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奇跡に近いと言われても。

どれだけ死の色が濃くても。

人は、誰しもいつか必ず死ぬのだと知っていても。


知っているからと言って、実感を伴い理解し、納得出来ているかは別だ。

もし納得出来る人間がいたとしても、悲しくないかはさらに別の話だろう。


それをわたくしは、わかっていなかった。




「ヴァイン!ああ、誰か来て!誰か!」


ヴァインの呼吸が止まった。


侍女が慌ただしく動き、控えていた医者が呼ばれる。

目の前で必死の蘇生が行われているのに、なんだか音も遠くに聞こえるようで、本当に自分で今見ている現実なのかと、何故、どうしてと頭が理解を拒む。


いつか、こんな日がくると知っていた。

だが毎日を一緒に過ごし笑いあっていると、なんとなく彼なら大丈夫なのではないか、奇跡が起きるのではないかと考えていた。

だって彼はどんな時も笑顔を絶やさなかったから。

だから、もしかしたら夫婦で笑いあっていられる未来もあるのではないかと、どこかでそう期待してしまった。


「奥様!お声をおかけ下さい!旦那様を呼び戻して下さい!」


いつも控えていてくれる侍女が、叫ぶように言う。


そうだ、惚けている場合ではない。


ヴァインの部屋では外してはいけないと本人から言い含められていた手袋を外し、ヴァインの痩けた頬に手を当てる。


「ヴァイン!旦那様!起きて下さいませ!

わたくし、今手袋もせずに、貴方にふれておりますの!

ダメなんでしょう?いけないんでしょう?

早く起きてしかって下さいませ!ヴァイン!ねぇ!ヴァイン!」


ひたすらに名を呼び続けた。


「ヴァイン!もうすぐ今描いている絵が描き上がりますわ!

内緒にしてましたけれど、あれ、実は貴方を描いてますのよ!

ご本人に見ていただかなくては、わたくし拗ねてしまいますわ!」


「...っ!いいぞ!呼吸が戻った!」


小さく咳き込むように一つ呼吸をした。

生きてる!ヴァインは、生きてる!


