二十三話 霧谷さんとトンカツ
「霧谷君。勝手に消えると困るのだけど」
「この町から消えないから大丈夫」
ギロリと大谷教授を見ると目を逸らして誤魔化している。
照り付ける太陽の下、今日も土手に来ている。
早く帰ってクーラーで涼しみつつティちゃんを抱っこしたい。
汗をハンカチで拭きながら大谷教授が尋ねる。
「一体何があったんだ?」
「……私のリーディングを受け付けない人間がいた」
大谷教授は首に当てたハンカチを止め目を見開く。
「まさか……サイキックか?」
「違う。普通じゃないけど、普通の人間」
まさか一人だけならまだしも、ゴロゴロいたなんて言えない。
言ったら大谷教授は倒れそうだ。
ホッと息を出した大谷教授は歩き始める。
「少し複雑だな。君以外にもいたら雇おうかと悩むところだ。予算がなぁ」
「楽したいから早く見つけて」
「そう言わないでくれよ霧谷君。今は君だけが頼りだからね」
服の中からタブレット端末を大谷教授が取り出し、前にアタシが残留思念を読み取った辺りに向けている。
疑問に思ってじーーーーっと見ていると気がついた大谷教授が得意げな顔をする。
「これは科学庁の所から借りてきた亜空間測定器だ。これで空間の歪みを測定する」
「ふ~ん」
自慢しているようだけど借り物ってのが悲しいよね。
しばらく付近を汗だくで測定して回っている。
やることないな……。土手の端っこで座って様子を見る。
しばらくボケーとしていると暑さで頭がクラクラしてきた。
熱中症かも。
ふと土手の先を見ると蜃気楼のようにゆらゆらと景色が漂っている。まるで砂漠だ。
その中に人影が二つ揺らいでいた。
あ!
立ち上がると二人が近づいてきている。なんで? ここにいるなんて教えてないのに……。
「あ! 霧谷姉ちゃんだよ」
「ほんとだ。なんでここにいるんだ?」
ティちゃんが手を振って白滝がビックリしている。こっちが言いたいわ。
のろのろと近づき手を振る。
「なんでここに白滝がいるの? ティちゃんは歓迎だよ!」
「なんでティだけ…? いや、いいか。たまたま散歩してただけだよ。偶然だね」
「ふーん、ホントかな?」
疑っているとティちゃんが白滝をフォローする。
「ホントだよー。ボクも一緒に散歩しているんだ! いいでしょ」
ニコニコとかわいいティちゃん。ああ、持って帰りたい。
「アタシはちょっと調べものなんだ」
「全然わからないけど、聞かないよ。僕たちは行くから、じゃあね」
微笑んだ白滝が焦り気味で先に行こうとする。ホントに怪しいよね、コイツ。
ティちゃんも再び手を振って白滝の隣についていく。いいなぁ。
あ、思い出した。離れていく白滝の背中に呼びかける。
「今日の晩飯はトンカツが食べたい! よろしくねーー!」
ぎこちなく振り返った白滝は苦笑して手を振った。
……ちゃんと聞いてたかな?
