第5話 連鎖
8月6日午後1時、富山県M海水浴場。
尾坂真二郎21歳会社員は砂浜から40メートルほど沖にぷかぷか浮いていた。日曜の昼、砂浜は家族連れとアベックでいっぱいで、キャーキャー歓声が響いている。真二郎は地元の出身、勤めが機械工場で祝祭日が出勤の代わりに盆暮れ正月にまとめて連休になる。県外に散っていった友人たちはまだ帰ってこず、暇を持て余して勝手知ったるこの海に遊びに来た。
ナンパのつもりである。が、いいなと思う女を見つけても相手はグループ、一人で声をかけるような勇気はなく、けっきょくなんとなく逃げるように沖に泳ぎだしてきた。「出会い」を期待しながら、虚しく砂浜の楽しげな歓声をうるさく感じていた。
遠浅の海であるがここまで泳いでくる人間はそういない。真二郎は子どもの頃から泳ぎは得意であったが、たいていは浮き輪やゴムボートで浮いてくるアベックどもだ。
そんなアベックがまた一組やってきた。男は女の浮き輪に捕まって二人でキャピキャピ騒ぎながらバシャバシャやってくる。
ちっくしょー、けっこうかわいい女じゃねーか。
そんな風に羨ましがりながら仰向けにさわやかに晴れ上がった青空を眺めた。
バシャバシャ派手な水しぶきが上がっているのが分かる。あーあ、俺も女の子とバシャバシャやりてーなー、と思いながら、派手すぎる水音に少々カチンときた。
何してやがるんだと見て、ギョッとした。思わず塩水を飲んでしまった。男が浮き輪にしがみつき、2メートルほど離れたところでバシャバシャ鮫でも暴れているみたいに水しぶきが上がっている。
「な、なにしてんだ?」
男はじっと水しぶきを見て動こうとせず、派手な水しぶきの中に水面を叩く女の手が見えた。
「なにしてんだ?」
真二郎には状況が理解できなかった。しかし砂浜の方でもこの異常に気付いて騒ぎ出した。
「バ、バッカやろう!」
こいつはかっこだけで泳ぎは苦手なんだろうと真二郎は思った。女が足が攣るか何かして浮き輪を離れて溺れだしたのだろう。泳ぎに自信のない男は怖くて見ているしかないのだ。真二郎は泳ぎに自信があった。けっこうかわいい女だった。もしかしてこれが「出会い」になるかも知れない。真二郎は約10メートルの距離を全力でクロールした。
水しぶきが止まった。意識を失って沈んだのだろう。真二郎は大きく息を吸って潜った。水深3メートル。うつぶせの女のビキニの背中が見える。水をかき、接近した。左腕で背後から胸を抱えた。柔らかい感触が真二郎に力を与えた。俺はヒーローだ。右腕で力強く水をかき浮上した。
「ぶはっ」
水面に顔を飛び出させ息を吐き出した。
「おい、だいじょうぶか! 息をしろ!」
抱きかかえた女の顔を上向かせて口を探った。何か、変だった。浮き輪にしがみついた男の顔が目に入った。
「うわ、うわわわわわわ」
恐怖に顔がひきつっている。真二郎は不安になった。額から冷たい汗が流れ落ちる。
「ウガアアアア!」
「ギャーッ!」
真二郎も悲鳴を上げた。水死体。そう思った。夏の怪談だ、お化けだ。丸く膨れ上がった顔、広い額にへばりついた濡れた黒髪、濡れた真っ黒な目、小さな丸い口から覗く小さな無数の尖った歯。抱いた胸の柔らかさが、ぬめった腐肉の感触に変わった。
「ウガガガガガガ!」
バケモノは怒りの雄叫びを上げ、振り上げた拳で真二郎の頭を殴った。もの凄い力だった。生きている。死体じゃない。2発、3発、水しぶきと共に真二郎の顔面は容赦ないパンチを浴びせられた。鼻の奥がつーんと痛い。水面に赤い色が漂った。訳が分からない。恐怖と、命の危険を感じた。
「うわあっ!」
