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第7話 消息



「う、う、・・うわあっ!・・」

 金森勇一は意識を取り戻した。事故から二日経っている。

 この二日間、金森はただ静かに眠っていたわけではなかった。ずっと恐ろしい悪夢を見ていたような気がする。夢の常として目覚めてからその内容を具体的に思い出すことはできない。しかし、そもそも説明しようとしても説明できない、具体的でありながら抽象的な夢だったような気がする。まさに悪夢的なイメージの連続という感じだった。

 金森はそれを陰からただじっと見ていた。だから生還できた。理解できないその光景を、ただただ怯えて、震えて、隠れて見ていたのだ。

 あ・・、またやられた・・・、と。

 何が何に「やられた」のか、まるで思い出せない。思い出したら、

『俺もあそこへ連れていかれる・・』

 と、本能が思い出すのを強烈に拒否している。

『あれは誰だったのか?・・』

 金森はブルブル震えて思考にブレーキを掛けた。関係ない、俺は関係ないんだ、と。

 金森は五十嵐大学付属病院に入院していた。重症患者専用の個室に入っている。マンガみたいに包帯をグルグル巻きにされた右脚が上から器具で吊られている。腰もガッチリ石膏で固められている。複雑骨折だ、まさに絵に描いたような絶対安静だ。目覚めて、命が助かったと分かってすぐに今度は立って歩けるようになるのか?という不安に悩まされることになった。

 くそう・・、なんでこんなことになってしまったんだ?

 事故の瞬間、あっ、と思った。誰かに突き飛ばされたのだ。あっ、と思った次の瞬間には車に跳ね飛ばされていた。激痛。衝撃。後は覚えていない。

 さっきお巡りさんが来て話を聞かれた。誰かに突き飛ばされたと言ったら変な顔をされた。そんな目撃報告はない、君は自分でフラフラ道路に飛び出てきたんだよ、と。そんな馬鹿な、と思ったが、言われてみると自信がない。

 そうだったかも知れない。暑さで頭をやられていたのだ。そうだ、その前にも誰かの気配を感じて振り返ったが誰もいなかった。植え込みの影に隠れていたと考えられないことはないが、誰がそんな子どもみたいな真似をする? もし自分を突き飛ばす気で潜んでいたのならあり得るが・・・

 金森はブルルッと震えた。なんだかひどく嫌なイメージが浮かんだ。夢だ。誰かが走ってきて・・・・・・

 やめろやめろやめろ!

 思い出すな!

 全身がびっしょり汗で濡れた。病室はクーラーが抑えられているのかけっこう暑い。

 金森は吸い飲みから少量の白湯を飲んだ。思いっきり冷たい水をがぶ飲みしたかったが、医者からしばらく水分は控えるように言われている。

 はあー・・とため息をついて半分ブラインドの閉められた窓を見た。3階だ。学校の校舎が見えた。小学校だ。先生になる夢はどうなるんだろう? 先生になってかわいい子どもたちと触れ合いたかったなあ・・。俺の人生どうなるんだろう?・・・・

 ふと・・、

 ベッドの足元の奥、視線の端に影が映った。

 ゴクリと喉が鳴った。汗が瞬間的に引いていく。全身に鳥肌が立っている。ブルブル震えがわき上がってくる。ゆっくり、顔を振り向かせた。

 ・・・・・・・・・・・・。

 金森は驚愕し、脳髄と全身に強烈なしびれが走った。開いた顎が震えて悲鳴も上がらない。

 バケモノが立っていた。

 あのぬらぬらした風船のように膨れ上がったバケモノの顔だ。

「だ・・だ・・だ・・」

 歯をカチカチ言わせてやっと言った。

「誰だ?・・・・・・」

 誰のいたずらだ? 金森はそう思いたかった。そうだ、5年前自分たちがやったいたずらだ。バケモノの顔の下はピンクのストライプのシャツにタイトスカートのOLスタイルだ。体は明らかに女だ。

「誰だ?・・・」

 女? 女の、誰が、こんな馬鹿ないたずらをする? 病院のセキュリティーというのはどうなっているんだ?

