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第4話 探索



 中谷志保の容態は一応安定していた。未だ意識は戻らないが腫れは引いている。

 腫れ、というべきか?・・・・

 と、担当した外科の黒井医師は疑問を持っている。交通事故の激突などによる頭部の腫れで一番怖いのは脳の膨張だ。頭蓋内部で脳が膨張すれば、圧迫され、死亡、深刻な後遺症の残る恐れが高い。そうした場合には緊急に開頭手術が必要となる。だから外科の自分が担当した。が。

 中谷志保の症状は明らかに違っていた。頭部及び顔面が風船のように膨らみながら、ぶよぶよしているわけでも、ぱつぱつに突っ張っているわけでもなかった。骨が、皮膚の下にあった。

 そういう顔、としか言えない。まるで宇宙人だかアマゾンの半魚人だか知らないが、そんな・・言っては失礼だが、バケモノ顔だ。そういう骨格をしているのだ、もともとこういう顔だとしか思えなかった。母親は激怒した。娘はこんなバケモノではない、と。黒井始め当直の医師たちは迷った。骨が短時間で形が変わるほど膨張するなどあり得ない。腫瘍が時間をかけて進行するならあり得るが、母親の話では突然苦しんで暴れだし、こんな顔になってしまったという。事実、病院に搬送されてきたときにはぐったりして時おり痙攣する程度だったが、救急隊員が駆けつけたときにはまだ苦しんで暴れていたという。

 あり得ない。あり得るとすれば、はなはだSF的な発想だが、遺伝子の突然変異的異常だ。まあ、あり得ない。常識的に。

 しかし、現実に、中谷志保の顔は元に戻った。今どきの、黒井にはよく見分けのつかない典型的なコギャル顔だが、まあかわいい顔に。発症が午後9時ちょうど、翌午前5時、発症から8時間後に徐々におよそ30分ほどかけて元の顔に戻った。これもあり得ない。骨だ。骨がこんな短時間に膨張したり痩せたりするわけがない。が、黒井自身が確認したように、現実だ。

 中谷志保の病症は痙攣と呼吸困難だった。巨大な顎に圧迫されて、というより、巨大化した頭部を細い首が支えきれずに喉がふさがれてしまっていたのだ。鎮静剤を射ち、気管内チューブを挿入して呼吸を確保した。治療と言って、他に出来ることはなかった。その後彼女は眠り続け、8月6日現在午前11時、発症から38時間が経った。

「原因はなんでしょうねえ?」

 県の保健所から来た職員が肥大した頭部のレントゲン写真を見ながら訊いた。原因。未知のウイルスという可能性もなくはない。保健所の気にしているのはこの病気の感染の危険性だ。

「さあー・・、なんでしょうなあ。今のところさっぱりです」

 黒井医師も脳のCTスキャン画像を見ながら言った。外科である黒井の仕事はまず患者を治すことだ。未だ目覚めない彼女の容態の方が気になる。未知の病気だ、予断は禁物だ。

 携帯の呼び出しが鳴り職員は「失礼」と廊下に出ていった。

「はあ? なに? ほんとう? いや・・、まだ分からないんだけど・・、ちょっと待ってね」

 職員がなんともへてこな顔で戻ってきて言った。

「どうやら患者第2号が出たようです。いや、もしかしたらもっと出てるのかも知れないですけど・・」

 黒井は緊張して訊いた。

「どこです? 市内ですか?」

「いや、それが・・」

 へんてこな顔で言う。

「夕張だそうで・・」

 黒井医師も思わずへんてこに顔をしかめた。

「夕張って、メロンの? 北海道かね?」

「ええ、そうなんです。あっちの病院でもまったく始めての症例で、慌ててあちこち情報を求めて、うちに当たったようです」

「発症は? いつ?」

「ちょっと待ってください」

 廊下に出ていく職員に黒井も付いていった。

「昨日の早朝、5時頃のようです」

「昨日の朝5時・・・・」

 ちょうど中谷志保の腫れが引き始めた頃だ。

「川崎から北海道までどれくらいかかるかな?」

 言ってから黒井医師は何を馬鹿なことを考えているのだろうと思った。病原体がなんであれ、中谷志保からその患者に移動したなど馬鹿馬鹿しい。

「いや、いいよ。それで患者の年齢性別は?」

「・・・・。15歳の女性だそうです」

 中谷志保が17歳。まあ近い。

「現在の容態は?」

「・・・・。えー、今現在腫れは引いていますが意識不明の状態が続いているそうです」

「腫れが引くまでどれくらいかかってる?」

「・・・・。約8時間だそうです」

「・・・・同じか・・・・」

 中谷志保は今現在無菌室に隔離されている。今さら気休めだが。神奈川と北海道。全然違う土地にほぼ同時に二人の患者が現れた。もし何らかの病原体があるとすれば、それは既にかなり広い地域に分布していると考えるべきだ。

