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九十六話 新菜さん賢者様と対決する

 

 爽やかな風がだんだんと熱を帯び始めた五月の終わりに、新菜(にいな)さんから話しがあった。

 前に聞いていた賢者の動向がつかめたようだ。

 そのため、僕に協力をお願いされた。もちろん僕は二つ返事だ。


 他にも先週の夜に新菜さんを散歩に誘い、静かな雰囲気の中で改めてプロポーズをした。

 答えはわかっていたけど、新菜さんはちゃんと返事をしてくれてかわいい涙を流しながら喜んでくれた。

 しかし、贈った指輪は気に入ってもらえただろうか。僕としては奮発して彼女に合いそうな品を買ったので、愛着のある物になってくれるとありがたいけど。

 来週には僕の叔父さんと叔母さんに会い、新菜さんのご両親にも再び会って報告する予定だ。

 叔父さんたちには一足先に連絡して喜んでもらえた。今から会うのが楽しみだ。

 僕らの方でも、式場選びや招待状などやることはてんこ盛りだ。

 気合いの入った新菜さんが雑誌やネットで熱心に調べている。僕はシンプルな方が好みだけど、彼女はどうだろうか。

 ちなみに僕らの事をナインに報告すると泣いて喜んでくれた。彼女なりにいろいろと苦労があったのかもしれない。もちろん、ティとネマも祝福してくれた。

 霧谷(きりや)さんは照れて普通を(よそお)っているし、妹の春奈(はるな)は祝ってくれて、(みなみ)さんには早く子作りしろと小言をもらった。

 八巻(やまき)さんや大佐たちにはまだ報告してないが、きっと誰からか話しが漏れているかもしれない。


 そんなこんなで忙しいけど、まだ新菜さんとは一緒に暮らしてはいない。

 ティたちもいるので二人で住むというよりは、大所帯でも可能な場所はそうそうないし。

 前に八巻さんから提供してもらえた土地に家を建てるのが現実的かもしれない。

 とりあえず資金などの目処がつくまでは、このままの状態でいるつもりだ。

 新菜さんといえば、最近は落ち着いた雰囲気で笑顔が愛らしい。以前よりも僕に対する愛情表現が積極的になった気もする。

 それはそれで嬉しいけれど。


 ◇


 休日に新菜さんが僕のマンションへ尋ねてきた。

「突然でごめんなさい。連絡しようと思ったけど、直接の方が早いから」

「いや、全然問題ないよ。顔を見られて嬉しいし。どうぞ、上がって」

 ちょっとはにかんだ新菜さんが、素早く僕にキスをすると中へと入っていった。後ろにはにやけ顔のアンナさんがいた……。

 霧谷さんは春奈と外出中だ。春奈と友達になってからは霧谷さんが外に出る事が多くなった。引きこもりがちな彼女にはとても良いことだと思う。

 ネマは会社でナインと仕事をしているから不在だ。

 ローテーブルに座る新菜さんたちにお茶を出す。ティも手伝ってくれたので楽だ。

 かしこまった姿勢でいる新菜さんは僕とティが座ると話し始める。

栄一(えいいち)さん。魔石の準備はできていますか?」

「もちろん。一応、六個用意したけど」

「それで大丈夫だと思う。実は賢者様の居場所が特定できたので、話しを聞きに行きます」

「いいけど……今から?」

「はい。今から」

 ニコリとした新菜さんがお茶を飲んで立ち上がる。つられて僕とティも腰を上げた。

「話すだけだから、短時間で帰ってこれると思う。行きましょう栄一さん」

「わかったよ恵利。アンナさんも行くの?」

「いいえ。私はこちらでお帰りをお待ちしております。くれぐれもお気をつけて」

 アンナさんが深々と頭を下げて答える。相変わらず堅い人だ。

 僕らは玄関に向かうと、靴を履き互いに手をつなぐ。

「栄一さんお願い。後は頼みましたアンナ」

 僕は新菜さんに魔力を流し、アンナさんは(うなず)いて手を振る。