真二郎もわめいてバケモノを両手で突き放そうとした。それをバケモノはどう捉えたのか、足を腰に絡ませ、左手で首根っこを掴むと右手の拳を思いきり振り下ろした。衝撃が頭の芯を貫いた。真二郎はバケモノに足を絡みつかせられたままいっしょに水中に沈んだ。真二郎は無我夢中で暴れた。夢にまで見た女の太ももが腰を締め付けている。しかしもちろん快感はなく凄まじい力が内蔵を押し上げ、肺を圧迫した。顔を両手でべたべた撫でられ、真二郎は逃れようと死にものぐるいで顔を振り立てたが、ゴボリと大量に泡を吐いた。
なんだよ、ひでえぜ・・・・
急激に全身から力が抜けていき、真二郎は意識を失った。
20分後、水面に浮かぶ二人はゴムボートに収容された。尾坂真二郎は蘇生を試みられたが、そのまま帰らぬ人となった。青木雄二に続く、この事件の第2の犠牲者だった。
突如バケモノに変身した女性は、砂浜に横たえられ、ビクリビクリと魚のように痙攣を繰り返した。誰も彼女に触ろうとはしなかった。野次馬の輪もすぐに大きく広がった。何かの病気と考えるのがふつうだ。誰もそれに感染したくはない。しかし。
「同じだ・・・・」
あの「ほんとうにあった少女霊ビデオ」の番組を見ている者がいた。彼女は携帯電話で写真を撮り、すぐに登録者全員にメールを送信した。
荒井ミイナは紅倉美姫に会うべく東日テレビに乗り込んだ。紅倉美姫がどこに住んでいるか知らないからだ。あの番組のディレクターならここにいるだろう。受付で会いたいと言ったら「お約束は?」と拒否された。じゃあここから電話してくれと言ったら「まずお客様サービス係にご用件をお電話でお申し付けください」と断られた。食い下がるとガードマンがやってきて丁寧な言葉と強い握力で脇の出入り口から外に連れ出された。頭に来たのでスタッフ通用口に突入を試みたが、もちろん捕まった。名前と学校名を聞かれた。ちくしょうと思った。こっちは被害者だぞ、あんたらの作った番組のせいで!
ミイナはふたたびエントランスホールに入ると大声で怒鳴った。
「責任者出てこーい! あたしの友だちはここの番組「ほんとうにあった少女霊ビデオ」のせいでおかしくなっちゃったんだ! ネットで日本中に訴えてやる! あたしの友だちはあの番組に呪われちゃったんだ!」
ガードマンが今度は二人やってきて両脇からがっちりミイナの腕を掴んだ。
「ちくしょう!放せ!放せってんだよお!」
引きずられながら喚き続けた。
「ディレクターに会わせろ! そんな奴どうでもいいや、紅倉美姫に会わせろ! あの人しか志保を助けられないんだ!なあ、頼むよお、紅倉美姫に会わせてくれよお〜・・」
「ちょっと」
女に声をかけられてガードマンは立ち止まった。
「お嬢さん。面白いこと言ってるじゃない。でもその話、わたしじゃ聞かせてもらえないのかしら?」
ミイナはビックリしてしばし放心状態になった。
派手に赤青紫の薄い布を重ねて羽織った、それは岳戸由宇だった。
ミイナは胸に入社許可証を付けてもらってテレビ局関係者専用の喫茶店でメロンソーダフロートをご馳走になっている。岳戸由宇が勝手に注文したものだが、子どもの頃からのミイナのお気に入りだった。
疑わしい目でストローをすすっているミイナを岳戸由宇は面白そうに眺めている。自分はアイスレモンティーを注文している。
岳戸由宇。ミイナはあまり好きではなかったが、こうして見るとさすがに美人だ。と言うか、顔が細くて目鼻立ちが異様にくっきりして、ザ・芸能人な感じだ。ここに来るまで何人かテレビでよく見るアナウンサーやタレントを見かけて、ミイナはすっかりぼーっと舞い上がってしまっている。岳戸由宇は28歳。元グラビアアイドルで、その頃はミイナは全然知らない。週刊誌で昔の写真を見て志保といっしょに笑い転げた。あまりに今と違っている。昔は、オッパイが大きいだけでまるで田舎臭くて、イケてなかった。いつの間にこんな凄味のある雰囲気美人に化けたのだろう。化粧が上手くなったのだろう、整形したんじゃないか、テレビカメラに揉まれて磨かれたんだろう、と思っていたが、実際会ってみると本人の発するオーラは凄い。やっぱり本物なんだと思う。
