第20話 告白
「どうしましょう?」
馬木は横にのいて入り口を開けて紅倉に訊いた。紅倉は入らずに左手を開いて突き出した。
「美貴ちゃん。人形とビデオカメラを。急いで」
芙蓉は返事もせずにさっさと部屋に入るとベッドから葉子・・の人形を抱き上げた。人形は苺プリントのかわいいパジャマを着ていた。芙蓉はビデオカメラを三脚ごと掴むと馬木に突き出した。馬木が受け取ると芙蓉も「急いで」と急かした。ぐらっと叔父さんの顔が動いた。馬木を見ている。生きていたのか!?
「早く、逃げ、な、さい。罠だ。もう、保たない・・」
「急ぎなさい!」
芙蓉に押されて馬木は部屋を出た。
「先生」
紅倉は頷き、ゆっくり後退しながら腕を降ろした。叔父さんの顔がぼっと燃え上がった。
「叔父さん!」
「急ぎなさい!」
馬木も走った。良かった、最後にいつもの笑顔の叔父さんを見られて・・・・。
紅倉は芙蓉に手を引かれて助手席に乗り、馬木は葉子の人形といっしょに後部座席に押し込まれた。葉子の人形は硬いプラスチック製だった。車が発進すると小屋から火が漏れだした。すぐにバチバチ燃え上がり、走る車を追って炎が地面を燃え広がってきた。車に乗り込むとき既に地面からガソリンの臭いが立ち上っていた。車は舗装されてない砂利道を走り、やがて炎は後方に下がっていった。夜陰に赤い炎の海は幻想的だった。叔父の小屋ははかなくもあっけなく崩れ落ちた。
マンションに送ってもらって、馬木は夜中一人で叔父さんの遺言ビデオを見た。
翌日夕方4時、馬木と角谷と由利先生はホテルの紅倉美姫の部屋に招待された。テレビの撮影隊が使っているのとは別のホテルだ。彼らはこちらでの撮影を終え一部を残して東京に引き上げた。あちらでは徹夜でVTRの編集作業だそうだ。
紅倉の部屋は芙蓉といっしょのツインルームだった。紅倉は馬木たちにケーキと紅茶のルームサービスを取ってくれた。由利先生は感激して大喜びで高級ホテルのスイーツを堪能した。馬木は今日の午前中の約束をキャンセルして、昼間先生と角谷が何をしていたのか知らない。興味もわかない。
「昼間石油のわき出た現場を見てきました」
紅倉が報告する。
「火が消えてから昨夜の内にコンクリートを流して穴を塞ぎましたが、今もじわじわ周囲の土にしみ出ています。あれは人為的に貯蓄されていたものではありません。あれは・・太古の世界からやってきたものです」
「石油って大昔の生物や植物が化学変化してできたものですものね?」
由利先生に紅倉は曖昧に頷いた。
「まあそういうことです。異常なのは・・、もうニュースで見ていますね?」
由利先生も角谷も頷く。馬木は知らない。午前中母と一緒におじいちゃんの家に行っていた。叔父の焼死体が見つかったのだ。ただし骨までグサグサに焼けこげていたので本人との確認はできていない。よほどの高温で焼けたようだ。おじいちゃんもおばあちゃんもがっくり落ち込んでいた。慰めようがない。由利先生が説明してくれる。
「全国各地で同じように石油がわき出てきたのよ。ここほど大量ではないけれどね。山とか沼とか、お寺や神社の境内からわき出たところもあったわ。北は北海道から南は沖縄まで、30カ所くらい発見されているけれど・・、あの感じだともっとたくさん、全国の土地にくまなくわき出ているんじゃないかしら?」
目で紅倉に問いかける。
「そうですね。今は出ていないところでもやがて日本中のあらゆる土地からわき出てくるでしょう。こうなるともう石油成金だなんて喜んでいられませんね」
この皮肉は葉子の伯父に向けてのものだろう。
「バケモノに変身しちゃった女性も計算じゃあ18人になってるはずよね? やっぱり何か関係あるんでしょ?」
「それはまた後のお楽しみ。明日の夜の番組をお待ちください」
