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「失礼致します」


部屋の中は少し薄暗く、外から来たエルノワの目にはよく見えなかった。

目が慣れてくると、壁のあちらこちらにエルノワがヴァインに送った絵が飾られている。


「エルノワ・フロスティでございます。先程、到着致しました」


「ああ...!エルノワ、本当に君なんだね。こちらへ来てくれるかい?」


部屋の奥から聞こえる声を頼りに足を進めると、壁際の邪魔にならない所へ立ち、頭を下げる侍女二人の姿が見えて驚いた。


「わたくしどもは外におります」

と短く言うと、頭を下げ静かに出ていった。


わたくしは、一体何処へ迷い込んでいるのだろうか?


今までの経験不足からくる無知と、知らない家である事、不思議な現状からくる現実感のなさとで、エルノワはまるで迷子になったかのような不安を覚えた。


「ヴァイン様...?」


「こちらだよ」


声はすぐ近くで聞こえた。

目線の先にはベッドの脚が見えた。

おやすみでいらした?お加減が悪いのかしら?


失礼致します、とベッドからの視界を遮る衝立を越えると、


「やあ、やっと会えたね。私の愛しい奥さん」


笑顔でベッドに横たわる、男性がいた。


「ヴァイン様...?」


「ああ、そうだよ。ヴァイン・ファーレンハウト。君の夫だ。

会えてとても嬉しいよ」


ベッドに横たわるヴァイン様は、ぱっと見ただけでは成人男性だとわからない程に痩せ細った身体をした、...まるで重度の病人のような姿だった。

いや、まさに病人なのであろう。はじめて会ったエルノワから見てすら、今にも彼の命の灯火が消えてしまいそうだと思った。


まさか、ヴァイン様がご病気であったとは。


「こんな姿で申し訳ない。フロスティ子爵殿からは何も聞いていないとの事だったね。驚いたろう?」


「はい...」


「恐ろしくはないかい?この病は人へ伝染ることはないそうだが、念の為手袋は外さないでいて欲しい」


恐ろしいか恐ろしくないかで言えば、正直恐ろしい。

でもその恐ろしさは、ヴァインの見た目の話しではなく、今にも呼吸を止めてしまいそうな、その弱々しさにあった。


「今日はとても調子がいいんだ。きっと君に会えるのが楽しみでしょうがなかったからだね。ずっとわくわくしていたんだ」


顔を笑顔でくしゃりと潰し、とても嬉しそうに話す。

言葉一つ一つで、エルノワが愛おしいと語っているようで、恥ずかしさで背中がムズムズするようだ。


「えっと...、それは宜しゅうございました...」


「エルノワ、今、照れてるでしょう?」


「えっ」


言い当てられて、さらに恥ずかしくなる。

今鏡を見たら、きっと顔が赤くなっているだろう。


「ははは、変わっていないね。エルノワ」


変わっていない、とは?

自分は社交にも出ていないし、他家の男性と会った記憶もない。


「エルノワはきっと覚えていないだろうね。小さな頃に一度だけお茶会で会っているんだ。私は母上に無理やり連れて行かれてね」


子どもの頃であるのなら、確かに何度かお母様と一緒にお茶会に呼ばれたり、我が家で開いた事もある。

大抵は最初の挨拶だけをこなし、あとは気分がすぐれなくなった事にして、誰もこないひっそりとした場所でスケッチに勤しんでいたのだが。


「申し訳ありません...、幼い頃のわたくしはあまりお茶会等には参加しておりませんで...」


「ああ、子爵殿から全て聞いているよ。本当はめったに風邪もひかないぐらい健康である事も、絵を描くと何も周りが見えなくなってしまう事も。この屋敷では何も隠さなくていい。自由に過ごして欲しい」


お父様は、病弱設定が必要ない事ぐらいは、伝えていて欲しかったなと思う。本当に病気で苦しんでいる方に自分の口から仮病でした、とは言い難い。

だが、ヴァイン様は嬉しそうに微笑みながら話しているが。


「君と会ったのは一度きりでね。お茶会は私には暇すぎたんだ。自他共に認める程にはやんちゃだったからね。勝手に庭の奥へ奥へと探検していて、絵を描いていた君に出会った」


そんな事があっただろうか。

ただでさえ、絵を描いている最中は記憶が曖昧なのに。


「君が描いた鳥の絵が素晴らしくてね。子ども心に感動したものだ。

君はずっとペンを走らせていて、話しかけても返事をしてくれない。

なんで絵を描いてるの?何処の家の子?ははっ、一つも返事をしないんだ」


当時を思い出しているのか、嬉しそうだ。


「そんな事が...。きっとわたくしはずっと知らん顔していたのでしょう?なんとお詫びしたらいいか」


「いや、そんな事はないよ。君はね、「とっても絵が上手だね、僕にも絵を描いてよ」と言ったら返事をしてくれたんだよ」


『とっても絵が上手だね、僕にも絵を描いてよ』


「あっ...」


「もしかして、思い出してくれた?」


「ごめんなさい、わかりません。でも、そう言われた事がある気がしたんです」


お茶会で隠れてこっそり絵を描いていた頃ならば、もう令嬢が絵を描く事は普通ではなくあまり人に知られてはいけない、そう思っていた頃だろうと思う。

夕日の絵を描いて死にかけた時から、いや、本当はもっとずっと前から、エルノワが絵を描いても褒めてくれる人はいなかったから。


確かに、誰かが言ってくれたのだ。

とっても絵が上手だね、と。

僕にも絵を描いて、と。エルノワの絵を欲してくれたのを、今思い出した。


「思い出しましたわ。わたくしが絵を描いても、褒めてくれる人は誰もいませんでした。とても、とても嬉しくて...。

でも、確かに誰かがそう言ってくれた。場所も、お顔も、何も思い出せませんでしたけど、あれはヴァイン様だったのですね」


いつの間にか、涙がこぼれた。


「...あの時も君は困ったように照れた顔をして、

その後今のように、静かに泣いたんだ」

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