「まずいですねえ・・」

 保健所職員もそれを考えて青い顔をしている。

「早期に原因を特定しなければならんな」

 黒井医師も厳しい顔で言った。もはや自分の患者一人の問題ではない。


「呪いよ」


 わあっと職員は驚き、黒井もビックリした。茶髪の、黒井にはよく見分けのつかないイマドキの少女が真っ青な顔で立っていた。

「君は誰かね?」

「わたし、志保の病気の原因を知ってるのよ」

「本当かね?」

「呪いよ、ビデオの少女の」

 それは志保が電話で話していた友人、荒井ミイナだった。

「はあ?」

「本当よお。志保の奴さんざん馬鹿にして大笑いしてたからあの少女に呪われたのよおー!」

「何を言ってるのかね?」

 黒井医師は扱いに困った。ミイナは本気だった。

「本当よお! 御祓いしなくちゃ! そうだ、紅倉美姫よ。志保あの人のファンだって言ってたもん。ねえ、志保は病気じゃないのよ、呪われているのよ!」

 黒井医師はまいった。しかし、思い出す。中谷志保が救急車で搬送されてきたとき同乗してきた母親が半狂乱になりながら言っていた。

 あんな番組見ているから、バケモノが移っちゃったのよ!

 と。

 しかし、

「馬鹿馬鹿しい」

 と黒井医師は切り捨てた。黒井は幽霊や神といったものを信じていないわけではなかった。むしろ経験的にそういうものはあるのだろうと思っている。しかし、患者は中谷志保一人ではなく二人出ているのだ。もしテレビの幽霊が原因なら、全国で何千何万という患者が現れてしまうではないか?

 そんな馬鹿なことがあってたまるか、と黒井は怒りを感じた。幽霊ごときに、そんなことが許されてたまるか!

「ちくしょう・・、やっぱ信じないんだ・・・・」

 ミイナは悔しそうに恨めしそうに黒井医師を睨んだ。

「いいよ。どうせ医者になんか志保が治せるわけないよ」

 ミイナはキッときびすを返すと廊下を引き返した。ズンズン歩く。自分が志保を助けるんだ、そうだ、紅倉美姫、あの人に助けを求めるんだ!・・・・・




 この日も結局馬木たちは視聴覚室に集まった。桜野を除く馬木たち4人と、今日は珍しく顧問の由利先生もいる。

 由利絵梨佳先生。自称23歳の知性派メガネ美人。本人も大いに美人を自覚しているが伸ばしっぱなしの髪の毛に櫛も入れず、けっこうだらしない。いつもほわーんとした雰囲気だが、今日ばかりは深刻に眉を曇らせている。

 昨夜、馬木と、副部長の沖浦と、顧問の由利先生に桜野葉子の母親から電話があった。前日の夜に出かけたまま娘が帰ってきていない、と。何故昨日の昼間馬木が電話をしたときにそれが分からなかったのか?