紅倉はニッコリ微笑んで宣伝した。
「ところで・・」
深刻な顔を馬木に向けて遠慮がちに訊いた。
「叔父さんのビデオは、どうかしら? 見せてもらえるかしら?」
馬木はちょっと恨みがましい目で紅倉を見て訊いた。
「あなたはビデオの内容をもう知っているんじゃないですか?」
「ええ、だいたいのところは。あなたには辛い内容ですね。無理に見せてもらわなくてもいいですよ」
角谷も気を使って言う。
「そうだぞ。無理しなくていいぞ」
「いや、いいよ。おまえと先生なら、見てもいいよ」
馬木はテレビに古ぼけた8ミリビデオカメラをつないで、再生ボタンを押した。
画面に覆い被さるように叔父さんの体が映った。三脚にセットしたビデオカメラの録画スイッチを入れたのだ。後ずさり、腰から上で画面に収まる。その頭の上に輪になったロープがぶら下がっている。背後には裸の女たち、叔父さんといっしょに溶けていた生き人形たちが立っている。叔父さんはカメラに向かって、馬木に向かって、話しかける。
『えーと・・。このビデオの第1発見者がヨッくん、馬木良人君であることを望みます。・・・迷惑だろうけれど、ごめんね、賢い君ならたぶん勘づいただろう』
叔父さんは子どもの頃から何かと「ヨッくんは賢いねえ」と褒めてくれた。
『えーと、そうです、わたしが君が持ってきたフィギュアの作者で、あのマスクを作ったのもわたしです。
うーん・・。きのうおじいちゃんの家であの心霊ビデオについて話したね。あのお化けのマスクについてそ知らぬ振りをしていたわたしを怒っているだろうね? ごめんね、まさかね、君が直接あの事件に関わっているとは思いもしなかったんだよ。ちょっとした野次馬根性だろうと、そう思い込んでいたんだ。それにあの事件そのものをわたしはあまり深刻に受け止めていなかったんだ。あのビデオが作り物だっていうことは知っていたからね。何を悪ふざけしているんだろうと呆れ返っていたんだよ。もうずいぶん長く世間と隔絶した生活を送っているからねえ。
今日あのフィギュアを見せられてね、内心ギョッとしたんだ。恥ずかしかったんだなあ、あんな物を作っているだなんて。でも、君はもっと深刻だったんだね。駅の待合室でテレビを見ている君を見たんだ。たまたまね、せっかく出てきたんだから駅ビルの書店でも寄っていこうかと思ったんだ。わたしは・・、ヨッくんが何故あんなにひどいショックを受けているのか分からなかった。ニュースを見て、愕然とした。まさかね、君たちが知り合いだったなんて・・、君のショックを受けた様子から単なる知り合いじゃなくより親しい仲だったなんてね、驚いたよ。ごめんね。
君は、発見された少女の遺体が彼女であることを知っていた。わたしも知っていたんだよ。
彼女・・桜野葉子は、わたしの女王様だったんだよ。
恥ずかしい限りだけれど、わたしはご覧の通りの男で(と背後の人形の美女たちを示す。画面に映っているのは2体だが、いずれもタイプの違う最上級の美女だ)生身の女性にはまるっきり駄目な惨めな男だ。わたしは葉子ちゃんのオモチャになって、命令されることはなんでも喜んで従っていた。知り合ったのは彼女が7歳、小学校2年生の時だ。だから彼女にとってわたしとの関係は純粋に子どもの遊びだったんだよ。しばらくは、ずっとね・・。
こうなったからには告白しよう。そもそもわたしは桜野緑海と愛人関係だったんだよ。葉子ちゃんのお母さんだ。女性はまるっきり駄目だなんて言っておいて矛盾だらけに感じるだろうがそもそもは緑海さんがわたしの女王様だったんだよ。わたしは彼女の成すがままでね。そもそもは・・・・、
もうずいぶん昔のことだ。わたしはこう見えて小学校の頃はけっこう活発な男の子でね、夏休みにはほぼ毎日海に泳ぎに行っていた。ある時、小学校6年生の時だ、いっしょに遊びに来ていた友だちが近くにお化け屋敷があると言い出した。防砂林の中の、そうだよ、あの家だ。
