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第9話 クトゥルー

 8月9日火曜午前10時。馬木と角谷は青山高校別館のコンピュータールーム準備室を訪ねた。コンピュータールームなんて大げさで、ただのパソコン実習室だ。しかしここは時間外の生徒の入室は禁じられている。インターネットに接続されているので生徒たちがろくでもないホームページを閲覧しないようにするためだ。

 準備室の責任者は由利絵梨佳先生。ほとんど由利先生の私室で、先生は眠そうな顔でコーヒーを飲んでいた。

「間宮浩さんが亡くなったそうよ」

「えー・・と、誰でしたっけ?」

「5年前の映研の副部長よ」

「!」

 馬木と角谷は思わず顔を見合わせた。

「昨日の夜名護野市で飛び降り自殺があったの知ってる? あれが間宮さんだったのよ」

 今朝の新聞でも読んだが、名前は伏せられていた。

「もしやと思って大学に問い合わせたら、やっぱり彼だったのよ」

 由利先生は開いていたノートパソコンを閉じて馬木たちをじっと見つめた。

「金森さんも昨日病院で錯乱状態になって、脳溢血を起こして再び意識不明になってしまったわ。おそらくこのまま植物状態になって快復はないだろうということよ。

 さて、どうする?」

「どうするって?」

「こうなるともう洒落にならないわ。あなたたちもこの件から手を引きなさい」

 馬木はノートパソコンが気になって訊いた。

「松岡の撮った写真は見たんですか?」

 由利先生は答えない。

「一応教師として生徒を危険にさらすわけにはいかないわ。桜野さんのことは警察に任せなさい」

「先生はどうするんです? 先生も手を引くんですか?」

「わたしに出来る事なんてないわ」

「手を引くんですか?」

「・・・・・・・・・・・」

 角谷が言った。

「いいですよ、手を引いても。ただし、由利先生が手を引くなら、です。やめますか?」

 角谷に真剣に見つめられて由利先生は困ってため息をついた。

「桜野さんはわたしの生徒よ。ま、担任でもないし、授業は週1回だし、部活なんか放ったらかしだけど・・、でも、生徒よ」

「じゃ、続けるんですね?」

「・・・・・」

 先生は、困っている。角谷は引かない。

「先生がやめないなら、俺も続けます。何と言われてもね」

 馬木も言った。

「俺はやめないですよ。まあ、出来ることもないけど。俺は・・桜野のお母さんにも約束したし・・」

 裏切れない。由利先生はじいー・・っと二人を見つめて、折れた。

「困ったなあ。正直なところ遊び半分だったんだけどね。わたしももう後に引けないわ。でも、後悔しない? 本当に拙いわよ?」

 馬木も角谷も頷いた。由利先生は「本当ね?」ともう一度念を押して、ノートパソコンを開くと馬木たちに向けた。

 馬木はギクッと思わず腰が引けた。ディスプレーいっぱいに女の顔が映っている。黒髪の若い女。しかし目玉を大きく剥き出し、口を半開きにしてカメラに迫り、まるでゾンビのようだ。その女の頭の向こうに別の女が同じゾンビの顔で覗き込んでいる。反対側にも。

「気持ち悪いですね。なんなんでしょう、この女たち?」

「バケモノに変わっちゃった人たちでしょうねえ」

「この人たちが? でも・・」

 バケモノではないなと改めて見ると、丸く見開いた女の目がゆっくり動いて馬木を見た。3人同時に。

「ひゃあっ」

 間の抜けた悲鳴を上げて馬木はひっくり返りそうになった。

「い、い、今、う、動いた・・」

 写真じゃなく動画だったのか? 由利先生はウンザリしたように言った。

「分かってるわよ。そもそもね、この女の人たち、最初はもっと遠くにいたのよ。例のあの家、真っ赤なハマナスの花の中に立ってね。全部で7人いたのよ。それがわたしを見つけて、写真を開くごとにだんだん迫ってきて、今マックス。幸いこの中からは出てこられないみたいね」

「で、出てこられないって、い、生きてるんですか?このパソコンの中で?」

「どうやらそうみたい。完全にバグっちゃってるわ。何をやっても消えないし、他のプログラムは一切使えないし、電源だけは落とせるけど、今朝開いたらご覧の通りよ。完全に占領されちゃったわ」

「うーん・・・・」

 どういうことなんだろう?

「これは・・魂ってことなんでしょうか? 肉体の方は・・意識不明で眠り続けているんですよね?」

 じゃあ、このパソコンから魂を取り出して返してやれば意識が戻るんだろうか?

