第64話・人魚の指輪
人魚の尾ひれを手に入れたエヴァンの泳力は跳ね上がり、まるで自由に空を飛んでいるように海の中を移動し、すぐにキマイラの近くまで泳いでいく。剣を構えてキマイラの口に近づくも、まるでエヴァンが近づいてくるのを待っていたかのように目を覚ます。そして、急に頭を動かしてエヴァンに噛みつこうとする。
「エヴァン!」
船から見ていることしかできていないタカオとターニャは一斉に声を上げる。居ても立っても居られないクレアは再び翼を出して飛翔し、そのままエヴァンに近づいていく。しかし、リヴァイアサン以上の咆哮が海にさざ波を立てる。
「くうう!」
さすがのクレアも簡単に近づけず、タカオはすぐにジョニーへ船を出すように依頼する。
「ですがタカオさん! この船で近づいてもし壊れるようなことがあれば、あっしらはリューベックしかりエンジュにさえ帰れませんぜ」
「なにか小さい小舟は無いのか!」
「ありますが、あの化け物相手じゃすぐに転覆して、何もできませんよ……」
下唇を噛んでいる間にも、エヴァンは何とかキマイラと応戦する。しかし、ほぼ防戦一方で、彼の攻撃では効率的にダメージを与えることは敵わない。
「キシャアアアアアアアアア!」
攻撃を加えるエヴァンをあざ笑うように、キマイラは翼を使って巨体を浮かしていく。そして、その大きな尻尾で海をバチンと叩き、エヴァンは波にさらわれそうになる。しかし、その波を鯉のように上り、エヴァンはキマイラの顔まで近づく。そのまま彼は、大きく開いてある口へ飛び込んでしまった。
***
朦朧とする意識がはっきりしてくるも、辺りは薄暗く光がなかった。シルビアは自分の身に起こったことを冷静に思い出していく。
自分が意識を失う前に体験した出来事を思い出して、つい両手で肩を抱きしめてしまう。そして、今自分が置かれている状況を把握していくと、カチカチと歯まで鳴り出してしまう。
ーもしかして、あの巨大なモンスターの中?
まだ生きているけれど、このままただ死を待つだけ?
そんな悲しいことってある?
グラリと身体が揺れたかと思うと、周りは何かの液体で満ちているのがわかる。自分が座っていたのは、あの山頂で調査していた台座のようだ。この台座はまったく傷ついていなかったが、この生物の体内にある液体には敵わないのか、徐々に溶けているようだ。
シルビアは台座へ必至にしがみつくと、その台座に付いてあった装飾が取れてしまう。それにすがって何にもならないが、まるでお守りのようにそれを抱きしめる。もう助けもこないまま、妹のいるところに行ってしまうのだろうか……。
シルビアは半ば詰み状態の現状に、すでに頭の中には走馬燈が流れ始める。
「シルビアあああああああ!」
彼女が自分の半生と妹について回想をはじめようとしたときだった。粗野な声で自分の名前が反響していく。頭上を見てみると、男が落下してくるのが見える。ポチャン、と台座さえ溶かす液体に男は見事に浸かってしまう。
「ちょっとあなた! 早くこっちに来なさい」
シルビアは男を呼び寄せると、すぐに反応して近づいてくる。ぷはあと液体から出てきた顔を見ると、シルビアはうんざりしてしまう。仮面で目元こそ隠れていたものの、それがエヴァンだとすぐに気が付いた。
「シルビア、大丈夫か!」
「大丈夫って! あなた、それよりも早くここに上がりなさい」
「大丈夫だ。俺は今、不思議な力で守られているからよ」
「そういえば、あのタカオくんみたいに妙な姿に変わっているわね。……もしかして、彼は仲間にも精霊の力を宿すことができるの!?」
「詳しい話はあとだ。早くここから脱出するぞ」
「……どうやってよ」
シルビアの言葉にエヴァンはえ、と情けない声を出す。今までの緊張感が抜けて、彼女は全身から息が抜けていく感覚を覚える。
「あなた、本当にバカよね。何も考えずにここへ来たでしょ」
「考えずに来て何が悪いんだよ。すぐに助けないと、また……」
また、とそれ以上に言葉を続けようとしなかった。そんな姿を見て、シルビアはオリビアが言っていたことを思い出す。
ー本当にエヴァンは、純粋な人なんだよ。だからときどき面倒だけど、ときどき面白いんだ。
「ふふっ……」
「なに笑ってんだよ?」
「いいえ。どうしようもないこと思い出したから」
「思い出にふけってる場合かよ」
「でも、どうしようもないんでしょ? だったら最後くらい、いいことを思い出したいじゃない」
「バカ、何言ってんだよ!」
ヘタヘタと座り込んでいるシルビアの肩を、エヴァンはガシッとつかむ。この危機的状況でも、彼は本当に希望を捨てていない。それは彼の目を見れば一目瞭然だった。その目は彼自身の魅力でもあるが、どこかオリビアのものと同じようにも見えた。
「何かある! なにか……」
エヴァンが必死に突破口を考えていると、彼の周りがぼんやりと光り始める。徐に腕を上げると、エヴァンが付けていた指輪が発光源だった。
ーお姉ちゃん。
「……オリビア、オリビアなの!」
指輪の光には触れず、急に頭に声が響いてきた声にシルビアが答える。その声はオリビアのもので、シルビアだけでなくエヴァンにも聞こえていた。シルビアは何度も彼女の名前を叫びながら、ついキョロキョロと辺りを探し始める。
ー諦めないで。お姉ちゃんの知識もあれば絶対に助かるから。
オリビアの声が消えると、指輪がさらにまばゆく輝き始める。彼女はやっとエヴァンの指輪に注目し、その形をみて驚きの声を上げる。
「その指輪、もしかして……。人魚の指輪!?」
「知ってるのか、シルビア!」
「人魚が本当に心を開いた人間に渡すと言われている指輪よ。でも、なんでアンタがそんなものを……」
「……この戦いが終わったら、ちゃんと話す。今度は聞いてくれるか?」
エヴァンは真っ直ぐにシルビアを見る。その言葉には嘘偽りは感じられない。オリビアが言っていたように、本当に純粋な人間なのだ。シルビアははじめて、目の前にいる男が信頼に値する人間だと思い始める。
「……あなた、その指輪の使い方を知っているの?」
「使い方って……。意識して使ったことねえし、勝手に発動してたというか」
「これだから脳筋は困るわね」
「ずいぶんな言いようだな」
「その指輪はね、人魚一人の魂が形となった装飾品。その魂は海の女王・アムピトリテへと昇華し、指輪にはそれと同等の力が備わると言われているの」
「そんなにすごい指輪だったのか……」
「それが本当に人魚の指輪ならば、突破口になるわ」
「どうすればいい?」
「簡単よ」
シルビアはエヴァンの指輪に手を伸ばしながら、何かを口ずさみ始める。すると、指輪から溢れんばかりの光が零れ始め、徐々に形を変えてトライデントへ変貌していく。
「知ってるでしょ、人魚との意思疎通の取り方。一緒に歌えばいいのよ」