・・これはあの人のプライバシーに関わることで、話すべきではないと思うんだが、今起こっていることを考えると、わたしの知っていることを話しておくべきだろう・・。
その家から人間とも猫とも鳥ともつかない奇妙な声が聞こえて来るんだそうだ。人は一応住んでいるらしいが朝と夕方に通ってきて30分ずつくらいいてすぐ出ていくそうだ。なんでそんなことを知っているかというとその隣が大学の寮でその友だちの従兄弟が入っていたんだ。ある時その家から男の叱りつける声が聞こえてきた。ちゃんと面倒をみろ!と。するともう一人、この家に通ってきている年寄りの声が、勘弁してください、恐ろしくてとても耐えられません、と謝っている。叱っていた50代の男が、いいか、ちゃんと見ているんだぞ、と怒りながら出ていって、謝っていた老人も夕方、それから1時間ほどしてやっぱり出ていってしまった。夜になって真っ暗になってからも奇妙な声はその家から聞こえてきたそうだ。
友だちがその家を覗きに行かないかと言い出した。いったい何が居るのか見てやろうぜと。わたしが賛成したと思うかい? 賛成したんだよ。わたしは何かが閉じこめられていると思ったんだよ。解放してやろうと、正義のヒーロー気取りだったんだね。冗談のつもりですっかり引いちゃってる友だち二人を引き連れてわたしはその家に向かった。
家に入るのは簡単だった。老人はいつも玄関脇の植木鉢の下に鍵を置いていたんだ。わたしは一人家に入ると友だちに外から鍵をかけさせた。代わりに裏口の鍵を開けて万一の時のための逃走路を確保してね。友だちにも来いって言ったけど怖じ気づいて来なかった。わたしはかまわず家の中の探検を始めた。
家は入ったときからおかしかった。生臭い魚の臭いが家中に立ちこめているようだった。真夏なのに窓は全部閉め切っていた。生き物を閉じこめておくには最悪の環境だ。わたしはおーい誰かいませんかー?と小さく呼びかけながら家の中を歩いた。どうやら2階が怪しいということで階段を上がっていったが、どうもそれらしい部屋はない。しかし生臭さは鼻をつままないではいられないほどひどくなっている。どこかに隠された監禁場所があるに違いないと思った。部屋の押し入れを開いたとき、懐中電灯が置いてあった。臭いは最悪にひどい。どこかに入り口があるだろうと思ったら、あの声が聞こえたんだ。キュルキュルキュルキュル、って、テープを早回しするような、奇妙な声が。わたしは押し入れの壁をコツコツ叩いた。そしたらドシンと何かがぶつかってきた。誰かいるんですか?と訊いても返事はない。どこに入り口があるんだろうと考えて、思い付いたのが天井だ。ふふふ、江戸川乱歩だよ。上の段に上がって天井板をめくったら、もう臭いがひどいんだ。それでもここまで来たら好奇心が勝っている。となりの部屋の天井板を探ったら、一カ所はぐれる。板をよけて、懐中電灯で照らした。
部屋の中はひどい有様だった。魚を食い散らかした残骸が部屋中に散らばっていた。一度も掃除なんかしたことはないんだろう、老人はここからエサの生魚を投げ入れて、それっきりだ。照らしてみたら壁には窓があるのに外から外壁でふさがれていた。わたしは何を飼っているんだろうと、懐中電灯の光を下に向けておーいと呼びかけた。押し入れの下からガサガサガサッと出てきたものを見てわたしはひっくり返りそうに驚いた。5歳くらいの裸の女の子だったんだ。まさか人間がいるとは思わなかった。わたしは子供心にこの劣悪な状態で監禁されている少女に哀れみを感じて、監禁している大人に怒りを感じた。
