九十一話 ユキは思う
最後に憶えているのは、炎に四方を包まれている真っ赤な部屋……。
そう。わたしが焼かれているところだ。不思議と痛みは思い出せない。
なぜ、そうなったかは分からないし、記憶もない。
分かっていることは日本人だろうということだけ。なぜかって? それは周りの人間の言葉がわかるし、文字が読めるから。
これは、わたしの話し。
黒猫となったユキと名乗る、わたしのこと──
◇
激しい火に焼かれて死んだはずなのに意識が戻る……。
そして、気がつくと丸い円に複雑な模様が描かれた部屋の中央にいた。
目の前には医者のような白衣を着た大きな男がいた。薄気味悪い雰囲気をまとい、わたしを見下ろしていた。
混乱したわたしは逃げた。
身体が軽いし、スピードが速い! しかし、視線が低い事に気がついた。まるで幼子の目線だ。
だが、やけに高い天井の部屋には出口が無く、がむしゃらに逃げられる場所を探したが見つからなかった。
そうしている内に男に大きな手で捕らえられてしまった。
恐ろしく震えているわたしを男は金属のゲージに放り込むと、薄気味悪い笑い声を上げた。
「ひぃーひっひっひ! やったぞっ! 成功したぞぉ! 人工的に憑依したんだぁ!」
ゲージの隅で縮こまっているわたしに、巨大な目を向ける男に恐怖する。
どうなってしまうの!? これはなに!?
必死に叫び声を上げ、耳に届くのは猫の鳴き声。
にゃーにゃーにゃー
自分自身に驚いたわたしはゲージの外を見た。
大きな男の足元には縦長の鏡が立てかけており、そこには黒い猫がわたしを見つめていた。
ひどく怯えているようで、しっぽは垂れ下がり、全身を震わせている。
その姿に恐ろしくなりゲージの反対側に逃げると、鏡の黒猫も同じように怯えて逃げた。
恐怖におののく黒猫の目を見てわかってしまった──
自分が黒猫になってしまったことに……。
鏡に映る姿はわたしそのもの。黒猫がわたし。
だけど、頭は混乱したままだ。なぜこうなったかも、猫になってしまったかもわからない。
目の前にいるのは大きな男ではなく、普通の人間だ。わたしが猫になったから、大きく見えただけ。
震えているわたしを尻目に、歓喜の声を上げた男の足は部屋の隅へと移動して、どこかにあったドアから出て行ってしまった。
部屋に残されたのはゲージに捕らえられた、わたし一人だけ。
しばらくジッとしていたが、特に何も起きなかった。
さすがに震えはおさまり、高ぶる気持ちもいくぶん落ち着いてきた。
まずは自分を確認しなくては。手を上げて見ると黒い毛並みの中にピンク色の肉球が確認できた。
ため息をつき声を出すが、やはり聞こえるのは、にゃーという鳴き声。わたしは人間の言葉を発することはできなくなったようだ。
一体、何でわたしなんだ!? 今度は無性に腹が立ってきた。
そのまま炎に焼かれて死んでいたはずなのに、無理矢理生き返らせたようなものだ。そこには、わたしの意志はない。勝手に、都合良く利用された! しかも猫の姿で!
暗くて顔はわからなかったが、白衣を着た男に対し恨めしい気持ちが高ぶる。
すると力がみなぎる感覚が体の隅々に駆け巡ってきた。
怒りに身を任せると体が大きく膨れてゲージの柵に当たるが、なおも大きくなる体がメキメキと金属の柵を押し広げている。
やがてバキキン! と柵が折れ、ゲージがバラバラになった。
再び部屋へ出たわたしは、衝動的な怒りがおさまると体が縮みはじめ、元の大きさへと戻った。
どうやら、この体は自分の感情によって変化するようだ。ただの猫だと思ったのに…それとも、わたしが中にいるから?
混乱していたときと違い、今度は部屋をじっくりと観察することにした。
床に書かれている大きな円と幾何学な複雑な模様は相変わらずある。そのほかには部屋の隅に台座があり、そこには誰かが仰向けに寝ているのが見えた。
近寄り、台座に飛び乗って見ると、焼け焦げて黒く変色している生々しい死体があった。
すでに死体になって時間がたっているようで体のあちこちが欠けている。
髪もない形の崩れた頭に顔もただれていて、どのような人物かはわからない。ただ、その体型から、辛うじて女性と思われた。
……これって、わたし? 記憶の最後にある炎に包まれていた部屋を思い出す。
すると再び恐怖が襲ってきた。
パニックになったわたしは、部屋をあちこち体当たりして、隠されたドアを破り、がむしゃらに通路を進んで外へと出た。
月明かりが道路を照らしていて、人影もない施設の駐車場らしき場所にわたしはいた。
どうやって来たかは思い出せないが、外の空気を吸うと気分が落ち着く。
暗いはずの夜の世界は、わたしの知っているのと異なり、明るく昼間のように見えた。これは猫だからかもしれない。
わたしはそっと近くの茂みに隠れると、人目を避けて森へと逃げていった。
◇
何日かをこの黒猫の体ですごしていると、普通ではあり得ないことがわかってきた。
風溜まりにいる悪意の塊や霊と呼べそうな透明な人魂がわたしには見えた。
人間も同様で、何かに取り憑かれてる者や、禍々しい暗い情念、欲望や渇望が目に写る。
鏡に映った自分を見たが、黒いモヤが渦巻いているのがわかった。これはなんだろうか? 恨み? 呪い?