「そうよ、息をして!お願い、まだまだ全然話し足りないの。聞きたい事もたくさんあるのよ。

お願い、お願い、戻ってきて...!」




「呼吸が安定してきた。一先ず、乗り越えられましたぞ」


医師が厳しい顔のまま、ふう、と息を吐く。


「しかし、意識が戻られるかどうかは、神にしかわかりません。

奥様、どんどん話しかけて下さい。聞こえているんです、戻ってきたいと思えるように名前を呼んでさしあげて下さい」


医師が部屋をあとにすると、いつの間にか、部屋にはお義父様お義母様、ヴィヌ様もいらしていた。

わたくしはまったく気づいていなくて、驚いてしまった。


「皆様...、すいません、気づきませんで...」


「いいの、いいのよ。エルノワさん、ありがとう」


お義母様が両手を握ってくれる。


「貴女がヴァインを呼び戻してくれた。

大丈夫だ、絶対に目を覚ますよ。

こら、ヴァイン!君の奥方が泣いてしまったじゃないか。

早くなぐさめてあげないと可哀想だろう」


言われて目元に指先をあてる。

本当だ。いつの間に。


「旦那様に...、泣かされてしまいましたわ」


「本当だ。可愛い奥さんを泣かすだなんて、ひどい旦那だ」


ヴァインの意識は戻らなかった。

とても眠る事が出来なくて、ずっとヴァインの手を握って、なんでもない事を話しかけ続けた。

また呼吸が止まってしまうのではないかと、胸元の動きを見て呼吸をしているのを確認し、顔を見ては口元の呼吸を確認するのを無意識に交互に繰り返していた。

一瞬も目を離したくなかった。


その後、一日程でヴァインの意識が戻った。


「...ケホッ」


小さく咳をした後、うっすらと目が開く。


「...あれ、いつの間にか...、寝てしまったかな」


「...そうですわね。おはようございます、旦那様」


「なんだか、夢の中で君に叱られていたような、気がするな」


「あらあら、何か悪い事でもなさったのかしら?ふふ。

旦那様、お水はいかがですか?」


「少し...、貰おうかな」


軽く口元を湿らせる。

もう、意識を失う数日前から食事も飲み込めず、水もうまく喉を通っていない。


「エル、君、手袋は」


「もう、しませんわよ」


「ダメだよ...。つけていて」


「嫌ですわ」


動けないヴァインの顔を両手で包む。


「エル...」


「わたくし、自分の旦那様に直接触れましたのよ。

ドキドキしますわ。嬉しいですわ。

ヴァインはあたたかいですわね。

...お願い、です。わたくしは、貴方のぬくもりが知りたい。

貴方に、触れたい...っ!」


今度はヴァインの手を両手で包む。


「...エルの、手は、小さくて、柔らかいね。

この手から、あの絵が、生まれてくるのか...、凄いなぁ」


「ヴァインの手は、こんなに大きかったのですね」


「私達は、まだ、お互い、知らない事がいっぱいだね」


「そうですわ。教えて下さい。貴方の事を」


「エル...、おいで。左手を、私の口元へ」


左手の薬指を、起き上がる事が出来ないヴァインの口へそっとあてる。

もう、自分の左手にキスする事の出来ない彼のかわりに、エルノワがヴァインの左手の指輪に口づける。


ヴァインは少し目を見開いて、嬉しいのか泣きそうなのかわからない顔をした。


「エル...、エル...、お願いが、あるんだ」


「なんでしょう?わたくしの旦那様」


「私の唇に、口づけを、くれないか?」


「...は、はい」


驚きと、...嬉しさと。

そしてそれを上回る恥ずかしさでギクシャクと近づくと、ヴァインがフッと笑った。


「わ、笑わないで下さいませ」


「ごめん」


本当に、一瞬だけ。

唇と唇がそっと触れるだけの、子どものようなキスをした。

ふるえているのが伝わってしまっただろうか。


「エルノワ、ああ...、愛しているよ。最高の気分だ」


「わたくしも、幸せ、ですわ」


そっと、ヴァインを抱き締める。

涙が勝手に溢れてくる。

幸せだ。どんな時であっても、貴方とならば、全てが幸せなのだ。


「可愛い。...エル、大好きだ」


「皆さまに、ヴァインが起きた事を伝えてきますわね」


「ふふ、また君は...、恥ずかしいと、逃げて、しまうね」


「もう。侍女に声をかけてくるだけですわ」


すぐにいらしたお義父様、お義母様、ヴィヌ様が短く声をかける。


「また奥さんを泣かせているのか」


「このねぼすけめ」


「あらあらあら、エルノワさんに手を握ってもらってるのね。

良かったわね、ヴァイン」


「私達は...、仲が、いいからね」


「本当ね」


「ははは」


和やかにみんなが笑う。


「旦那様、もう完成するところなのですが、こちらの絵を見て下さいます?」


「...見ても、いいのかい?秘密じゃ、なかったのかい?」


「もう、怒られてしまおうと思いましたの」


キャンバスをくるっと回して見せる。


「これは...」


「ヴァインね」


「ああ、とてもよく描けているね。さすがエルノワさんだ」


絵は、ベッドに背もたれながら上半身を起こし、楽しそうに笑うヴァインの姿だ。


「旦那様が、わたくしをからかう時のお顔を描きましたわ」


「私は...、こんな顔をして、君を、見ていたのかい?」


「ええ、そうですわよ」


「子どもの頃も、イタズラのあとよくこんな顔をしていたわね」


「そうか...、エル、描いてくれて、嬉しいよ。

ありがとう、ゴホッゴホッ、ゴホッ!」


長く咳き込む。咳が、止まらない。

エルノワが医者に目を向けるが、控えていた医者は首を横に振る。


エルノワがヴァインの手を握り、肩を撫でる。

ヴァインの手が、冷たい。


「なんだか...、暗いな。エルの顔が...、よく、見えない」


「ヴァイン...」


「カーテンを、開けて、くれないか」


「でも」


今は夜だ。それももう見えなくなってしまったのか。


「エルノワさん、いいんだ。私が開けるよ」


お義父様がカーテンを音をたてて全て開けて下さった。


「まだ...、暗いな。エル。エル...」


「はい、ヴァイン、ここにいますよ」


「エル、後で、そこの、チェストを...、開けてみて」


「はい、わかりましたわ」


「...愛して、いるよ」


「わたくしも、愛していますわ。わたくしの旦那様」


「エル...、手を...、握って、いて...」


「はい、はい、もちろん」






再び、ヴァインの呼吸が止まった。

もう、呼吸が戻る事はなかった。


チェストの中には、画用紙と、ペンが入っていた。


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