいた。
「……ソルティアが生まれたときから知っているからです」
「そ、れは、さすがに初耳だ。今までそんな素振り全くなかったぞ」
アリサー隊員とソルティアが顔を合わせる機会など今までいくらでもあった。むしろアリサー隊員は彼女の首に剣をあてがうほど関係は悪化の一途を辿っていたはずだ。ソルティアはソルティアでアリサー隊員に苦手意識を持っていることは明白。
「ここの人間には初めて言うので。それに事情があるのでこれ以上の詮索は遠慮してもらえますか。今話したこともソルティアには言わないでください」
「いや、そうは言ってもなあ」
髪の毛をがしがしと掻いて一旦、頭の中を整理する。
「お前は嬢ちゃんが生まれたときから知っているが、それを伏せて接している。嬢ちゃんの様子から考えて、嬢ちゃんはお前のことは知らないってことか?」
「少し違いますが、概ねその認識で合ってます」
そこで茶化したようにユリィが口を挟んだ。
「もしかして生き別れた兄妹とか?」
「違います」
間髪入れずに即答した。それをユリィはでしょうね、と言って笑う。プラトンはユリィがどこでそう判断したのかいまいち分からないが話を続けた。
「なぜ嬢ちゃんに隠すんだ? どうも嬢ちゃんには親戚がいないようだが昔から自分を知っているお前がいるとわかったら喜ぶんじゃないのか」
お節介なおじさんのような言葉を並べるがアリサー隊員は首を横に振った。そっと眠り姫の頭を撫でる。誰がどう見ても大切にしていますよ、という優しい手つき。何か深い事情があるということは察しが付くが双方の情報が少なすぎてフォローしようにもフォローするその加減が掴めない。
「むしろ逆です。それに混乱すると思うので。プラトンさんも、死んだと思っていた人間が本当は生きていて自分のすぐそばにいるって知ったらゾッとするのでは」
「……嬢ちゃんの中で、お前は死んでいる存在なのか」
眉を寄せたプラトンは声のトーンを下げて聞いた。アリサー隊員は何も答えないがそれを肯定と受け取る。やはり、他人が踏み込んではいけない事情があるようだ。この話をまとめるべく、ユリィが今できることはないか聞く。
「待つことです。ひたすら、待つ」
「はあ、わかった。ユリィ、あと頼んだぞ。仕事に戻る」
釈然としない表情で大きなため息をついたプラトンは診察室を出ていった。
その頃、ガードン軍本部の前にはテルーナ王国の王家の文様が入った手紙を持ったいかにも執事という恰好の壮年の男性が一人、柔和な笑みを浮かべて立っていた。