が、こちらを振り仰いだ少女の顔を見てわたしは悲鳴を上げた。少女には、目がなかった。眼球のない肉が瞬きするたび蠢いた。怪物だった。少女はわたしを見上げてキュルキュルキュルと鳴いた。魚みたいに丸い口には小さな尖った歯がいっぱい生えていた。
人間じゃなかった。バケモノだった。
わたしは逃げだそうとしたが、躊躇した。顔はバケモノでも、姿は人間だ。何かの病気かもしれない。ならばなおさらこんなところに閉じこめておいていいわけない。わたしは迷った。警察に通報しようか? でも無断で家に入ったことがばれてしまう。少女は押し入れの中板に手は届くがよじ登ることはできないようだった。目が見えなくても感じるのだろう、わたしに手を伸ばしてきた。わたしは彼女をここから連れ出そうと決心した。彼女を裏口から連れだして、彼女が勝手に家から抜け出してきたことにすればいい。そして警察に連絡するんだ。
わたしは天井に這い上がってとなりの押し入れに下りた。彼女の手を握るとぬるっとした。汗というより粘液という感じだった。生魚のぬめりかもしれない。抱き上げると彼女はわたしにしがみついてきた。外へ出るんだよと言い聞かせて天井裏に押し上げた。ところが彼女は嫌がって戻ろうとする。怖がっているんだろうと思った。この様子では生まれてからずっとこんな風にして閉じこめられていたんだろう、外の新鮮な・・とも思えないが、彼女にとっては初めての外気だ。わたしは大丈夫だからと言い聞かせて無理やり彼女をとなりの部屋に下りさせた。
彼女が怖がっていると思ったのは間違いだった。彼女は、光が駄目なんだ。彼女は床をバタバタ転げ回った。わたしは怖くなった。とんでもない間違いを犯したかもしれないと泣きそうになった。わたしは慌てて彼女を抱き上げて元の部屋に戻そうとした。ところが、彼女は突然もの凄い力でわたしにしがみついて、わたしのTシャツの中に潜り込んできた。海から来たからね、海水パンツにTシャツを着ただけの姿だった。子どもとはいえ裸の女の子にぴったり肌を密着されて抱きしめられているんだ、わたしは怖いながらも妖しい気分になった。しかしそれも彼女が無理やりシャツの首から顔を出してわたしに顔をくっつけると吹っ飛んだ。正面からまさに密着だ。彼女の口から強烈な生臭さがわたしの口の中に流れ込んできた。あれが一応わたしのファーストキスだ。強烈な生臭さを味わいながら、しかしわたしは何故かうっとりしたような気分になってきた。彼女の舌から甘い唾液が流れ込んできたのだ。バケモノの顔の彼女に、わたしは女性の性を感じた。次に恐怖が襲ってきた。わたしの目に、彼女のまぶたの中の肉襞が覆い被さってきたのだ。肉襞はわたしのまぶたの奥に入り込んできた。脳天に強烈なショックを受けて、訳の分からない視覚がなだれ込んできた。あれは、人間の感覚ではなかった。少なくとも目で見る視覚ではなかった。わたしはショックで半分気絶していた。すると、今度は下半身が異様な感触に包まれた。わたしは・・、彼女の胎内に射精してしまったのだ・・・・。
意識が戻ってきて、ぼんやりした視界の中で彼女が変身していくのが見えた。目が現れた。肉襞の中に透明なガラス玉が現れ、白くなり、黒目が現れ、わたしを見た。ぺちゃんこだった鼻がつんと尖ってきて、丸い魚の口だったのが閉じて、柔らかな唇が盛り上がってきた。ニッと笑うとふつうに白い人間の歯が揃っていた。わたしは取り込まれたのだと思った。彼女はわたしを取り込んで、人間になったのだ。
変身した彼女は、とてもかわいい女の子になっていた。彼女は甘い息でわたしにキスし、裸の体をこすりつけ、わたしの股を撫で回した。わたしは彼女を振り払い、逃げ出した。泣いていたと思う。ショックで、訳が分からなくなっていたんだろう。家を逃げ出して、それからどうしたのか覚えていない。ふふふ、わたしが女性が駄目になったのがよく分かるだろう?
