第28話 賭け
西のテルーナ王国、首都ガランドにある香水店セレスタではいつも通り店主のセレスタと調香師セレストが暇を持て余していた。
「お兄ちゃん、昼間はお客さん来ないんだから香油の整理でもしてれば」
セレストの妹で店主のセレスタが薄い紫色でふわふわな長髪をハーフアップにして、棚の埃を払いながらソファで寝転んでいる兄のセレストを横目で見る。
香水店セレスタは大通りから1本小道に入った場所にあり、常連の客しか寄り付かないような雰囲気を醸し出した店だ。入口の扉にはステンドガラスが施されており、テラスでは自家製のハーブや花を育てている。商品である香水はどれもとても高価だが一部の貴族や金持ちの間では評判の良い逸品揃い。客層が上流階級の人間ばかりのため、一般には出回らないような情報が図らずして入ってくる。
「んあー、あとでやる。あとで~」
セレスタはいつも通りな兄の姿にため息をつきながらも、お客が来るまではいいかと諦める。やる気がないときの兄は何を言っても動かないのだ。とうのセレストはぼうっと店の中央に飾っているリーンの親木から落ちた枝を見つめていた。いまだに輝きは衰えず、時折その輝きは揺れる。
どんな奇跡でも起こしてしまう奇跡の木、魔力樹。昔の言葉で奇跡を意味するリーンを使った呼び名もあるが、今では魔力樹が主流だ。だから、以前店にやってきたエメルの同居人ソルティア・カーサスがリーンの樹と呟いたことには驚いた。
その時は気づかなかったが、その後のエメルの言動でセレスタとセレストはピンと来てしまった。この少女がエメルがずっと探していた子なのだと。
「なあ、セレスタ。賭けをしないか?」
「賭け? どんな?」
リーンの枝から視線を外さずにセレストは言う。
「ソルティアちゃんが、エメルが一体“誰”なのかをどの“顔”で気づくのか」
セレスタの埃を払う手が止まる。
「……そもそもあの子にそれが気づけるのかな。あの二人の様子だと、まだ記憶が戻っていないみたいだけど」
「今まできっかけがなかっただけさ。関わっているうちに何か思い出すだろ。それに、あの嫉妬深いエメルがやっと見つけて手の届くところにいる彼女を手放すわけないじゃん」
いつの間にか棚の掃除を終えたセレスタはソルティアからもらったハーブティーをマグカップにいれて2人分を持ってきた。1つをセレストに渡す。鮮やかな赤色が特徴的なハイビスカスティーだ。
「あの日、何があったのかを詳しく知らないから何とも言えないけど、仮に彼女が気づいたとしてそれを言うかな? 今私たちが知っている事実だけ見ても、お互い罪悪感の塊を抱えていると思うけど……」
セレストとセレスタはエメルが北の帝国オルセインにいるときからの知り合い。もっと詳しく言えば幼い頃からの悪友のようなもの。エメルがある事件に巻き込まれて瀕死の状態だったところを助けて匿ったのもセレストとセレスタだ。
「だからこそ、何かを取り繕うとしてどっちかが必ずボロを出すだろ。俺の勘だとエメルの方が我慢できなくなりそうだな。……あいつらに足りないのは会話。これ以上時間は無駄にできないはずだ、最近また騒がしくなってきたしな」
最近ガードン軍が慌ただしく動いていると、ある常連客が教えてくれた。
「そろそろオルセインの情勢も把握しといた方が良さそうだね」
ああ、とセレストは軽く相槌を打った。
「……で、どうする? セレスタ、お前はどっちに賭ける?」
セレスタは持っていたマグカップに入っているハイビスカスティーの水面をじっと見つめて静かに答える。
「表面的に優しい方、かな。彼女が知っている頃のエメルさんのままだと思う」
それを聞いたセレストは大きな声をあげて笑った。
「はははッ! 表面的に、ね。俺からしてみればどっちも激甘だけどな」
「お兄ちゃんは?」
「そりゃあ、もちろん剣を持ったときのあいつだろ。行動に感情が出まくりになるからな。ほんと間抜けだぜ。くくくッ」
セレストは何かを思い出したのか肩を震わせて笑う。薄い紫色で男性にしては珍しいふわふわな髪が揺れる。
「誰かの手で殺されるくらいなら、俺の手で殺してあげるとか言い出しそうなイカれた人間だろ、あいつ。まじで拗らせすぎてて救いようがねぇよ」
「エメルさんの性格をわかってるんだったら、あえて挑発するようなことやめてよね、お兄ちゃん。そのうち本気で殺されちゃうよ」
「おもしろいから当分は続ける~~」
セレストは再びソファに寝っ転がって昼寝を始めた。