森の中を歩いている時に他の猫やイノシシに襲われたりもした。
普段隠している爪はとても強力で、厚いイノシシの皮もやすやすと切り裂き、中の臓物を溢れさせた。
そして、怒りに身を任せると体が大きくなり、数倍も強くなる。
どうしてこうなったかはわからないが、生き延びるためにわたしは狩を学び、血をすすり、生肉を食べた。
なんとかこの体に順応してきたところで、追っ手が迫っているのを感じた。
もうこの場所にはいられない……わたしは逃げることを選択して、素早く山を越えて移動していった。
だが、追っ手は普通の人間ではなかった。
若い男で超能力を使う。
最初に対峙したときに足を傷つければ逃げられると思い、素早く近づいたが、無理だった。
何かの壁に阻害されたうえ、大木へと叩きつけられたから。
恐ろしく頑丈な体のお陰で即死することは無かったが、初めて負傷したわたしは怖くなって逃げ出した。
男は瞬間的に移動して、わたしの前に立ちふさがってきた。
そのたびにわたしは逃げる。素早さでは負けていないから。
やがて六回ほど繰り返した辺りで、男は片膝をつき苦悶の表情でわたしを見ていた。
どうやら能力には限度があるようだ。わたしはこのチャンスに脱兎の如く逃げた。
その先でわたしは出会ったのだ。
光輝くあの人達に……。
山を越えた湖が近くあるところに、人が多くいる場所を見つけた。
追っ手の男は、能力が他人に見られるのを避けている。その事を知っていたわたしは人混みへと向かった。
久しぶりに会う人間の中には胸の内に様々な悪意を持ち、あるいは取り憑かれていた者がいた。
トラブルは困るので、なるべく距離を空けながら人々の中へと入っていく。
茂みを抜けた時にその人たちと出会った。
胸が白く輝く男、とても透明に見えた。そのまわりにいる女たちにも、身の内に潜むものを発見できなかった。
思わず声を上げて近づくと彼は優しく手を伸ばしてきた。
わたしはこうして白滝たちと出会った。
誰かに追われたり、何かに恐怖することなく、やっと平穏を手に入れたのだ。
◇
南しおりのマンションに住んでいるわたしは、たまに白滝の所に泊まったり、気楽に生きている。
白滝以外の人たちは、わたしが彼らの話しを聞けて、文字も書けることを知っているようだ。
おかげでコミュニケーションはとりやすい。それにいつも美味しい食べ物があり、皆、わたしを可愛がってくれている。
一番のお気に入りは座った白滝のあぐらの中。暖かくて気持ちがいいから。
だから、お礼ではないが、彼らの住む周辺を回って、悪い霊や憑きモノがいたら追い払ったり、退治していた。
この辺りにいる野良猫や犬たちは、わたしを怖がって近づいてこないから、誰にも邪魔されずにのんびりと外を歩いている。
いつもと違うルートを通って、ブロック塀の上で休んでいると霧谷が横切った。
彼女は超能力が使える不思議な女性だ。事情があるようで、わたしには一切ふれないようにしているけど。
立ち上がって後をつけていく。
彼女は早歩きで通りを進んでいる。なにか気になることがあるようだ。
住宅街を抜けて川の土手の方へと向かっている。
その後ろをトトトとついていく。青空で日差しがポカポカして暖かい。こういう日は平たい所でゴロリとしたくなる。
霧谷は土手を上がると、そこにはもう一人、知っている人物がいた。
彼女に気がつくと笑顔で手を上げる。
「よう! 来たね!」
「何で呼んだのナイン? だるいんだけど……」
面倒そうに霧谷が言うとナインの笑みが深くなった。
「あははは! 後でおごるからさ、ね?」
「じゃ、いいよ」
プイっと横を向く霧谷。
ナインは彼女を伴って歩き出し、川岸近くを指さす。
「ほら、あそこ。なーんか、おかしいんだよね。霧谷なら“見える”だろ?」
「んー? 悪霊でもいんの?」
「かもね。とりあえず確認して欲しいのさ」
肩をすくめてナインが答える。
はぁ~っとため息を吐いた霧谷が質問してきた。
「なんであたしに? 新菜がいんじゃん」
「あー、ダメなんだよ。ほら、白滝とデート中だし。久しぶりに二人でいたいだろ?」
「プッ! ティちゃんもいるし、アンナもいるじゃん! 二人どころか四人じゃん! アハハハハ」
「あははは、確かに!」
吹き出して笑う霧谷。ナインも同意して笑った。
そういえば白滝がおめかしして出かけてたな。でも、ネマも一緒だった…全員揃うと五人だよね。
二人は目的の川岸の近くに来ると足を止めた。
ナインが不安そうに聞いている。
「わかるかい?」