「山崎先生の話によると」

 山崎先生は1年B組、桜野の担任だ。

「桜野さんの家はちょっと問題があるらしくて・・」

 桜野の家は青山市でも有数の資産家、らしいが・・。由利先生は生徒たちを見渡してどこまで話してよいか迷ったが、

「他言無用よ」

 と、恐い目で前置きして話した。

「今桜野さんのお父さんは別居中なの。その・・、離婚を前提として・・・」

 由利先生はその手の話は苦手らしく、本当に嫌そうな顔で言った。

「でも離婚となってもお母さんの方は全然困らないらしいの。実家が大金持ちだから」

 有数の資産家であるのは母親の実家なのだ。由利先生は苦い顔でますます嫌そうに話す。

「ところでねえ、桜野さんには三人の妹がいるんだけど・・・、実は四人ともお父さんが別々の人なのよ・・・・」

 ! なんと。由利先生はもの凄ーく嫌そうな顔をして、松岡は嬉々とした顔になったが、すぐに引っ込めた。

「お母さんはまだ33歳なんだけど、既に三度も離婚して、今四度目の離婚をしようとしているわけよ」

 知らなかった。葉子がそんな複雑な家庭の娘だったなんて。資産家の実家に父親が別々の四人の娘たち。まるで横溝正史の世界だ。由利先生はため息をついて言う。

「四人の父親たちがどんな人か知らないけれど・・・、やっぱりお母さんの方にも問題はあるでしょうねえ・・・・」

 馬木は最初に電話したときの様子を思い出す。葉子の母親はまるっきり女子大生のような若い声と気安い話しぶりだった。

「毎日の生活もめちゃくちゃみたいで、家事全般お手伝いさんに任せっきり。いまだに夜遊びが大好きで、おとといの夜も遅くに帰宅して昼近くまで寝ていたらしいわ」

 馬木が電話したときはまさに寝起きだったわけだ。

「だから桜野さんがいなくなっていることにずーっと気付かずにいたのね。夕飯の時間になって妹さんに聞いてようやく前の夜からいなかったことを知ったのよ」

 由利先生はプンプン怒っている。自分とは違う種類のだらしなさに腹を立てているのだ。馬木も困った母親だと思ったが、最初の電話のやたらフレンドリーな感じと、昨夜の電話のせっぱ詰まった感じの落差に本気で葉子を心配しているのが感じられ由利先生のような嫌悪感は持たない。むしろ好印象を持っている。馬木は質問した。

「妹さんは桜野が出かけたのを知っていたわけですか?」

「ええ。桜野さんの下の14歳の妹が見かけて、どこ行くの?って訊いたらないしょにしててって言われたんですって」

「ちょっと待ってくださいよ。・・・・14歳いい!?」

 葉子は12月生でまだ15歳だ。それで別の父親?

 由利先生がぐっと眉根を寄せて睨んだ。訊くな、ということだ。

「それで、どこ行くかは聞いていないんですか?」

「聞いていないそうよ」

「桜野はそういうことはよくあったんですか?」

「ここしばらくはなかったそうよ・・・・。中学の頃はけっこう荒れてたみたいだけど・・・」

 うーむ・・・・、と馬木は心の中で唸った。まったく知らなかった。やはりストレスの多い家庭のようで、葉子もいろいろあったのだろう。今のバンビみたいにかわいらしい葉子からは想像も付かない。

「・・ちなみに、その下の妹たちは?・・」

 由利先生は睨みながら、教えてくれた。

「8歳と5歳ですって。ちなみに、子どもは4人だけ。男兄弟はなし」

 2番目の旦那さんとは少しは上手くいっていたのか? いずれ大して長くは保たなかったようだが。馬木は、そうだ、と思って訊いた。

「桜野って名字、今のお父さんの名字ですか?」

「いえ、お母さんの名前。お父さんはお婿さんですって」

「じゃあ、・・・青木って名前だったことってありませんか?」

 さあ?と由利先生は首を傾げた。

「そこまでは知らないわ。なんで?」

「あ・・、いえ・・・・」

 馬木は思わず沖浦と視線を交わした。由利先生に言うべきかどうか?

 角谷が言った。

「ねえ由利先生。先生はおとといの夜にあった『ほんとうにあった少女霊ビデオ』って番組見ました?」

 馬木はおいおいと思ったが、由利先生は・・

「ああ! 見た見た! おっもしろかったわねー」

 と大喜びした。おいおい・・だ。

「カッくんも見たのー?」

 甘い声を作って思いっきり笑顔で見つめた。由利先生は角谷が大のお気に入りだ。

「ええ。部屋のライブ映像に幽霊みたいな女の子が出てきたでしょう? 俺たちあれが葉子ちゃんに似ていたなって話してたんですよ」

「桜野さんに?」

 由利先生はうーん・・と考えた。

「そうだったかな? よく覚えてないけど・・。偶然でしょ?」

「それが偶然とばかり言えないようなんですよ」

 角谷はいいよな?と馬木たちに確認して5年前のビデオに出演していた青木ようこという少女が桜野によく似ていることを話した。

「えーっ!? あれ、作り物だったのー!?」

 ・・・おいおい。先生は、なによーつまんないのー、とブーたれた。

「で、それでなんなの?」

 馬木が言う。

「桜野はそのテレビに関係して何かのトラブルに巻き込まれたんじゃないかと心配しているんです」

「うーん・・・、そっかー・・・」

「桜野の家では桜野の行方不明をどう思っているんです? 警察には届けたんですか?」

「警察には届けたようよ。なんと言っても桜野家のお孫さんですからね、警察の方でもそれなりに真剣に取り組んでいると思うわ。誘拐の可能性もあるし、慎重に取り扱っているんでしょうね。でも、家出か、ちょっとした非行か・・。そういう年頃だし、以前はいろいろあったわけだし、警察も両方考えているでしょうね」