測定を終えたらしい大谷教授がやって来た。
「今のは誰だい? ま、まさかとは思うが彼氏?」
「全然違う。あの男がリーディングできないの。それで家に押しかけて泊ってる」
「は!?」
「何か?」
目を丸くして大谷教授が驚いている。そんな目で見ないで、アタシが悪いみたいじゃん。
ふうとため息をついた大谷教授が腰に手を当てる。
「まったく……ずいぶん身勝手なことを。しかし、彼もお人好しだな。見も知らずな君を泊めるなんて」
「ホントね。流されやすい人で良かった」
「……何もされてないよね?」
「されるわけないでしょ。それに、すごい美人の彼女がいるから困ってないよ」
「すごい美人……」
ゴクリと大谷教授が喉を鳴らす。妄想全開みたいね。
「変な想像しないで。ホテルでエッチなテレビを見てるって奥さんに言うよ?」
「……やめてください。本当にごめんなさい。言わないでもらえると助かります」
素直に大谷教授が謝ってくる。こっちも単純だから助かる。
一旦、ホテルに戻って記録した測定を調べるようだ。
汗を拭きつつ大谷教授と土手から離れていく。
はぁ、早くあのアパートに行きたいな。
◇ ◇ ◇
まさか土手で霧谷さんと出会うとは思わなった。
四十代ぐらいのスーツのおじさんが組織の人だったのだろうか? タブレットで風景を撮影していたようだけど。
挨拶しとけばよかったかな。
途中、コンビニに寄ってアイスを買い、ティと二人で食べながらアパートへ戻った。
少し休憩して買い物にでも出かけよう。
「シラ兄。また海に行きたいよー」
クローゼットから水着を出してティがアピールしている。そんな振り回してもすぐには行けないよ。
「海は遠くて難しいからプールに行く?」
「あっ! それいい! プールも行ってみたい!」
ティが喜んで両手を上げている。
しかしプールか……。頭の隅に彼女たちの顔が思い浮かぶ。
さ、誘ってみてもいいのかな? これだと下心が丸出しな気もする。
とりあえず少し涼んでから買い物に駅前へ出かけた。
なぜか今日は特に暑い。
炎天下を駅まで歩く。ティは元気だな、ずっとニコニコしている。
「ティ……何か良いことあった? 嬉しそうだけど」
「週末は人形に戻らなくていいから楽しいんだ! シラ兄とずっと一緒にいれるし」
そんな顔されると、普段通勤中は人形になってもらっているのが申し訳なくなる。
できればそのままでいて欲しいけど、さすがに会社に連れていくことができないし。
「いつもゴメン。窮屈な思いをさせて」
「や、やややめてよ! シラ兄が謝らないで! そもそもボクは人形のままでも文句ないんだから」
慌てたティが手を振って否定し始めた。顔が赤くなっている。
「でもさ、こうしているティの方がいいから…」
「だ、ダメだよ! そうやって甘くするからボクがワガママになちゃうんだからね!」
「あれ? わかっててワガママしてるの?」
「し、知らないよー! シラ兄のバカーーー!」
真っ赤なティがアワアワして叫ぶ。
ホントはどこかに逃げたいけど、使い魔で離れられないから僕の後ろに回って抱きついてきた。
「ははは、ごめん。いじわるだった?」
「バカーーー!」
僕の背中に叫んでも息が暑いだけだ。そんなに抱きついたら汗の臭いが移るよ。
そうこうしている内に駅前へ着き、目的のスーパー「南友」へ行く。
駅から近いこのスーパーは会社帰りでもよく利用している。
商店街もあるけど、夏は冷房の効いている「南友」が涼めて便利だ。
店内へ入ると一気に気温が下がる。はぁ~っと一息が漏れた。
結局、スーパーでは副菜用の野菜やプリンなどのおやつを買い、商店街へ寄ってお肉屋さんでトンカツを三枚、他の揚げ物を何点か買い、アパートへ帰った。
自分で作るのは味噌汁ぐらかな、野菜は切るだけだし。
元気の良かった太陽もじわじわと地平線へと落ちていく。そのため、幾分暑さも和らいできた。
プリンとおやつの入ったレジ袋を持ったティがニマニマしている。
それは食後に食べるからね? 帰ったらすぐに食べないから。
なんとなくおやつの危機を察してアパートへ戻ると、ドアの前に霧谷さんが待っていた。
「遅い! いつまで待たせてんの!」
「えっと、勝手に待っていたんじゃないかな?」
「いいから! 暑いから入れて!」
「はい、はい」
鍵を開け中へと入る。ついでクーラーをつけ、熱した部屋を冷ます。
何故、霧谷さんは僕に当たりが強いのだろうか? ティにはデレデレなのに。
なにか嫌われることをしたかなぁ……。思い当たる節が全くない。
台所へ行きレジ袋を置くと、麦茶を人数分出しておく。
冷蔵庫へ買った食材などを入れると座卓へ戻った。
◇ ◇ ◇
ホテルで大谷教授と分析を終えたアタシは白滝のアパートへ急いだ。
早くティちゃんに会って癒されたい! そればかりが頭を駆け巡る。
あの測定した土手の空間情報を解析した結果、一部に空間の歪みがあるのを発見した。
アタシにはわからないが大谷教授の言うには、このような空間は次元のはざまらしく、連続する時空帯で次元間の往来が可能となる部分のようだ。簡単に言うと、別世界への架け橋らしい。
今の技術だとアタシたちには扱えないようだが、稀に異界からの侵入があるらしい。
大谷教授が仕入れている情報には、そういった異界からの生物の記録があるようだ。
ということは今回も異界から生物が来たということなのだろう。
そして、それを打ち滅ぼした人たちがいる。
何者なの? 正義の味方? それとも怪しい組織の人?