 女の両腕がゆっくり上がって、足を踏み出した。

「カ・ネ・モ・リ・・・・」

「ううわわわわああああっ!」

 女のスカートの腿がベッドに当たってドサッと倒れ込んできた。左足に乗った女の重みを感じる。

「カ・ネ・モ・リ・・・・」

 吊った右脚の向こうからバケモノの顔が覗いてくる。腕を突き出し、ズルリ、ベッドに乗り上げてくる。

「うわ、うわ、」

 ズルリ、ズルリ、石膏で固めた腰の上に手をついて乗ってきた。ミシリ。

「ぎゃああああああっ!」

 体がバラバラになる激痛を感じた。現実だ。夢じゃない。

「うおおっ、ちくしょうっ!」

 死に直結する激痛に金森は一瞬恐怖を忘れて怒りの反撃に転じた。バケモノのマスクを掴んで引きちぎろうとした。ヌルリ。

「ウガアアッ!」

 バケモノは怒りの形相になって尖った無数の歯で金森の人差し指に噛みついた。ブツブツブツ。無数の針が指を突き刺した。

「ぎゃあああああっ!」

 またも激痛に金森は悲鳴を上げた。この痛み、このリアルな怒りの形相、これは、本物だ!

「ぎゃあああっ、ちくしょうっ!!!」

 金森は横殴りにバケモノを叩き落とした。同時に自分も床に転げ落ちた。足を吊った器具が跳ね上がり、心電図のコードと点滴のチューブが宙に躍った。

「ぎゃああああっ!」

 絶対安静の身だ。目から涙が迸った。

「ガアアッ」

「ちくしょう、放せっ!」

 追いすがるバケモノを振り払い、金森はドアに向かって這った。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。涙が溢れ、涎が滴った。頭の芯が沸騰したように熱い。生存への意志が全ての感情を忘れさせた。ガラリとドアを引いて廊下へ転げ出る。

 驚いた看護婦が掛けてきて金森に手を差しのばした。

「ドウシマシタ?」

 バケモノだった。

「うわっ、うわっ、放せっ!」

 金森は泣きながら子どもがイヤイヤするように手を振り回した。

「う・ああ・・・」

 下半身が変だ。痛みの変わりに冷たい水気を感じる。死んだ、と思った。神経が。もう駄目だ、俺はもう一生立ち上がることは出来ない。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。

「カネモリサン、ドウサレマシタ?」

「カネモリサン」

 バケモノ顔の看護婦に仲間が駆けつけ、病室からバケモノ顔のOLが這い出してきた。

「カネモリー・・・」

「くっそおおー・・」

 それでも金森は生きようとした。暴れ回り、汗を滴らせながら腕で這って進んだ。何度も背中から手が邪魔をした。放せ、放せ、放せ! 這って、這って、前からもバケモノの仲間がやってきて金森の行く手を阻んだ。

「カネモリサン」

「カネモリサン」

「カネモリサン」

「カネモリサン」

「カネモリサン」

「カネモリサン」

「カネモリサン」

 手が、金森を押さえつけた。ヌルヌルのバケモノ顔が金森を覗き込み、笑った。

「金森さん」

 金森はブルブル痙攣しながら、じっと女を見つめた。

「・・嶋村・・サナちゃん・・・・」

 女は笑った。

「金森さん。だいじょうぶですよ、さ、モドリマショウネ」

 金森も笑った。涙が頬を流れた。

「俺は・・悪く・・な・い・・・・・・」

 目がうつろとなり、顎がだらんと開き、耳の穴から赤黒い血が滴り落ちた。

 金森は行ってしまった、精神が、忘却の彼方へ。もう二度と、帰っては来ない・・・・。




 馬木が自宅に帰るとちょうど松岡から電話があった。すぐに学校に来いと言う。冗談じゃないと思った。馬木のマンションから学校まで30分かかる。もう疲れた。しかし松岡は強引に「来いよ!」と命令して電話を切ってしまった。なんなんだ? しょうがない、行かざるをえない。