 一瞬の後、僕らはアビエットに再び訪れていた。


 ──そこは広い空間で、天井がはるか先に暗闇へと消えて見えない。

 壁が緩やかにカーブを描き、湾曲して囲んでいるのがわかる。どうやら円形の塔の中のようだ。

 中央には地面から浮き出た丸いクリスタルが輝く。これが例の“(かなめ)”のようだ。十メートルほどの高さに浮いて周りを白く照らしている。

 僕らは壁に近い外側部分に立っていた。

「誰だ!」

 クリスタルのそばで緑色で金色の縁に柄の入ったローブを着た人物が僕らに声を上げる。フードを被っているため、影で顔は見えない。

 新菜さんは一歩踏み出すと頭を下げた。

「賢者様。突然の訪問、失礼いたします」

 僕らの顔が見える位置へと歩きながら賢者様と呼ばれた者がフードをとる。

 そこには頭のはげた白い髭を豊かにたたえた老人がいた。彼が賢者なのか…まるでおとぎ話の仙人のようだ。

 見た目とは異なり、その足取りや仕草はしっかりしていて若々しい印象を受けた。

 彼は距離を取って足を止めると片眉を上げる。

「ニーナか。いったい何の用だ? そもそもお前は魔法院を辞めたそうだな」

「はい。私はもう魔法院とは関係ありません。ですが、ひとつ確認しておきたい事がありまして。おうかがいしても?」

「何をだ?」

「“真理の輪”についてです。どうしたら儀式を失敗できるのですか?」

 新菜さんの問いに賢者様はしばし沈黙し、肩を震わして笑い始めた。

「フッ、ワハハハハハハハハ……。できる(・・・)とな!」

 ひとしきり笑った後、姿勢を正すと賢者は僕らを見た。

 珍しくティが緊張して僕の手をギュッと握る。魔力が見えない僕でも相手がただならぬ雰囲気をまとっているように見える。


 相手が答えないのを見て、新菜さんが口を開く。

「そうです、わざと失敗した。“真理の輪”は(かなめ)を地上に留まらせるため、複雑で強力な魔法がかかっています。その術式の中に空間を操るものもあったはずです。賢者様は何かで知ったのでしょう、“真理の輪”を暴走させ破壊すると時空にひずみが出来ることを。でも、ナゼ? 次元の違う世界に何を求めているのですか?」

 どうやら彼女は前から賢者を疑っていたようだ。ずっと、その理由を探していたのかもしれない。

 賢者は口元をゆがませる。

「……やはり気がついておったか。優秀だと思っておったが血筋かのう…。ワシは百年の間、このいまいましい玉について調べていた。先代たちの賢者共が何もせずに、ただ持ち回りで沈まないようにしていただけとは思えなかったからな。中にはワシと同じ考えに至った者もおった。じゃが、そいつは玉を世界から遠ざけることばかりに注視して肝心なことを見落としていたんじゃ。“真理の輪”を適切な処置で壊すと空間に穴が空くことをな」

 自信溢れる顔で賢者は“要”と呼ばれるクリスタルを指さす。

「この玉はこの世界の中心とつながっておる。無理矢理遠くに離すとバランスが崩れて世界は崩壊する。かといって、そのまま沈むに任せても世界は崩壊する。そこでワシは気がついたんじゃ、空間に穴を空けて別世界に行けると! 宇宙は広い、我々が住める場所は必ずどこかにある!」

「まさか……」

 賢者の語る内容の先に気がついた新菜さんは後ずさると、不安そうに僕の空いた手を握ってきた。

「そうじゃ、理解できたようだな。ワシは事故に見せかけ、“真理の輪”を破壊すると空間の穴に欠片(かけら)を投げ込んだ。そして、魔法院を使って欠片を探すとの名目で別世界について調べさせた。我々が移住できる世界をな!」

「どうして、そんな事を?」

 新菜さんが(つぶや)くと賢者は憤慨しはじめた。

「どうしてだと!? この星が不安定すぎるからだ! こんな玉ごときの為にワシの人生が終わるなんて我慢ならん! だから新天地でやり直すのだ! 偉大なる魔法使いが導いてな!」

