第72話・無を望む神
魔王・デニスの突然の変化にタカオたちは動揺を隠すことができない。まるでしゃれこうべが笑うようにカカカカッと不気味な笑みを浮かべる。
「くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん、くだらん……!」
まるで壊れたテープレコーダーのように同じ言葉を吐き出しながら、デニスの身体から瘴気があふれ出す。それは非常に濃い瘴気のようで、手で口を覆っていないとすぐに当てられそうになる。
「そうやって貴様たちも、俺一人を囲ってボコボコにするんじゃないか……。そうやってぼくを、俺を、わレを……」
「おいおい、なんか様子がおかしいぜ? タカオさんよ」
タカオも状況を整理することで精一杯で、デニスに起こっている変化を読み取ることができない。最も事情が詳しいはずのクレアも困惑を隠せずにいる。
「みンな、このまま……。しんじゃえばイいんダ。ミんナ、しネばい、イ」
デニスの言葉はさらに滅茶苦茶になりながら、姿が徐々にアメーバ状となって形を保つことができなくなっていく。その途端に瘴気も一気に濃くなっていく。
そして、突然エヴァンの足元に穴が生まれ落下してしまう。
「エヴァン!」
彼に手を差し出しても遅かった。エヴァンはすぐ目の前から消え、次にターニャの足元にも穴ができて消えてしまう。
クレアだけは!
すぐにクレアへ飛ぶように命令する。すでに彼女は空へ逃げているも、空中に生まれたほの暗い穴から出てきた腕に捕まり、まるで捕食されるように穴へ吸い込まれていく。
タカオの周りから一瞬にして仲間が消え、残ったのは目の前のアメーバ・デニスと瘴気のみ。敵の前にも関わらず、膝から崩れてしまう。
「おまエ、ひト、り。クズなオ、マえ、ひとリ、ナニも、デ、きナい」
デニスの瘴気はどんどん広がり、デニス自身はスライムのようなアメーバ状に変質していく。瘴気は液体化して世界へ降り注ぎ、空のヒビもどんどん広がりを見せる。すでに外の世界がはっきり見え始めており、いよいよ混沌とした世界に変貌していく。
ヒビに気を取られていると、アメーバ・デニスはいよいよタカオの眼前まで近づいていた。そして、身体に触れて浸食を試みている。瘴気の影響か抵抗することができず、身体の中から「自分」がブロック崩しのように壊れていくように感じる。
「セかイ、ヒとツ。ア、めーバでひ、トつ。シをきョ、うユう。モう、だレ、もキ、ずツか、ナイ。シハイするヒとモ、サレるひトも、ナくナる」
すでに身体半分はアメーバ・デニスに捕らわれている。反撃しようと封印剣を握るも、魔法を使う力も出てこない。瘴気とアメーバの浸食は確実に進んでおり、この世界で体験した記憶も消えかけている。記憶と共に自分の存在意義も無くなり、ただ虚無感だけが広がっていく。
この感覚は現実世界と同じだった。やることなすこと否定され、誰からも肯定されない生活。まるで底の無い沼を必死に溺れないように泳ぐだけの生活で、何のために生きているかわからないあの感じ。
-もし、もがくことを止めればこのまま溺れて、俺は楽になるのだろうか……。
「みんナ、イっしョ、ダれモひテイしナいセかイ。いっしょ、いッシょ、イっしョ……」
そうか、みんな一緒なのか。……そうだな、赤信号もみんなで渡れば怖くないという。特定の人を非難するときも誰かと一緒なら安心だ。同じ映画を見て他人と同じ感想なら孤独を感じることもない……。
アメーバ・デニスは人類を統合しようとしているのかもしれない。もう誰とも衝突しない、いがみ合わなくていい世界。いっそのこと、それでもいいかもー。
ーあんた、ほんとダメリエイターね。
誰かの声が聞こえる。
ータカオさん、まだ終わってませんよ。
これは、誰の声だ?
ーしっかりしてくれよ、リーダー。
聞き覚えのある声たち。とても大事な声。もし、アメーバ・デニスが世界を統治したら、この声は聞けなくなるのだろうか。もしそうなら、この世界を否定する。いや、否定しなければいけない。
「?!???!」
声が響いてくることで、徐々に意識が戻ってくる。タカオの下半身はデジタル化し、半壊しているように見える。
アメーバ・デニスは「タカオ」という存在を異質と認定し、その存在を完全に抹消しようと試みる。その攻撃によって視界がふさがれ、意識も再び暗黒の中へ放り込まれてしまう。
暗黒の中、先ほど聞こえてきた声がまた響いてくる。しかし、今度は女の声だけだった。その声は俺を小ばかにするも、どこか懐かしかった。
その声に誘われるまま、タカオは歩き始めた。いつの間にか誰かが俺の手を握り、どんどん明るい方向へ導いていく。
ーほら、今回だけ私からのサービス。
タカオはこの台詞をどこかで聞いたことがあった。誰とこんな台詞、交わしたっけ?
ー今度はちゃんと自分から出しなさい。じゃないと私、あんたが死にそうでも置いて帰るから。
思い出してきた。
このやりとり、リューベックの浜辺で誰かと交わしたやりとり。思い出すと同時に暗黒の世界が浜辺に切り替わり、俺は誰かの手を握っていたのがわかる。しかし、つかんでいるのは透明人間の手なのか、手首から上の姿が見えない。
ーねえ、私たち一緒に現実世界に帰るんじゃないの。
そんなことを言ってた、気がする。
ークロス、ちゃんと返してよね。
この声、この約束、クロス……。
他の誰でもない。誰であってもいけない。俺の手を引く人間なんて、彼女しかいない。たった一人かもしれない……。いや、たった一人だけ、俺の手をちゃんと引いてくれる人がいるんだ。
首に掛けられたクロスを握り、思い出したその名を叫ぶ。
「クレア!」
「!!!」
アメーバ・デニスに捕らわれていた俺の身体は輝き始め、次々にアメーバを振り払っていく。光に包まれた俺の身体は白銀の鎧に包まれ、その姿はパラディンと呼ぶにふさわしい出で立ちに変化していく。
その変化にはじめてアメーバ・デニスはひるみ、後退していく。タカオは自分に起こった変化を確認する。全身を不思議なオーラが包み、白くなった髪は肩まで伸びている。
アメーバ・デニスはタカオを警戒しながら、自分の身体から液体を飛ばしてくる。それにはクリエイト魔法が施されており、触れたものをすべてアメーバに変質しているようだった。
タカオは封印剣をその手に呼び戻す。封印剣を手に取ると、シルビアが言っていた「フラガラッハ」という単語が浮かんでくる。どこか新鮮で、神々しい名前……。それがこの世界で伝説として残っているのであれば、クリエイトしてみせる!
ー伝説を求めし者よ、フラガラッハの名を告げよ。
タカオはこの世界に降り立ったときと同じように、頭に響く声に応える。すると、フォームチェンジの時と同じように、刀身の幅が狭い長剣へ封印剣が形を変えていく。剣は常に光を帯びており、さながら神具のようなオーラをまとっている。
「フラガラッハよ、我は命じる! この世を混沌に陥れようとする魔王を倒す力を与えよ!」
命令された剣は光だし、飛んでくるアメーバをいとも簡単に引き裂く。その光はアメーバ・デニスの戦意をそぎ落とし、何とか保っている顔らしい部分が歪んでいく。
「デニス! もう一度だけ言おう……。俺はあんたの世界を完全に否定する。そして、クレアと一緒に帰らせてもらう!」
タカオは最大限にクリエイトの力を引き出し、クロスを元にしてクレアをクリエイトし始める。




