第9-1話 美しい花は毒を持つ
ソルティアは今、街のはずれにあるショーン川の畔でひとり丁度良い大きさの石に腰かけていた。
「息が詰まる……」
住民に紛れてソルティアにも寝泊まり用のテントが用意されていたが、人間だらけの中呑気に眠る気にはなれなかったのだ。この街にショーン川が流れていることは以前から知っていたため、気分転換に1人でフラフラとここまでやってきた。
街の中心部から少し離れているため、灯りがなく星空がとても綺麗に見える。ショーン川は穏やかな川で水の流れる音が心地よい。
久しぶりにあれだけの人間の死体を見て、まだ気持ちが落ち着かない。そのため、もう少し歩こうと川上に向かって歩き出す。5分程歩いたところで、白い花が一面に咲いている花畑に行きついた。月の光に照らされた美しい花たちは見事に咲き誇っている。
ソルティアは思わず見惚れた。
「これは……トイシュン?」
薬師であるソルティアはもちろんトイシュンのことを知っている。この花畑は手入れが行き届いているようで、人工的に栽培されているものだとすぐに判断できた。何も考えずトイシュンに手を伸ばす。
しかし触れる瞬間、首筋に何かがあたる感触がした。
「何をしている」
どこかで聞いたことがあるような声が耳に届く。それと同時に、今自分の首筋にあたっているものが魔晶石で作られた剣であることに気付いた。つまり、魔狩りだ。
「ぁ……」
ソルティアは内心焦る。
ここまで近づかれたのに全く気配がしなかったのだ。心の準備ができておらず、すぐに言葉が出てこない。全身の血の気が引く。恐らく、魔狩りの中でも特に強い人間だと推測できる。
しかしそこですぐにソルティアに救いの手が差し伸べられる。複数の人間がこちらに近づいてくる気配がしたのだ。
「アリサー隊員、状況の説明を」
近づいてきた男たちの先頭にいる男が声をかける。
「怪しい者を発見したので尋問中です」
アリサーは剣を下ろそうとしない。
ソルティアは仕方なく、深呼吸をしてからゆっくりと男たちの方へ向き直った。
「……は?」
自分に剣を向けていた魔狩りの男の顔には縦に赤い2本線が入った白いお面がついていた。
なんだろう、この既視感。そして違和感は。ソルティアは思わず脱力してしまった。
「お?もしかして首都であった薬師の嬢ちゃんじゃないか?」
そう言った男の方を見ると、確かにあの香水店で会ったガードン軍の隊員であった。ソルティアは順を追って自分がなぜここにいたのかを説明した。断じて怪しくないと何度も何度も伝える。
「あー、なるほど。それは災難だったな。すまんな、いきなり物騒なもん向けて。おい、アリサー隊員剣を下ろせ。一般人にそんなもん向けてんじゃねえよ」
首筋に感じていた固い感触がなくなる。アリサーと呼ばれた隊員はお面のせいで表情がわからないが、ソルティアから視線を外していないことは感じ取れる。
「俺はガードン軍一般第2兵隊中隊長のプラトンだ。首都での香水店の一件で、嬢ちゃんには助けられたからな。礼を言いたかったんだよ、こんなところで会うなんて奇遇だが会えてよかった。嬢ちゃん、名前は?」
他の隊員たちもなぜか自己紹介をしていく。剣を向けられたことに恐怖を抱いているかもしれない少女に対しての気遣いだろうか。どうせ聞いてもすぐ忘れるんだろうなと思うソルティアだが、一応礼儀としてこちらも名乗り返す。
「ソルティア・カーサスです。すみません、お騒がせしてしまって。とても綺麗なトイシュンだなと思って見ていただけなんですが……」
「いやこっちこそ驚かせたよな。申し訳なかった。……だが、今の状況がわかってないわけじゃないよな?一人でふらふらと歩き回っていい場所じゃないぞ。隊員に仮設テントまで送らせるから戻るんだ」
そう言うとプラトンはトスという隊員を呼んで何やら指示を出し始めた。もう少しトイシュンの花畑を見ていたかったが仕方ない、ここはプラトンに大人しく従って戻ろう。そう思い、ソルティアはトスと一緒に歩き出す。
その時、
――――バンッ!
鼓膜を揺さぶるほどの衝撃波を感じた。
「ッ――!」
ソルティアはすぐに街全体を覆っている結界に目を向ける。すると、そこには今にも崩れそうなひびの入った結界が目視できる状態で現れていた。
「結界外に魔物の大群を確認!数はおよそ1000、囲まれているようです。結界がもちません、間もなく壊れます!」
ユニアスがそう叫ぶのと同時に結界が崩壊した。あまりにもあっけなく崩壊したさまを見てソルティアは驚く。ケルドの大群ではどう頑張っても突破できる結界でないことは見ただけでわかっていた。しかし、こうも容易く突破されるとは……。
考えられることは1つ、あの魔物の大群はケルドだけではなく、より上位の魔物も含まれていると言うことだ。
「クソがッ!アリサー、お前は仮設テントへ!トスは中心部へ行って他の隊員たちに指示を出せ!ユニアスはここで食い止めろ!」
すぐさま隊員たちは指示通りに動きだす。
単独で魔物の相手をできるのは特殊部隊員のみ。一般兵隊員は大砲や特殊な薬品を使った兵器を使えば可能だが、今ここにそれはない。
(この規模の接近を確認できなかっただと!?ありえねぇ!いきなり現れたとしか考えられねえぞ!)
プラトンは心の中で悪態をつく。
魔物の大群はすぐ目の前まで迫っていた。最悪な事に、街の中心部は1度目のケルド襲撃によって半壊してしまっているため、仮設テントは結界に近い場所で立てられている。つまり、おそらくもうすでに一部の住民は魔物に襲われているだろう。
「最悪だ……」
ソルティアは魔物の大群を睨む。せっかく今まで自分が魔法使いであることを隠してきたのに、この状況ではどう頑張っても魔法なしで魔物を追い払うことはできない。
無視して自分だけ逃げることは可能だが、このままだとせっかく治療した人々がまた襲われてしまう。自分の頑張りがこんな魔物たちのせいで無駄になるのは許せない。
(こんな状況じゃ仕方ない。気分最悪だ)
魔封じのイヤリングに触れ、少し魔力を開放する。
すると、ソルティアの纏う雰囲気が変わった。
「あっ!おい、嬢ちゃんッ!」
プラトンの静止を無視してソルティアは魔物の大群に突っ込んでいく。