 いずれにしろ表立っての捜索は控えていると言うところか。

「俺、これからそこに行ってみようと思います」

「ええ、そうね。行きましょう」

 由利先生は反対するとか止めるとかするかと思ったらあっさり賛成した。ポカンとした馬木に、

「なによー? 大事な生徒のためじゃない。それくらいするわよ」

 いい先生だ。

「で、どこ? 知ってるの?」

 場所を教えると、

「ええーっ!? そんな近くなのー!?」

 と驚いた。ほんとうに素直ないい人だ。

 あの・・、と沖浦が言った。

「ああ、沖浦さんは来なくていいわよ。やっぱり女の子は心配だから」

「いえ、そうじゃなくて、・・・・金森先輩はどうなんです?」

 由利先生も顔を曇らせて答えた。

「まだ意識が戻らないそうよ。でも、命は無事だったんだから、きっとだいじょうぶよ」

「はい・・・」

 馬木は沖浦が何を考えているか分かる。金森先輩を脅して責めて、そのせいで事故にあったんじゃないかと気にしているのだ。

「おまえのせいのわけないだろ。あれは・・」

 馬木は思い出して瞬間的にゾッとなった。

「あれは・・、金森先輩の不注意だ。ただの事故だ・・・」

 ただの事故・・。どこかで聞いたような言葉だ。馬木は出来るだけ思い出さないようにする。

「おまえは残ってろ。って言うか、帰っていいぞ。どうせもうこの夏は映研の活動はないだろう」

 うん・・、と沖浦は頷いた。馬木はほっとした。何故か沖浦をそこに連れていくのは拙いような気がした。

「行ってきたら電話で報告するから、いいな?帰れよ」


 松岡も何故か遠慮した。

「俺もちょっと用があるから」

 と。今日は珍しく憎まれ口もきかず、大人しい。なんとなく分かる。由利先生は松岡を嫌っているし、松岡も由利先生を苦手にしている。松岡が来ないのは馬木もありがたいが。


 由利先生の車で行くことになった。馬木も角谷もついウキウキした気分になったが、先生の車、古いタイプのカローラを見て、うっと思わず後ずさった。・・・汚い。泥とほこりにまみれて、後部座席はクレーンゲームの景品のぬいぐるみが占拠し、くしゃくしゃのティッシュペーパーとチョコレートの包み紙とジンジャーエールの空き缶が散乱していた。

「部長、後部座席。カッくん、助手席ね」

 てきぱきと指示する。

「先生〜。若い女性なんだからもう少し・・・」

 馬木は取りあえず座る場所を確保しつつ情けなく言った。幻滅である。

「あ〜? 若い女性のナマの生態に触れられて興奮するでしょう?」

 しないって。角谷も苦笑しながら言う。

「先生。俺今度洗車しますよ」

「ワオ! ラッキー」

 角谷に対してはハートマーク付きだ。

「シートベルトした? 行くわよ」

 覚悟して身構えたが、意外と運転は上手く、スムーズに発進した。

 学生の通学路である商店街の細い道を抜け、大通りを行き、左折して坂道を少し上った。五十嵐大学付属病院のエントランスが見えた。駐車場があるが、入らず、右折してぐるっと病院の周囲を巡った。また坂道。左手、フェンスの向こうの病院の白い建物がどんどん下に下がっていく。病院と大学の医学部があって、どういう構成になっているのか分からないが、表の大きな四角の建物の裏手にいくつかこぶのように小棟が連なってくっついている。こっちが医学部かも知れない。

 フェンスが切れ、松を中心とした夏の緑のこんもりした林が現れた。右手にも広がっている。左折して林の中を通る道を走っていく。あのまままっすぐ行けば50メートルほどですぐ海岸だ。8月6日日曜。海水浴客の車がたくさん見えた。海がこんなに近くなのに馬木は今年はまだ泳ぎに行っていない。葉子と行こうか?という話はしていたのだが・・。

