三十九話 新菜さん料理を教わる
さっきから白滝がソワソワしてまた台所を掃除し始めた。
ティちゃんも手伝って壊れそうな物を避難させている。
掃除機を片付けた白滝がアタシに顔を向ける。
「霧谷さんってこれから用事ある?」
「別に」
「少し出かけてくるから留守番よろしくね」
「あーはいはい。新菜さん迎えにいくだけでしょ」
おざなりに答えると笑顔でよろしくねと言って白滝がティちゃんと一緒に部屋を出て行った。
……なんかムカつく。あんな態度一度だってしたことないじゃん。
壁に背をあずけて座り、スマホでゲームをして時間をつぶす。
少し喉が渇いた。
ここからローテーブルのお茶の入ったカップまで少し遠い。
右手を差し出し、ちょっと集中するとカップが浮かび上がってこぼさないようにゆっくりと手元に来る。
受け取って一口すする。はー、こういう時には便利だよね、超能力って。
ふと視線を感じ顔を上げると白滝と新菜にティが揃ってアタシを見ていた。
「霧谷さん前にも言ったよね? そういう力は使わないって」
「いーじゃん、誰も見てないし」
プイっと横を向いて返事をするとにこやかに新菜が会話に入ってきた。
「まあまあ、白滝さんもそれぐらいで。こんにちは霧谷さん。おじゃましてます」
「うっす」
頭だけ下げて挨拶すると新菜もペコリとお辞儀した。なんか嫌な奴みたいじゃんアタシ。
「それじゃあ始めようか。荷物はその辺に置いてもらえればいいから」
「ありがとうございます。そうしますね」
気を取り直した白滝が新菜と話している。
荷物を置いて中身を取り出すと白滝と一緒に台所へと向かって行った。興味深そうにティちゃんも後を追っていく。
アタシもつられて、ひょこっと頭を出して台所を見てみる。
ちょうど新菜の後ろに白滝がいて肉を切るのを教えているようだ。
「新菜さん、包丁の持ち方が違うよ。こういう感じで」
「え? それではここで襲われたら相手を刺せないですよ?」
「刺さなくていいから! 鶏肉を切るだけですから、新菜さん!」
会話を聞いて思わずポカンとする。何言ってんだ新菜は? それよりもここで相手を刺し殺す状況が思いつかない。
どんなバイオレンスな世界に住んでるんだ?
そんな会話をティちゃんは少し離れてニコニコと見てるし、前々から思ってたけどこの人たち変だ。
ため息をついてリビングのローテブルへと戻る。
ついでテーブルに置いていたスマホを手に取りゲームの続きを再開する。
ちなみにゲームは行き詰っている。さすがに課金しないと先に進みずらい。かといって金がもったいなくて使いたくない。
ガチャも水着コスがでないし、つらい……。
とか思いながらもゲーム熱中しているとティが来た。
「霧谷姉ちゃん手伝ってよー」
「なんで? あの二人で楽しくイチャイチャしてればいいじゃん」
言うと膨れたティが座ってアタシの目をジッと見る。
「だって、あの状態だといつご飯が食べれるか心配なんだもん。思ってた以上にニーナ様ってヘタなんだもん」
「プッ、アハハハ! ヒーヒー! わかった、手伝う」
思わず笑ってしまった。ニコッと笑ったティに手を引っ張られて台所へ向かう。
来てわかった。こりゃアタシでも応援呼ぶわ。
メチャクチャ緊張している新菜が白滝と密着してぎこちなくカタカタと震える包丁でゆっくりと肉を切っている。
怖っ! 見ている方が怖い! 白滝の汗、ハンパない!
