二十七話 ティとダイエット
無事、引越しを終え、新しい部屋へと移った。
年数の経っているマンションで思ったより家賃は安い。場所も前のアパートより少し駅に近くなった。
元々荷物の少ない僕の部屋だったので越すのは楽にできた。
重い荷物はティに運んでもらったが、ベッドを一人で運ぶ姿はどう見ても不釣り合いだ。
霧谷さんにも手伝ってもらい引越しを終える。
部屋はマンションの三階。通りに面したベランダへ出ると道路を挟んだ反対側に別のマンションがある。
へぇ、やっぱり違うもんだなと眺めていると、反対側のマンションの部屋の窓が開いて誰かが出てくる。
僕に気がつくと手を振ってウインクしてきた。
ええ! 南さん!? そんなのってあるの?
するとスマホの呼び出し音が鳴る。
慌てて取り出し受ける。見ると南さんがスマホを持っていた。
『あら、偶然ね。それとも狙ってたの?』
「ち、違うから! 偶然だからね。すっかり君の事を忘れてた」
『ひどいわねぇ。あんなに忘れられない夜を過ごしたのに…』
「そっちは忘れてくれ! ゴメン、確かに軽率な言葉だった」
『まあいいわ。これからもよろしくね。ご近所さん』
──切れた。
南さんは薄く微笑むと手を振って部屋へ戻って行った。
……しまった。完全に失念していた。
そういえば前に南さんが言ってたことを思い出す。……遅いよね。
部屋に戻ろうと振り返ると霧谷さんが仁王立ちしていた。
「あれって元カノでしょ? ワザと?」
「南さんと同じこと言ってるし。ワザとじゃないし。偶然だよ」
「へぇ~。白滝って何気にモテるよね?」
「そ、そうかなぁ」
なんとなく褒められた気がして悪い気がしない。
怖い顔した霧谷さんがフンと鼻を鳴らすとリビングへと戻って行った。
しかし、心臓に悪い。まさか対面に南さんの部屋とは……。
さすが新しい部屋は家具が少ないので広々している。
さっそく二段ベッドを買ってティと霧谷さんの部屋に入れる予定だ。
ティは最近覚えたアニメの主題歌を歌って洗濯物を干している。
霧谷さんは壁に寄りかかりながら座ってスマホを見ていた。
「洗濯が終わったら買い物に行こうか?」
「わかったー!」
声をかけるとティが笑顔で了解する。
霧谷さんがスマホから顔を上げて聞いてくる。
「アタシも行っていい?」
「もちろん」
笑顔で答える。
いろいろ揃えないと。
◇
三人で電車に乗って出かける。
都心とは逆方向なので人が少ない。霧谷さんはホッとしているようだ。
目的の駅で降りると少し歩き、ホームセンター「ミトリ」に着く。
建物の正面に立ち、霧谷さんが聞いてくる。
「ここって、何買うの?」
「タンスとかベッドだけど。他に欲しい物があるの?」
「な、ないよ。っと、忘れてたけどこれ」
霧谷さんが茶封筒を差し出してきた。
「お金?」
「そう。泊めてもらってるから……。家賃の足しにして」
「気持ちだけでいいよ。そのお金はご両親に送るか、自分の為に貯金したら?」
「親には仕送りしてるし、これは仕事の報酬だから……。元は税金だし」
押し返していたが、霧谷さんの決意に折れていただく事にした。……後で貯金だな。
店内へ入り、二段ベッドやタンス、テーブルなどメモした間取りを見ながら決めていく。
ティや霧谷さんの希望があれば優先させた。
他に食器なども買い足していく。
会計を済ませ、大型のものは宅配便で送り、後は持ち帰る。
ホクホク顔のティは大きなクッションを抱えて電車に乗っている。
僕と霧谷さんも大きな袋を抱えてゆられていた。
「……なんか新婚さんみたいじゃない?」
「ええ!? いや、見えないからね。たぶん」
