五十一話 新菜さん返事をする
早く帰れたのにすっかり遅くなった。
大谷教授が食あたりになって、移動中に何回もトイレに駆け込んだせいだ。待っているアタシの身にもなってほしい。
結局、新潟では何もなかった。怪異の情報もガセだったかもしれない。
白滝の地元かもしれないので連絡を入れると全然違う地域だった事がわかった。
無駄足踏んでクタクタになったアタシたちは地元の料理屋へ入って夕食をとり、その後に土産菓子を口にした。
そのどれかが大谷教授の腹に攻撃を加えたようだ。アタシは平気だったけど。
東京駅で別れ、ソッコー白滝のマンションへ戻って来た。
「ただいま~! 遅くなった!」
「あ、お帰り。霧谷姉ちゃん」
会いたかったティちゃんがお出迎え。アタシは荷物をほっぽりだして抱きしめる。
はぁ~落ち着く。寂しかったー。
ふとリビングをみるとローテーブルに白滝が突っ伏している。なに? こんな姿の白滝は珍しいってか、初めて見た。
ティちゃんを離して近づく。
「帰って来たよ白滝。何してんの?」
「……お帰り」
顔も上げずに一言。
メンドクサイ事態が起きたに違いない。荷物を片付けて着替えるとお土産をティちゃんに渡す。
気を利かせたティちゃんがお茶を出してくれた。
ローテーブルをはさんで白滝の対面に座って聞く。
「アタシのいない間に何かあったの?」
「……新菜さんに告白した」
「うっそ! 凄いじゃん! 返事は?」
「……まだ」
ちょっとは嬉しそうにしててもいいのに、なんでヘコんでるんだろ?
白滝の隣にくっついて座ったティちゃんが優しい笑顔で話してくれた。
「シラ兄は勘違いしてたみたいなんだ。ニーナ様がアビエットに帰ったら戻ってこないって」
「ん? それがなんで告白になるの?」
「この世界でニーナ様と離れたくないから向こうに行く前に告白したみたっプ」
「それ以上言わないでくれティ!」
ガバッと起きた白滝が慌ててティの口を塞ぐ。アタシの視線に気がついた白滝は真っ赤な顔を向けて苦笑いした。
ああ、わかった。
「つまり恥ずかしくなったんだ。自分の勘違いで先走って。プ、アハハハハ!」
言いながら可笑しくなってきた。
うらめがましい表情でアタシを見て白滝は再び突っ伏した。
意外なところで白滝のかわいい姿を見た。思ったよりもシャイな人なんだな。
しかし残念だ。こんな面白そうなイベント、間近で見たかった。
◇ ◇ ◇
先週から様子がおかしかったが、今日はますます変だ。
新菜は出社してから机の上のノートパソコンを見つめて呆けている。
はぁと池田はため息をついた。きっとこれは色恋沙汰だ。どうかフラれて会社を辞めませんようにと池田は祈った。
課長の北村が所用で席を立ち総務課を後にすると、池田は素早く新菜の元へ移動し声をかけた。
「新菜さん大丈夫?」
「えっ!? いえ、大丈夫です」
ハッと驚いて横にいる池田を見る新菜。いや、全然大丈夫じゃないよと池田は思った。
「何かあったの? 相談ならのるけど?」
「それは…その……」
「他の人には言わないから。案外話したら気が楽になるかもよ?」
すると新菜がもじもじし始め顔を赤くする。
「そ、その…こ、告白されまして」
驚いた池田は声を上げた。
「は!? 誰に?」
「いえ、その、す、好きな人に…」
ハニカミながら目を逸らす新菜の横顔が輝いて見える。眩し! 池田はキラキラの若い恋に当てられた。
これは何を言っても無駄だなと悟った池田。新菜の肩に手を置き微笑む。
「良かったじゃない! おめでとう! でも、今は仕事に集中しようね?」
「は、はい。そうですよね。頑張ります!」
ニコリと頷いて両手に拳をつくる新菜。うっ、かわいい。池田は新菜にバレないように身悶えた。
フラフラと自分の席に戻った池田は息を整える。
向かい側の新菜をちらりと見ると落ち着いたようで仕事を始めたようだった。
ホッと胸をなでおろす池田。
──しかし、誰だ? 好きな人って? もし新菜ちゃんを泣かしたらブチ殺すよ?