 また汗を流してヒイヒイ言いながら学校に舞い戻った。松岡は駐輪場で待っていた。

「なーんなんだよー?・・」

 馬木はへとへとだった。

「やる」

 また何か突きだした。小さなカードだ。

「えーと・・、SDカードか? 俺リーダー持ってないぞ」

「由利先生に借りればいいだろ」

 ぶっきらぼうに言った。なんだかひどくごきげん斜めだ。

「やるってどういうことだよ? 大事なデジカメの記録メディアだろ? これ、かなり高いんだろ?」

「もういらねえ。カメラはさっき中古屋に売ってきた。もうしばらくはカメラはやらねえ」

 馬木はビックリした。カメラ小僧の松岡が宝物のカメラを手放すなどあり得ない。

「どうしたんだよ? 何かあったのか?」

「ああ、あったよ。何があったかは、その中身を見ろ。もっとも写ってるかどうか分からねえがな。俺は、絶対に見ない」

「何が写ってるんだよ?」

 馬木は持っているのも気持ち悪くなった。松岡は質問には答えず、言った。

「映画のカメラマンの件もなしだ。俺は映研をやめる。おまえらとの付き合いはこれっきりだ」

「いきなりなんだよ?」

 こんな奴でも抜けられると困る。存続問題だ。また無視して言った。

「おまえ、本気で桜野を捜す気か?」

「もちろん、・・・そのつもりだ・・・・」

「だったらなあ、覚悟しろよ。おまえも、本気でやべえぞ」

 向こうの方に見える駐車場にきったないカローラが入ってきた。由利先生だ。

「じゃあな。あいつらにも言っておけ、命が惜しければさっさとこの件から手を引けってな。・・・・金森先輩は、多分もう駄目だぜ」

「な・・、どういうことだよ?」

 松岡はムッツリしたまま自転車にまたがり行ってしまった。

「・・怯えているのか?・・・・」

 逃げるような後ろ姿がそう見えた。

 由利先生と角谷がやってきた。

「あれ、松岡君でしょ? どうしたの?」

 馬木は由利先生にSDカードを渡そうとして、はっと手を止めた。これを先生に見せてしまってもいいのか? しかし先生は素早く馬木の手からSDカードを奪い取った。

「SDカード?」

 馬木はあきらめて言った。

「松岡のやつ映研をやめるそうです。理由は、どうやらその中にあるようです」

「?」

 由利先生はSDカードを眺めて、まあ眺めても中身は分からないのでカバンにしまった。

「あいつ、金森先輩はもう駄目だろうって・・」

 携帯で病院に確認を取るかと思ったら、由利先生は「そう」と言ったきりだった。

「ところで先生たち、今帰ってきたんですか? ずいぶん遅かったですね?」

 もう4時だ。お気に入りの角谷と二人でドライブでもしてきたのかと思ったら、どうも角谷は元気がない。

「吉田先生のお宅は巻町よ。片道1時間よ。それに話し好きの人でねえ、たーっぷり郷土の歴史を勉強させられたわ。そっちはどう?何か分かったの?」

「分かったと言えば分かったような・・」

 あんまりしゃべりたくないような・・・

「どうする?報告会する? 喉乾いちゃったから、ファミレスでコーヒーくらい奢るけど?」

「ええ。そりゃあ是非」


 というわけで、先生の車で近くのファミレスを目指した。馬木の報告は車の中で済ませた。母親にビデオを見てもらってあの少女が葉子であることを確認した。後は・・いいだろう。他人に聞かせる話ではない。由利先生も角谷も何も訊かなかった。

