第29-2話 妖精殺し
訓練員が森での訓練中に誤って妖精を狩ってしまったことで、妖精が魔物を率いて森から町へ出ようとしているとソルティアはトスから連絡を受けた。魔物だけなら特殊部隊の隊員たちで対応できるが、魔物を率いている妖精はどうにもならない。
なぜなら、その妖精がカーチス、森の支配人だからだ。
カーチスという妖精は、普段は青い蝶の姿をしており内に秘める魔力は魔物たちとは桁違い。魔物と妖精が上手く生きていけるように采配をする役割があるので、森の支配人と呼ぶこともある。人の姿をとって人との交流もする。そのため、普段は温厚で滅多に怒ったりはしないのだ。それが今回あろうことか魔物を率いて人間を襲おうとしている。心の広いカーチスでさえ我慢ならない出来事があったに違いない。
エルシィとの一件から立て続けに起こる妖精絡みの訓練員の粗相にソルティアは嫌気がさしてきていた。
「おそらく、魔物を率いている妖精はカーチスです。本来、魔物は何かに従ったりしません。それを従わせることのできる妖精など、妖精王か森の支配人であるカーチスぐらいでしょう」
ソルティアはこれから必要になるであろうものを掻き集めながらカーチスについて説明した。
「な、なるほど。解決策はありませんか? できれば血に染まらないやり方で。こちらとしても妖精などという存在と対峙したくはないんです……」
疲れ切った顔でトスはソルティアの顔色を伺った。
ここのところ、ソルティアに色々と負担をかけている自覚はあるのだ。しかし、今期の訓練員たちは例年よりもなぜかやらかす。物の見事やらかすのだ。座学に人ならざる者についての講義を追加しようと提案している最中でもある。もちろん、教えるのはソルティアだ。
「残念ですが、すでに行動を起こしているカーチスを説得するのは不可能です。怒りに染まった状態ならなおさら」
何やら準備をするソルティアを見ているしかないトスは連絡用魔晶石で森にいる隊員と連絡を取りつつ次の言葉を待つ。
「ですが、カーチスを止める方法がひとつだけあります。それはカーチスの怒りに対する対価を払うこと」
「対価?」
「ええ。カーチスが怒ったその理由に見合った対価を聞き出し、それに応える。そうすれば妖精という存在は気が済むんです。そのためにはまず、カーチスと対話できる状態になってもらわないといけません」
「えっと、つまり……?」
トスにとって妖精は完全に専門外だ。特殊部隊員ならまだしもそれをサポートするだけの一般第2兵隊所属のため、妖精といった存在はそもそも認識することすら難しく事前知識も乏しい。ソルティアの言いたいことがいまいちつかめない。これが医師で魔法使いのユリィや特殊部隊隊長のキャリアンならわかるのだろうが。
「簡単に言うと、怒りを収めてもらうためにカーチスの要求を聞き入れるということです。そのためには怒りに染まったカーチスに冷静になってもらいます。具体的には、これを使います」
そう言ってソルティアは、1本のナイフを見せた。柄の部分には何やら草が巻かれており、銀製で両刃のようだ。よく見るとナイフ全体に見たことのない文字が刻まれている。
「それは一体……」
「これだけでは機能しませんが、カーチスの気を引くための道具です。これに“迷える密”というものを作って塗ります。とにかく、森へ行きましょう。詳しいことは実際にやっているところを見てください」
「あ、ああ。了解」
そう言うや否や、トスはよくわからない浮遊感のようなものを感じた。そして一度瞬きをすると一瞬で視界が切り替わる。
「おおっ!? えっ……森?」
どうやらソルティアが転移をしたようだ。初めての体験に少し視界がふらっとしたがなんとか堪える。
「トス隊員とソルティアさん! こっちですぅ~!」
声のする方を見るとネル隊員が訓練員たちを集めて待機していた。ソルティアとトスは小走りで近寄る。
「状況は?」
ソルティアがネルへ状況把握を行う。
「幸い魔物の進みは遅く、アリサー隊員とユニアス隊員が後を追っていますぅ。プラトン中隊長は部下の方2名を伴って近隣の街へ避難指示を出しに行きました~」
それを聞いたソルティアはつかつかと訓練員の方に歩みを進めた。ネル隊員のうしろには2名の協力者としての魔法使いもいる。
「時間がありません。簡潔に答えなさい。あなた方が狩ったという妖精はあなた方に殺意を向けていましたか」
特殊部隊の訓練用の制服が所々破けたり、顔や腕にかすり傷のある訓練員2名を前にソルティアは聞いた者が思わず身震いしそうなほど凍ていた声色で静かに問いただす。
「なっ、なんだよっ! いきな――」
パンッ
男性訓練員が言い切る前にソルティアは平手打ちをした。周りの訓練員たちがざわつく。平手打ちをされた訓練員は何が起こったのかわからないという顔でソルティアを凝視した。
「時間がないと言いましたよね。死にたくなければ聞かれたことだけに答えなさい!」
訓練員全員が身震いした。
ソルティアの声にではない。ソルティアから漏れ出る濃密な魔力と感じたこともないあまりにも鋭く突き刺さるような殺気にだ。
「とっ、突然目の前に飛び出してきたんだ! 俺は、わっ悪くない! あの額に目がある気持ち悪い奴が悪いんだっ!」
ソルティアは眉を寄せて目を伏せた。
訓練員が誤って狩ってしまった妖精というのは、おそらくケープシィという額に3つ目の瞳を持つ妖精に違いない。彼らはその3つ目の瞳が開いている間だけ未来を予知することができる妖精の中でもとても希少な種だ。魔法使いの間では“未刻の瞳”と呼ばれているが、その未刻の瞳は滅多に開かれることがない。
ただし、まだ子供のケープシィは未刻の瞳の制御ができず常に開きっぱなしという状態もあるため、訓練員が狩ってしまえるくらいの戦闘力ということも考えると、その妖精は子供のケープシィだったという可能性が大きい。
妖精たちはどの種であっても妖精の子供は大切にする。よって今回、カーチスが大胆な行動をとったことにも納得がいく。
「ではもう一つ。ナンバー8という魔法使いはどうなりましたか」
先ほどの男性訓練員ではなく、もう一人の紺色の髪をした色白でわりと線の細い男性訓練員がわずかに肩を揺らしたのをソルティアは見逃さなかった。
「あなた、何か知っていますね。早く話しなさい」
「あっ、あいつは自分から戦闘に加わったんだ。ここからは魔法使いの領分だから邪魔だと。だ、だからっ」
「一人残して逃げてきたわけですね」
男性訓練員は押し黙る。確かにまだ訓練員で人間のこの男が妖精と戦うには分が悪すぎるから協力者としてガードン軍に協力している魔法使いナンバー8が妖精の相手になることは別段おかしなことではない。しかし、ただ一つ気になることがある。
「特殊部隊員の許可なしには魔封じを解除することのできない魔法使いが進んであなたたちを守ったということですね。不思議です」
紺色の髪をした男性訓練員がぐっと拳を握る。
ガードン軍に収容されている魔法使いは協力者という立場であっても、特殊部隊員の許可なしには魔封じを解除することができない。つまり、訓練員とナンバー8しかいなかった場では魔封じの解除はできなかったはずだ。ナンバー8は”魔法を一切使えない状態”で妖精と戦闘を行ったということ。
これが一体何を意味するのか。仮にも特殊部隊の訓練員が分からないはずがない。
「……まあ、いいでしょう。それがナンバー8の選択なのですから」
俯いた紺色の髪をした訓練員に冷ややかな視線を送ってソルティアは森の支配人カーチスの元へと急いだ。