けれど、志保は紅倉美姫のファンなんだ。岳戸由宇なんてただのタレントだって馬鹿にしていた。ミイナは・・迷っている。
岳戸由宇はフッと笑った。本人は優雅に微笑んでいるつもりだろうが、どこかわざとらしく嫌味なところがある。
「やっぱり紅倉美姫さんじゃなくちゃお話しくださらないのかしら?」
「・・・・・・」
「じゃいいわ。あなたが話せる相手を呼んであげる」
岳戸由宇はシルバーのボディーにひし形のダイヤモンドを埋め込んだ携帯電話を取りだして二つボタンを押した。ひし形はどういう意味があるのか分からないが彼女がよく使うマークで、イヤリングもひし形を4つ組み合わせたものだ。
「あたし。今来てるの。喫茶店に来て」
パチンと閉めてミイナに微笑んだ。ミイナは彼女に見つめられながらヤケになってメロンソーダフロートを平らげた。
電話の相手が来た。あの番組のディレクターだ。
「え・と・・」
岳戸由宇はとなりに席をずらし、ここと指さし、ディレクターは「失礼します」と彼女の座っていた場所に座った。
「こちら荒井ミイナさん。あなたの番組の熱烈なファンですってよ」
「はあ・・。ディレクターの三津木と言います」
丁寧に名刺をくれた。
「荒井ミイナです」
ミイナもちょこんと頭を下げた。二人の様子を微笑ましく見て、岳戸由宇は言った。
「さ、ミイナちゃん。これで話してくれるでしょう?」
ミイナは、話した。
三津木は思わずうーむと腕を組んだ。とても信じられない話だ。その態度にミイナは怒りを覚えた。
「あ、いや・・」
三津木は由宇に救いを求めた。
「彼女の言っていることは本当だと思うわ」
「しかし・・」
「あなたも、わたしの霊能力を疑うの?」
「いや、・・・信じているよ・・・・」
三津木の言葉に少し脅えがある。由宇は満足そうにフッと笑った。
「そう。わたしは、本物よ」
三津木はゾッとしたように慌ててミイナに視線を向けた。
「しかし・・、どうしたらいいんだ? 例えば、僕なんかが取材に行って、いいのかい?」
ミイナも考えた。病院や、母親が、こんな怪しげなテレビの取材を許すとは思えない。ミイナは岳戸由宇に遠慮して小さく言った。
「・・紅倉美姫さんなら・・、志保がファンだから・・・」
岳戸由宇はあらあらと肩をすくめた。
「嫌われちゃったものねえー」
「ごめんなさい・・」
ミイナ自身は岳戸由宇に好意を持ちだしている。三津木は考えて言う。
「今回のことは僕も反省している。番組を離れてでもやらなければならない責任がある。紅倉先生に個人的にお願いするのはかまわないが・・、いいの?」
「いいの?って、何がよ?」
由宇は心外そうに三津木を睨んだ。
「あたしが嫉妬して横やりを入れるとでも言うの? はあ、見くびられたものね。苦しんでいる人を救うことに手柄だのなんだの、くだらないことは考えてないわよ」
三津木は怪しんだ。そういう女ではない。
「言いづらいんだがね、君があのビデオをもう少し慎重に見ていてくれたら、僕も放送はもうちょっとその・・・・」
「紅倉美姫に見せれば良かった、ってこと?」
由宇はジロリと睨んだ目をふっと弱々しく伏せた。
「そうね。あのビデオの扱いはもっと慎重にするべきだったわ。軽率だったわ。でも、じゃああたしが反対して、それで放送をやめた?」
「それは・・・・」
「でしょう? あたしは紅倉さんみたいに信用されていませんからねー」