 右手、大学病院と反対側の林の中に3階建てのアパートの群が見えてきた。4棟か。その手前に空き地がある。ここに・・・・。

 空き地にロープが張られていた。立入禁止と札が下がっている。

「部長。ロープ上げて」

「ええ〜、立入禁止って書いてありますよ?」

「こら、かわいい一年生部員が心配じゃないの?」

 馬木が下りてロープを引き上げると由利先生はカローラを進入させた。こんなに行動力がある、というか、怖い物知らずの人だとは知らなかった。

「うわー・・、すごいわねー・・・・」

 車から降りてきて、先生も馬木たちも圧倒された。

 家の周りは真っ赤だった。花だ。真っ赤な大きな花が咲き乱れていた。

「ハマナスかな? あんなに真っ赤な花だったっけ?」

 ハマナスはこの向こうの砂浜にたくさんはえている。たしか赤紫とか白とかの花だったと思う。

「うわ、どこから行こう?」

 ハマナスは太い茎にびっしり鋭いとげが生えているので要注意だ。ルートを探していると、

「おいおい、あんたたち」

 と、となりのアパートの方からすててこ姿のおじいさんが渋い顔でやってきた。

「駄目だよ、入ってくるなってあっただろう? 海水浴か?それとも野次馬か? どっちにしろ駄目だよ、あーあ、車まで乗り入れちゃって。駄目だっていうのに、しょうがないなあ」

 細い腰に手を当てて年長の由利先生をジロリと睨んだ。馬木たちは半袖シャツに学生ズボンをはいている。由利先生はけっこうミニな黒のワンピースに白のボレロとかいうものを羽織り、青いサングラスに替えている。

「すみません。わたし青山高校の教師で、由利と申します」

 由利先生は名刺を老人に渡した。老人は名刺を確かめて由利先生を見た。

「講師」

 由利先生はニッコリ押しの強い笑顔を作った。

「実は、内密に願いたいんですがおとといの夜からうちの生徒が一人行方不明になっていまして、どうやらここに来たようなんです」

「生徒さんが?」

 老人は怪しみ、ウンザリしたように言った。

「ま、昨日から若い子はいっぱい来ているからね。迷惑な話だよ。入っちゃいかんと言うのに、隙を見てこっそり入ってくる。夏休みだからしょうがないだろうけれど、先生方にも注意してもらわんとね」

 角谷が質問する。

「やっぱりテレビのせいで?」

「そうだよ。映ったんだろう?ここ。外からは撮さないって約束だったのにな」

「やっぱりここなんだあー・・」

 家を眺めた。近くで見ると、確かにボロい。2階建ての小さな家。青い瓦屋根に元は緑色だったとおぼしきトタンの外壁はすっかり色あせ錆でボロボロになっている。1階の窓の障子は皆破れて黄ばんでいる。木枠の戸のかしげた玄関の柱に木の表札がかかっているが黒く汚れてまったく読めない。2階の、あの窓が撮影の行われた部屋だろう。ボロボロのカーテンが端にぶら下がり、真っ昼間の日射しの中、部屋の内部は真っ黒だ。

 その窓に、すっと下から顔が覗いた。

 馬木はひゃっと悲鳴を上げたが、

「あっ、こら!」

 と老人が怒鳴った。しばらくして家の裏手から中学生くらいの男の子と女の子が出てきて裏の林の方に逃げていった。

「ほら、これだよ。油断も隙もあったもんじゃない」

 老人はプンプン怒り、馬木は角谷にニヤニヤ見られて赤くなった。

「なるほど、裏から入れるんですね」

 と由利先生は言い、老人にいいですよね?とニッコリ笑いかけた。

「しょうがないなあ」

 老人は仕方なく言ったが、馬木が尋ねた。別に中に入るのを躊躇したわけではないのだが・・。

「ここは大学の施設なんですか?」

「いや、私有地。個人の土地だよ」

「そうなんですか。では、あなたは?」

「わしは、となりのアパートの管理人で、その土地を管理している会社からついでに頼まれているだけだ」

「その会社の土地なんですか?」

「さあ、知らんね」

「これ、家ですよね? 誰が住んでいたんです?」

「さあ、知らん。わしが来た10年前にはもう空き家だったからな」

「誰も住んでいないのに10年以上土地だけほったらかし?」

「わしは知らんよ。どうせ金持ちなんだからこんな土地、どうでもいいんだろう」

 すかさず角谷が訊く。

「どなたの土地かご存じなんですか?」

「・・・知らんよ・・・・」

「ひょっとして、桜野さんの土地?」

「・・・・・・・・・」

 図星だったらしい。事件はどんどん桜野へ関係が収束していく。

「桜野さんの家のどなたかがこちらに来たことはありますか?」

「・・・・・・・・・」

 老人はむっつり貝のように口を閉ざしてもういっさいしゃべるつもりはないらしい。

「それじゃお邪魔しまーす」

 由利先生が言って歩き出し、馬木たちも後に続いた。角谷が言う。

「多分桜野家・・おじいさんの方ね、そっちの方じゃ本当にどうでもいい土地なんじゃないかな? でなきゃテレビの取材なんて許さないだろう? きっと大学に売りつけたかったけれど値段の折り合いが付かなかったとかそんなところじゃないの?」

