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ファーレンハウト領までの道のりは穏やかなものであったが、エルノワの心は穏やかとは言えなかった。
何故、ヴァイン様からのお呼び出しなのか。
お父様は一体何をご存知なのか。
そして、この旅路は、なんて美しいもので溢れているのだろうか。
「なんて美しい山々!お願い、ちょっとだけ!ほんのちょっとだけスケッチをさせて!」
「いけません、お嬢様。旦那様にも出来るだけ旅路を急ぐように言われております」
「一時間でいいから!」
「いけません」
「三十分!」
「ダメです」
「十分!お願い!」
「ダメなものはダメです!」
始終こんな有様で、
「お願い!一分でいいわ!目に焼き付けて馬車の中でスケッチするの!お願いお願いお願いー!」
とのしつこいお願い攻撃に側仕えが折れた。
馬車で一日半の行程の中でエルノワのスケッチの為の停車時間が数回発生したが、旅路は順調であったと言えるだろう。
「五十九ー、六十!はい、出発ですエルノワお嬢様!」
と、きっかり六十秒だけで済ませた側仕えはさすがとしか言いようがない。
ちなみに敏腕側仕えの彼女は、エルノワお嬢様の扱いのプロとして、フロスティ家の使用人達から密かに尊敬されている。
長いようで短い、エルノワにとってはあっという間(スケッチに夢中だったので)の馬車の旅は、側仕えと使用人達の努力もあり無事に終了を向かえる。
先触れを送り、もうそろそろですよ、と言われ場所から外を眺めると、栄えた街並みが現れていた。
「まあ...、なんて賑やかで活気のある街でしょう」
「本当でございますね。あ、ご覧下さいお嬢様、あの大きなお屋敷がファーレンハウト家のお屋敷ではございませんか?」
栄えた街並みの最奥、まだかなり距離があるにも関わらずそれでも大きく見えるお屋敷は、まさに雄大豪壮と呼ぶにふさわしい姿であった。
「...あそこには、何が待っているのかしら」
立派な街、立派なお屋敷。
エルノワは、ちっぽけでなにも出来ない自分が、さらに小さくなったように感じていた。
逃げ帰りたい...。でももう、逃げる事は許されないのである。
「エルノワ奥様、ようこそファーレンハウト家へ」
あの素晴らしく大きなお屋敷に到着すると、出迎えでこれまた盛大な歓迎を受けた。
うやうやしく頭を下げる辺境伯家の使用人達。中で働いている使用人もいるであろうに、出迎えに出ている者達だけで生家の使用人より多いかも知れない。
「お着きになられたか」
男性の声に目を見張る向けると、エルノワの年齢と同じぐらいの青年がこちらにむかって来ていた。この屋敷の一族の方であるのは間違いなさそうだ。
結婚相手であるヴァイン・ファーレンハウト様はエルノワよりも二つ歳上の二十五歳のはず。
彼がヴァイン様だろうか。
「よくおいで下さいました。さぞお疲れでございましょう」
笑顔で出迎えてくれた彼は、とても穏やかそうな美青年であった。
「お言葉いたみいります。お初にお目にかかります。
わたくしはフロスティ子爵家長子、エルノワ・フロスティでございます。長きにわたりヴァイン様には直接のご挨拶にも伺えず、大変な失礼を...」
「お待ちください、エルノワ嬢。違うのです!」
エルノワの挨拶を慌てて止める男性。
「私はヴァインではないのです。勘違いをさせてしまい申し訳ない」
出迎えてくれたのが、旦那様その人ではない?
ではヴァイン様はどちらにいらっしゃるのだろうか?
急ぎ伺ったから、予定があわなかったのだろうか。
「私はヴィヌ・ファーレンハウト。ヴァインの従兄弟にあたります。
本人の出迎えでなくて大変申し訳ないが、後ほど対面出来るようになっています」
「まあ、そうでしたか。大変失礼を致しました。ヴィヌ様とおしゃいますのね」
改めまして、宜しくお願い致します、と挨拶をする。
疑問に思う事もあったが、まずは自分の挨拶に不手際がなかったかどうかが心配だった。そばに控える側仕えに目をむけると、
「大丈夫でございます」
と言わんばかりにはっきり一つ頷いてくれた。
頼りになる女性である。
「本来でしたら、まずはお疲れを癒していただくよう取り計らうべきなのですが...。エルノワ嬢がお嫌でなければ、貴女の夫であるヴァインに会っては下さいませんか?」
「ええ、ええ、是非ご挨拶をさせていただきたいですわ」
まずはお召しかえを。
こちらの手袋もお召し下さいませ。
辺境伯家の侍女に促され、華美ではないが上等でセンスがよく動きやすいドレスに着替え、渡された手袋をはめる。
ヴァイン様にお会いするのには、何故こんな準備が必要なのだろう。
「エルノワ嬢。私はここで待っています。そちらの侍女が彼の元へ案内します」
「わかりましたわ。では案内を頼みます」
ヴァイン様には二人きりで会うのだろうか?
既に結婚から四年経ち、夫婦なのだけれど、はじめて会う男女なのにいいのだろうか?
「エルノワ奥様、到着致しました。こちらがヴァイン様のお部屋でございます」
「案内ありがとう。ノックをして入れば宜しいかしら?」
「はい、わたくしは外に控えておりますのでいつでもお声がけ下さいませ」
そういって侍女は下がる。
トントン。
「...どうぞ」
男性の声が聞こえた。
きっと旦那様のお声だろう。