フン、と怒ってしまった。
「いいよいいよ、悪かったよ。全部俺の判断ミスだ」
三津木はあやすように言って、ミイナにも頭を下げた。
「君のお友だちにもひどい目に遭わせてしまって申し訳ない。紅倉先生には至急相談します。実を言うと紅倉先生にも叱られちゃって・・」
あっ・・、と口を滑らせて三津木は拙い顔をした。由宇はますます機嫌を損ねた。シンプルな着信音が鳴って三津木はほっとしたように携帯に出た。
「は? 新潟県警ですか? あおきゆうじ・・、青木雄二君ですか!? 彼がどうかしましたか!? え? え? ・・・・え!? ・・・・・・・本当・・です・か・・・・・・・・・・・」
三津木の顔が見る見る真っ青になっていった。
「は、はい。分かりました、こちらにおりますので。はい、では後ほど・・」
電話を耳から離して、三津木は虚空を見つめて放心状態になった。ただならぬ様子にミイナは耐えきれず訊いた。
「・・どうしたんですか?・・・・」
「あ、ああ・・」
三津木は真っ青な顔を岳戸由宇に向けて言った。
「青木君が亡くなったそうだ・・」
「まあ、お気の毒。で、誰、それ?」
「あのビデオを作った張本人だよ。昨日から行方不明になっていて、等々力さんは逃げやがったなってカンカンになっていたんだけれど・・・・・・」
「へー・・、そうなの」
岳戸由宇は別に驚いた風もなく、口の端をかすかに笑わせていた。三津木はまた疑惑の目で由宇を見た。これが、彼女の本当の反応だ。面白がっているのだ。
「それで、君は何故ここに来たの?」
由宇は怪しく三津木に笑いかけた。
時刻は3時半を回ろうとしている。
青木雄二の死因は首の骨折だった。即死だっただろうが、青木雄二の顔は苦痛にひどく歪んでいた。骨盤がひどく破壊されていた。馬木は暗闇で見た青木雄二を「仰向け」と見たが、正確には、首だけ上を向いていた。青木の首には凄まじい力で食い込んだ指の跡がはっきり付いていた。殺害者は青木の首を掴み、そのまま振り回して腰を床に叩きつけ、その反動で青木の首はねじれ、ボキリと骨が折れ、顔だけ上を向いて体はうつぶせに投げ置かれたのだ。熊か巨漢のプロレスラーででもなければ出来ない芸当だ。しかし。
青木の首に付いた指の跡は細く、押し入れの戸や天井板に桜野葉子の指紋が多数残されていた。桜野と青木の他の指紋はなかった。
女の力ではあり得ないことだが、状況的に桜野葉子が殺害犯である可能性が最も高い。殺害場所も部屋の様子から見てここに間違いない。殺害時刻は二日前の夜2時から4時の間と見られる。
部屋の指紋と桜野葉子がすぐに結びついたのは、馬木がしゃべったからだ。ほとんど茫然自失とした状態で警察の事情聴取に訊かれるままにここに来た理由を答えてしまった。しばらくして拙かったかとも思ったが、仕方ないだろう。
ただの通りすがりの発見者ではないと分かって馬木たち三人は警察署に連れていかれて詳しい話を聞かれた。桜野の捜索願は母親から出されていたので馬木たちの話の裏付けはすぐに取れた。そこから桜野と青木の関係も分かった。
二人はやはりいとこ同士だった。桜野の母の最初の結婚相手が青木といい、青木雄二はその兄の子だった。5年前既に桜野は青木という名字ではなくなっていたが、青木は自分のいとこということで「青木ようこ」と紹介し、桜野も別に否定しなかったということは、二人の仲は良かったのだろう。
その二人があそこでどういうことになってしまったのか?そして青木ようこが桜野葉子であったなら、桜野は当然あのビデオのことを知っていただろう。なぜ知らないような素振りをしていたのだろうか? 完成したビデオは見ていなかったのか? 5年前、小学5年生の出来事をもう忘れてしまっていたのだろうか?
