ハルマゲドンのラッパがなる時
少しだけユダヤ人迫害について書いておきます。次からが本編です。
1938年10月28日 ドイツ・ポーランド国境
この日大勢のユダヤ人がポーランドに向け送還されようとしていました。
その数17000人、ドイツ政府が掻き集めた列車やトラックを用いて、ポーランド国籍のユダヤ人を送り返そうとしていたのです。
もともとはポーランドが旅券法を改訂して新しい検印を押さなければ旅券を無効にすると宣言しました。
その施行が10月30日だったためにドイツ国内のポーランド系ユダヤ人を帰国させるための措置です。
しかしポーランドは国境封鎖を行い、移動したユダヤ人の通過を阻止しました。
まだ有効な旅券を持っているにも関わらず、国が国民を捨てたのです。
そうなると、ドイツには非常に困ったことになります。
17000人もの無国籍者を放置すれば治安が悪化します。
かつユダヤ人のためニュルンベルク法により就職も限られます。
その結果として、強制収容所を作り、そこに入所させる以外の方法はありませんでした。
それまでの間は彼らは荒野の国境地帯に放置されたのです。
多くの餓死者も出ました。
そんな最悪の追放にあった人たちの家族の一人であるフランスにいました。
ヘルシェル・グリシュパイン(当時17歳)です。
彼は父親からの手紙に激高し、フランスのドイツ大使館の外交官ラートに対してテロで殺害しました。
それが11月9日です。
ドイツにしてみればどうしようもない怒りがこみ上げたでしょう。
何とか穏便に終わらせようとしていたことが、ポーランドの裏切りで水の泡になり、さらには逆恨みで外交官が殺されてしまったのです。
叔父さんはミュンヘン市役所でミュンヘン一揆15周年の演説をしていましたが、ラート死亡を告げられ、天を仰ぐと、「彼らは自業自得の目にあうだろう」そうゲッペルスさんに呟くと肩を落として自宅に移動しました。
私には「彼ら」というのがユダヤ人ではなくポーランド政府に向けたものだったと思います。
その後、叔父さんはベルクホーフに向かいましたが、いなくなったことを確認したヨーゼフ・ゲッペルスさんが「すでに報復行動が11月8日にクーアヘッセンとマグデブルク=アンハルト管区で国家第一の敵であるユダヤ人に対して行われた 」と告げました。
その言葉は会場にいた人達にさざめきのように広がっていました。
ゲッペルスさんは標的を間違っている。
叔父さんはユダヤ人を国家第1の敵とは思っていない。せいぜい蚊のような害虫程度の存在としか認識していない。
そういいたかったのですが、すでに言葉は通じません。
仮に叔父さんがゲッペルスさんの言葉を知ったところで放置するのは目に見えています。
私は今日、ポーランド戦が始まるのを予感しました。
1934年に叔父さん自らが結んだ不可侵条約の破棄です。
そのときに西欧列強がどう出るか……不安の種はつきません。