第31-1話 犠牲が微笑むそのときに
大量出血によるショックでソルティアの呼吸は速くなり体は冷たくなっていく。意識が混濁する中で辛うじて耳元で聞こえる声がなぜかアリサーのものだと認識できた。
「そろそろ良いだろう、カーチス」
アリサーはすでに一人では立っていられないほどぐったりとしたソルティアを片手で抱き、器用に反対の手で持っていた剣に自らの血を流した。
全ての国の警察や軍といった組織に共通して、魔法使いを相手にできる魔狩りは魔晶石のついた特注品の真剣を武器とする。魔晶石には魔法陣が刻まれており、魔法使いが使う魔法と同じものを操れるようになっているが、魔力耐性が高いからといっても生身の人間。魔法陣による魔法を使っても体への負荷が大きくて使用可能回数には制限がある。
ちなみに、剣に埋め込まれた魔晶石に所有者の血を流して魔法陣を展開できる状態にすることを、血契突破という。
アリサーの剣は血を流したことにより、紅いオーラを纏った。これが血契突破状態だ。それを見たユニアスも同じように血を流して血契突破状態になり、剣は薄い紫色のオーラを纏った。
「ほう、やる気か? 魔を狩る者よ」
カーチスが足先を地面にこつんとあてると後ろにいた数体の魔物がアリサーに向かって飛び出してきた。涎を垂らして鋭い牙で首を掻き切ろうと狙いを定める。
「グシャァァァァ!」
今にも意識が飛びそうな中、ソルティアは魔物の殺気を感じて魔法を行使しようとアリサーの腕の中で身じろぎをした。しかし、アリサーは先ほどよりもソルティアの体を強く抱き離さない。
「アリサー隊員っ!」
ユニアスは自分の周りを囲んでいる数十体の魔物の相手をしながらアリサーの名前を呼んだ。それに答えるかのようにアリサーは紅いオーラを纏った剣を向かってくる魔物たちに一振りした。すると魔法陣が展開され黒い斬撃が魔物に命中。次の瞬間には魔物たちの体はボロボロと崩れていき血液が吹き出す間もなく塵と化した。
「ふむ」
魔物の跡形もなくなった場所を見つめ、カーチスは魔法で草木を集め龍を形成していく。再び足先で地面を蹴ると、草木で形成された龍が音にならない咆哮をあげてアリサーとソルティアに襲い掛かった。
白いお面をつけた顔はまっすぐにそれを捉え、先ほどと同じように紅いオーラを纏った漆黒の剣を一振り。
「ガァァァァァッ――」
漆黒の斬撃が草木の龍を真っ二つに裂き、ボロボロと崩れていく。しかしそれだけでは終わらない。巨体を裂いた漆黒の斬撃はカーチスの元まで届く。
「ちっ」
舌打ちをしたカーチスはソルティアから血を搾り取る手を止め腕を下から上に振り上げる。足元から土でできた壁が作られアリサーの斬撃が直撃するのを妨げた。それにより、唸り声をあげていた魔物たちはしんっと静まり返った。
例え魔力耐性が高い特殊部隊員であっても血契突破状態における魔法の行使は体に大きな負荷がかかる。だが、立て続けに強力な魔法を使用したはずのアリサーは全く呼吸が乱れていないようだった。
「ほぼ動かずにそれか。なるほど、人間の若芽にもなかなかやる者がいるというわけか。ふむ、良かろう。対価はしっかりと受け取った。我らは元いたところへ戻るとするか」
頭上で赤黒い大輪を咲かせたまま、魔物たちの大群を伴ってカーチスは来た道をゆっくりと戻っていく。去り際に無表情に戻ったカーチスがアリサーに助言した。
「ああ、それと言い忘れておった。銀の魔法使いは死なんよ。ただ、眠り続けるだけ。……それにしてもお主、惜しいのぅ。魔法使いに最も適した体を持っていながら魔力は持っていないなど。なかなか珍しい先祖返りの仕方よの」
「え?」
ユニアスは去っていくカーチスの後ろ姿を茫然と見つめた。
聞き間違いだろうか。
人間であるアリサー隊員が”魔法使いに最も適した体を持っている”?
「先祖返りって、一体……」
「ネル隊員とプラトン中隊長への報告を。ナンバー8も任せる。俺は先にこいつを基地へ連れていく」
ユニアスの問いかけを無視してアリサーはポケットから出した清潔な布ですでに意識を失っているソルティアの首にあてて応急処置をする。カーチスが草木の龍を出した辺りでソルティアは完全に意識を手放したのだ。そしてユニアスの返事を待たずしてアリサーはソルティアを抱きかかえその場を去った。
その後、戸惑いつつもユニアスは連絡用魔晶石でネル隊員に基地への撤退を指示。プラトン中隊長へは状況説明を行う。浅く息をするナンバー8を抱え、アリサーの後を追った。
全速力で基地へと向かったアリサーは無事に到着し、医師のユリィと合流した。
「こっちへ」
ユリィは事前にアリサーからソルティアの怪我について聞いており、治療に必要なものを用意しておいた。見たところ、首の傷は綺麗にナイフで裂かれたもので縫合さえしてしまえば他にできることはない。大量に失った血液を補うためには通常であれば輸血を行うが、ソルティアの場合それは困難である。
なぜなら、魔力の質が高すぎてそれに見合う血液がないからだ。魔力が濃密であればあるほど、他の魔力との拒絶反応が大きくなる。魔力の質が同等以上でなければ輸血した血液の魔力がソルティアの魔力に負け、血液としての意味を為さなくなる。
あとできることといえば、血液を失ったことにより急激に下がった体温を上げることぐらいだ。ひとまずユリィは慣れた手つきであっという間に傷口を縫合した。
「普通ならとっくに死んでるレベルの出血のはずだけど……ただ眠っているだけね。体が強制的に機能を停止して生命維持に全力を注いでいるって感じかしら。いつ目覚めるかはよくわからないわ」
「準備は」
「できてる。ついてきて」
ユリィはソルティアの傷についてだけでなく、アリサーから沐浴の準備も頼まれていた。体を温めるには確かに有効な方法だ。沐浴用の部屋には女性隊員を2名待機させてユリィを含めた3人でソルティアを入れるつもりでいた。しかし、あろうことかアリサーはソルティアを抱いたまま沐浴の部屋に入ろうとした。
「ちょ、アリサー。ここからは私たちでやるから」
「必要ない。ここには誰も近づかせるな。そこの女2人も戻れ」
冷たい、だがどことなく切羽詰まったような声にユリィは一瞬動きを止め、ため息をつきながら待機させていた女性隊員2名を下がらせた。
「傷口にはお湯をかけないように気を付けて」
それだけ言ってユリィは部屋を出ていく。アリサーは背を向けた状態でそれを確認するとすたすたと特殊部隊の制服を着たままソルティアを抱えてお湯に浸かった。一つ一つの動作のたびに水面が揺れちゃぽちゃぽと音が響く。
アリサーはゆっくりゆっくりとソルティアをお湯へ入れ、躊躇うことなく顔を隠していたお面を取り払った。癖のないまっすぐで柔らかい黒髪がさらりと落ちる。そしてソルティアの顔をじっと見つめたかと思うとそのまま首筋に顔を埋めた。
微かな血の香りと甘い香りが鼻をくすぐる。
「いっそのこと心臓を抉ってほしいよ。……ルティ」
絞り出すようにつぶやき、ソルティアが自ら裂いてすでに縫合されている傷口にアリサーはそっと口づけをした。