第3話 蒼炎の悪夢
真っ黒で分厚い雲が空を覆っている。空気が重く、少しすれば雨が降り出すだろう。夏になる少し前のこの時期、大抵朝は涼しい風が吹いているはずだ。だが、今日はなぜか違う。天気のせいなのか、人々の雰囲気のせいなのか。
悲しみがまだ癒えぬ人、怒りに身を震わす人、憎しみを抱く人。
今日は北の帝国オルセイン全国民が、蒼炎の海に消えていった人々に祈りを捧げる日だ。
他国との貿易はほとんど行わず、独自の文化で繁栄を築いていた北の帝国オルセイン。
2年前の今日、首都ティティーロに次ぐ主要都市ライラックが一夜にして滅んだ。
人口はおよそ2万人。歴史上、類を見ない死者を出した大事件である。
原因は魔法使いが引き起こしたであろう蒼い炎。
残ったのは焼け焦げた家屋と、元の原型を留めない真っ黒な炭だけ。
人々の魔法使いへの恐怖心を煽ること、そして危険視して排除に踏み切るには十分な出来事だった。
世間一般ではこの事件を蒼炎の悪夢という。
人によって感じ方はそれぞれだ。
2年も前の出来事と言う人、まだ2年しか経っていないという人。
後者の考えを多く持つ者たちが集まり団結したら、それは大きな力となる。
そしてそれは、北の帝国オルセインで組織として機能していた。
首都ティティーロ、キース警察訓練学校魔物特殊部隊、通称黒鳥。
帝国オルセインの規律を守るキース警察の直轄訓練学校では、魔物を対象とする魔物特殊部隊員を育成するための特殊プログラムが存在する。隊員候補には誰でもなれるわけではない。3年間の教養課程において適正ありと判断された者たちの中で、特に魔力耐性が確認された者だけが特殊訓練を受けることになる。
なぜ魔力耐性の確認が必要なのか。理由は2つだ。
1つは魔物相手に魔力の込められた武器を使用するためだ。
これを行う際、魔力耐性があまりに低いと正しく武器を使えなかったり、魔力中毒を起こして体調を悪くしてしまう。
もう1つの理由は、魔物特殊部隊の対象に“魔法使い”を含むようになったからだ。
人間の生活区域に侵入して、害を与えるような魔物は基本的に知能が低い。そのため、魔物たちが放つ魔法もそれほど強力なものではない。
しかし、魔法使いは魔力を自身に秘め魔法を使う存在。半端な魔力耐性では到底太刀打ちできないどころか、戦いにすらならない。
蒼炎の悪夢以降、2つ目の理由が追加されて特殊プログラムは大きく変更され、キース警察訓練学校上層部は慌ただしく対処に追われた。
今日はキース警察訓練学校の52期生卒業の日。
卒業の証は表に自身の名前と警察番号、裏に鳥が彫られた銀製のプレートだが、魔物特殊部隊は裏の鳥が黒鳥になっており、身に着け方は各々自由だ。
「ステファン、結局お前もなのか」
ステファンと呼ばれた軽くウェーブ掛かった赤髪を後ろで簡単に結んでいる女性が振り返りながら答える。
「当たり前でしょ。実技試験で少ししくじったぐらいで諦める訳ないじゃない。教官に頼み込んで休日返上で再試験をやってもらったわ」
そう言って視線をやや上にあげると顔の横にある後れ毛がさらりと揺れた。
「…おお、さすが押して押して押して押ステファン」
「ちょっと何よそれ、全然面白くない上にセンスの欠片もないわね」
「あ、毒舌追加でー」
少しくすんだ金色で清潔感のある短髪の青年が少々オーバーリアクションで肩を竦めて見せる。
ふと、背後に気配を感じて勢いよくその場を飛び退いた。
そこには明るい青紫色をした男性にしては少し長い髪をした青年が立っていた。
背の高さを除けば線の細い端正な顔立ちから一瞬女性に見間違われてもおかしくはないだろう。
「っお前なぁ!気配消して近づくなって何度も言ってんだろユニアス!」
「……ごめん」
コテリと首をかしげて1mmもそうは思っていない顔でニコリと笑って謝罪をする。
ユニアスは反省という言葉を知らないようだ。
何度も同じことを繰り返すギアンも学習能力がないなと心の中でステファンはつぶやく。
「そーいえばユニも西域配属になったのよね。てっきり東で黒雨の残党狩りに回されるのかと思っていたけど」
「東は少し落ち着いたんじゃないかな、当分は静かだと思うよ」
「歴代トップクラスの魔力耐性サマが俺らと同じ西にいてくれるってだけでも嬉しいぜ」
ユニアスは人間離れした魔力耐性の持ち主だ。
そのため、上官たちがユニアスの配属で少々揉めたという風の噂をギアンとステファンは小耳にはさんでいた。しかし、結局あまり魔法使いの情報がない西への配属となったようだ。むしろ、だからこそかもしれないが。