袋から僕を見上げた霧谷さんが笑う。どうも、からかわれたようだ。
「彼氏が欲しいなら誰か紹介するよ? 霧谷さんはかわいいからモテるよ、きっと」
「……今のままでいい」
霧谷さんがそう言うと、バフッと荷物の袋に顔をうずめた。耳が赤くなっている。
「ははは、そう?」
「そう……」
笑って聞くと小さな返事が来た。
最近は打ち解けてくれているので、気が楽だ。
のんびりと涼しい電車にゆられて帰っていく。
◇
マンションの自宅へ戻り、買ってきた物を整理してから休憩した。
霧谷さんはティを抱いて座っている。
お菓子をつまんでお茶を飲んでいるときに霧谷さんが何かに気がついて声を上げた。
「ティちゃん……太った?」
「んー。そうかなー?」
立ち上がったティが服をめくってお腹を出す。
自分から事案発生させないで! と、見て気がついた……。
丸いお腹がぽろんと出ている。
「見事なイカっ腹になってるよ……ティ」
「なにそれ?」
「ティちゃん、それだとブクブクに太っちゃうようよ?」
霧谷さんが言うと理解したらしく、ティがお腹をさする。
「ち、違うよ! ボクは太ってないよ! 今、お菓子食べたからだよー!」
「ウソ。このお腹! それに重くなった」
容赦ない霧谷さんのツッコミに青くなったティが僕に抱きついてきた。
「シラ兄! 怖い! ボクどうなっちゃうの!?」
「ははは。少し痩せた方がいいかもね。朝、一緒にジョギングしようか?」
「むううぅ! シラ兄の方が遅いし、運動にならないよーー」
抱きついたまま泣き出したティがナチュラルにダメ出しをしてきた。
なぜか僕の方がダメージを受けている。
仕方ないので新菜さんに相談してみることにした。生みの親だし。
連絡をとるとマンションに来ると言ってきた。
駅で待ち合わせでもいいと答えたが、何か責任を感じているようだ。
場所を教えて来るまで待つことにした。
◇
何故か新菜さんと南さんが目の前で座っている。
「引越祝いをしようと思って、帰りがけに恵利に会ったの。で、一緒に来たってわけ」
「そ、そうなんだ……」
南さんからお祝いを受け取った後、二人にお茶を出した。
新菜さんは心なし怒っている感じだ。ティが居心地悪そうに正座している。
「ティ……」
「はい!」
新菜さんの言葉に勢い返事するティ。
口元は笑っているけど目が怖い新菜さん。南さんはそれを見て苦笑している。
「主人を守るべき存在のあなたが、だらけきってしまうのはどういうことですか?」
「ごめんなさい!」
速攻謝るティ。もう、それしかないよね。なんとなくわかる。
しかし、新菜さんは微動だにせず射貫くように見つめている。……見ている方も緊張してきた。
「謝る相手は私ではありませんよ、ティ。それに白滝さん……」
「えっ!? 僕?」
「あたりまえです。正座!」
新菜さんの怒気をはらんだ声に慌てて崩していた足を正す。
「いいですか? そもそもこの原因を作ったのは白滝さんなんです。甘やかしてばっかりで──」
新菜さんの説教はしばらく続き、僕とティは小さくなって聞いていた。
説教がなんとか終わり、しきりに反省中な僕とティ。
南さんは笑っている。
「こんな姿を見てると、なるほどってなるわね」
「何がですか?」
ムッとした新菜さんが目を向けた。
「主席魔導士様って事。門下生にはこんな感じなんでしょ?」
「うーーっ。ち、違いますから!」
赤くなった新菜さんが否定しているけど、そうなんだろうなと同意見だ。
初対面の時のナインが今の僕の立場みたいだった。
そんな僕たちの様子を笑って見ていた霧谷さんのスマホが鳴り響く。
慌てて受ける霧谷さん。