 ファミレスでさっさとコーヒーを頼んで居座り体勢を作りつつ、由利先生は自分だけフルーツパフェを注文した。

「先生〜、もう夕飯前ですよ?」

 先生はクリームたっぷりのパフェを食べつつ、

「いいのいいの。どーせ夕飯なんてビールとおつまみでおしまいだから」

 と、若い独身女性の生態を披露した。将来の生活習慣病が思いっきり心配だ。

「でね、」

 と、唇のクリームをペロリと舐めつつ言う。

「桜野家の話だけど、今は会社経営で成功しているけれど、昔っからの大金持ちで、まあこんな田舎の大金持ちって言うと、田畑山林の土地持ちか、海の網元なわけよ。で、桜野家は網元の方」

「あみもとってなんです?」

 魚市場や旅館の名前でよく聞くが。

「漁に使う網の持ち主よ」

「網の持ち主が大金持ちなんですか?」

「そうよー、網って高いのよー。それに網って言うのはその海で漁をする権利と同じ意味でね。農家で言う地主と小作人の関係といっしょよ。網元は経営者で、雇い人である漁師たちを使って大儲けをしていたわけよ。それで青山市の海一帯を牛耳っていたのが桜野一族だったわけ。

 でもまあそれは昔の話。戦後の農地解放同様、網元もいつまでもその地位にふんぞり返っていることはできなくなって、市場を開いたり、旅館を営業したりして、事業に移行していったわけね。親分さんだからねえ、商才がなく没落していった網元も多いでしょう。その点桜野家の先代は才能があったんでしょうね、戦前から輸送から建築まで港湾関係の仕事でガッチリ基盤を作って、戦後の高度成長期には工業団地を開いて富を前にも増して倍増したそうよ」

 なるほど、かなりの大人物で地元経済への影響力は相当にあるだろう。

「そんなわけで桜野家は現在も県で十指に入る大資産家なのね。現在事業の中心は海外貿易になっているようね。でも、以前と比べるとだいぶ評判は落ちているようねえー・・・。現在の当主がもう80過ぎで、跡取りがねー・・、評判良くないみたい」

 馬木は言わないが、葉子の母の二人の兄の評判は外でもかなり悪いようだ。

「下手をすると三代で身代を潰す・・、ってことにもなりかねないわね」

「相当の資産なんでしょ?」

「大型倒産なんてやっちゃったら一気に傾いちゃうんじゃない? 完全に一族支配の経営みたいだから」

 驕れる者も久しからず。桜野家の行く末も暗雲が漂っているようだ。葉子のお母さんに無理やりでも跡取りを生ませたかった父親の気持ちもまあ・・・ほんの少しだけ分かる気がする。

「ところでね、これはあくまで噂だから、と吉田先生が冗談交じりに笑って話してくれたんだけど、そもそも桜野家がこれだけ栄えたのは人魚のおかげなんですって」

「人魚? 人魚姫の?」

「そんなかわいいものじゃないみたいよ。人魚のミイラって見たことある?」

 もちろん実物は見たことないが、テレビで見たことはある。

「グロテスクだったでしょ?」

 そうだ、まるで猿の干物みたいだった。実際あれは猿だのなんだのの動物と魚をくっつけた作り物で、博物学作家のA先生によると江戸末期に世界貿易の輸出品としてせっせと作られていたらしい。