「シラ兄、こっちでサラダ作ってるねー」
ティちゃんが白滝に告げるとこちらを見た白滝は必至の顔で頷く。しゃべる気力もないほど新菜の行動に集中しているようだ。
これって、イチャイチャどころじゃないじゃん。むしろ罰ゲームの様相をかもし出している気がする。
とりあえずアタシとティちゃんとで空いたスペースにまな板を置き、キャベツを切り始める。
アタシも料理がヘタだからざく切りにしようとするとティちゃんに止められて千切りを教わる。
意外とティちゃんは教え上手だった。
横で四苦八苦している新菜を尻目にアタシたちは順調にサラダを作っている。
ようやく包丁作業が終わった新菜たちはフライパンを取り出し次の作業を始めるようだ。
炊いたご飯を用意し、油を敷いたフライパンに角切りの肉や野菜を投入している。どうやら炒めるようだ。
と、新菜の動きが止まった。
「新菜さん? どうかした?」
心配している白滝が新菜に聞く。
「少し問題が起きました。例の魔物が出現します」
「ええ! それじゃ早くしないと!」
慌てた白滝がエプロンを脱ごうとすると新菜が止める。
「いいえ、ここは私だけで大丈夫ですから。白滝さんはここで待っててください」
「大丈夫なの? ティも一緒に行った方がいいんじゃない?」
「平気ですから。すぐに戻ってきますので」
サッとエプロンを脱ぎ白滝に手渡した新菜はニコリとすると皆から離れる。
一人で大丈夫なの?
「アタシが行く! いいでしょ?」
新菜の元に行くと困った顔をして頷いてくれた。
「わかりました。では近くへ。行きます!」
アタシが新菜の隣へ行くと腰に手を回されて引き寄せられ、空いている片手を上にあげると大きく円を描くように回した。
すると目の前にいるティたちの姿が瞬時に消えた。
◇
──気がつくと川沿いの土手に来ている……。
頂上から少し落ちた太陽の下で涼し気な風がアタシの肌に触れながら流れていく。
これが魔法? 凄すぎる! 白滝たちはこんな体験しているからアタシを見ても驚かなかったんだ。納得した。
そっと手を離し、周りを見渡した新菜がアタシに向く。
「今日は人の往来がありますから強い結界を張ります。まだ魔物は一部しか出ていません。完全に出たら足止めしてください。無理しないでくださいね?」
「わ、わかった。魔物ってどこにいる?」
「あちらです。くれぐれも近寄らないでください。では始めます」
新菜が指さす方を見ると空中から何かが少し出ている。あれが魔物か……。
「わかった。新菜さんも気をつけて!」
言いながら走り始める。アタシでも役に立つことを教えないと。前の失敗を挽回しないと気が収まらない。
魔物に近づいてくとスルスルと真っ黒な手のようなモノが何も無い所から突然現れてきている。
三メートルぐらい離れたところで立ち止まり、魔物の様子を確認する。
空中から次々に手のようなモノが出てきた。ナニコレ、気持ち悪い!
細長い手のようなモノが伸びて地面に着く。十本を越えたところで数えるのをやめた。
やがて本体なのか無数の腕の上に黒く大きい丸い球のようなものが現れた。
見ていると本体の一部が開いてギロッと巨大な目が出てきた。怖い!
魔物の大きな目がキョロキョロと辺りを見て何かを確認しているようだ。
そして目の前のアタシに視線が止まる。
無数の手がザワザワと動き出し、ゆっくりとアタシの方へと向かってくる。背中がゾワゾワしてきた。
集中しろアタシ! 動きを止めるだけでいいんだ!
魔物の思考を読むのは危険だから直接動きを止める。
無数の手に働きかけ、この場合、筋肉の動きを止める。筋肉があればだけど。
集中し、無数ある手の指をまとめて動かなくする。急に手が止まった魔物は大きな目を見開いてアタシを見る。
負けるもんか!
くっ、制御がキツイ! あいつ無理矢理体を動かそうとしている!
魔物の丸い本体にある目の下に一筋の線が現れた。何するの?
線は少し開くとそこから何かがアタシに向かって発射された!
ッ! 慌ててアタシの前に空気を固めて壁を作る。
発射されたモノが空気の層を突き破ってくる! もうムリ! 咄嗟に目を閉じた。
……。
アタシの身体に何かが刺さる予想をしていきたけど痛くない。
恐る恐る目を開けると何ともない。発射されたモノはどこかへいったようだ。
「お待たせしました。よく耐えましたね。ありがとう霧谷さん」
いつの間にか隣に来ていた新菜が肩に手を置いていた。ひょっとして新菜が助けてくれたのか…?