彼女と再会したのはそれからずうっと後、今から10年くらい前だ。わたしはもう30を過ぎていて、すっかり引きこもりの生活を送っていたが、それでもまだ世間とのつながりは持とうと努力していた。ある地域のイベントにボランティアスタッフとして参加していて、そのイベントに彼女が客として現れたんだ。もちろんわたしは彼女があの時の少女だなんてまるで気付かなかった。彼女はわたしを見るなりかなり積極的に迫ってきて・・、かなりお酒が回っていたようだったけど、それでわたしが彼女のお世話係を押し付けられたんだ。彼女はまだ23歳だが既に二人も娘がいるとのことだった。彼女は何故かわたしがやたら気に入ったようで、イベントが終わるまでずうっと待っていて、わたしは誘われるまま彼女とホテルに入った。
女性とホテルに入るなんて初めてのことだった。彼女はとても慣れたようで、わたしは成すがままにリードされていった。わたしは彼女を遊んでいる女と軽蔑しようとしたが、できなかった。彼女はひどく情熱的で、わたしはすっかり彼女に溺れていった。幼い頃の悪夢の性体験を忘れるようにわたしも精いっぱい積極的に彼女を抱いた。
彼女とはその一度きりの関係かと思ったが、彼女はたびたびわたしに連絡してきて、ひと月に1度、多いときには週に2度も3度もホテルで会った。この小屋だからね、電報が来るんだよ? はははは・・。
彼女と会う内、彼女の生い立ちを知るようになり、わたしはとうとう彼女、桜野緑海があの家の少女だったことを知った。その時のわたしの驚愕。計算するとあの時緑海はまだ3歳だったらしい。しかし緑海はあの家で子どもの頃育てられたらしいということは知っていても自分がバケモノであったことは覚えていないらしかった。だったらいいだろうとわたしは思うことにした。彼女がいったい何ものなのか知らないが、人間としての彼女はかなりひどい人生を歩んでいるらしかった。だったら、彼女を人間にした者として彼女の慰めになれるならそれでいいじゃないかと。当時彼女は2番目の夫と離婚したところで、その後二人の夫と再婚してそれぞれと二人の娘を生んだが・・、告白しよう、その二人の娘の父親はわたしだ。君が会えば分かるだろう、二人の顔にははっきりとわたしの特徴がある。いや、顔に関して言えば緑海自身わたしと似たところがある。特に目は、わたしとそっくりなんじゃないか? 君も彼女に会えば気付くだろう」
馬木は気付かなかった。叔父さんの告白で初めてそういえばそっくりだと思った。しかし葉子の母を好意的に感じたのは叔父さんに似ていたからかもしれない。
「緑海とわたしは兄妹のようなものなのかもしれない。二人の娘たちがどこかおかしいのは、そのためかもしれない・・・・。
さて、葉子ちゃんのことだ。君には本当にすまないと思う。緑海は、次女の紗恵ちゃんは連れてきたことはないが、長女の葉子ちゃんはよく連れてきた。葉子ちゃんが3番目の夫になじまず、暴力を振るうんだそうだ。それもかなり洒落にならないほどの。たしかに葉子ちゃんはかなりのきかん坊だったが、わたしにはなついた。なつきすぎるくらいに。緑海は葉子ちゃんがテレビを見ている隣で平気でわたしとベッドを共にした。小学校の2年3年の頃だ。わたしたちが何をしているかなんて分からなかっただろうが、葉子ちゃんは緑海に嫉妬しているのか後でわたしにやたらとじゃれてきた。わたしは拙いんじゃないかと緑海に言ったが、緑海は笑っているだけだった。
