四十九話 新菜さん悩む
会社の昼休み、昨日の約束通り屋上で新菜さんと落ち合う。
すっかり紅葉も終わり本格的な冬が近づいてきた。屋上のプランターも茶色の枝だらけになっている。
北風が肌を冷たくなでて思わず身震いをした。
冷たい手すりに触れながら横にいる新菜さんを見る。厚めのカーデガンを羽織って寒さから身を守っていた。
「相談って?」
僕から話を切り出すと新菜さんは言いづらそうにこちらを上目遣いで聞いてくる。
「……あの、魔物についてどう思いますか?」
「どうって…詳しくはわからないけど、危険な存在なのは間違いないよね?」
「確かにそうです。でも、私が聞きたいのは魔物自体ではなく現状についてなんです」
何か難しそうな顔つきなっている新菜さんを見て、もっと深い話だと直感した。
「つまり新菜さんは、この状態が続くことを懸念しているのかな?」
「端的に言うとそうです。今回の出現で楽観的に考えていた事を反省しました」
「だからって新菜さんの責任でもないし。事の発端は、えーと、賢者様の儀式にあったんだよね?」
僕の言葉にハッとした彼女は横顔を見せ遠くを見つめた。
それから何も言わなくなった新菜さん。時折、強い北風が美しい黒髪をなびかせている。
僕はその様子を目に焼き付けながら待っていた。
今の僕にできる事は彼女たちが役に立ちそうなアドバイスや何かの示唆になるような事をするだけだ。
魔法も超能力も無い人間にはできる事が限られている。でも、少なくとも励ましたり、一緒に悩みを分かち合えることはできるはずだ。
しばらくして新菜さんに声をかけようとしたところ、急に彼女が僕に顔を向けた。
面食らって言葉を失っていると新菜さんがすまなそうにする。
「ごめんなさい。考え事をしてました。でも、白滝さんに気づかされました」
「そ、そう。切っ掛けになって良かった」
焦って答えると新菜さんは微笑んだ。
「そろそろ昼休みも終わりですね。戻りましょうか」
「そうだね。寒くなかった?」
「い、いえ。だ、大丈夫です」
僕の返しが予想外のようで新菜さんがアタフタとしている。
二人で社屋に戻ってから別れてそれぞれの部署へと向かった。
新菜さんの心配事も解決してくれればいいなと思いながら仕事を再開した。
◇ ◇ ◇
「ちゃんと聞いてるの? ナイン!」
夕食が終わって新菜の話を聞いてたらこれだ。そんなに落ち着きないことしてないのに。
リビングのテーブルには私の缶ビールとつまみ、新菜の紅茶が湯気を立てて並んでいた。
「聞いてるよ! あれだろ? 魔物が頻繁にこっちの世界に来ると白滝と一緒の時間が削られるから嫌なんだろ?」
「も~! 違うってば! 少しは合ってるけど違うの!」
耳を真っ赤にして否定してるけど弱いね。
新菜はコホンと咳をつき、落ち着くと続けた。
「そもそも、この原因は賢者様でしょ? だとすると空間の裂け目を閉じるためにはアビエットに行かないとダメかも」
「うーん。私は最初の目的通り例の欠片を“真理の輪”に戻す方がいいと思うね」
「……確かに」
正解は目の前にあるのに極力避けていたような新菜が渋々と現実を認めたようだ。
缶ビールを一口飲んで新菜の目を見る。
「だいたい私らの任務を忘れて恋にうつつを抜かしてたから判断が鈍ってたかもね」
二ヒヒと嫌味を言うと新菜が真っ赤になる。
「うーーー。むーーー。ナインの意地悪!」
新菜はなんとか言葉を絞り出す。ハハハ! 笑うと新菜は頬を膨らませた。
まあ、いじめるのはこの辺でいいか。いつもお惚気を聞かされていたお返しが出来てスッキリした。
「真面目な話、私もこの世界が気に入ってるんだ。意外かもしれないけどさ」
「ふふ、意外じゃないよ。ナインは食いしん坊だから」
微笑んだ新菜が答える。まあバレバレだったか。しかし、半分は白滝のせいだ。あいつが美味しい店を紹介するから舌が肥えて元いた世界の食事が味気なく感じるせいだ。
紅茶を飲みながら思考している風な新菜。それをビールを飲みつつおつまみを食べながら眺める。
そういえばソールに彼女ができたらしいから一度見てみたい。なんでも町の花屋の女主人らしい。どの花屋だろ?