桜野が殺人犯・・・・。どうでもいい、と馬木は考えるように努めた。いずれにせよ葉子が悪いわけがない。何らかの事故か、相手の青木という男が悪いに決まっている。とにかく早く無事葉子が見つかってほしいと、馬木は思った。
馬木たち三人が事情聴取から解放されて出口へ向かっているとき、刑事らしき二人に付き添われて女の人が入ってきた。すれ違いざまピンと来た。小さな顔の輪郭が葉子によく似ている。お母さんだろう。思った以上に若い。少女マンガから抜け出した天使のようだ。細く、とても4人の子どもを産んだようには見えない。痛ましい気さえする。この人にとても子育ては無理だろうと思った。
由利先生が目でどうする?と訊いてきた。馬木はぐったり疲れていた。精神的にもう保たない。由利先生は頷き、そのまま出口に向かった。時刻は5時を回ろうとしていた。
夜8時過ぎ。三津木はテレビ局近くのホテルの一室にいた。岳戸由宇からのお呼び出しだ。二人は恋人、ではなく、愛人関係だ。主に由宇の要望で一方的に三津木が呼び出される。以前とはすっかり関係が逆転している。もっとも三津木は自分の地位を利用して由宇と関係を結んだつもりは全然ないが。
由宇が赤ワインを口に含んで妖艶に微笑む。三津木は改めて『変わったな』と思う。
岳戸由宇。グラビアアイドルとしてデビューしたときには美崎優といった。本名は確かのりこ。某若者向け雑誌のコンテストで入賞してデビュー。グランプリではなかった。17歳の時だ。デビュー時にはそれなりに雑誌のグラビアに載り写真集も一冊出している。現在けっこうなプレミアが付いているそうだ。テレビのバラエティー番組にも何度か出演したが、一年が過ぎると早くもガクンと仕事が減った。もともとアイドルとして特に魅力のある子ではなかった。胸が大きいのと、肌が白いのと、笑顔に愛嬌があるくらいで、はっきり言えば若さと新鮮みだけが売りの、賞味期限一年の生鮮品と言うことだろう。
極端なセクシー路線に行くか、色物のお笑いに走るか、でなければ引退。そういう状態に追い込まれた。酷薄な業界だ。
そんなときに三津木がスタッフとして参加していた深夜の情報バラエティーに出演した。ちょうど10年前だ。その番組で三津木はコーナーのディレクターを務めていた。心霊コーナーだ。三津木もずっとそんなことばっかりやっている。
美崎優は頑張った。自分がどういう立場に置かれているか十分分かっていた。それにしても、根性があるな、と三津木は感心した。深夜心霊スポットに行ってリポートするのだ。自分を撮すカメラのついたヘルメットをかぶって、時には一人きりで廃病院の中や樹海の中へ入っていくのだ。たいていの若い女の子は途中で泣きだして駄目になる。無理はさせない。それでなくてもロケ後おかしくなって業界から消えていく子が多いのだ。言ってはなんだが、そういう捨て駒を事務所の方でもあてがってくる。つくづく因果な商売だと、三津木も思っている。そんな中で、美崎優は本当に頑張った。
美崎優も泣いた。泣きながら、それでも決して引き返そうとはしなかった。三津木もつい調子に乗って無理をさせてしまうこともあった。ずいぶんいい画をたくさん撮らせてもらった。同行の霊能者の先生から叱られることも多かった。これ以上させてはいけない、と。美崎優はけなげに頑張った。泣きながら帰ってきて、それでもバスの中では笑顔を見せてスタッフへの気遣いも忘れなかった。必死だったのだろう。そんな優の頑張りをつい利用してしまった、という反省がいまだに三津木にある。だからこうしていつまでも由宇の求めるままに密会を重ねている。
コーナーは深夜としてはけっこうな視聴率を稼いだ。優のおかげだ。だんだんと「心霊スポットの人気アイドル」とか「深夜の絶叫クイーン」とか言われて知名度が上がってきた。そういう言われ方は本人にとって嬉しいものでもなかっただろうが。優はますます頑張ったが、精神的にはもうボロボロだった。そして、とうとう、壊れた。