「もしもし。……ええ、わかった。今行く」
電話を切ると霧谷さんは立ち上がって玄関に向かう。
ふと振り返る。
「すぐ戻って来る。お腹空いたからよろしくね」
一言いうと出て行った。出来れば僕も逃げだしたい……。
はーっとため息をついた新菜さんが僕たちに注目する。
「では、ティのダイエットについて考えましょう。いいですね?」
「「はい!」」
僕とティが元気に返事をする。
新菜さんの横で南さんはニコニコと僕たちを見ていた。
◇ ◇ ◇
「一体、何の用? 今日は調査はしないでしょ?」
慌てて向かった先は小さな公園。前に調査に訪れた場所だ。
大谷教授が汗を拭きつつベンチに座って待っていた。
「ああ、それとは別件だよ霧谷君。何でも引越したようだから」
「情報が早いね。今日、越したばかりなの」
大谷教授の隣に少し離れて座る。
取り出したペットボトルの水を含んで大谷教授がブランコを眺める。
「大丈夫なのかい? 親御さんに連絡したら心配いらないと言われてね。何かあるなと思ったんだ」
「……」
さすが教授だ、感が鋭い。大方、GPSで監視してたのだろうけど。
無理に嘘をつくと白滝たちに迷惑をかけるし、できればあそこから出たくない。
「白滝の調べはついてるんでしょ? あいつは何故か私のリーディングを受けつけないの。だから一緒にいて気が楽」
「再び聞くけど彼はサイキックなのか?」
低い声で大谷教授が聞いてくる。ずいぶんと警戒してる。
「いいえ。どうも体質みたい。アタシも初めての経験で戸惑ってたけど、今は大丈夫」
「なるほど。彼の素行調査をしたが特に問題は無かった。勤め先も健全だし、友人関係もシロ。……彼が好きになったわけじゃないんだね?」
「そんなの無い。それに白滝を狙ってる女がいるし。前カノと今、マンションにいるよ」
「は? どういう状況なんだ?」
驚いた大谷教授が目を丸くしている。
「アタシもわかんないよ。どうも、前カノがヨリを戻したいみたい」
「なんだそれ!? ずいぶんモテるな。写真ではそんなカッコよくは見えなかったが……羨ましい」
訝し気に大谷教授は呟く。
さすがに異世界人にモテモテとは言えない。そう思うと不思議な人間だ。
はーっと息を出した大谷教授は汗を拭きつつ立ち上がった。
「良かったよ。君に何かあれば、我々は大きな損失を被るところだった。一応、一安心だな」
「過大評価ね。アタシ以外にもいるんでしょ? どこの部署に所属してるかは知らないけど」
「ははは。機密事項だな、それは。でも、君は優秀だ。私としてはこの組織の要だと思っているよ」
「ありがと」
アタシのお礼に大谷教授が口元をゆがめた。
「少し素直になったね、いい傾向だ。白滝君はカウンセラーに向いているな」
「フフフ、かもね」
笑って答えると大谷教授は公園の出口に向かって歩き始めた。
アタシは立ち上がって黙って背中を見送った。
思った以上に仕事が早い。きっと箱波が動いたんだな。
しかし、前に土手で測定した結果以上の収穫は無かった。
怪物の破片や足跡など痕跡はキレイになくなっていた。今ならわかるが全て新菜がやったようだ。
魔法と聞いてもピンとこないが、それでも大きな力がある事がわかる。
しばらくは聞き込みやネットでの調査に当たるが、空振りに終わるだろう。
夏が終われば大学が始まる。
そうすれば組織の活動が制限されるからコントロールはたやすい。
たった三人しかいない組織の連絡は迅速だが、動きは鈍い。
汗が背中を伝うのがわかる。
そろそろ帰ろう。
どんな夕食かな? 南が持ってきたレジ袋の中に牛肉が見えたけど。
楽しみだ!