「だからね、人魚って言うと、昔の日本人にとってはそういうグロテスクなバケモノのイメージなわけよ」

「なーるほど。で、桜野家がその人魚をどうしたんです?」

「漁の網にかかって引き上げたんですって。それを連れ帰って、神様としてお祀りしたんだそうよ」

「生きていたんですか?」

「船に引き上げたときには生きていたけれど、浜に着く頃には真っ黒になって固まっちゃったそうよ」

「どんな姿だったんです?」

「手足の生えた魚だったそうよ。顔が丸く大きくて、赤ん坊みたいだったって。深海魚の一種だったんじゃないかって先生はおっしゃってたけどね」

「大きさは?」

「さあ?そこまでは」

「で、それをお祀りしてから桜野家は栄えるようになった?」

「という話よ。しけで他が不漁の時でも桜野家の船だけは大漁だった、とかね」

「ふうーん・・、なんか釈然としませんね。釣り上げちゃったから死んじゃったんでしょ? 殺しておいて神様としてお祀りしたからって、御利益なんてあるんですか?」

「日本の神様なんてみんなそうよ。学問の神菅原道真だって権力争いで都から追放して、死んじゃってから祟りが怖いので神様に祭り上げて、今じゃポピュラーな学問の神様として慕われているってわけだもの」

「なんか現金ですねえー」

「いかにも、なんでもまあまあ、の日本人ぽいわよねー。

 ところで、神様は人魚なわけよ。人魚の肉が不老不死の薬っていうのは知ってる?」

「ああ、マンガで読みました」

 郷土の誇る女流漫画家T大先生の作品だ。

「あのマンガでも人魚はグロテスクに描かれてましたねー」

「その人魚の肉についても伝説があるのよ」

「でもその人魚は真っ黒になって固まっちゃったんでしょ?」

「関係ないわ。そもそもミイラって薬として売られていたのよ。漢方薬だって蛇の干物だのイモリの黒焼きだのあるでしょう?」

「ああ、そうか。じゃあ、食べちゃったんですか?」

「畏れ多いわよねー。で、怖いからね、桜野家の当主は自分では食べないで、雇いの漁師に騙して食べさせちゃったんだって。もちろんほんの少しね、もったいないから。ところが、食べさせられた漁師は魚に変身しちゃって、しょうがないので海に放してやったんですって」

「ふうーん。それで?」

「それだけ。人魚の肉の話はそれでお終い」

「なーんだ。いかにも昔話って感じですねえ」

「そうね。でもお、どう? 関係ありそうじゃない?」

「何が?」

「変身しちゃうのよ?魚に?」

「だから?」

「あなた、あのバケモノの顔が何に見えた?」

「?・・。あ・・・・」

 ね?と由利先生は首を傾げた。ビデオに登場するバケモノの顔、そしてそれにそっくりな実際に変身してしまった女性たちの膨れ上がった顔。

「魚・・、それも深海魚みたいなヌルヌルした気持ち悪い顔・・ですねえ?・・」

「でしょー?」

「じゃあ、この事件はその人魚の祟りなんでしょうか?」

「もしかしたら、そうかもねー」

「その人魚は、今は?」

「さあ?行方不明。もともと桜野家だけの守り神だから家の敷地内のどこかにひっそり隠して祀っていたらしいわ。だからもともと外の人間には公開されていないし、今現在あるのかないのか、ぜーんぜん分からないわ」

「桜野家の家はどこにあるんです?」

「東の、久保田町よ。お寺みたいに白壁を巡らせて大っきな松の木が生えているお屋敷よ」

「ああ、あれ。ほんと、寺かと思ってた」

「でももともとはもっと西、関屋町、つまり、例のあの辺りが出身なんですって」

「例の、家・・・・」

「そ。あそこだけ個人の土地になっていて変に思ったわよね? で、吉田先生に訊いたら、青山市の海岸で本格的に防砂林が整備されるようになったのは今から150年前、江戸時代末期のことなんですって」

「じゃ、その頃からずっとあそこは桜野家の土地のまま?」

「そうなんでしょうね。もっとも家はもっと内陸に大きなものを建てていたんでしょうけれど。だからあそこは船小屋か、ちょっと海からは離れているから網小屋だったんじゃないかっておっしゃってたわ」

「ふうーん。でもなおさら変ですね? たかが船小屋や網小屋ならちょっと場所を移動するくらいなんともないじゃありませんか?」

「そうよねえ。しかも、あそこはけっこう高台になっているでしょ? もっと後になって土地を盛り上げてから林を整備したと思うのよ。それにも関わらずずーっと桜野家が土地を維持し続けているとなると・・」