 つばを飛ばしながら怒鳴った後、賢者は一転、静かに優しく語る。

「ワシは皆の身を案じているのだ。誰もが先々まで幸せにいたいだろ? それを手助けしているだけじゃ……」


 新菜さんは息を吐き出すとキッと相手を見据えた。

「賢者様、私たちは“真理の輪”を元に戻せる事ができます。そして、時空に空いた穴も(ふさ)ぐ事も」

「な、なんじゃと!? 一級の魔法使いが百人いても無理なのに!? バカな!?」

「すでに一つ、時空の穴を閉じることに成功しました。これから“真理の輪”を戻すつもりです」

「ならん!」

 両腕を広げた賢者は止めるような格好で怒鳴る。

「いずれは誰かが探りに来ると思っておったが、それどころか直せると言いよった! この計画は邪魔させん!」

 賢者が広げた両腕を前に出すと手のひらから強烈な光の稲妻が現れ、僕らを襲う!

 すかさず新菜さんが魔法障壁で防いだ。

「ティ! 手伝って!」

「うん!」

 新菜さんとティが協力して荒れる稲妻を押し留めて、障壁の境目ではバチバチと火花が激しく散っている。

 しかし、賢者の攻撃を防ぐので手一杯のようだ。賢者の方もこの攻撃に全力を上げている様子だ。


 僕は後ろから二人を抱き寄せると、それぞれに魔石から魔力を流し始める。二人同時に扱うのは初めてだが、なんとかなりそうだ。

「大丈夫? 押し返せそう?」

「これは……!? 今までで一番凄い! ティは?」

「すごく楽になったよー! さすがシラ兄!」

 聞くと感嘆した新菜さんが目を細め、ティは笑みを浮かべる。二人とも余裕ができたようで良かった。

 賢者に目を向けると苦しそうな表情をして、はげた頭には吹き出た汗が光っている。

「ぐぬぬぬ…。まさかニーナたちにこんな力があるとは……」

 片手をローブの中へ突っ込むと、短い棒を四本ほど握って取り出した。

「賢者の杖!?」

 新菜さんが驚く。賢者はニヤリと口を曲げた。

「ワシはこのような事を予期していた。だから前から準備をしておった」

 そう言うと杖をかかげる。

「おおぉ……みなぎる! 魔力が高まる……。どうじゃ? さすがのお前も魔力が尽きてくる頃だろう?」

 再び両手を差し出すと、先ほどよりも激しい稲妻が僕らを包み込む!

 しかし、新菜さんとティの張る障壁が完璧に防いでいる。

 その事実に賢者は口を大きく開けて驚く。

「ば…バカなっ! なぜ防げるのだ!?」

「言ったはずです! 私たち(・・)と!」

 新菜さんが吠えると障壁が膨らみ稲妻をはじき飛ばす!

 さらにゴウゥと突風が吹き荒れ、稲妻が霧散する!