二人で検討したがこれ以上は出てこないので今日は解散となった。
大谷教授は同じホテルに連泊するようだ。あの鼻の下を伸ばした感じだと、またスケベビデオの鑑賞会をするつもりのようだ。
ともかく、目的地へ走る。汗が止まらいがかまいはしない。癒しが欲しいから!
アタシより遅く帰って来た二人。
催促してアパートに入れてもらった。ホントは怒られて拒否されるかと思ったけどそんなことはなかった。
涼しくなった部屋で冷たい麦茶とティちゃん。はぁ~~、い、癒される……。
特に会話もなくテレビをつけてくつろぐ。
気を利かせた白滝がお菓子を少し持ってきて、アタシとティちゃんが手を出す。
白滝は部屋に置いてあるサボテンに水を少し入れ、手入れをしている。
それから本を取り出して読書を始めた。
なに? アタシへの気遣いゼロなわけ?
まあ、いいか。気楽だし。
なんだか触れても心が読めないから落ち着く。
お菓子をつまむために手を出してティちゃんの手に当たっても何ともない。これって、普通の事だけど、アタシにとっては驚きの事だ。
やがて白滝がスッと立ち上がって台所へ向かう。
なにか洗う音や包丁で切る音が聞こえてくる。
あ、夕食! ……いまさら手伝うのも気まずいな。
やがて料理を運んできた。ティちゃんが素早く立って「ボクもやるー」とか言いながら手伝いに行く。
二人で並べ終えると座り直す。
「夕飯だよ。それじゃあ、いただきます」「いっただきまーーす」「……」
白滝が手を合わせてティも続く。とりあえずアタシも手を合わせた。
料理はアタシが希望したトンカツだった。どこかで買ったものだろうか、大きい。
ホカホカのごはんに味噌汁とサラダ。シンプルだけどおいしそう。
さっそくティちゃんが肉にかぶりつき美味しそうにモグモグ食べている。
「ティ、ソースは?」
「んー。忘れてた」
白滝がティにソースを渡し、受け取ったティがトンカツにかけ、アタシに手渡す。
「……」
ソースをかけトンカツを一口食べる。衣はサクサクしててお肉はジューシー。美味しい!
「どう? 商店街にある肉屋さんのトンカツ。ここのは肉厚でうまいんだ」
ニコニコした白滝が話しかける。なによ……。
なによこれ、この団らん。
ピタリと箸が止まってしまった。
「ん? どうしたの……って、なんで泣いてるの?」
アタシに気がついた白滝が聞いてくる。
だめだ涙が止まらない。どうしようもないこの気持ち。一度、決壊したらダメになってしまった。
たまらなく嬉しい。アタシが普通にできる事が……。
目が覚めてから一日、他人の思考を読み取らないように気を使い、触れないようにビクビクする。
普段、つっけんどんな態度をしてあまり近寄らせないようにしているのもそのためだ。
誰もアタシの気持ちを理解してくれない。
当たり前だ。人の心が読めるだけで、理解してもらおうとしてなかった。
初めて触れても読めない人間に出会った。
その人は突然現れたアタシを避けず、他の人と同じように接してきた。最初は逃げたけど。
それでも追い出しもせず居させてくれる。
こんなに安心して人といるのは初めて。だから嬉しい。
だから、たまらなく泣きたくなってしまう。
自分の気持ちを知って欲しくて──
白滝はティッシュを何枚か渡してくれて、黙って待っていてくれた。
ティちゃんは不思議そうにアタシを見ながらモグモグとトンカツを食べている。
鼻をかんで涙を拭く。
思いを伝える為に意を決して震える唇を開いた。
「……アタシ、嬉しかったの、普通にしてくれて。こんなアタシに親切にしてくれて」
「そう。大変だったね」
涙目にぼやけた白滝が優しく微笑んで見える。なんなのよ……。
また涙が溢れてきた。
大好きなトンカツなのに……。
泣きながら冷めないうちに食べ始める。
──味は、ちょっとしょっぱかった。
お読みいただきありがとうございます。
今年最後の更新になります。
来年は二週目あたりからの再開予定です。
それでは皆様、良いお年を!




