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ハンモックの上の白い少女

「ちょっとスイ、そろそろ離して降ろしてください」

「離さぬ。

 わたくしのものになると、首肯すればよいだけではないか」

「嫌ですってば。

 クッソ、あのニヤケ面め…」


 スイの引きこもるハンモックに投げ込まれたトロイは、二度寝を楽しむラポの上で二度目の危機に瀕していた。

 スイの鎖で編まれたハンモックは固く、冷たい。その上でスイに覆い被さられたトロイは、ゆらゆらと不安定に揺れる不確かな足場でスイを押し、スイに押され、傍目から見れば痴話喧嘩のような様子だった。


「トロイくん、聞こえていますよ」

「聞こえているなら助けてくださいよ!」

「いやぁ、羨ましいですねぇ。私には全然懐いてくれないのに。

 これでも、長い付き合いなんですよ?そりゃあ、ほんの二百年前にちょっぴり喧嘩しましたけど、今はもうすっかり仲直りしましたけど。しましたよね?うんうん。

 それと、スイ。前から思っていたのですが、少し不愛想が過ぎますよ。笑えば可愛いんですから少しくらい私に微笑んでくれてもいいと思うのです。トロイくんもきっとそういう姿を見せた方が喜びますとも。

 ところでスイ、偶然とはいえ、その美味しいご飯を見付けてきた私にはお礼の一つもないのですか?」


 スイの返答は鎖だった。

 虚空から伸びた数多の鎖がエルシーを簀巻きにすると、あばら家の外に放り捨てた。

 それを見ていたトロイは小さく笑い、けれども変わらない現状を見、暗澹たる思いでスイとの押し問答を再開した。


「こうして取りすがるとお前の香りがする。好い匂いだ。

 わたくしのもにならぬと言うならば、しばらくこうさせていろ」

「…別にそのくらいならいいですよ」

「くふ、こうして耳を寄せれば早鐘を打っておるのが分かるよ」

「それは恐怖で動機が激しくなっているんですよ」


 耳元で囁かれたその言葉は、スイの心を震わせた。目が見開かれ、口が弓形の笑みを作っていく。頬は染まり、感情に呼応するようにして鎖が持ち上がる。

 それに反比例するようにトロイは顔色を悪くしていく。咄嗟にポーチを探して手を伸ばすが、空を切る。布団に押し込まれる前に外されて、そのままだったようだ。


「そうか。

 そうか。

 お前がわたくしを恐れるのか。それは心うれしいことよな。

 お前の口から紡がれる言に心踊り、こうして触れ合えば幸甚を感じるのは確かだ。

 然りとて、わたくしはお前の捕食者でありたいのだ。

 お前に、心ならぬ胃をつかまれたのがわたくしよ。

 それなればこそ、お前はわたくしに女を求めるな。

 わたくしは、お前に女として好かれようというのではない」


 そう、科を作り妖艶に微笑むスイに、トロイの心臓は鼓動を速めた。

 白妙の髪が、彼女の持つ花の香りが、鼻をくすぐる。


「スイさん、は…」

「スイでよい。

 持ちうる限りの恐れを込めて、溢れんばかりの愛おしさを込めて、スイと呼ぶのだ。

 お前に教えた本当の名、あちらでもよいが、あれは長くて敵わぬ。そうであろ?」

「す、素敵な名前だと思いますが、確かに長いですね。スイ」


 トロイが精一杯の引きつった作り笑顔を返せば、それが琴線に触れたらしいスイは一層喜び、トロイの胸に顔を埋め、鼻を擦り付けた。

 救いを求めて視線を漂わせたトロイの目に、見慣れない金髪が映った。

 どこかで見たその鮮やかな金色は、トロイの逃げ道となった。


「そうふぁ。もっほよへ」

「あのスイ、そろそろ、本当に降ろしてくれませんか?下からラポに見られていますよ」


 トロイの指すその先には、いつの間にか起き、ねっとりとした笑顔を浮かべたラポが口を手で塞ぎ、笑いを堪えていた。鎧は着けていない。

 その様を、数秒黙って見つめていたスイは、やおら立ち上がると、ハンモックの上にトロイを置き去りにして飛び降りた。その動きは素早く、猛禽類を思わせる力強いものだった。


「か」

「か?」

「厠じゃボケェ!」


 ラポの正面に降り立ったスイは、鎖で一方的にラポを撥ね飛ばすと、叫び声を上げて逃げ去った。

 あばら家の薄い壁に激突したラポは、鎧なしでも、持ち前の頑丈さから怪我を免れたがそれだけだ。


「ちょっとラポ!」


 大丈夫ですか、とトロイが声をかける前に、三度寝(・・・)に突入したラポの様が見え、ハンモックの上のトロイは、ただぽつねんと佇んでいた。


「…誰か降ろして」

今回で、一旦更新が止まります。

再開はそう遠くならないと思います。

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