第2話・逃亡が招いた現状
「タカオさん、まだですか~?」
クレアは明らかに飽きている。それは2Dのドット絵でもわかる。顔が見えなくても、姿勢が変わっていなくても、ただその場で足だけ動かしている姿であったとしても伝わってくる。さきほどからタカオの手は発光したりしなかったりと切れかけの電球のように明滅をくり返していた。
「はやく私の姿、クリエイトしてくださいよぉ」
「だったら、コツとは教えてくれよ。魔法なんてわかんねぇよ」
「なんですか、さっきは勇んで『おっしゃぁ』とか言ってたのに。はったりなわけですか?」
この神官、スキル「煽る」しか持っていないのか。タカオが思うゲームのヒロインというのは清楚で可憐でおしとやかで、主人公をどのような状況でも支えてくれる天使のような存在……。
しかし、目の前のペラペラ女は胸だけじゃなくて性格もぺらいのか、一向にクリエイトに関することを教えなかった。
「はやく私を変えてくれないと、冒険に旅立てませんよ~」
「ちょっと待て。今までやってきた人間にできた奴いるのかよ?」
「さぁ、どうですかねぇ~?」
「どうせお前がちゃんと教えることができず、みんな強制送還にでもなったんじゃないのか?」
クレアはしばらく沈黙を守っていた、先ほどまでの威勢がウソのように。
「な、なんだよ」
「ほら、早くクリエイトしなさいよ。クズエイター」
「くっ、クズ!?」
「クズという言葉さえもったいないですよ。もしかして、ロクに女と付き合ったことないんじゃないですか~? だから私ごときの姿も想像できず、お困りなんじゃないですか?」
クレアはさらっとながら、グサリとくる一撃をお見舞いしてくる。
しかし、その通りだ。
タカオは冴えない青春を送り、さらに現実でも引きこもりな生活を送っている。仕事柄かどんどん人と話す回数も少なくなり、現実世界ではメール越しで人と電子的やり取りを行うだけ。ゲーム内の世界とはいえ、女性と会話したのが久方ぶりなのは否めない。
「うるせぇな。もうお前なんてクリエイトできなくていいよ。とっとと外の世界に飛び出してやる」
「ちょっ、それはマジでおすすめできないんですけど!」
「なんでだよ。どうせ敵もお前みたいにペラペラなんだろ。それに、RPGやアクションゲームでも、はじめに訪れる場所には弱い敵が出てくるものだと相場が決まってる」
クレアの言うことを聞かず、彼女が通って来た道を通ってタカオは外に出てみる。外の世界は2Dなどではなく、はじめて降り立った神殿と同じく3Dの世界だった。見たことのない平原が目の前に広がっており、何日歩けば次の街に行きつけるのかわからなかった。
「なんだ、外はちゃんとしてるじゃないか」
神殿から大きな一歩を踏み出そうとするが、自分をまるまる覆うほどの影が地面に映り出す。恐る恐る神殿の上のほうへ視線をずらす。そこには、今までに見たことがないほど大きなトカゲがそびえたっていた。いや、あの生物はゲームで言うところの「ドラゴン」ではないだろうか。
タカオが叫ぶ前に、ドラゴンは炎を吐いてくる。その炎は本物で、その場からすぐに移動していなければ全身が丸焦げになっていただろう。
「バカ! 外はダメって言ったじゃない!」
神殿の入口にクレアが立っているのが見えた。タカオは急いで神殿の入口に戻ろうとしたが、ドラゴンはそんな彼を逃がしはしなかった。神殿から降りてきたドラゴンは四つん這いになり、ドシドシと地面を揺らしながら追いかけてくる。
「ダメです、逃げて!」
「ゲーム的にも、この状況的にも逃げられんだろ!」
ゲーム的お約束と考えれば、ボスに見えるドラゴンから逃げられるとは思えない。それに、女の子を置いて逃げるなんて出来なかった。タカオはドラゴンの攻撃をなんとか避けながらも、なんとかクレアのいる神殿を目指す。
「早く逃げて! あんたゲームオーバーになってもいいわけ!」
逃げる、その一言は戦闘中にも関わらずクリアに耳の中で響き、足を拘束する。クレアの言葉によって生まれた隙を付かれ、鞭のようにしなるドラゴンの尻尾によってタカオの体が吹き飛ばされる。神殿側に身体は飛ばされ、壁に衝突すると共に鈍い音を立てる。
-逃げるな、対話せよ。それこそが生き残る方法なり。
今まで経験したことのない激痛の中、頭の中に声が届いてくる。
逃げてなんていない。ロクな仕事がないだけで、ちゃんとライターとして報酬を得ている。大学に行ったって奨学金という借金が増えるだけなのに、どうして通う必要があるんだ。逃げてなんていない。ただ、生きるための方法を探しているだけだ!
「……っと、タカオ! 早く起きなさい」
幻聴って割とくっきりと聞こえるのだな……。天国へのいざない人かと思ったが、クレアが神殿の入口からちょうど半分だけ身体を出し、自分に声を掛けてきていたようだった。しかし、すでに息も絶え絶えで、答える余裕もなかった。
「あんた、なんで逃げなかったのよ!」
「なんで、だろうなあ……」
「私のことなんていいから、早く逃げなさいよ!」
タカオは答えず、プルプルと手を震わせながらクレアに手を差し出す。なんとか一緒に、と口を動かすも、クレアは何も答えなかった。何も反応しない彼女を見つめていると、ドット絵のはずなのに胸を詰まらせたような顔に見えてくる。
一向に逃げる様子を見せないタカオに、まるでクレアはいら立っているように逃げなさい、と声を荒げる。それでもタカオは拒絶し続ける。
現実世界に居場所なんてなかった。だが、ここなら何かあるかもしれない。そう思って俺はクリックした。
-逃げるな、対話せよ。それこそが生き残る方法なり。
また頭に声が響き渡ってくる。逃げるつもりなんてない。どうせこの世界で逃げ続けても、行くアテなんてない。今ここで彼女の手をつかまないと、この先もずっと何もつかめない。そんな予感がする。
タカオはまたクレアに逃げようと手を伸ばす。折れる様子のないタカオを見て、ついてにクレアは本音を漏らした。
「……出られないんです」