むしろ池田の方が悶々として、仕事が手につかなかった。
総務課に戻って来た北村は場の雰囲気が変わったことに気がついた。
新菜は真面目に仕事をしているようだが、池田がぎこちなくパソコンのキーボードを叩いている。
「?」
どうなってんだと問いただそうと池田に近寄ると、くるりと彼女が振り返る。
驚いて口を開けたままの北村に池田は睨みをきかすと元に戻った。
やっぱり言うのは止めよう。北村はそそくさと自分のデスクへと帰る。
池田は顔立ちも良い方だし、新菜にいたっては言わずもがな。
華やかな女性たちがいる職場に北村は常にセクハラ案件に怯えていた。小心者の彼は周囲から羨ましがられているのにもかかわらず部署の移動を希望していた。
しかし、その希望は叶えられることはなかった。
◇ ◇ ◇
今日は早く帰ろう。
仕事を終えると終業時間きっかりに席を立つ。
週末の出来事のお陰で新菜さんと顔合わせづらい。昼休みもコンビニでおにぎりを事前に買って開発室から出ないようにしていた。
そっと周囲を確認しつつ会社のビルを出る。
今日は居酒屋にも寄らず真っ直ぐマンションに帰ろう。決意を胸に駅までの道を踏み出した。
足早に進んだ道半ばで後ろから声を掛けられる。
「白滝さん!」
ビクッとして立ち止まる。
よく知っている声にギギギと振り返ると新菜さんがすぐ真後ろにいた。
「や、やあ。き、今日は良い天気だね」
「もう夜ですよ。日が暮れるのが早いですよね」
クスクスと笑いながら新菜さんが答える。
彼女は隣に来て一緒に歩き始めると、顔を赤らめて僕の目を覗き込んだ。
「あの…この間の事なんですけど」
「あ、ああああ。そ、そう言えばあのダンボールの中身ってなんだろ?」
相手の言葉の途中でさえぎって話題を変える。顔が熱い。
新菜さんは僕のコートの袖を引っ張ると立ち止まった。
「誤魔化さないでください。私、まだ返事をしてないし」
顔を伏せてささやくように声を出す。
やっぱり──覚悟を決めて向き合う。顔は見えないが新菜さんの耳は真っ赤だ。
「…もう一度言うけど君が好きだ。僕と一緒にこの世界にいて欲しい」
ぎこちない手で新菜さんの顔を上げると、真っ赤になって美しく微笑んでいた。
「はい。私もあなたが好きです」
うるんだ瞳に淡いピンク色をした唇が動く。
ふと顔を寄せると新菜さんが一歩後ろへ下がった。
「い、今はちょっと…。ひ、人の往来がありますから……」
「あ、ああああ。そ、そうだね。確かにそうだ」
すっかり新菜さんしか目に入ってなかった。人のすれ違う歩道の真ん中で僕らは告白し合っていたのに気がついた。
あまりの恥ずかしさに新菜さんの手をとって駅に向かって歩き始める。
熱い手の感触だけを互いに感じながら無言で地元の駅ままで帰って行った。
改札を出た所で新菜さんに声をかける。
「す、少し公園で休みませんか?」
「は…い、いえ。今日は帰らせてください。ごめんなさい」
すまなそうに真っ赤な顔のまま新菜さんが答えた。その表情からは嫌っていない事がわかる。
新菜さんもいっぱいいっぱいなのかな。そう思うと少し気が楽になった。
「そ、そうだよね。こちらこそごめん」
「いえ…。あ、明日、ちゃんと会いましょう」
「わかった。お休みなさい、新菜さん」
「お、お休みなさい」
手を離して互いに別れる。
少し名残惜しい気もするけど、明日会えると思うと心が軽くなった。
今日は散歩をしよう。早く帰ったし。
◇ ◇ ◇
バイトが終わりマンションの部屋に戻るとリビングで新菜が死んでいた。
いや、正確に言うとうつ伏せ倒れたままピクリとも動かない。
もう何度目だ? 一体なにがあったんだ?
近づいて新菜を抱え起こす。
「おい!? 今度はなんだ? 大丈夫か?」
ハッと気がついた新菜が私を見て抱きついてきた。
「ナイン! 良かった! 死ぬかと思った!」
「いや、それはこっちのセリフだから」
新菜を落ち着かせてソファーに座らせる。ついでキッチンへ行き温かい紅茶を入れて持っていった。
紅茶を一気にあおると、ふーっと新菜が息を吐き出した。
「なんで倒れてたんだ?」
新菜の隣に座りながら聞く。
「会社の帰りに白滝さんを捕まえて、こ、ここ告白の返事をしたの……」
唾を飲み込んで新菜は先を続けた。
「そ、それだけでも心臓ドキドキなのに、白滝さんったらキ、キスしようとしてきて……」
「マジで!? やるな! あの男!」
感想を挟むとギロリと新菜に睨まれた。
「あんな人前で恥ずかしかったけど、嬉しすぎて心臓がパンクしそうで。帰りに公園に誘われたけどもう無理。たぶん行ってたら死んでた」
へなへなと私にもたれかかってくる新菜。はぁ、心底どうでもいい話のようだ。
「まあ、これから付き合うんだろ? いくらでも機会があるよ」
「そうだけど、だけど」
頬をピンクに染めて可愛い顔で睨んでくる。そんな仕草を私にするな。白滝にしてやれ。
盛大にため息をつくと新菜が呟く。
「今日は寝れないかも。嬉しすぎて」