ある有名な昔からの心霊スポットに深夜ロケに行ったとき、優はとうとう恐ろしい悪霊に取り憑かれて、おかしくなった。どうおかしくなったか、目撃者は三津木を含めていまだに口を閉ざす。その時のテープは全て破棄した。三津木は本当に「本物の」心霊ビデオというものを知っているのだ。それは絶対に放送できない。
七日七晩苦しんだ優は、霊能者の先生のおかげでなんとか正常に戻った。さすがにもう無理だと思われた。でも優は芸能人でいたいと言って泣いた。優のおかげでさんざん潤った事務所だったが、さすがにこの状態は持て余して引退をほのめかせた。寿命が少し延びただけで、長生きは出来ないと踏んでいる。三津木は怒りを感じ、本気で優のことを思いやった。優と関係を結んだのはこの頃だ。
三津木は本気で優との結婚を考えていた。しかし、優の方ではやはり芸能界への未練が相当にあった。そして、治ったと思われた霊障も、再び現れた。このままでは芸能人どころか、まともに生活することも危なく思われた。
三津木は霊能者の先生と相談し、優に一つ提案した。本格的な霊能者になるために先生の所に修行に入る、と。正直言って再デビューなど不可能だと思っていた。優の霊障を完治させることを第一に考えたのだ。優は承知し、一年間の寺での修行に入った。優が戻ってくることなど三津木は考えていなかった。自分が彼女の人生を壊してしまったことをずっと反省していた。しかし一方で自分と彼女はあれっきりの関係なのだろうと思っていた。
その優が「岳戸由宇」という霊能者として戻ってきた。その直前に先生が心臓発作で亡くなっていた。まだ40代だった。由宇と再会した三津木は我が目を疑った。すっかり細くなって、一年前の面影は微塵もなかった。どちらかというとぽっちゃりして愛嬌のあるタヌキ顔だったのが、すっかり顎の尖った妖艶なキツネ顔に変身していた。
岳戸由宇はスペシャル番組に出世した三津木の「ほんとうにあった」心霊シリーズに霊能者として出演するようになった。三津木はまたも由宇のおかげで視聴率を稼ぐことが出来た。彼女が参加すると番組は面白くなった。心霊現象の取材がどんどんどんどん根深く、大がかりになっていった。それは心霊現象の奥の奥まで見通す由宇の霊能力の高さの証明でもあったが、最初の頃こそ感心して熱くなっていた三津木だったが、だんだん怪しく思うようになっていった。
「わざとらしい」「大げさすぎる」「嘘っぽい」。そんな視聴者からの感想が多く寄せられるようになった。三津木もそう思う。取材で現れる心霊現象は、岳戸由宇自身が作り出しているのではないか?と、三津木自身が感じていた。しかし現象自体はトリックではない、本物だ。だから怖い。由宇にはいまだに悪霊が取り憑いたままなのではないか?と、三津木は疑っている。
三津木は由宇と再び関係を持つようになった。しかし以前のように本気で彼女のことを自分の人生と共に考えるようなことはなくなった。由宇は三津木の他にも男とつき合っていた。しかもそれを取り分け隠そうともせず。「霊能力を高めるため」と由宇は言った。「本気で安らぎを求めるのはあなただけよ」と言うが、もちろん結婚など全然考えていない。由宇は再び手に入れた芸能界での居場所に大いに満足していた。
2年ほど絶好調だった「ほんとうにあった」シリーズの人気は、だんだん落ちていった。ライバル番組も現れ、三津木はまた深夜に飛ばされるか番組自体の路線変更を迫られる立場になったが、今度は紅倉美姫に救われた。三津木は自分はつくづく運がいいと思う。どうやら女に援助してもらえるありがたい星の下に生まれたらしい。
