第2-2話 奇妙な関係
翌日、ソルティアはいつもより1時間ほど遅く起きた。
1つ屋根の下に初対面の人間が寝ていると考えると妙に緊張してしまい、なかなか寝付けなかったのだ。まだ目覚めきっていない頭でダイニングへ行くと、ひどく整った字で、
“おはよう。これは君の分。毒など入っていないから安心して。帰りは3日後。 エメル”
というメモとエメルが作ったであろう朝食が用意されていた。
メニューは、レタスとトマトとベーコンが一口サイズにカットされてドレッシングのかかったサラダに、チールという香りが良く睡眠不足に効果的な香辛料が練りこまれたスコーンであった。
私が睡眠不足になることを見越して作ったのだろうか、という考えが一瞬よぎったがまさかと頭を振る。たまたま冷蔵庫を開けたら手ごろなものでチールの葉を見つけたのだろう。チールの葉は徹夜明けによく効くので、常備している食材だ。
人間の一般家庭でもよく使用すると街で聞いたことがある。
ソルティアが飲み物を取ろうと冷蔵庫を開けると、オレンジ色と黄色が混ざったような色をしたジュースがあった。香りを嗅ぐと、甘酸っぱい柑橘系の香りがした。おそらく、これもエメルが作ったのだろう。
「……暇人だな」
ぽつりと呟いてソルティアはジュースを一気に飲み干した。
朝食を食べ終えてから、ソルティアは出かける準備を整え鏡の前に立つ。
鏡には、少し血色の悪い自分の顔が映る。
目はくっきりとした二重だが、灰色の瞳はどことなく目つきが悪い。
鼻筋はすっと通っており、色のない薄い唇はあまり笑うことがないため横一文字になっている。
研究で家にこもりがちで肌は白い。
先ほど、ノインという血行を良くする花を漬けておいた水で顔を洗ったため、そのうち血色も良くなってくるだろう。
ソルティアは長く伸びた若干癖のある藍色の髪の毛を後ろで軽く三つ編みにする。
結ぶのが下手なせいか、結構な量の後れ毛が顔の両側にあるが気にしない。
昨夜、雨がたくさん降ったおかげで森自体、程よく湿っている。
しかもここ数日夜は晴れており月の光がたっぷりと森全体に降り注いでいた。こういった条件で咲くいくつかの花で薬や香油を作ろうとソルティアは考えている。
「せっかくだし、湖の畔で採ろうかな。ついでに湖の水も少し貰っておこう」
そう言ってソルティアは家をあとにした。
森を進んで行くと、だんだんと霧が出てきた。
この霧は魔力を乱れさせる効果があるが、ソルティアは自身の周りにだけ先ほどから結界を張っている。あまり強いものだと森にいる魔物や妖精たちを刺激してしまう可能性があるため、絶妙なコントロールで結界の強さを調節している。
幼い頃から毒に慣らされてきたソルティアでもこの霧の中、結界なしで歩くのは少々面倒だ。
そういえば、この霧について研究してる奴もいたな。とソルティアは思い出した。
人間だけでなく魔法使いとの交流も一切絶って、自由気ままに森での暮らしを謳歌していることだろう。癖のある人物なのであまり会いたくはないな、というかどうか一生会いませんようにと心の中で祈った。
順調に進んで行き、霧が晴れたところで結界を解く。
それから20分程歩いた先にお目当ての湖を見つけた。
ソルティアが思っていた通り、薬や香油に適した花がたくさん咲いていた。
一目散に花のところへ行って使う分だけをそっと採り始める。
これらも自分と何ら変わらない命あるものだ。
乱獲など絶対にしない。
使うかもわからない量を持ち帰ったとしても、鮮度に重きを置くソルティアにとっては意味のないことだ。もしくは薬の調合で徹夜が続くだけ。薬の調合をしながら過労死するというのは本望であるが、まだ死ねない。
途中、昼食用にと狩っておいた兎を近くに生えていた辛味のある草で覆って蒸し焼きにした。
この草はポドゥというが、不思議なことに魔力を少し流すと黄緑色から深緑に変わり、火を通しにくくするのだ。そのため、人間にとってはただの雑草だろう。それについて勿体ないと思うソルティアであった。
最後に湖の水を持ってきた瓶に汲み、ソルティアはもと来た道へ戻る。
霧が深くなってきたところでふと、ソルティアは足を止めた。
「オイデェ、ォオイデエ…オィデ…」
ソルティアより少し背の高い黒い何かが手のようなものをこちらへ向けている。
表面には人間の衣類らしきボロボロの布を巻いていた。
肉体を持たない魂と怨念がつぎはぎになったナニカ。
存在が不安定のため、この霧の中でしか存在を保っていられないのだろう。
しかし、人間に近い形といい、言葉を発すことができることといい、これは何人か人を喰っているとソルティアは確信した。
「面倒な……」
魔法によってこの存在を消し飛ばすのは容易い。
だがソルティアが持っている花の中で、魔力にとても敏感なものがある。
ソルティアが魔法をぶっ放すことでその花が魔力に触れ枯れてしまうかもしれないのだ。
先ほど湖で汲んだ水は浄化の効果があるため、少々勿体ないがそれをかけて逃げようかなと考え、水の入った瓶に手を伸ばすと、
「アァ、イタイ…アツイ……ヤ…」
「っ―――」
ソルティアの動きが止まり、全身が強張った。
心臓の音がやけにうるさく聞こえるのに意識はなぜか遠退いていく感じがする。
『いやああああ、助けてッ』
『熱いッ、熱い熱い熱いあつああああ』
『ぃぎゃあああああああッ』
むせ返る煙と人間の肉が焼ける匂い。荒れ狂う炎に逃げ惑う人々。昨日まで仲良く語り合っていた者同士が我先にと水を求める。すでに死した子供を呆然と抱く母親。
そんな光景がソルティアの脳裏に生々しく浮かんだ。
「…っ…やめ…て…」
「…チョオ、ダイィ…」
ざらついた声が耳のすぐそばで聞こえてソルティアはハッとした。
しかし、黒いナニカはすでに手らしきものを振り上げていた。
「ッ――――」
太陽は完全に沈み月の光が増した頃、水の入った瓶と綺麗に咲く花、枯れた花を持ったソルティアは家に着いた。予定より1時間ほど遅くなってしまったが、空腹を感じるよりも眠気で目がつぶれてしまいそうだ。
血に汚れた服を脱ぎ捨て、寝室のベッドに横たわる。
「……」
そのままソルティアは、半ば意識を手放すかのように眠りについた。
雑に布が巻かれた二の腕には一カ所、変にくぼみがあった。
次にソルティアが目を覚ましたのは2日後の昼であった。
そして夜、3日ぶりに帰ってきたエメルの頭が鳥頭に変わっていたことに絶句したソルティア。
なぜかエメルが鶏を3匹買ってきたので、美味しく料理して二人で食べた。
ちなみにソルティアは2匹、エメルは1匹の半分だ。
ソルティアが鶏2匹を平らげるのを特に驚いた様子もなく静かにエメルは見守っていた。