しかしアイツのナンパが成功するとは思わなかった。まーあの三人の中では一番まともか……。
私があれこれ思いめぐらせていると新菜が紅茶を置きため息をついた。
「やっぱり一度戻って話した方がいいよね……。嫌だなー」
「プッ。賢者様に会うのが嫌なんて新菜ぐらいだよ」
「だって何考えてるのかわかんないだもん。あのおじいさん」
困った顔をして私に目を向ける新菜に笑って返す。
「アハハ、しょうがないね。留守中は私が目を光らせとくよ」
「でも、だいたい半年で五回も現れたんだよ? しかも一回は取り逃がして町を危険にさらしたし」
「新菜が使い魔を数人置いてくれれば対処できるよ。こっちにはティがいるからね」
ニヤリと答えると新菜がふくれた。
「あまり白滝さんを巻き込まないで! ケガしたらどうするの? 治療術は私とネマしか扱えないのに…」
「その時は八巻を呼ぶよ。あと監視の魔法を私にも紐づけてくれれば大丈夫さ」
私の楽観的な考えが気に入らないのか新菜は困惑気な視線を向けている。安心させるように微笑んでつまみを食べる。
「せいぜい二、三日だろ? だったら平気だよ。そんなにホイホイ魔物も来ないって!」
はぁ~とため息をつくと新菜はニコリと笑顔になった。
◇ ◇ ◇
今日は久しぶりにティと二人でお出かけしている。
といっても前に約束したトカイツリーではなく、都心とは反対の埼玉方面へ電車に乗って数駅を通り過ぎる。
着いた先は駅直結のショッピングモール。ネットでたまたま近くにあるのを見つけて訪れた次第だ。
霧谷さんは忙しいようで大谷教授に呼ばれてどこかへ行ってしまった。新菜さんも誘ったけど他に用かあるようで断られてしまった。
そんなわけで僕らは二人だけでモールへと繰り出した。
「ティは何か欲しいものとかある?」
「ん~、わかんない。とりあえず見ようよー」
楽しそうに周りをキョロキョロと見ながらティが答える。
「まあ、そうだね」
僕も初めての場所に少し興奮しながらティに手を引かれてショップを見て回っていった。
中には映画館も入っており、ちょうどティがあるポスターの前で止まった。
「シラ兄! これ!」
「うん? これって、ティがよく見てるアニメだね。映画になってたんだ」
それはティが今ハマっている魔法少女たちが別の世界から来た悪者と戦って地域の人たちを守るアニメだった。
風呂に入っているときに主題歌を歌っているのがよく聞こえるぐらいティは気に入っているみたい。
そんなティはキラキラと目を輝かせて僕を見つめる。
思わず笑ってティの手を引いてチケットの自販機へ行く。
次の上映までは少し時間があるが二枚購入して映画の売店へ見に行った。
ティが小学生らしき女の子たちに交じって楽しそうに魔法少女のグッズを手に取って見ている。
どうやら映画に出てくるアイテムなどのオモチャが並んでいるようで、人気のアニメらしくグッズがいっぱいだ。
しばらく待っていると笑顔のティがいくつか手に持ってやってきた。
「シラ兄~!」
「はい、はい。他に欲しいものは?」
「もう大丈夫!」
ニコニコと満足そうなティ。この分だと映画が終わった後にまた買いそうだな。
グッズを購入した後は空いているイスに座って上映時間まで待っていることにした。
「そういえば、霧谷さんとは上手くやってる?」
「霧谷姉ちゃんとは仲良しだよ。いつもくっついてくるけど」
「くっつくのはティも同じだね」
「ち、違うもん! ボクと姉ちゃんは違うの!」
真っ赤な顔をしてティが反論している。でも同じだよね?