しかし岳戸由宇と紅倉美姫の相性は最悪だった。若さ、美貌、才能、人気、カリスマ性、すべてに由宇は紅倉美姫に嫉妬した。彼女こそ生まれながらの「本物」だった。それもまた紅倉美姫にとって幸せなことではなかったのだが・・。番組は岳戸由宇の色と紅倉美姫の色にはっきり分かれた。今や番組が保っているのは完全に紅倉美姫のおかげで、由宇もそれに便乗して生き残っている状態なのだが、だからこそなおさら岳戸由宇は紅倉美姫が大嫌いだった。
「なんで昨日は来られなかったのよ?」
由宇は三津木の耳たぶを噛みながら言った。昨夜もホテルに誘われたのだが、三津木は理由を付けて断った。
「分かってるわよ、あの女と会ったからでしょう?」
由宇は三津木の顔に向かって無遠慮にアハハと笑った。
「いいわよ、あの女と会った後なんてこっちから願い下げだわ」
分かっている。黙っていても紅倉美姫に会った後で由宇に会うとすぐにバレる。
「臭い!」
と言っていきなり廊下へ思い切り蹴り飛ばされたことがある。ちなみに三津木は紅倉美姫とはこういう関係は一切ない。
三津木は由宇の思惑を読もうと表情を観察していた。昨日紅倉美姫は三津木に由宇の生き霊が付いてきていると言った。無意識だったが、バレた、と。
「あの女と何話したのよ?」
顔が近すぎて睨む由宇の目が4つに見える。
「どうせわたしの悪口言ってたんでしょう?」
「君は彼女のことを誤解しているよ。彼女が君の悪口を言ったことなんて一度もない。ただ・・、恐ろしい、と言っていたよ、君のことを・・」
由宇は上機嫌に笑った。この剥き出しの競争心。年は若くとも紅倉美姫の方が数段大人だ。この差が、人気の差だ。
「あれから新潟の刑事が来たよ。いろいろ訊かれたよ、番組のこと。いずれニュースになるな。ワイドショーでも大きく取り上げられるぞ、番組と絡めて」
「へー、良かったじゃない、また次回も数字が取れるわね」
「冗談じゃないよ」
三津木はウンザリしたため息をついた。
「責任問題だよ。次回なんて、俺はもうクビだ」
「あの女を出せばいいじゃない」
由宇はムッとした顔で言うと、ニタリと笑った。
「わたしと対決させなさいよ。わたしとあの女、どちらがあの少女の霊の正体をつきとめるか?」
そーら来た、と思いながら三津木は顔には出さない。
「それなんだけどねー・・。念のため訊くけれど、君、青木君とは何も関係ないだろうね?」
「関係って何よ? 名前も顔も知らないわよ」
「ならいいんだけど・・・・」
もの問いたげな目で見つめて由宇を不安にさせてやった。
「何よ?」
「青木君は例の家で死んでいるのを発見されたんだ。ひどい死に様で、殺されたんだそうだ」
「へー・・」
由宇は何気ない風を装いながら笑みがこぼれるのを抑えられない。三津木はむっつり言った。
「犯人は、その幽霊の女の子だってさ」
由宇は一瞬ポカンとして、アハハハと大笑いした。
「なんで笑うんだい?」
「警察が大まじめにそう言ってるわけ? 幽霊が犯人だなんて、日本の警察も変わったものねえ」
「テープを見せてくれって言われたよ、あの部屋のライブ中継の、女の子が映っている」
由宇が笑うのをやめて真顔で訊いた。
「で?」
「テープは残っている。が、女の子が映っているのはテレビにも映った戸の陰から覗いている横顔だけ。カメラに向かって歩いてくる姿は映っていなかった」
「別に不思議はないでしょう?幽霊なんだから」
三津木は由宇がまじめにそう言っているのか怪しむ。
「その部分だけ映像がないんだ。ザーってノイズだけの黒い映像で。二つのカメラ共だ。カメラが倒される直前からまたふつうの映像に戻っている。刑事たちにもわざと消したんじゃないかとずいぶん疑われたよ。だが、俺はやってない」
三津木はじーっと由宇を見つめる。