「それじゃあ、今期の西域配属は私達を含め8人か。……多くないかしら。なんだか嫌な予感しかしないわ」
そう言ってステファンは顔をしかめる。
そもそも、警察という組織はオルセインだけにしかないわけではない。
各国に規模は異なるがそれぞれ警察組織と同等の組織があり、魔物特殊部隊も存在する。
ではなぜオルセインから人員を各地域に派遣するのか。
理由は規模の違いだ。
北の地域には帝国オルセインしか国はない。つまり、他の国と比べるとオルセインは大国である。西域、東域、南域、と一括りに言ってもその中にいくつも国があり、中立地帯、不可侵の森林や山脈も広がっている。小国の警察組織では対処できないことや中立地帯での対応で、オルセインから毎年数名人員が派遣されるのだ。
しかし、今までなら派遣人数はどの地域も4、5人のはずだ。今期の魔物特殊部隊合格者が特別多かったわけでもない。
「上層部が西にはなんかあるって思ってんだろきっと。まあ、なんとかなるって」
ギアンが特に考える素振りも見せず思ったままを言う。
楽観的で少し頭が弱いくせに、武器の扱いは今期の中でもかなり優秀だというのがどうも腑に落ちないなどとステファンはだいぶ失礼なことを思っていた。
「おい、ステファン。聞こえてるぞ、喧嘩売ってんのか買うぞこら」
「あらやだ、失礼」
ステファンは両手で口を覆いつつも、全く悪びれる様子はない。
そんな二人の様子をくすくすと笑いながらユニアスは見ていた。
ギアンが言ったことはあながち間違っていない。
上層部の考えとしては、西域における魔法使いの把握をしたいのと、そろそろ不可侵の森林とそれに連なる山脈の現状把握および開拓をしたいのだろうとユニアスは推測する。
西域における魔法使いが関係する大きな事件は今のところ多くない。
そのため、魔法使いとの戦闘はあまり想定していないように思える。
今すぐ西域の魔法使いたちをどうにかしたいのなら、今期主席が西に派遣されるはずだ。
しかし、あの化け物じみた男は北に留まるらしいとユニアスはなんとも言えない気持ちになる。
「お、鐘の音が聞こえるな。俺も後で鳴らしに行くかー。当分はティティーロには戻ってこれないだろうしな」
首都の中心に聳え立つ塔には大きな鐘がついている。
そこで人々が鐘を突き始めたのだ。
「……そうね、私も行くわ。ギアンは2回、私は4回、ユニは1回ね」
鐘を鳴らす回数は、その人の家族や親戚、知り合いが蒼炎の悪夢によって亡くなった人数だ。
ギアンは首都ティティーロ出身のため家族は首都にいるが、父方の祖父母がライラックにいたため犠牲となった。
ステファンはライラック出身だ。
蒼炎の悪夢が起こったときは首都一の大学2回生だったためこちらでひとり暮らしをしていた。しかし、ライラックにいた両親と2人の妹が蒼炎の海に消えてしまった。その後、大学を中退してキース警察訓練学校に編入してきたのだ。
ユニアスの家族、親戚、知り合いは犠牲になっていない。
そもそも、両親は幼い頃に事故で他界。唯一の肉親であった母方の祖母は5年前に老衰で亡くなっている。ユニアスのような場合は、全ての犠牲者に対して1回鐘を鳴らすことになっている。
3人はキース警察訓練学校をあとにして、各々帰路につく。
ユニアスがステファンの家の方向に用があるということで途中まで肩を並べて歩いた。
「……ねえ、ステファン。あの事件の全貌はまだわかっていないけど、もしもの話」
こんなこと聞いたらきっとギアンに怒られるね、とユニアスは前置きをした。
「……ええ」
「もし仮に、アレを引き起こした犯人が生きていたら…君はどうする」
先ほどから雨が降ったり止んだりだ。
明日はさすがに晴れてほしい。地面がぬかるんでいると移動しずらいのだ。明日には西へ出発しなきゃいけないから今夜は早めに寝ないとな、と考えつつステファンはユニアスの質問に苦笑した。
「愚問ね、ユニ。どんな手段を使ってでもあの悪夢の全貌を明らかにさせたあと」
ステファンは一呼吸置く。
一瞬ユニアスの瞳が悲しげに揺れた気がしたが見なかったことにする。
「殺すわ」
ユニアスと別れたあと、ステファンはこれから血に染まるであろう自分の手のひらを見ながら、あの日死んでいても今生きていてもこっちとしては複雑ね、と独り言ちた。
1年後、西の不可侵の森林近くの王国テルーナで、少女が薬師の真似事をして本物の薬師のばあさんにこっぴどくやられるとか、言葉を話す狼や鳥がいるだとか、面白いうわさ話を酒のつまみにして仲間と笑い転げることをまだこの時のステファンは知る由もない。