天使のお手伝い
1919年 6月13日 ヘッセン州フランクフルト
「叔父さん、はい」
そういいながらゲリがバスケットを差し出す。
フランクフルト大学に通うようになって、昼はだいたいがゲリの作ってくれたサンドイッチである。
伍長の安月給では昼飯代が浮くのは大きい。
その上、どう工面してくるのか燻製肉やハムの切れ端が挟んであることも多い。
近頃では高騰して入手困難な食品達だ。
「ありがとうゲリ、では行ってきます」
「いってらっしゃい、叔父さん」
ゲリは11才、周囲の友人から引き離して連れてしまったが、その後バイエルンで起こったことを考えると正解だったと思う。
引っ越してきてフランクフルト大学で教養課程と心理学を専攻して半年が過ぎた。
国内諜報員としての基礎知識と人脈構成に使える期間は6月いっぱいと聞いている。
その後は、おそらくだがバイエルン州に戻って活動を始めることになると思う。
この古びたアパルトメントもあと一月以内に引っ越すことになるだろう。
その日も講義が終わって、友人となったルドルフと帰ろうとして校門に向かって歩いていると、厳格なはずの門衛が纏わりつく女の子と談笑していた。
珍しい風景を見たものだと驚いたが女の子がゲリであると知って余計に驚かされた。
彼女はいわゆる美少女ではないが、仕草が可愛らしく明るい開放的な性格のため、誰とでもすぐ仲良くなれる美点がある。
「可愛らしい姪御さんですね」と門衛に声をかけられ、無条件で賛同の返答を返す程度には彼女を愛していたし、娘という存在がいれば彼女のようなものだろうと考えていた。
「彼女へ僕も紹介してくれないかな?アドルフ」
ルドルフがそういってきたが、淑女として扱ってくれたことに気を良くした彼女の様子を見て紹介することにした。
「アンゲリア・ヒットラー 姉の娘だ。ゲリ こちらはルドルフ・ヘス ミュンヘン大学の学生でカールスホーファー教授の付き添いで今日はフランクフルトにきている」
「よろしくルドルフ様。伯父様とは仲が宜しいようですが?以前からお知り合いでしたの?」
女の子の勘は鋭い。
彼と知り合ったのは昨日だ。その割には親しいがこれも努力の結果である。
「ゲリ、彼はバイエルン州で義勇兵に志願してロシア人から市民を守ってくれたんだ。姉さんの消息も運んできてくれたよ」
そのことを伝えたゲリの表情が華のように明るくなった。
「母さん達は無事だったんでしょう。ルドルフ様」
「ああ、もちろん皆、無事で変わりないよ。アンゲリア」
「良かったー。手紙は着てたけど、実際に見た人に教えてもらって一安心だわ。ありがとうルドルフ様」
二人の間ではしばしバイエルンの話で会話が弾んでいる。
実のところルドルフが会いに来たのは、義勇軍としての任務で、バイエルン・レーテの生き残りの確認だったが、幸いすでに情報部所属になっていたおかげで彼の疑いは晴れていた。
今後は現地での有力な情報提供者の一人として親交を厚くするつもりだった。ゲリのおかげで手間が省けたともいえる。
今年中に一度はミュンヘン大学に足を運んでみるのもいい気がした。
「叔父さま、ルドルフ様とお付き合いなさいますの?」
「ああできればそうしたいね。」
「精度のいい欧州地図が欲しいとおっしゃられてましたわ。」
地図か……情報部に言えば取り寄せられそうだな。
「ありがとう、ゲリ。とても助かるよ」
彼女はにっこりと微笑むと
「殿方の交際を手助けするのも妻の務めですから、今から学んでいるのです」
11才の女の子が背伸びしてるみたいでとても可愛い。
やっぱうちの姪っ子は世界一である。
「ゲリの旦那さんは世界一の幸せものだな」
「うらやましいですか?」
下からの上目遣いで尋ねてくるゲリ、可愛い、天使みたいだ。
「もちろんうらやましいよ」
「……で……すわ……」
突然くるりと背を向けて小声で話されたのでうまく聞き取れなかった。
とりあえず話を続けるべく
「そうだね、それがいいよ。さあ家に帰って引越の準備をしようか」
その答えが気に入ったらしいゲリは笑顔でアパルトメントへの道をスキップしていた。
その様子を見ながら、メモに「ルドルフへ贈り物、欧州地図」と書き留めると早足でゲリの後を追いかけた。