「あ、今のは?」
「話は後で。すぐに倒します」
そう言うと新菜が手を前に出しブツブツと聞きなれない言葉を唱えだした。
と、強風が吹いたと思ったら魔物の無数の手がまとめて切り裂かれ、支えのなくなった本体が地面へと重い音を立ててピクピクとうごめく切れた手の中へどしゃりと落ちた。
巨大な目をギョロギョロさせた魔物が震えているように見える。
突然ゴッっと、すごい業火が魔物を包んで燃やし尽くす。一瞬の内に跡形もなく燃え尽きた。チリ一つない。
隣にいる新菜に視線を向けると平然と立っていた。
この魔法は以前ティがやっていたのと同じ魔法だが、新菜のはケタ違いだ。ハッキリ言って恐ろしい、こんなんやられたら死ぬしかないじゃん。
冷や汗をかいているアタシがわかっていたようで、新菜がアタシの手を握って安心させるように微笑んでいる。
こんなのズルイ! 惚れちゃうじゃん!
「さ、帰りましょう! かなり時間をロスしました。こんなチャンスなかなかありませんから!」
笑顔で新菜が言ってくる。そんなに白滝との時間が大切なんだ。アタシ的にはこっちの方が重要な気がするけど。
「そんなに急がなくても、また違う日に教えてもらえればいいじゃん?」
「ダメです! 今が大切なんです!」
なぜか力んで新菜が答えると膨れてきた。あれ? 何か気に障るコト言った?
「ハッキリ言いますけど霧谷さんはズルイです。なんで白滝さんと一緒に暮らしてるんですか! 羨ましい!」
「は?」
「白滝さんとずっといるなんてズルイ!」
「プッ、ウフフフ……。アハハハハハハハハ!」
「な、なんで笑うんですかーーー!」
アタシが腹を抱えて笑い始めると、戸惑った新菜さんが叫ぶ。
こんなアタシに嫉妬している新菜が可笑しくなる。
「大丈夫だよ、前に聞いたらアタシのこと好きじゃないみたい。アタシはティちゃんが好きなんだ」
「は!?」
今度は新菜が驚いて固まっている。
なんとかノロノロと動き始めた新菜に詳しく説明して安心してもらった。
帰りは魔法を使えないようで早足で白滝のマンションへと戻っていく。
土手には通行人がちらほらいたが誰もアタシたちのやっていたことに気がつかなかったようだ。
これも新菜が“結界”を張った影響なのだろう。実際、とても大したものだ。感心してしまう。
足を進めながら聞くと予想通り結界は周囲の遮断と対象の幽閉。強力な魔法の為に実行するには時間がかかり、術者は無防備になるのでアタシに足止めをお願いしたと。なるほど。
あの魔物が発射した物体も新菜が魔法の障壁で守ってくれたようだ。
今度のことで絶対に大谷教授には言えなくなったし、前に見えた残留思念の正体がわかった。
こんなの知ったら世界がひっくり返るにちがいない。
隣にいて早足で歩く美しい女性をちらりと見る。さっきの会話で耳が赤くなっていて恥ずかしそうだ。
他は誰であれ、少なくともアタシは彼女を応援しよう。いい加減、気づけ白滝!
◇ ◇ ◇
新菜さんと霧谷さんが魔物の元へ行ってしまったことで僕とティは手持ち無沙汰になってしまった。
しかたないのでリビングで待つことにした。
なぜかティがそわそわしている。チラチラ僕を見ているけど何かな?
「どうしたのティ?」
聞くと無言で僕の隣にくっついて座ってきた。なんだろ?
上目づかいでティが見つめてくる。
「ひ、久しぶりに二人きりだねシラ兄」
「あーそうだね」
「……甘えていい?」
「えっ? いや、いつも甘えてるけど?」
驚いて聞くと押し倒してきた。逃げようともがいたけど、ティは華奢な体なのにテコでも動かない。
「ちょ、ちょっとティ! ダメだって!」
「ボクもうガマンできないよー」
ティが甘えて言ってくるけど普通、立場逆じゃない? どちらにしても事案だよ!