「桜野家にとってよほど大切な土地・・ということですね?」

「そうね」

「でもその割にはあんななんのために建てたんだか分からない小さな家が一軒きりで放ったらかしにしているんだから、どうでもいいって感じですよね?」

「そうね。桜野家にとってあの土地を持っていることそのものに意味があるのか、それともあるいは、誰かにあの土地を譲って掘り返されては拙い物でも埋めているのか・・・」

「でも、土地そのものは後から土を盛っているわけでしょ?今さら誰かが少しくらい掘り返しても変わらないと思うけどなあ?・・」

「じゃやっぱり大切な土地ってことになるかしら?」

「ですよねえ?・・

 あの家の閉ざされた部屋ってのは・・なんだったんでしょう?」

 馬木は思い出してまた身震いした。

「さあ? 吉田先生もそこまではご存じじゃないわ。ただ古い住宅地図を調べてくださって」

 由利先生は、えーと、と手帳を開いた。

「昭和36年・・というと1961年、今から45年前には寺田という人が住んでいて、69年には空き家になって、73年、33年前から、77年、29年前まで千鳥という人が住んでいて、78年、28年前以降はずっと空き家になっているそうよ」

 数字がいっぱいで頭が追いつかないが、気になるのは33年前、葉子の母が生まれた年から4年間住んでいた千鳥という人物か・・。そういえば、

「そういえば、あそこはやっぱり桜野家の土地に間違いないんですか?」

 葉子の母はあの土地と家に関してはまるで知らないようだった。

「ああ、そうよね。分からないけれど、わたしはそう見ていいんじゃないかと思ってるけれど? 変でしょ、やっぱり、あんな土地?」

「そうですよねえ・・」

「それとね、角谷君に言われて気になって調べてみたんだけど・・」

 話を聞く都合で馬木が由利先生と向かい合って座っている。角谷は馬木の隣だ。角谷は由利先生と同じ物を見て聞いてきているのでここまでほとんどしゃべっていない。由利先生に目で促されてようやくしゃべった。

「おまえ、朝からワイドショー見ていて気付かなかったかな? 家の周りのハマナスの花、一回り広くなってなかったか?」

「さあ・・? 特に気付かなかったけど・・」

 由利先生。

「わたしもね、言われてみればそうかなと思って、ハマナスについて調べたのよ。ハマナスって地下で横に茎を張って、そこから別の株を芽吹かせるのよ。だから、外から見て2本3本に見える木が、地下でつながっている可能性があるの。極端な話、もしかしたらあそこに生えているハマナスが、実は全部つながった1本の木・・、ってことも、まあ、なくはないかってことよ」

 馬木は想像して気味悪く思った。

「それが・・増えてるのか?」

 角谷は頷いた。

「吉田先生のところでもテレビを見てたんだけどさ、やっぱり俺の目には増えているように見えた。もっとも、ハマナスはかなり増殖力の強い植物のようだけど、それにしても、なあ?」