笑って、そうだねと同意すると膨れたティが僕のお腹をつねった。そういうところは前の主人と同じだよね。
ティは僕の腕に抱きつくと楽しそうにしている。
「シラ兄と二人きりなんて久しぶりだね。ボク嬉しいんだ!」
「そう? だいたいティと二人が多いけど?」
「そんなことないもん!」
「ハハハ。でも、二人でノンビリもいいよね」
「うん!」
ティの頭をなでると嬉しそうにしている。
映画の時間が来るまで僕たちは楽しく話しながら過ごした。
◇
映画が終わり興奮しているティがあれこれ内容を話している。
適当に相づちをして話を合わせながらモール内を歩く。
目ぼしいモノをいくつか買い、時間は少し早いが家に帰ることにした。
途中、コンビニに寄って肉まんを頬張りながら帰り道をティと歩く。
マンションに着くと黒猫が僕らを待っていたようでニャーと声をかけてきた。
抱き上げると他の住人に見つからないようにそっと自分の部屋へ向かった。
「あら? 思ったよりも早いのね。しかも猫もいるし」
部屋には霧谷さんが既にいて出迎えてくれた。
「夕食の準備もあるからね。はい、お土産」
紙袋を霧谷さんに渡す。
「べ、別にいいのに……」
とか言いながら受け取ってニマニマしている。これってツンデレってやつかな。
黒猫はニャーと鳴きながらリビングへ直行していた。
ティは楽しそうに買ったグッズをテーブルに並べて一つ一つを解説しだした。
その声を聴きながらお茶を用意する。ちなみに黒猫にはミルクを。
霧谷さんも魔法少女のアニメを知っているらしくティと楽しそうに話している。そういえば朝、二人してテレビの前に座っていたことを思い出した。
少し休んでから夕食の支度をしているとティと霧谷さんが台所へ来て手伝ってくれた。黒猫は何故か冷蔵庫の上に登って僕らの様子を座って見ていた。
「霧谷さん、リクエストはある?」
「肉!」
料理を聞くといい笑顔で一言返ってきた。
「…霧谷さんって、肉ばかり食べてるけど太らないよね」
「そお? 気にしたことない」
どうでもいい感じにしている霧谷さんを見て隣にいたティが膨れている。
「ズルイ~! ボクなんかすぐにお腹が出るのに!」
「ティちゃんはお菓子ばかり食べてるからでしょ」
霧谷さんがティのお腹を突っつく。キーーッとティが眉を吊り上げた。
笑ってそのやり取りを見ていたらティに睨まれてしまった。
落ち着いてから、漠然とした霧谷さんの意見を入れて、親子丼と特製猫まんまを作った。
黒猫は嬉しそうに目を細め、長いしっぽをゆらしている。
食事を終え、ゆっくりしているとベランダ側の窓からノックする音が聞こえる。
何事かと行くと南さんがニコリと笑って待っていた。できれば玄関から来て欲しいけど。
窓を開けながら南さんに聞く。
「と、とりあえず入って。なんで普通にこれないの?」
「ありがと。フフ、楽だから」
微笑みながら南さんが靴を脱いで入ってきて、リビングでくつろいでいるティと霧谷さんに声をかけている。
二人とも笑顔で歓迎している。ほのぼの日常的だけど、普通じゃないからね?
新しいお客にもお茶を出し、座ってくつろいだ南さんを交え再びノンビリする。
グッズで楽しんでいるティと霧谷さんを不思議そうに見ていた南さんに今日の出来事を説明する。
納得したのか微笑んで二人のやりとりを見ていた。
不意に南さんが僕に切り出す。
「ねえ、恵利から何か話しとかあった?」
「ん? ああ。魔物の話はあったかな。新菜さんは気になるみたいで」
少し曖昧に答えると南さんは目を細めた。
「ふーん。それだけ?」
「そ、そうだけど……」
欠片の事は秘密なので焦ってしまう。慌てて南さんに質問した。
「南さんも相談されたの?」
「んー。気になる?」
ニヤッと南さんが意地悪く笑う。きっと何か話し合いをしたみたいだけど深く聞かない方がいい。
「いや。女子の話は怖いからね」
言うと南さんは笑った。そこで他の事に話題を変えると南さんは乗ってくれる。
きっと分かっているのだろうけど、彼女の気遣いにちょっと感謝した。
グッズに飽きたのか僕たちの会話にティと霧谷さんも加わって賑やかになった。
黒猫は僕の膝の上で目を閉じ丸くなっていた。
やがて南さんは立ち上がるとお休みと言って黒猫を抱いてベランダへ向かった。やっぱりそっちなんだ。
見送りに行き窓を開けると南さんはベランダへと出た。
そのまま行くのかと思ったら、南さんはくるりと僕に向き合った。
「栄一ってホント、顔にすぐ出るのね。昔から」
「そ、そうかな?」
「そうよ。またね……」
薄く微笑んだ南さんは言葉を残して夜の景色に紛れて消えてしまった。
向かい側のマンションを眺めていると南さんの部屋の明かりがついたのが見えた。
ふーっと息を出しながらベランダの窓を閉めてリビングに向かう。
ティと霧谷さんはお風呂に入っているようで水の跳ねる音とくぐもった楽しそうな話し声が聞こえてくる。
あの二人はいいか……。楽しそうだし。
何気なくテレビの電源を入れてニュースに番組を合わせる。
アナウンサーが今日の出来事を述べているのを何ともなしに聞きながら考えを巡らす。
近頃の新菜さんの様子は少し変だ。全体的に暗い雰囲気が漂っている。
何かを思い詰めているような……。
それが何かはわからないが、きっと元いた世界──アビエットの事だろうか?
ひょっとしてご両親に何かあったとか? あるいは違う問題なのかもしれない。
僕の回りで何かが起こっているような気がする。何故か一人、取り残されているような……。
なんとなく漠然とした不安が僕を取り囲んでいた。