「……いる。確かに禍々しくドス黒い渦が見えるよ」
眼鏡を取って薄目で川岸を見つめる霧谷が答える。
わたしからも見えるがもっと具体的だ。人の顔のような黒いもやがいくつか空中を漂っている。
たまに風の吹きだまりのように、悪霊がたまる場所がある。ここもそのひとつなのかもしれない。
笑顔になったナインが霧谷の肩を叩く。
「そんじゃ、よろしくね!」
「なにを?」
「もちろん悪霊退治だけど」
驚いた霧谷が眼鏡をかけ直してナインに向きなおった。
「ナインは専門家じゃないの!?」
「気配というか感覚はわかるけど、あたしは実体がないと難しいんだよ。だから、あんたを呼んだのさ」
「無理。つか、やったことないし!」
霧谷が拒否すると今度は逆にナインが驚いた。
「マジかよ!? う~ん、どうしようか?」
「とりあえず帰ってから新菜に報告すれば? 近づいても襲ってきそうもないし」
霧谷の提案に腕を組んだナインが唸っている。
ふと霧谷が慌てだした! もちろん、わたしにも見えているけど、悪霊が大きな口を開けて向かってきているところだった。
「やばい! 来たよっ! 逃げようよナイン!」
「そう言うけどさ、さっぱり見えないよ」
霧谷がナインの腕を取って逃げようとしているけど、動く気配がない。
しょうがない、わたしが追い払うか……。
隠れていた草むらから飛び出すと悪霊に向かう。
「ユキ!? なんでココに!?」
ビックリしている霧谷を尻目に悪霊たちに近づくと、相手の攻撃を避けて鋭い爪を一喝! 悪霊は霧散する。
わたしに驚いた悪霊たちが周りを取り巻き、警戒しながら襲うチャンスをうかがっている。
この場合は襲うというより取り憑くかな?
「あんた悪霊を退治できるの!?」
霧谷が叫ぶ。
その声を無視して素早く動き、三匹ほど引き裂いて霧と化す。
にゃー!
残った奴らを威嚇しながら隙をうかがう。
と、悪霊が苦悶の表情を浮かべながら一か所にまとめられていく。
何事かと見ると霧谷が悪霊に向かって集中しているのがわかる。これが超能力ってやつかな?
せっかくのチャンスを無駄にしたくないから、急いで高くジャンプして悪霊たちを八つ裂きにしてやった。
にゃん!
スタッと草むらに降りると、霧谷とナインが駆け寄って来た。
「ユキ! あんた一体何者なの!?」
喜んでいる霧谷があたしを抱き上げる。
「やばい! うかっりさわって……うっ!」
あたしを地面に降ろし、真っ青な霧谷が両手で自分を抱きしめている。
「お、おい…? 大丈夫か?」
ナインが霧谷に恐る恐る近づく。
地面に両ひざをつき、ボロボロと涙を流す霧谷。
どうしたのだろうか? 近づいて足に頭をこすりつけて慰める。
霧谷は泣きながらあたしに目を向けた。
「あ、あんた元は人間だったんだね……。苦しくて、辛いよ……。だから、さわりたくなかったんだ……」
泣きながらわたしを抱きしめる。
ナインが何も言わず霧谷の背中をさすり、頭をなでた。
しばらくして霧谷は話し始める。
「……ユキは人間で、この猫に魂を移されたみたい。年を経て変化した化け猫にね」
「戻れるのかい?」
ナインが聞くと霧谷は首を横に振った。
そうなのか……初めて自分自身についてわかった。化け猫がわたしなのか…でも、短いけどずいぶんと慣れ親しんだ身体だ。
ビックリはしたけど、不思議とそれほどショックは受けなかった。
記憶にある炎の部屋がフラッシュバックする。きっと、あのまま死んでいた方が良かっただろうけど、違う身体で再び生を受けたのには訳があると思いたい。
わたしは霧谷の頬を舐めるとぴょんと腕から逃れた。
涙目の霧谷がわたしに聞く。
「ユキはそのままでいいの?」
答えは当然、にゃあ! と頷いた。
袖でグシグシ涙をふいた霧谷は、わたしに笑顔を向ける。
「ありがと」
当然よと、にゃーと答える。
ナインは微笑んで霧谷の肩を抱いて立たせた。
「結果オーライってやつだね。ユキもなかなかやるじゃないか! 優秀な猫だな!」
「これって、絶対に白滝が関係してるよね? ホント、いろんな人間を引きつけるよね?」
霧谷の愚痴を聞いたナインが笑う。
「あははは! あんたも、その一人だね!」
眉を寄せた霧谷がプイっとそっぽを向いた。
わたしも可笑しくなって、にゃーと笑った。
お読みいただきありがとうございます。
今年最後の更新になります。
次の更新は来年7日以降になりますが、ストックがないため遅くなるかも……すみません。
皆様に メリークリスマス そして、良いお年をお迎えください。