「ガマンしてくれよ、新菜さんたちが戻ってくるよ?」
「今は二人だもん! いいよ! 勝手に甘えるからー!」
そう言うとティが抱きついてきた。引きはがそうとするけど、まったく動かない。
なんか首元でスンスン匂いをかいでるし、怖いよ!
「ダメだって!」
「大丈夫。優しくするから」
言っている意味がわからないよティ。頑張って抵抗するけど押さえつけられて無理。
この事案状態をどうしようと考えていたら、突然ティが素早く離れて正座していた。
なにごと? と起き上がると目の前に新菜さんと霧谷さんがいた……。
慌てて言い訳を始める。
「こ、これは僕からじゃなくて…」
「わかってますから。ティ、後で話しましょうね?」
「ハイ……」
新菜さんが僕の言葉をさえぎってティに言っている。うなだれて頷くティ。ホッ、助かった。
「さ、白滝さん。料理の続きをお願いします」
「ああ、そうだね。新菜さんと霧谷さんはケガとか大丈夫?」
「ええ。ご心配かけましたが、無事に魔物は退けました」
ニコリと報告してくれた新菜さん。僕は彼女を連れ立って台所へ向かった。
なんかリビングの方で霧谷さんとティが言い合っているようで騒がしい。
努めて無視をして新菜さんに料理の続きを教える。
一番大変な所は終わったから後は調理のみだ。あまり油断しないよう気を引き締めて新菜さんと向き合う。
ご飯を炒めてピラフ風に仕上げ、卵を何個か潰して焦げ付けさせたりしながらも教えていく。
最後になんとかオムライスを完成させた。
普通はチキンライスだけど、新菜さんがケチャップを盛大にまき散らしそうだったのでピラフ風に変更した。
出来た料理に感激した僕は新菜さんの両手を握って喜んだ。
照れて謙遜していた新菜さんも赤い顔で喜んでいた。
ふと時計を見ると午後八時。料理にかなりの時間を費やしていたようだ。額の汗をエプロンで拭った。
新菜さんと二人で盛りつけた皿を盛ってテーブルに置く。ティと霧谷さんが先に作っていたサラダも置き、各自ケチャップをオムライスにかけてからいただきますをした。
ゴクリと喉を鳴らして緊張した新菜さんがオムライスをひとすくいして口に運ぶ。
「あ、美味しいです! よかった~! ありがとうございます白滝さん!」
「はは、お役に立てて良かった」
満面の笑みでお礼を言われると照れてしまう。
新菜さんが頑張って作ったオムライスはとても美味しかった。苦労が報われた気がして僕も楽しくなってしまう。
ティと霧谷さんは無言でガッツいている。そうとうお腹が減っていたようだ。
霧谷さんが顔を上げると新菜さんにニヤリと親指を上げて褒めていて、新菜さんは微笑んで応えていた。
食後は僕がお茶を出して皆でくつろいだ。ティは新菜さんに寝室で説教されていたけど。
◇
「今日は本当にありがとうございました」
駅まで送っていく道すがら新菜さんがお礼を言ってきた。
「お役に立ててよかったよ。でも、まだこれからもやらないとね」
「そ、そうですね」
アハハと乾いた笑いを新菜さんが返す。
互いにスマホで料理サイトなどを紹介し合いながら通りを進んでいく。
新菜さんは自力で料理が作れたことで少しは自信が芽生えたようだ。
僕もレパートリーが少ないのでこれを機にチャレンジしてみるのもいいかもしれない。
マンションには食いしん坊が二人もいるし。
やがて駅に着き、いつかは決めてないけど、料理を教える約束をしてやり切った感のある新菜さんの笑顔とお別れした。
再び駅から自宅へと帰る。涼しい夜風が心地よい。けれでも今日は精神的に疲れた……。
早く帰ってお風呂に入ろう。
明日もあの笑顔に会えたらいいなと思いながら──