わたしはいっそきちんと結婚した方がいいんじゃないかと・・そう言える立場でもなかったんだが、一応プロポーズをした。だがそれは緑海に断られた。最初の夫で懲りた、と。わたしという愛人を持つのは父親に対する復讐でもあったのかもしれない。
しかしこの中途半端な状態はわたしたちに悪い影響を与えた。わたしと、葉子だ。わたしは愛人という日陰者の惨めさと、愛する女が他の男と夫婦生活を送っている嫉妬心に、屈折し、ますますいじけていった。葉子も、やはり子どもだ、母の二重の男関係にだんだん疑問を持つようになっていった。それに葉子は新しい父親たちにはまったくなじめず、一方でわたしにはひどくなついていた。わたしたちは夜会うことはなくなっていったが、昼間はよく会って、はた目には本当の親子のようにデートするようになった。
そうだ、あのマスクだったね。あれは葉子がわたしの小屋を訪ねてきて、お化けのマスクを作ってくれって依頼したんだ。まったく惨めなことにね、わたしは葉子からお小遣いをもらって生活していたんだ。葉子が小屋に遊びに来るようになって、わたしが以前作っていたフィギュアまがいの彫刻を見つけて、知り合いにこういうのが好きなのがいるから作れば売って上げると言われて、注文を受けて10体くらい作ったのかな? お金は葉子から受け取っていたから誰が買ってくれたのかは知らない。でもそのお化けのマスクはその知り合いの高校生の注文だということだった。
葉子が10歳、小学5年生の時だったね。本物の心霊ビデオみたいな怖〜いビデオ映画を作るから、リアルで、一目でギョッと恐怖するようなマスクを作ってくれってことだった。マスクは葉子がかぶって、葉子が幽霊役をやるという。わたしが真っ先に思い浮かべたのは葉子の母親、緑海の子どもの頃の姿だった。かなり悪趣味だが、当時わたし自身緑海に対するイライラした気分があって、つい、そういう物を作ってしまった。まあ一応アレンジは施したがね・・。映画の内容に関してもいくつかアイデアを出してイメージボードを描いてやった。葉子も面白がっていろいろ考えて、わたしが具体的な画にしてやったものもある。まさかそれがあんなビデオになるなんて思わなかった・・。
出来上がったビデオをダビングして葉子が持ってきてくれた。わたしの小屋にはアンテナはないがモニター用のテレビとビデオデッキはあるんだよ(確かにあの部屋にあった)。ビデオを見て、わたしは青くなった。ホラービデオとしてなかなかいい出来だったが、何より驚いたのはその撮影場所だ。あの家のあの部屋だったんだからね。聞けばそこは今は廃屋になって若いアベックたちのラブホテル代わりになっているという。そこがどんなに恐ろしい場所だったか、まるで知られていないんだ。そういうみだらな気分にさせる力があそこにはあるのかもしれない。そのとなりの隠された部屋に昔子どもだった母親が生活していたなんて、葉子もまさか知りはしないだろう。ニコニコ得意になって自分の演技を自慢していた。考えてみれば、あの時からか、葉子のわたしに対する態度が変化していったのは・・・・。
葉子が中学生になってもわたしとの関係は続いていた。わたしと緑海との関係も続いていた。わたしは母娘と本当の妻でもなく娘でもなく、中途半端で背徳的な関係をズルズル続けていたんだ。その間緑海はわたしとの間に二人の娘を生んでいた。わたしの惨めで屈折した気持ちはますます病的にひどくなっていった。そんなわたしに葉子は娘としてではなく一人の女として迫ってくるようになった。緑海と同じようにわたしを支配的に扱いたがったから、母親への対抗意識が強かったのかもしれない。ちょうどそういう年頃だったのだろう。