「そうか? けっこうな土地じゃないか?」

 奥行き20メートル幅30メートルくらいある。

「せめて駐車場にするくらいのことはしないか?」

「うーん、どうなんだろうねえ?」

 由利先生に訊く。

「ねえ先生」

「なーに」

「この一帯の林ってどこの所有なんです?」

「さあ? 国か県じゃないの?」

「そこにこうして個人の土地があるんですか?」

「そうね。用地買収で折り合いが付かなかったんじゃない?ま、相当昔の話でしょうけれど。でも、あるじゃない、けっこう広い道路でもポコッと変な土地が飛び出しているの」

「そういえばありますねえ」

 裏手に回ると大勢の人間が踏み荒らしたようにハマナスが倒れて道が出来ていた。由利先生はトゲに触れないように気を付けながら進んでいった。

「はい到着。行け!部長!」

「ええーっ、俺?」

「あんたが行かないで誰が行くの? あたしに行けって言うの?」

「いえ・・・」

 恨めしそうに角谷を見る。

「俺も行くけどさ」

 まずはおまえがと薄情にニヤニヤして手をニギニギした。

 馬木は崩れた壁をくぐった。剥き出しの水道管。洗面台の下だ。木目調のマットが浮き上がって波打つ床には白く乾いた足跡がいっぱいに付いている。窓はあるが表の明るさに目が慣れていて暗い。右手に小さな風呂場、左手、開いた引き戸の向こうは台所のようだ。

 よいしょと上がると、ガサッと嫌な感触がしてググッと床が沈んだ。腐っている。正面の引き戸も開いているがその向こうに開いたドアがある。トイレのドアだ。廊下へ出てそーっと覗く。和式の便器に空き缶やアイスの袋などゴミがいっぱいに詰まっている。壁にろくでもないらくがきがいっぱいある。短い廊下の先はもう玄関だ。左手に部屋が一室、右手にこのトイレと、階段があるきりだ。本当に小さな家だ。

 なるほどらくがきがあちこちにされている。壁はもちろん、いったいどうやったんだか天井にまである。『死霊の盆踊り』とかお化けを意識したものが多い。ということは心霊スポットとしての噂が立ってからのもので、するとこれは金森先輩たちが噂を流したせいだろうか? 罪なことをしたものだ。

 玄関の傾いだ格子の間に磨りガラスを通して表の群生するハマナスの真っ赤な花がぼんやり滲んでいる。左の部屋の障子のボロボロに破れているさまを見て、馬木はもう足がすくんでしまった。階段の先など、見上げるのも怖い。

 トントンと台所の方から音がして、馬木は飛び上がった。

「ねー、ここ開かないの?」

 由利先生だ。馬木は急いで戻った。裏口がある。鍵を外して開けると、ギイッと嫌な音がして上の方が引っかかった。歪んで、変形しているのだ。ドンドン叩くと、パラパラ乾ききったゴミが降ってきて、バアンとドアが開いた。

「入り口があるなら開ければいいのに、なーんでさっさと開けないかなあー」

「はあ、すみません」

 思いもよらなかった。

「お邪魔しまーす。靴はこのままでいいわよね」

 由利先生は遠慮なしにズカズカ上がってきた。

「うわあ、もうちょっときれいなら越してきたいんだけどなあ」

 いったいどんなところに住んでいるのか。角谷も先生の後に続いて入ってきた。

「どう?何か手がかり見つかった?」

「いや・・」

 そんな余裕はなかった。角谷は別に気にも留めないで由利先生といっしょにあちこちを眺めた。

「昼間はいいけど夜中に一人では入れないよねー」

 幽霊の噂が作り話だと分かっていても怖いだろう。三人いっしょに和室を覗いた。やはり畳の上に土足では上がりづらい。8畳。畳は膨れ上がって、カサカサになっている。破れた障子から真っ赤な花が覗いているようで馬木はゾゾッとした。