「君はあの少女をどう思っている? 生きている人間か、それとも死者の幽霊か?」
三津木を見つめ返していた由宇は、フッと意地悪に笑った。
「あの女はどう言っていたの?」
「君の意見が聞きたい」
「言ったら教えてあげる」
「分からないんだな?」
由宇の顔がキッときつくなった。三津木は危険を感じてぐっと由宇を抱きしめた。
「俺は君が心配なんだよ。今回の件は変だ。おかしい。とても俺なんかには理解できない裏があるんだ。しかもそれが進行している。面白がっている場合じゃないんだ。人が死んだんだよ? これからまだ死ぬかも知れない。俺があんな番組をやったせいだ。君を巻き込んだことも反省している。俺は、いまだに君に甘えている」
そうだ、自分はまた間違いを犯してしまった、と三津木は後悔した。
「分かった。いいわよ、ちょっと、放してよ」
三津木の腕から逃れると、由宇は三津木に口づけした。今度は自分から三津木の頭を両腕で抱いて甘えた。
「そうよ、わたしも解らないわ。凄く大きな力が働いている。巨大すぎて姿が全然見えないんだわ。この世界が、すっかりその力に覆い尽くされているのよ。そうよ、どんどん人が死ぬわ。しょうがないわ、まともに立ち向かえるような相手じゃないもの、あの女だってね。あなたも、わたしも、もう巻き込まれている。逆らっては駄目。邪魔すれば、殺されるのはあたしたちよ。ねえ・・、三津木さんはあたしを殺させるような真似はしないわよね?」
「・・しないよ・・。でも・・」
由宇は三津木の口を塞いだ。
「いいのよ。生も死も、隣り合わせ。すごーく近いところにあるんだから。でも、やっぱり生きていたいでしょ?」
妖艶に微笑み、生きている楽しさを味わわせるようにたっぷりキスした。
「・・だが、君は彼女との対決を望むのか?」
由宇は歯を見せて笑った。
「そうよ。暴いてみるがいいわ、恐ろしい世界を。それだけ、あの女は死に近づく」
それが狙いか・・。三津木は背筋がゾッとした。やはり由宇は取り憑かれているのだと思う。あちら側に付いて、向こうの者どもの手伝いをしているのだ。生きている者の敵、裏切り行為だ。
戦慄し、恐ろしいものに感じながら、それでも三津木は由宇を突き放せなかった。彼女をこんな人間にしたのは自分だ。そして責任を感じるばかりでなく、やはり三津木はいまだに彼女が好きだった。
三津木が抱きしめると由宇も答えた。
地獄へ・・、
彼女といっしょなら堕ちてもいいと三津木は思った。
派遣社員をしている松田純は昼間なくした携帯電話をホテルのフロントで受け取った。昼食を取ったレストランに忘れていたのだ。純は今友だちと沖縄に遊びに来ている。
「あったー?ドジ子ちゃん?」
「うるさい。あ、トモからメール来てた。高校の友だち。『ギイヤアアア! ショック死注意!』だって。なんだろ?」
添付の画像を開けた。
「イヤー、なにこれー?」
思わず手にした携帯を遠ざけた。連れの友だちが笑った。
「あーあー、見た見たこれ。テレビのお化けビデオでしょー?」
「あ、なんだ、そうか。でもさー、これ、真っ昼間だよ?」
文章の続きを読む。
「『彼氏と遊びに来たM海水浴場にて』」
「おーおー、お友だちは男連れかい?」
「ちょっと。『突然若い女の子がこんな顔に変身しちゃった! たいへん。呪われたくないから避難開始! みんなも注意!』だって。なによ、これ?」
「いたずらに決まってんでしょーよ」
「だよね」
純は笑って、なんと返信してやろうか考えた。突然。
「あれ? やだ、あたしなんか変。あ・・、頭、イタ・・・・」
「え? ちょっと、ヤダー。だいじょうぶ? しっかり・・・・」
純の手から携帯が転げ落ちた。
「う、う、ウ・・、ウガアアアアアアアアッ!・・・・」
「ぎゃあああああああああっ!」
午後9時。また一人変身が始まった。