 謎の家を中心として生えている通常ではあり得ない真っ赤なハマナスの花が、実は全てつながった1本の木で、それが短時間に目に見えて増殖している・・・・

 何が・・・・

「何が・・埋まっているんでしょう?・・・・」

 そう考えるだろう。地下に埋まっている何かが、血のように真っ赤な花のハマナスを大増殖させているのだ。

「そうねえ・・」

 由利先生はほとんど食べ終えたパフェのグラスの底をカリカリかいた。

「人魚の死骸、かしら?」

 三人揃ってうーん・・と考えた。

「あり得ないことが起こっているんだから、その原因もやっぱりあり得ないものなんでしょうねえ。

 でも、何故今なんでしょう? 人魚を釣ったのってもうずーっと前なんでしょ?昔話になるみたいな。なんで今さらこんな祟りを起こすんです?」

「さあねえ? 神様だったら、誰もお参りしなくなったことに腹を立てているのかしら?」

 由利先生は店員を呼んでコーヒーを注文し、角谷もついでにおかわりを頼んだ。馬木はもう十分だ。眠れなくなる。

「ま、これ以上考えてもしょうがないわ。取りあえずこの話はお終い。

 今度は5年前の映研の部員たちね」

「分かったんですか?」

「吉田先生には昨夜お電話してご都合を伺ったのよ。そしたら青木さんが先生の顧問をされてた映研の部員だと知ってびっくりなさって。先生も顧問とは言っても名前だけで活動にはほとんどノータッチで、クラスも受け持ってなかったから青木さんが誰か電話で聞いて初めて知ったのね。それで当時の担任の先生方に電話して他の部員たちの消息を調べてくださったの」

 再び手帳を見て、

「部長・・青木雄二、が死亡。

 副部長・・間宮浩、愛知県名護野大学理工学部3年、電話連絡付かず。

 金森勇一・・五十嵐大学教育学部4年、現在入院中。

 長谷川馨(男)・・長野県森洲大学人文学部4年、留守電にメッセージ残す。

 嶋村早苗・・卒業後の記録なし、在学中の電話番号は使用停止。

 以上5名。吉田先生はこの年で退職されているから後のことは分からないわ」

「なんだ、結局誰とも連絡は付いてないんですね?」

「夏休み中ですからね、就職活動で忙しいか、遊び回ってるのか?」

「実家の方は?」

「えーと、間宮さん長谷川さんの実家に電話したけれど、実家の方でも連絡付かないそうよ」

「嶋村早苗さんは? 翌年も映研は続けてたんですよね?」

「顧問は現代文の樋口先生。電話で聞いたけど、映研は存続はしたけど自分たちで映画を作るんじゃなく、映画の批評文を載せた同人誌を作る活動をしていたそうよ」

「去年は俺たちもそうだったもんな。俺は自分で映画が作りたくって・・」

「で、おまえが部長になったんだもんな?」

「うん。嶋村先輩って、どんな人だったんです?」

「大人しい地味な人だったそうよ。ま、はっきり言って暗〜い生徒だったって。その同人誌は樋口先生も簡単に目を通したけど他の部員が流行の恋愛ものやハリウッド映画の文章をかわいいイラスト入りで書いている中、嶋村さんは溝口健二なんかの古い日本映画や題名も聞いたことないフランス映画なんかの批評を書いていたそうよ」

「はあ・・。本格派・・というか、浮いてたでしょうねえ・・・」

「読まないわよね、誰も」

 暗〜い青春時代を送っていたようだ。

「でね、吉田先生にも聞いたんだけど、映画製作をやめちゃったのは前の年の文化祭で上映したビデオ映画があんまりひどい内容で生徒会から上映中止処分を食らったせいもあるんですって。先生も驚いて見てみたけど、確かにひどい内容だったって言ってたわ」

「どんな映画だったんです?」

「運動部員が部室で着替えていると、」

「そりゃ上映できないでしょう」

「男子よ。柔道部。ロッカーがガタガタって動いて、なんだ?と見ると、中からバアーン!と変なお面をかぶった女子生徒が出てきて、わあっと驚いて、で、お終い」

「なんじゃそりゃ? どっきりテレビかい」

「そう、ただのいたずらの隠し撮り。怒られるわよね、ふざけるな!って」

「・・でも、その変なお面って・・・・」

「そう。吉田先生も思いだしてみたら、例のあのバケモノの顔だったって」

「・・・・・・・・・」

 どういうことなんだろう? バケモノの出てくるビデオがもう1本あった? 女子生徒がかぶっていたとなると、それをかぶっていたのは映研で唯一の女子嶋村早苗ではなかったのか?

 馬木は松岡が金森先輩を評して「本質は俺みたいに腐った奴だってことさ」と言っていたのを思い出して嫌あな気分になった。

 あのビデオにはまだ隠された秘密がある!