「いいから早く風呂入って寝ろ。やっとくっついたんだろ。陰ながら支えてる私を楽にさせて」
「もー。ナインはいつもそう。喜びを分かち合おうよ」
「もう分かち合ってるよ」
新菜を無理矢理立たせて風呂場へ連れていく。ふにゃふにゃになって浮いているような感じだ。
服を脱がせて風呂に放り込む。
一仕事終わって、テーブルのイスにどかりと座ると缶ビールを開ける。
はー疲れた。
しかし、こんなんじゃ、付き合ってからも大変そうだ。
先行きにいくぶんの不安を感じ始めた。
アビエットの話をしたかったが明日だな、これは。
冷たいビールを喉に流し込みながら、これからの事について考えを巡らせた。
◇ ◇ ◇
「で、どうしたの二人して」
翌日の昼休み、社屋の屋上で八巻さんが厚めのカーデガンを羽織って向かい合っていた。
僕と新菜さんは並んでどちらが切り出すか、顔を見合わせる。
なんとなく察した八巻さんの目が細くなるを見て僕から先に口を開いた。
「えっと、僕たち付き合う事になったので報告に……」
「仲良くなったら連絡しろとは言ったけど、ずいぶん先に行ったのね」
ぶすっと八巻さんが突っ込む。
「その…成り行きで。ははは…」
愛想笑いで誤魔化す。隣にいた新菜さんが僕のお腹をつねった。
ため息をついた八巻さんが手すりにもたれかかった。
「で、それだけ?」
新菜さんが半歩出て説明しはじめた。
「いえ、先日アビエットに戻りました。その事について皆さんに話しがあります」
「私も関係あるの?」
「もちろん」
ニコリと新菜さんが答える。というか、僕も初耳なんだけど。
「大佐たちにも連絡をとりますから都合の良い日を教えていただければ」
「急ぎかな? 皆に会わせるから私は大丈夫」
「ありがとう八巻さん」
微笑む新菜さんに八巻さんが近づき抱きしめる。
耳元で何かを囁くと新菜さんは赤くなって頷く。まったく聞こえないので僕は茅の外だ。
八巻さんは離れると僕にニヤリとする。
「私、知ってたから。もう会社中に噂が流れてるよ。気をつけてね、特に白滝君は」
そう告げて社屋に戻って行く。えぇ? 何で知ってるの?
驚いて新菜さんを見ると顔を赤くしたまま手を握ってきた。
「問題ありませんよね?」
「ああ。別に社内恋愛禁止なんて規定ないし、いつも通りでいいと思う」
「そうですよね」
新菜さんがかわいい笑みを見せて手を引いて僕を導く。
だんだん付き合ってる実感が出てきた。
僕たちも八巻さんの後に続いて社屋へと入っていった。
◇
開発室へ戻り仕事を再開する。
先ほどの八巻さんの言葉通りなら仲林君も知っているはずだが、そんな素振りを見せない。
しばらく仕事を進め、トイレに席を立った。
開発室を出て廊下を歩いていると、通りかかった書類を持つ綺麗な女性が僕に気がついたらしく寄ってきた。
「あなた白滝君ね?」
「え? はい」
驚きながら答えると女性は僕の腕をつかんで給湯室へと引っ張り込んだ。
「な、なな何?」
給湯室の奥に押し込まれながら聞くが、無視されて女性が後ろ手にドアを閉めた。
前にも似たようなことがあった経験を思い出す。よく見ると年上のような感じ。
女性は顔を上げてツカツカと僕の元まで歩み寄る。
「総務課の池田と申します。わかるよね?」
「えっと、新菜さんと同じ部署……」
答えると鋭い眼差しを向けて、僕の胸元を両手でつかんできた。ええ? 初対面なのに?
良い匂いを漂わせながら顔を近づけてくる。滅茶苦茶怖い。
「いい? 新菜ちゃんを泣かしたらただじゃおかないから。わかった?」
「泣かせることなんてしないし。池田さんとは初めて会うけど新菜さんとどういう関係なんですか?」
冷や汗をかきながら聞くと、池田さんは手を離して数歩下がると服を整える。
「私は彼女の同僚。悪い虫がつかないように守ってるの。あなたが付き合ってるって噂があったから確認しただけ」
「いや、憶測でされても…」
キッと池田さんが目を光らせる。この人、なぜか怖い。
「違うの?」
「合ってますけど……」
「ほら! 新菜ちゃんと話をするときに必ずあなたの名前が出るからそうだと思った!」
萎縮して答えると勝ち誇ったように胸を張る池田さん。そう言われても…。
ここは話を合わせて逃げよう。僕は何も悪くないし。
「新菜さんを泣かせるような事はしませんし、傷つけませんから。彼女の様子を見ればわかるでしょ?」
「……そうね。いい? 私はちゃんと見てるからね? あと、このことは新菜ちゃんには言わないでね?」
鋭く睨んで言ってくる。なんだかこの人は苦手だ。
「わかりましたから! もう出ますよ!」
話を切り上げて給湯室から出ようとすると池田さんがドアの前に立ち塞がり念を押す。
「言わないでね?」
「言いませんよ!」
池田さんを無理矢理どかして廊下に出る。彼女に引き止められないように素早く開発室まで駆け足で戻った。
はぁー、なんなんだ一体。自分のデスクに戻るとため息をつく。
そこでハタと気がついた。
トイレに行くのを忘れてた……。




