第30-1話 滴る密は血の味がする
数百の魔物が群れをなして森の外へ向かっている。その大群をアリサー隊員、ユニアス隊員はただ追うのみ。魔物の殲滅を開始しても良いが、その場合相手にするのは魔物だけでなく先頭にいる妖精もということになる。どんな妖精かもわからずに戦うのは周りへの被害も考えてできれば避けたい。
「アリサー隊員っ! あと1kmほどで森を抜けてしまう! そろそろ限界だっ!」
ユニアスが走りながら前にいるアリサーに声をかけた。
「きた」
何が。
そう聞こうとしたら、魔物の群れの上空に氷の翼を背に生やしたソルティアが現れた。
「ソルティアさんっ!」
ユニアス隊員とアリサー隊員の姿を確認するとソルティアは一旦そちらに近寄る。氷の翼をはためかせるたびに氷紛がきらきらと宙を舞う。
「これからこの魔物の群れを率いているカーチスという妖精の怒りを収めます」
簡単にカーチスという妖精の説明を2人にする。そしてこれから用意しておいた銀製で両刃のナイフを使うことも伝える。それを見たユニアスが刻まれた文字について反応を示した。
「それは……古代文字、かな?」
「これが何かわかるんですか」
ユニアスが古代文字について知っていたことにソルティアは驚いた。
古代文字というのは、魔法使いがまだ人間と良好な関係を築いていたよりも前の時代に使われていた文字だ。その当時は人間と魔法使いの区別がなく一部の不思議な力を持つ者たちが儀式の際に用いていたものに古代文字が多く記されていたとされる。あまりにも昔のことのため、遺跡などから古代の遺物として稀に発見されるものがあるがそのほとんどが魔法使いにしか解析できないのだ。
「僕たちは北出身なんだけど、黒鳥では古代の遺物についても学ぶんだ。古代文字を読むことはできないけど、それが古代文字だと認識できる程度には知識があるよ」
ユニアスは北の帝国オルセインにおけるキース警察特殊部隊、通称黒鳥についてソルティアが知らなかったことを教えてくれた。オルセインは北の地域にある唯一の国にして世界最大規模の国。魔法使いと人間の関係が良好だった時代は多くの魔法使いがいたために魔法大国と呼ばれていた。そういったことからキース警察の特殊部隊、黒鳥では魔法使いや人ならざる者に関する知識が豊富かつ、隊員たちはとても優秀なのだ。
ソルティアは手に持った小瓶の蓋をあける。中には透明で少し黄み掛かった蜂蜜のような液体が入っており、よく見ると細かくきざまれた何かの花びらも含まれている。
「……なるほど、そうでしたか。仰る通りこれは古代文字です。古代の魔法使いが使っていたとされるまじないが刻まれています。これからナイフにこの“迷える密”というものを塗ります。これは妖精の気を引くことができる薬で、作れる魔法使いも少ないため滅多に使われることがありません」
“迷える密”とは浄化の泉の水と妖精が好むハシバミの葉とリンゴを煮詰めて、出来上がったものにエルダーフラワーの白い花びらを混ぜたもの。密を生成する過程で製作者の魔力も入り込むため、その魔力が濃密であればあるほど妖精の気を引くには有効なものができあがる。
「そのナイフで一体何をするんだい?」
ユニアスとアリサーは走りながら迷える密を塗ったナイフをじっと見つめる。
「トス隊員ができるだけ血を流さないやり方で今回の解決を望んでいました。ですから――」
ソルティアは密を塗ったナイフの刃を反対の手のひらでぎゅっと掴んでみせた。
「血を流すのは私だけです」
ソルティアの鮮やかな紅い血が迷える密とお絡み合い、ナイフに刻まれている古代文字に入り込んでいく。ナイフから濃密な魔力が溶け込んだ血と密の絡み合ったものが滴る。
「なっ!」
突然の行動にユニアスは驚く。前を走っているアリサー隊員からも驚いた様子が伝わってくる。しかし、氷の翼で空を飛ぶソルティアは至って涼しい顔をしていた。
「ほら、魔物の動きが止まりましたよ。カーチスがこの香りに気づいたようです」
妖精にしかわからない香りによって魔物の群れの先頭にいたカーチスが止まったことにより、魔物全体の進行も止まったようだ。魔法使いの知識とその凄さを目の当たりにしたユニアスは呆気にとられた。魔法使いと人ならざる者の結びつきを知識として知っていても実際に目にするのとは全くの別物だ。魔法使いと人間の違いをはっきりと感じる瞬間でもある。
急いでカーチスの前に出る。
「貴様、何のつもりだ。そんなものまで作って」
静かでいて怒りを含んだ声が凛と張り詰めた空気を揺らした。ユニアスはカーチスの無言の圧力と圧倒的な存在感にひやりと冷や汗をかいた。
「森の支配人カーチス、人間が妖精の命を奪いましたね。それについて謝りたかったんです」
氷の翼で宙に浮いていたソルティアは静かに地面に足をつけた。それを煩わしそうな目で人の姿をとったカーチスは見ている。ユニアスやアリサーの方にも一瞬視線を送ったがすぐにソルティアに戻す。
「謝って済む話ではない。銀の魔法使いよ、我らの同胞、特に若芽の命を摘むことは何よりも重い罪だ。その密を作れるのだから、それくらい分かっておろう」
翡翠色をした瞳でカーチスはソルティアの銀色に輝く瞳をまっすぐに見つめる。それをソルティアはしっかりと見返して提案した。
「もちろんです。ですから、対価を払いましょう」
「……ほう」
今まで無表情だったカーチスの表情が少し動いた。