第27-1話 身近にあるもの
『うわあ! ティア、君すごいね。傷がみるみるうちに消えていくよ。体にどこか不調はないかい?』
そういえば先ほどからひどく眠たい。
『眠たいのかい? ふーん、なるほど。普通の何十倍もの速さで傷を癒すために同じくらい睡眠が必要ってことかな』
傷が治るなんて全然嬉しくない。どれくらいの傷なら治らないんだろう。
『……ある程度は試してもいいけど、できれば死ぬ一歩手前ぐらいでやめてくれるかい? 君に死なれると僕があいつに殺されちゃうから。おー、恐ろしや』
そう言って師匠はここにはいない誰かを思い出して両腕をさすった。一体誰のことだろう。
『いつか、必ず会えるから。今はティア、君自身が自分と向き合って心を落ち着かせないときっとお互いにとって良くないよ。もう少し。もう少しの辛抱だから、ごめんね』
困ったような顔をこちらに向けてごめんね、と何度も言う。師匠が言う“あいつ”とは誰のことだろう。私が会いたいと思っている人はいつも夢で逢っている。もう会えない人で会ってはいけない人だけど。
あの日、蒼い炎で全てを焼き尽くした日、彼もまた私の手で焼き尽くしてしまったから。
私はいつ死ねるの?
『こらこらー! 僕がせっかくとぉーっても面倒で、とぉーっても大変な“時の眠り”っていう古の魔法を使ってあげたのに何て言い草だいー!?』
頼んでない。
『忘れ去られし古の魔法と古の言葉はそのうちティアにも教えてあげるね。知っておかなきゃだめだよ。君の母親はきっと教えてないだろうからさ。ほんっとあいつは抜けてるからな~。王家の末裔のくせに』
母親? 王家の末裔? 一体、何の話をしているの?
『おっと、口が滑った。いけない、いけない』
それ以上、師匠はにこにこするだけで何も話してくれなくなった。
「―――ティア、ソルティア」
誰かが名前を呼ぶ声で目が覚めた。
「んん……」
ぼうっとする頭で今の状況を把握する。確か昨日はエルシィとアインゲルと森で別れてアリサー隊員、その他の訓練員たちを引き連れて夜遅くに基地へ戻った。そのあとは何事もなく基地での自室へ戻った。つまり、今は朝のはずだ。
「ぉはよ、ござぃます」
「……呂律回ってないし、おはようの時間でもないんだけど」
ソルティアの目の前には空色の髪をした医師で魔法使いのユリィがいた。いつもかけている赤い眼鏡は珍しくしていない。
「えっと、今は何時ですか?」
ソルティアに当てが割れた部屋にはなぜか窓がないため、外の天気や時間を計る朝日などの情報を得ることはできないのだ。
「午前11時すぎよ。見事に寝坊ね。あんたに用があったから起こさせてもらったわ。準備ができたら私のところに来て」
ユリィは伝えるべきことを簡潔に述べると颯爽と医務室へ戻っていった。相も変わらずクールな性格だ。
「おかしい……」
ソルティアは普段から朝は早い方で寝坊なんて滅多にしない。体に不調は感じられないが、何か違和感があるのも確かだ。その違和感の正体がわからないまま、ひとまずユリィに言われた通りに支度を済ませ医務室へ向かった。
ソルティアが医務室に入ると、そこにはこの部屋の主であるユリィはもちろん、アリサー隊員となぜか研究員のマレス・コルッテがいた。ソルティアの姿を捉えるとマレスはニコニコとする。
「……なぜいるのかはまあ、どうでもいいですけど。最初に言いますね、嫌です」
「早いっ! まだ何も言ってないっすよーー!?」
マレスが座っていた椅子は大きな音を立てて倒れる。
「言わなくてもわかります。嫌です」
この訓練に参加する直前、マレスはソルティアの部屋を突然訪れ、研究のために血液と髪の毛を提供してほしいと頼んできた。訓練が終わってから考えると言ってあったはずだが、この基地にいるということはどう考えてもあの話を今ここで実行する気だ。
茶髪で小柄なマレスは不気味にふふふと笑う。悪人顔がここまで似合わない男をソルティアは初めて見た。
「大人しく観念してくださいっす! ユリィさんの許可も取りましたし、アリサー隊員も協力してくれるっす! 逃げ切れませんよ~~!」
「本人の! 許可をとるべきでしょうっ!? ……ユリィさんっ!」
普段は冷静に物事を判断して行動するが今回のマレスの暴走っぷりにはさすがにツッコみを入れざるを得ない。
「いいじゃない。別に減るもんでもないし、ちょっとくらいあげれば。管理はきちんとするだろうし悪用することはないと思うけど」
うんうんとマレスは白衣を着崩したユリィの言葉に激しく同意している。ユリィの態度や言葉尻から面倒ごとを早く終わらせたいという気持ちがにじみ出ているのはきっと気のせいではないだろう。
「……状況が、少し変わったんです」
雪の訪れを知らせる妖精エルシィに言われたこと。
“銀の魔法使いからリーンの雫を感じる”
ソルティアがリーンの樹を見たのはあの日。北の帝国オルセインで約2万人もの犠牲を出した蒼炎の悪夢の日。曖昧だった記憶が、ふとしたきっかけで思い出すようになってきた。件の魔法使いゼオなのか、ガードン軍での魔狩りとのやり取りなのか、馬頭の変人研究者エメルのせいなのか、何が引き金となって記憶が戻りつつあるのかはわからない。
しかし、リーンの雫というものが自身に何か関わったとしたらあの悪夢の日しかない。何でも叶えてしまう奇跡の樹、魔力樹。魔法使いの間では一般的にリーンの樹と呼ぶ。これが自分の驚異的な自己治癒力の原因であるなら、容易に魔力が宿る血液や髪の毛を渡すべきではない。何が起こるかわからないのだ。
「状況って何っすか? 何かあったんすか、アリサー隊員」
ソルティアが答えにくそうにしているとなぜかマレスはアリサーに続きを促した。同じ班で行動を共にしていたことを知っていたのかもしれない。
「別に。……何が起こるかわからないと思っているならむしろコイツを使えばいい。どうせ1人では解決できないことだろう。自分の手から溢れてしまうのならもがくより頼ればいい。暴走したなら俺がこの手で止めるなり殺すなりする」
なぜかどきりとした。
エルシィの言ったことをどこまで魔狩りであるアリサーが理解しているのかわからないが、ソルティアの今の状況を正確に把握しているような物言いだ。
淡々とアリサーがソルティアに向かって言葉を紡ぐ。こんな風にアリサーが長々と話すのは初めてのことでユリィもマレスも静かに耳を傾けた。