「なんか全体に水をかぶったみたいだねえ」

 角谷が黒ずんだ柱を触って言った。スがいっぱい空いている。

「ここまで波しぶきが飛んでくるのかなあ?」

「塩害はあるでしょうけれど、ここまで波が来たらたいへんでしょう?」

 丘の上だし、土地の分薄くなっているだろうけれど背後に防砂林が5メートルはある。

「じゃあ下からかなあ?」

 角谷が床を踏みながら言った。ミシミシ沈み込む。怖がる馬木にニタアッと笑って言う。

「下に何か埋まっているのかな? ハマナスの花があんなに真っ赤なのは地面の下の血を吸っているのかも・・・・」

 想像してしまった。

「ハイハイ、恐がりさんを脅すのはほどほどにして、まさかとは思うけれど人が隠れられそうな場所を探して」

 由利先生に言われて角谷は和室に入っていって押し入れを調べた。何もない。馬木は引き返して風呂場と台所を調べた。こちらも何もない。先生はガタガタ苦労して玄関の戸を開けた。この家に風が通るのは何十年ぶりだろうと思ったが、考えてみればテレビのスタッフが機材の搬入などで開けているだろう。必要以上に怖がる必要はないのだ、と馬木は自分を鼓舞した。

「一階は何もないねえ。と言うことは」

 やっぱり二階だ。

 階段は真ん中が見事に崩れ落ちている。足場が狭くかなり急だ。ちょっと気の利く設計士か大工なら物置でも作りそうなものだが、踏み抜かれた階段の下はただの空間で支柱が覗き、木片が散乱している。テレビの中継ではこの空間に女の目がじいーっと覗いていたのだ。まあ、あれも仕込みだったのだろうが・・・・。

 二階に上がるのは無理かと希望的観測を抱いたが、ご丁寧に手すりからロープがぶら下がっていた。

「いいよいいよ。今度は俺が先に行くから」

 角谷がぐっと引っ張って確認してからロープをたぐって器用に手すりによじ登った。

「うわっ、ちょっとここもヤバイ感じ。気を付けて上れよ」

 角谷に手すりを押さえてもらって馬木もよじ登った。先生は当然下で留守番だ。

 ここだ。ご丁寧にちょっとだけ戸が開いている。覗くのも開けるのも怖いが・・、角谷はあっさり開いた。

「ふうん、やっぱり何もないね」

 さっさと押し入れも調べ、窓から外を眺めた。

「ちょっと待った。そこからこっち覗いてみ」

 角谷がちょっとしゃがんで言った。カメラの立っていた位置だ。馬木は3分の1開いた戸からせいぜい怖い顔をして覗いてやった。

「そうそう、そんな感じだったよね。葉子ちゃんはそこに立っていたんだ」

「・・・・・・・・・」

「じゃあさ、こっちに歩いてきてよ」

 馬木は部屋に入っていった。

「そうそう、そうだよねえ。やっぱりそうなるよね」

「何がだよ?」

 馬木は角谷の前まで歩いてきて言った。角谷はニヤッとして言った。

「あそこからここまで歩いてくればどうしたってこのカメラに写るってことさ」

「あ・・・・」

 そうだ、スタジオが混乱して大騒ぎしていたからすっかり注意が逸らされてしまったが、あの後ここにあったカメラが倒された。それを倒したのが葉子なら、ここまで歩いてくる姿が必ずカメラに写っていたはずだ。

「なんだよ・・」

 馬木は今さらながらテレビに踊らされたことに腹が立った。カメラを見ていたスタッフはその姿を絶対に見ていたはずだ。

「いいじゃん。だからさ、テレビ局に掛け合ってそのビデオを見せてもらえばはっきり正面から顔が映っているはずだ。そうすればそれが葉子ちゃんかどうかはっきりするだろう?」

「そうだな」

 テレビ局があっさり見せてくれるとも思えないが、桜野家は地元の名士だし、犯罪に巻き込まれた可能性があるとなればまさかテレビ局も拒否はすまい。

「ま、別の誰かがもう一人いたって可能性もあるけどね」

 ヤラセなんだからその可能性もある。

「おまえやっぱりさすがだなあ」

「誰でも気付くだろう?」

 そうか・・。馬木はテレビに映ったものがすべてと思い込んでいた。

 二階にはもう一つ物置があるが、何もない空間を高い位置にある小窓からの強烈な日射しが白々と貫いていた。

「やっぱり何もなかったな」

 馬木はさっさと下へ行こうとしたが、

「待てよ、変じゃないか?」

 角谷は何か探して物置と廊下と部屋を行ったり来たりした。

「何探してるんだ?」

「この家、外から見たとき真四角だっただろう? おかしいじゃないか? 下と広さが違うぞ」

「あ・・・」

 本当に自分は目に見えるものにしか頭が回らない。下には8畳の部屋と台所と風呂場とトイレがあるのだ、ここには6畳の部屋とせいぜい3畳分の物置があるきりだ。階段を上りきったところに物置、反対側に部屋。正面から見て右半分がほぼそっくり消えている。

