第8-1話 血と眩暈
それは突然起こった。
テルーナ王国の首都ガランドと不可侵の森の間に位置する人口約2000人の街トロックが魔物の大群に襲われたのだ。死傷者は530人、その半数以上が戦う力のない女子供であった。
ガードン軍本部ではすぐさま討伐隊が編成される。
「今回の討伐隊は俺ら一般第2兵隊20名と特殊部隊員4名だ。一般第2は主に住民の安全確保と街の復興作業、それと街の守りだ。特殊部隊員はとにかく魔物を切れ」
一般第2兵隊中隊長であるプラトンが指揮を執る。
トロックを襲ったのはケルドと呼ばれる体長2メートルほどある狼に似た魔物だ。
特徴は致死性の毒が含まれる魔法でできた球体を口から飛ばすことで、2本に分かれた尻尾の先には敵を麻痺させる毒も持つ。また、動きも俊敏だ。このことから毒狼とも呼ばれる。
基本的には森の中腹から深いところに生息する魔物で、滅多に人里には降りてこない。しかし、原因はまだ不明だがおよそ80体のケルドに襲われたと報告があった。弱い固体の魔物が大群を成すことはあっても、ケルドレベルの魔物が80体も群れを成すことは異常だ。
プラトンは隊員の点呼をして、すぐにトロックに向けて馬をとばした。
討伐隊が出発したのは、討伐要請を受けて1時間後のことだった。
「トス、今回の特殊部隊員の説明よろしく。向こうの隊長さんからは戦力は問題ないって聞いてるけど一応な」
馬を走らせながら、プラトンは横で一緒に並走しているトスへと声をかけた。
「はい。先日行動を共にしたアリサー隊員、魔力耐性の高いユニアス隊員、あとは2年目のネル隊員とフェナンド隊員です。アリサー隊員とユニアス隊員は北からの派遣隊員ですね」
「……一応聞くが、ネル隊員ってのは金髪で脳内お花畑だったあいつではないよな?」
「よく覚えておいでで。プラトン中隊長が珍しく訓練生の教官をした年のあのネル隊員です。相変わらず肝心なところでやらかしますよ彼女」
「……なめてんのかあのクソ隊長」
プラトンは唸る。
中隊長クラスが訓練生の教官を務めることはほとんどないが、ある年、プラトンは別隊の数人の隊員たちと酒の席で賭けをしてしまった。内容は、カードゲームで負けたら訓練生の教官を引き受けるというものだ。普段ならば面倒事はできるだけ回避する性格のプラトンだが、その日は酒を飲みすぎていて完全に酔っていた。
結果は見事に完敗。
そして引き受けた訓練生の中で特に記憶に残っているのがネル隊員だ。ゆるふわカールの金髪にかわいい系の顔で華奢な体格から男性隊員に人気ではあったが、如何せん脳内はお花畑だった。何事も楽観的に捉えてしまうため、課題や任務において最後の詰めが甘いのだ。
こいつは一般兵隊配属決定だな、と確信していたがまさかの出来事が起こる。魔力耐性検査で特殊部隊の基準をクリアしてしまった。周りが驚きに包まれる中、あっさりとネルは特殊部隊に配属されたのだ。
ちなみに、同期のフェナンド隊員は真面目で上官の命令には絶対服従という感じの男だったとプラトンは記憶している。
「せめて北からのユニアス隊員はまともであってくれよ……」
隊編成に対して一抹の不安を抱きながら、トロックへと急いだ。
その頃、トロックでは街中の医者と薬師が集まって怪我人の治療が行われていた。街を襲ったケルドの大群は好き放題街をめちゃくちゃにした後、突然森へ帰っていった。引退した元ガードン軍隊員のおじいさん曰く、腹が満たされたのと森にある巣の様子を見に帰っただけであり、また襲いにくる可能性があるということだ。
そのため、怪我人を大慌てで治療することとなったが、重症の者が多く街の中は騒然としていた。
街は崩れた家屋の瓦礫や人間の死体が散乱しており、病院内は血の香りが充満している。
「包帯をこっちへお願いします!」
怪我人の呻き声や助けを求める声、医師たちの指示をとばす声が飛び交っている。そんな中、なぜかソルティアは怪我人の手当てをしていた。
今日は家で乾燥させていた薬草で薬を作っていた。しかし、途中で12歳ほどの子供2人組が親の目を盗んで森に探検に来たが道に迷ってしまったと訪ねてきたのだ。
この家まで辿り着くとは運の良い子供たちだとソルティアは思った。普通ならば魔物の餌食になっていてもおかしくない。そしてソルティアは仕方なく子供たちを街へ送ることにしたのだ。もちろん、親の許可なく子供だけで森へ入ったことはしっかりと叱った。
お前もまだ子供なんじゃ…?という疑いの目を向けられたが華麗に無視した。
子供たちの街自慢をなんとなく聞きながら歩いていたが、街に近づくにつれ複数の魔物の魔力と人間の血の匂いが強まっていった。
そこで、瞬時に悟る。
ああ、襲われているな
と。
隣で歩いている子供たちには何も言わず、街の中の魔力を探った。魔物の種類は一種だけだったため、すぐにケルドだと判断できる。しかし、ケルドはあまり群れを成さないし、そもそも主食は下位の魔物のはずだ。人間の肉を食べられないわけではないが、好んで食べるわけでもない。さすがにあの中、この子供たちを帰すわけにもいかない。
基本的に魔物はより強い魔力に反応する。そのため普段抑えている魔力を少し開放した状態で街に近づく。そうすると暴れているケルドたちの注意をこちらに向けることができる。そして、ソルティアは完全にこちらに来るように仕向けるため自身の魔力をケルドが好んで食べる下位の魔物と同等にする。
魔法使いと魔物の魔力は異なるが、その差異を判断できるほどケルドは高等生物ではない。
ちなみに、子供たちは普段持ち歩いている薬の中にある睡眠薬で少々眠ってもらっている。もちろんその周りには結界が張ってあるため襲われる心配はない。
そうしてまんまとやってきたケルドに先ほどより濃密で膨大な魔力の片鱗を見せつける。
ソルティアの魔力は殺人的なまでに濃密で膨大だ。
そのうえ繊細なため、感情に左右されやすく制御が難しい。何度か制御を試みたが失敗したときの周りへの損害が凄まじいのと、死にかけたため普段は魔力を抑えるための道具を使用している。魔封じというもので、魔法使いを拘束するときにガードン軍が使用するものと仕組みは同じだ。ソルティアの場合はイヤリングの形に自分で加工して身に着けている。
――しかし、ソルティアはすでに魔力の3分の2が魔法によって封印されている。
その状態で魔封じのイヤリングを身に着けているのだ。並の魔法使いなら死んでいるだろうし、魔力の多い魔法使いでも意識が朦朧としていてもおかしくはない。
つまり、ケルドにとってソルティアほどの魔力の質は一生で出会うか出会わないかというぐらい最悪なものといえる。ソルティアの魔力を感じ取った瞬間、ケルドたちは一目散に森へと逃げて行った。
ただ、ソルティアは本気で魔力を開放していない。もししていたなら、あまりの質の高さと大きさに相手は息をするのさえ忘れ、動きを止めただろう。
戦わずしてケルドを追い払ったソルティアは、子供を起こして混乱する街へ入ったのだった。