 車で校門まで送ってもらって由利先生とはそこで別れた。角谷と二人で並んで歩いていると、角谷はボソッと言った。

「おまえのせいだぞ〜・・」

「何が?」

 角谷は立ち止まって恨めしそうに馬木を睨んだ。馬木は驚いて慌てた。

「え? なに? 俺なんかした?」

 馬木を睨んでいた角谷はふと表情をゆるめると、

「はあ〜あ〜・・」

 と、世をはかなんだため息をついた。

「こ〜の〜、おまえが余計なことを言うからな〜」

「なになに? なんなんだよ?」

「・・・・・由利先生に告白して、ふられた」

「は?・・ ええ〜っ!?」

 ビックリした。

「な、な、な、なにい〜? おまえの好きな相手って、由利先生だったの〜!?」

 てっきり葉子だと思ってた。角谷はむっつり口を尖らせて言った。

「そうだよ。悪いかよ?」

「いえ、すみません。ぜんぜん悪くありません。悪くないけど・・マジ?」

「マジだよ」

「・・・・・・・」

 角谷昌幸。こいつは女にもてる。名前に似合わず女の子みたいにサラサラの髪の毛をしてすっきりしたハンサムな顔立ちで、背がほどほどに高く、脚が長く、勉強もスポーツも嫌味でないほどにほどほどに出来て、性格はいたって良好で誰とでも仲良く付き合い、その八方美人ぶりを気に入らない奴でもいざ本人と向かい合うと思わずいい人になってしまう一枚も二枚も上手の社交術を身に付け、おそらくこいつほどイジメに無縁な奴もいないだろう。これで女子にもてないわけがない。

 ウーム・・・、と馬木は思う。こいつの唯一の欠点といえば、自分だ。何故か角谷は馬木とやたら仲良くなってしまった。女子たちから恨まれるくらいに。女子たちが大いに角谷に好意を持ちつつ今ひとつ具体的な行動で積極的になれないのは、角谷が常に馬木といっしょにいるからだ。実はホモなのではないかと疑われている節さえある。馬木も実は角谷の女よけに利用されているのではないかと疑っている。

 せっかくこれだけ女子にもてるのにぜんぜん誰とも特別のお付き合いをしようとしないのは誰かなかなか難しい本命がいるのではないかと思ってはいたのだが・・、それがまさか由利先生だったとは思いもしなかった。

「でもさあ、由利先生なら、おまえのこと大のお気に入りじゃないか?」

「だからさ、俺はそれで良かったんだよ。俺だって由利先生が俺みたいな子ども本気で相手にしてくれるなんて思ってなかったよ。大人になって由利先生みたいな女の人とお付き合いできたらいいなあ、なんて、憧れていただけなのにさ。あ〜、くそっ、早まったあ〜っ!」

 角谷は芝居ががって頭をかきむしった。

「こらあ、オットー、俺の幸せな青春を返せえ〜」

 首を絞められた。もちろん冗談だが。

「悪い悪い。悪かった。おまえってさ、けっこう純情な奴だったんだな?」

 思わず笑ってしまった。

「いいじゃんか、大人の由利先生なら若者のトチ狂った一時の世迷い言くらいなんとも思わないよ」

「うるせー。俺はけっこう深刻なんだぞ」

「ごめんごめん。しっかし由利先生かあー。憧れるか?あのナマの生態を見せつけられて?」

「いいだろ、好きなんだから」

 頬を染めてやがる。かわいい奴め。しかし改めて考えてみると由利先生は本人は23歳を自称しているが「お姉さん」というのでもない身近にいる一番若い「大人の女性」なのだと思う。だらしないのに全面的に目をつぶてやってもいい美人だし。実は自分たちってすごく幸せな男子なんだろう。

「青春だね〜」

「うるせえ、バカ」

 コツンとパンチがヒットした。

 一時、今の深刻な状況を忘れることが出来た。

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