「・・・・ただの手抜きなんじゃないか?」

 角谷は馬木の臆病な言葉なんか無視して考えている。

「2階の東側に窓ってあったっけ・・。ふつう構造を考えればここにもう一部屋あるはずなんだよな・・・・」

 角谷は階段脇の壁を眺め、トントン所々叩いたりした。

「壁紙をベリッとめくったら隠されたドアが現れたりしてな・・」

 馬木はますます怖気だった。角谷が呆れて、少し怒って言った。

「おまえさー、葉子ちゃんのことが心配じゃないのか?」

「そりゃもちろん心配だよ」

「家庭のこと聞かされて嫌いになっちゃったか?」

「・・・・・・・・」

 馬木は黙った。そんなことはない、と否定したいが、どうなのか、分からない。嫌いになんてなっていない。しかし、葉子が実は馬木の思っていたような子じゃなかったのは確かだ・・。

 いや、と馬木はようやく勇気を振り絞った。馬木の知っている葉子はやっぱりそのまま葉子のはずだ。過去の葉子なんて、知ったことじゃない。

「おりゃ!」

 やけくそで壁を蹴った。・・・痛い。

「映画みたいには上手くいかないな」

 角谷が笑って言った。

「じゃあもっと勇気のあるところを見せてもらおうかな。部屋の押し入れから天井裏に出られるだろう。そこから隣がどうなっているか見てくれよ」

「え・・・・」

 死ぬ。心臓発作で。

「後でちゃんと葉子ちゃんに報告してやるよ、葉子ちゃんを捜すためにおまえがどれだけ勇敢だったかな」

「うう・・」

 仕方ない。馬木は部屋に戻って押し入れの前に立った。きれいに何もない。それがかえって怖い。この部屋だけほとんどらくがきがないのだ。なんだか押し入れから冷気が漂ってきている気がする。

「やっぱり俺が行こうか?」

 馬木は無言で上の段に上った。押し入れに入るのなんて小学生以来だ。天井板に手をかけた。ガタッ。持ち上げる。ビクビクしながら顔を覗かせた。・・映画じゃここでぬっと白塗りの女の顔が現れるんだ・・と叔父に教えられた。夜眠れなかった。心臓を破裂させそうにしながら見渡した。通気口の小さな明かりだけ。目を慣れさせるためじっと暗がりを見た。柱が何本も立っている、その奥が見えるようになってきた。ずっと家一軒分の空間が広がっている。隣と仕切る壁はない。この部屋と同じ天井板が敷き詰められている。どうなっているのか分からないが、この下に閉ざされた空間があるのは間違いない。

 ふと、馬木の神経が強烈な危険信号を発した。ほんのかすかだが、何かを感じた。

「・・フン・・・・・」

 鼻。臭いだ。ゾゾゾゾ・・・・、と全身が鳥肌立つ。人間が絶対に受け付けない類の臭いだ。体がガクガク震えた。顔がブルブル震えて本当に歯がガチガチ鳴った。

 じっと、一点を見つめる。暗くて見えない。しかしそこに小さな穴が開いているのを感じる。そこから、となりの空間の臭いが漏れてきているのだ。馬木は動けなくなった。

「おい、どうした? 何かあったのか?」

 角谷が心配して声をかけた。馬木は引き寄せられるように見えない空間に手を伸ばした。失神寸前になっているのかも知れない。ガリッガリッと板をかく。爪が板の端にかかった。逃さないようにぐっと力を入れ、板をはぐった。

 わっと下で角谷が声を上げた。

「なんだ!? なんの臭いだ? おい、オット、だいじょうぶか!?」

 馬木の顔に異臭が吹き付けている。顔をしかめることも忘れて黒い空間を見つめた。窓は外からトタンを打ち付けられて潰されていた。こちらからの明かりだけで、暗闇に慣れた目にようやくかすかに床が見えている。男が仰向けに倒れていた。生きていないのは、この臭いで明らかだ。

「おいっ、オット!」

 角谷に足を揺さぶられて、馬木はへなへなと座り込んだ。もう動けない。腰が抜けた。

 それがこの事件の第一の犠牲者、青木雄二だった。

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