異常な関係だ。葉子は13、14歳、わたしはもう40間近だ。そんな関係がいいわけない。わたしはだんだん葉子を遠ざけるようになっていった。そうすると今度は葉子は夜遊びをするようになり警察に補導されることもあった。わたしたちは呪われているのだと強く思った。あがけばあがくほどズルズル深みにはまっていく呪いの底なし沼だ。葉子はイライラしてわたしを暴力的に扱うようになっていった。わたしはそれを葉子がわたしや緑海との異常な関係を悩み、解消したがっているサインと感じた。わたしも潮時だと思った。わたしは緑海と話し合い、二人との交際を全面的に打ち切ることにした。緑海は承知した。もっとも、その後もこっそり、つい最近も、密会は続けていたが。彼女は若い、驚くほどに。わたしはもうボロボロでミイラみたいにカサカサなのにねえ。彼女はいつまでたっても若いままだ。
交際打ち切りを葉子は怒った。わたしをひどく殴りもした。それでもわたしは大人としての最後の道徳心から彼女を説得した。彼女は一応納得し、その代わり一つ条件を出した。自分の生き人形を作り、自分の代わりに恋人にすることだった。わたしは既に何体かそういう人形を作っていたからね。(背後の人形を示して)こういう人形を作ったのはもともとは純粋に本物の人間そのもののリアルな人形を作ってみたいという気持ちからだったんだ。作っているうちにだんだん変な方向に反れていったがね。わたしは葉子をモデルに、彼女の5年後くらいを想像して人形を作った。人形が出来上がると彼女は自分の目の前で人形を恋人にする行為を要求した。ひどく残酷な仕打ちだったが、わたしは従った。彼女はその様子を眺めて、残酷に嘲笑った。いいわ、許してあげる。これからせいぜいそのお人形さんをわたしの代わりにかわいがってあげてね、と。そうして彼女はわたしの元から去った。
ヨッくん。君には本当にすまないと思う。しかしこれだけは誓う、わたしと葉子ちゃんの関係は決して許されない背徳的なものだったが、最後の一線だけは越えていない。わたしは君たちの関係が純粋なものだったと信じる。彼女は呪われていたんだ。残念ながらわたしたちはその呪いから抜け出すことはできなかった。葉子ちゃんが死に、その未来を奪われてしまった以上、彼女の一生を狂わせてしまった当事者としてわたしももはや生存を許されるべきではないだろう。卑怯な手だが、死を以てわたしのこの世での罪を清算させてもらうことにする。
さようなら、良人君。以上のようにわたしはろくでもない汚らしい人間だったが、人間とは二面性を持つ存在だと思う。いや、もっと多面的で、複雑で、バラバラな存在なのだろう。わたしの君に向けての愛情は部分的であるにしろ、純粋なものであったと信じてほしい。何よりわたしは君にわたしのような人間にはならないでほしかった。前向きに、正しい人生を歩んでいってほしい。わたしの存在が君の人生に暗い影を落としてしまうことを心よりお詫びする。すみませんでした。
では・・、テープの再生を止めてくれたまえ。これから見苦しいものを見せなければならない。君は見る必要はない。ビデオカメラを止めるべきだが、万が一、わたしの死因に疑問が生じた場合の証拠として録画を続けることにしよう。できたらその必要のないことを願う。
いいかい? 止めたかい? 止めてくれよ。さようなら」
馬木は止めない。昨夜も止めなかった。これから叔父さんの身に起こる恐ろしくもおぞましい出来事を、見た。