「まさか…そんな!? ワシ以上に魔力があるというのかあぁ!?」

 驚いた賢者が叫ぶと再びローブに手を差し入れ、賢者の杖を両手に数本ずつ取り出し念じている。どうやら自身に魔力を供給しているようだ。

 その間に新菜さんが声をかける。

「もう止めましょう賢者様。考えはわかりますが、手段が間違っています。あなた一人では私たちには勝てません」

「ふざけるなぁああああああああ!」

 声を荒げた賢者が片手を差し出すと僕らの前の空間が(ゆが)みだした。見える景色がぐにゃりと(うず)を巻き始める。

「お前らなどこの世界から消えてしまええええぇ!」

 賢者が叫ぶと空間の渦が大きくなり僕らを飲み込む──


 しかし、新菜さんとティの張る障壁に(はば)まれて球形に歪んだままだ。

「そ……そんな……く、くそう!」

 歯を食いしばり賢者が片手を差し出したまま、もの凄い顔で(りき)んでいる。

 頭には大量の汗が流れ、食いしばる歯の隙間から血がしたたりはじめた。

 空間の歪みが、僕らを包み込むように大きく広がる。

 だが、それ以上に魔法障壁が拡大し飲み込まれることを阻止していた。

 賢者も新菜さんたちも自分の魔法で手一杯のようで余裕が無い。彼女たちのがんばりに僕はきつく抱き寄せ、魔力を送る以外にできない。はがゆい感じだ。

 すると突然、空間の歪みがパッと消え、同時に賢者がドサッと床へ崩れ落ちた。気絶したようでピクリとも動かない。

「いったい…これは?」

「魔力切れ。自分の持つ魔力以上に引き出したから限界を超えたみたい」

 僕の疑問にニコリと新菜さんが答える。

 新菜さんは優しい笑みをティに向けると頭をなでる。

「ありがとうティ。あなたのおかげです」

「エヘヘ! 褒められちゃった!」

 ティは満面の笑みで喜び新菜さんに抱きつく。僕は二人を抱きしめて終わったことを喜び合った。


 そこに、バン!──

 塔の奥にある両開きの扉が勢いよく開かれた!

「誰か居るのか!? 何があったんだ!?」

 新菜さんの友人であるネイサが数人の魔導士と共にローブをひるがえしてズカズカと中に入ってきた。

 どうやら先ほどの派手な魔法合戦が外の人たちの気を引いたようだ。

 僕らを見つけるとネイサが驚く。

「ニーナ? それにシラタキ、ティまで……」

「こんにちはネイサ。訳あって戻って来ました」

 ニコニコした新菜さんが言うと僕とティが軽く頭を下げ挨拶をした。

 僕らに近づくネイサたちは倒れている賢者を見て、けげんな顔を僕らに向ける。

「“真理の輪”を破壊した張本人です。彼が計画的に仕組んだようです」

「まさか!?……そうか」

 驚くネイサだったが、思うところがあるのか真顔で(うなず)く。 

 するとネイサと一緒に来ていた魔導士の一人が声を上げた。

「賢者様がいないぞ!? いつの間に?」

 ハッとして僕らが目を向けると、彼が倒れていた場所には誰もいない……。

 新菜さんに質問しようとしてティもいなくなっていることに気がついた。

「ティはどこに?」

「大丈夫。ティは追いかけていったの」

 フフッと可笑しそうに新菜さんは笑って説明した。


 すると僕らのいる反対側から賢者の声が聞こえた。

「ええい! 離せ! ワシを誰だと思っておるのだ!」

 ギャーギャー騒ぐ賢者の片足を持って、ティが僕らの方へとズルズルと引きずって戻ってくる。

 暴れるほどの体力が無いのか、賢者は口だけで抵抗していない。

「こっそり逃げようとしてたよー。ボク、目がいいからすぐにわかっちゃった!」

 笑顔でティは賢者を僕らの前へ引きずると手を離した。

 新菜さんは賢者を見下ろして苦笑いで嫌みを言う。

「さすがですね。並の魔導士なら二、三日は寝ているはずですから。腐っても賢者様ですね」

「なんでお前らはピンピンしているんだ……?」

 かすれ声で聞く賢者を無視して他の魔導士たちが立ち上がらせると、塔の外へと連れ出していく。

 それを見送りながらネイサが首に手を当ててため息をつく。

「はぁ〜まいったな。私の部屋へ同行してくれニーナ。詳しく説明をお願いしたい」

「はい。もちろん」

 同意した新菜さんが頷く。

 僕としてはもっと穏やかな話し合いかと思ったが全然違った。

 激しい魔法のやり取りに、魔法使い同士の戦いは魔力がカギだと気がついた。

 だから新菜さんは僕に魔石をいくつか持ってくることを勧めていたのか。

「ひょっとして恵利は、こうなることを予想してた?」

「ふふっ、ヒミツ」

 僕の質問をはぐらかした新菜さんは嬉しそうに手をつなぐと、先を行くネイサの後を追う。

 こうして僕らは魔法院にあるネイサの執務室へと向かうため、塔から出て行った。


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