第1話 新居と魔法使いとハーブティー
第1-1話と第1-2話を統合して第1話としました。(2019.10.25)
――狂ってしまえたらどんなに楽だろう
朝、目覚めたら思うこと
人は朝目覚めたら何を思うのだろう?
長い眠りから覚めた自分は空っぽだ
◇◇◇
魔法使いたちが表舞台から姿を消して100年以上経った、人間と魔法使いの共存が難しくなった時代。たくさんの命を簡単に散らすことができる魔法を恐れて、人間が魔法使いを過度に危険視する時代。そんな時代を生きる若い魔法使いたちは、密かに最後の世代と呼ばれていた。
そして、そんな最後の世代である魔法使いソルティアは2年間住んでいた人間の街を出た。
なぜか?
理由は1つ。
魔法が使いたかったから。
魔法使いだということを隠すのに疲れた魔法使いが選ぶ道は2つに1つ。
狂うか、消えるか。
◇◇◇
今、私の目の前には馬の頭が一つ。
「……」
「……」
扉を開けたままお互い無言。何か言わなければと思っているけど驚きのあまり声が出ない。よくよく見ると体は人間で馬の被り物をしているだけのようなので、妖精などの人ならざる者の類ではないらしい。
だとしても、だ。ここは西の不可侵の森に連なる浅めの森を抜けた少し開けた丘。来るまでには鬱蒼とした森の中をひたすら歩いてこなければいけない。外は大粒の冷たい雨が降り続いているので街への道を見失って迷い込んだと考えてもなぜ馬頭なのか。
ひとまず、目の前の人間を変態と命名しよう。
そもそもなぜこんなことになっているのだろうと私は昨日から今に至るまでを振り返ってみることにした。いや、もちろん正直めんどくさいのだけれど……。
◇
昨夜、私は2年間住んでいた人間の街を出てこの家に引っ越してきた。西域最大の森の中を歩いていくと少し開けた丘にでる。そこにレトロな雰囲気が漂う赤い屋根で所々に蔦が巻き付いているブラウンの家があり、それが私の新居だ。17歳の小娘が住むにはいささか贅沢な物件である。
もともとは私の魔法の師の研究仲間である壮年の女性が住んでいた。当時は灰色の毛並みの良い犬が1匹いたのを覚えている。その女性が以前からこの家を好きに使っていいと言っていたので今回ありがたく使わせてもらうことにしたのだ。
家の中をざっと見回る。
1階はリビングにダイニング、暖炉付きの客間が1部屋に洗面所とトイレ、バスルーム。奥にあるとても広い部屋は書斎兼書庫にぴったりだ。
2階は部屋が3つ。一番大きな部屋は研究部屋にして残り2つは寝室と物置部屋にしようと思う。
ちなみに、魔法使いは必ず何か1つ自分の研究というものを持っている。そして大半の時間をそれにつぎ込むのだ。例えば、私の師匠であれば地脈と魔法の関係性について、私は薬草について。
荷物や書庫の整理を魔法であっという間に終わらせたあと、ここに来る途中で見つけた薬草を乾燥させるためにいくつか束を作り、茎を上にして温室に吊るした。夜も大分更けてきたので寝る準備をするため、枕元にエルダーフラワーの枝を置く。エルダーフラワーは昔から魔除けの木と呼ばれていて、悪夢を追い払うのに適している。
この家は2年ほど人が住んでいない状態だったため、良くないモノが憑いている可能性が高い。出てきたときに追い払うことは容易いが睡眠の邪魔はされたくないので置いて寝る。
そして次の日、爽やかで清々しい香りが特徴のレモングラスと、シトラス系の独特な香りがするバイマックルーにミントを適量入れたハーブティーを3~5分ほど蒸らしているところに森の妖精フィーリルたちがやってきた。
「やあ、魔法使い!」
「わあ!本当に魔法使い!」
「久しぶりの魔法使い!」
「はじめまして、美しいフィーリルたち」
自分の目線より少し高い位置に薄く透明な羽をはためかせて、くるくると宙を舞いながら楽しそうに話しかけてくるこの妖精たちは、美しさを一番に愛し美しさが生きがいの生き物だ。
「ここ最近、魔法使いの気配がすっかり減ってしまって心配してたの!」
「遊び相手がいないとつまらないじゃないか!」
「ずっとここにいていいのよ、銀の瞳を持つ魔法使い!」
ころころと鈴の音のようなフィーリルたちの声は心地よいが、一度に3人が話すのはどうにかしてほしい。耳が疲れる。
「……私、瞳の色は灰色のはずだけど」
私の瞳の色は誰がどう見ても灰色のはずだ。そして髪の毛はくすんだ青色、よく言って藍色、というところだろう。
「もうっ!私たちの眼を疑うと痛い目に合うわよ!」
「僕たちは何でもお見通しさ!」
「私たちに視えないものなんてないんだから!」
「あー、ですよね」
魔法使いとそうでない人間の見分け方にはいくか方法がある。
その内の1つは瞳の色だ。
魔法使いにしかない特別な瞳の色があるというわけではなく、魔法を使った際は誰1人例外なく、瞳の色が変化するのだ。勿論そこには個人差があり、元の色が少し深くなるとか輝きが増すという変化だけの者もいる。変化の大きい者は元の色と真逆の色に変わってしまうため、街中では徹底して魔法を使わない、もしくはそもそも人との付き合いをしない者までいる。
だからこそ、魔法使いが街中で魔法を使うというのは自殺行為だ。一発で自分が魔法使いだと周りに知られてしまう。
というわけで、私の瞳は灰色だがフィーリルが言うように魔法を使うと銀色に変わるのだ。もともとが灰色のため少しばかり銀掛かっても何ら問題はないと思っている。
フィーリルたちが周りできゃっきゃしているのを見ながら蒸らし終わったハーブティーを銀色の茶こしを使ってゆっくりと注ぐ。レモングラスにはリフレッシュ効果以外にも消化促進や疲労回復、腹痛や下痢の緩和効果がある。バイマックルーとはコブミカンの葉のことで、硬い葉が特徴だ。そのままでも煮ても食べることはおすすめしない。あくまで香りづけの役割として使用する。
フィーリルが去り際に名前を聞いてきた。
「ねえ、銀の魔法使い。あなたのお名前は?」
「ソルティア・カーサスだよ」
その日の夕方、森で薬草を取っていたところ雨が降ってきたので急いで家に戻った。リラックス効果のあるハーブをバスタブに入れてゆっくりと半身浴を楽しんでいると、家の周りに張っていた結界に反応があった。この結界は外からこの家を見えにくくするためのものだ。
この森はある一定距離まで進むと途端に濃霧に襲われる。その濃霧には視界を遮って方向感覚を狂わすだけでなく、魔力を乱れさせる効果もあるため、魔法使いでも注意しなければいけない。
結界に反応があったということはこの家を見つけて訪ねてきてもおかしくはない。突然の来客にうんざりしながらも準備をしていると呼び鈴が鳴った。パタパタと玄関まで小走りで行き、外出用の笑顔を作りながら扉を開けた。
そして、冒頭に戻る。
馬の頭が一つ。
どこをどう見ても馬、の頭。
「うま……?」
「こんばんは。どちらさま?」
(それはこっちのセリフでは!)
これがソルティアと謎の変態人間との出会いだった。