「どうなのかしら? ちょっと違うような気がするのよね。逆・・かな? パソコン自体が彼女たちの意識を写し取っちゃった・・って感じかなあ?」

 由利先生はコンピューターの専門家らしい観測を披露する。

「ほら、動きがすごく鈍いでしょ? これがこのノートパソコンの限界って気がするのよね、7人分のデータを取り込んじゃっているわけだから。これはあくまでも魂のコピーなのよ。魂自体ではないわ。魂ってどういうものか知らないけれどね。それにみんなおんなじ動きをしているでしょう? これがパソコンの中で意識が統合されちゃっているのか、もともとそうなのか・・。彼女たちは順番に連続して変身しちゃって、それ以降意識がなくなっちゃってるんだものねえ。魂がいっしょにどこかに連れていかれちゃっているんじゃないかしら?」

「・・・その7人の中に・・桜野は?・・・・」

「いなかったわ」

 これは、果たして桜野の行方を捜す手がかりになるんだろうか? 角谷が訊いた。

「例えば、このパソコンを壊しちゃって、そうしたら彼女たちに何か影響はあるんでしょうか?」

「高いのよー。さあ? パソコンが死んじゃうだけなんじゃないの?」

 ここに映っている彼女たちはあくまでデータだけの存在で、データが壊れてしまえばそれまでのことなのだろうか?それにしては・・この目玉は生々しい・・・・。馬木の揺らめくのを追って、カタカタッと画像が四角く崩れて女たちの顔が動いた。角谷が言う。

「紅倉美姫に見せたらどうかなあ?」

 知ってます?と目を向けると、由利先生は頷いた。

「そうねえ、彼女は本物、みたいだし・・」

 馬木も紅倉美姫くらい知っている。人捜し・・というか死体捜しで有名な霊能者らしい。不吉だ。しかし・・

「警察では桜野の行方をいくらかでも把握しているんでしょうか?」

 馬木が訊いたって教えてくれるわけない。由利先生ならあるいはと思うが・・駄目だろうか?

「どうなのかしら? 警察もいろいろやり辛いでしょうね」

 まず桜野が未成年であること。有力財閥のお嬢さんであること。殺人を犯して精神的にかなり危ない状態になっているであろうこと。未だ事件において桜野の存在は公表されていない。

 しかしもう限界なのではないだろうか? 馬木の心配は当初のものと変わってきている。葉子は単に巻き込まれただけだろうと思われていたのが、どうやら背後に根深い因縁が潜んでいるらしい。葉子はその犠牲者なのだ。死んでいる・・とは思わない。しかし間違いなく危険な状態だろう。にもかかわらず警察が見つけていないということは、精神のみならず肉体の危険も心配される。人混みに紛れているにしても、まったく誰もいない場所に身を潜めているにしても・・・。

「その霊能者に桜野の行方を捜してもらったらどうでしょう?」

「そうねえ。当てになるなら、ね。とにかく、事件からもう4日。時間的猶予はないわね。でも・・」

「俺、もう一度桜野のお母さんに会って訊いてみますよ」

「そう。やっぱりお母さんの判断に任せるしかないわね」

 馬木は再び桜野家を訪ねることになった。

「それじゃあわたしはもう少し間宮さんの自殺のことを調べて、長谷川さん嶋村さんと連絡が付かないかやってみるわ」

 由利先生は角谷を気にする。

「お手伝いしますよ。なにができるか分からないけれど。いいでしょ?」

 由利先生は、うん、と微笑んだ。

「それじゃあ、お願いしちゃおっか?」

「どうぞどうぞ。俺たち3人仲間だもんね」

 角谷は自分の居場所をそう定めて、笑った。



 馬木が桜野家に電話すると来客中だと言う。午後から訪ねる約束をして、馬木は祖父母の家に向かった。

「やあ、お帰り」

 祖父がニコニコ笑顔で迎えてくれた。両親が共働きのため馬木は小学校に上がるまで週5日はこの家に預けられていた。保育園から「ただいまー!」と帰ってきて「お帰り」と迎えられ、いまだに来るたび「お帰り」と迎えられる。三波。母方の祖父母だ。

 居間へ行くと、

「やあ、ヨッくん、おはよう」

「居たんですか、おじさん」

 うん、と困ったように頷く。母の弟、賢造叔父さんだ。

「冷やし中華作るけど、食べるでしょ?」

 祖母が訊いた。

「うん。食べる」

 馬木は叔父に向き合う。

「今何やってるんです?」

「うん、まあ、いろいろ・・」

 はっきりしない。

 この叔父は困った人だ。職業は一応アーティストだ。銀のアクセサリーを作って店に納入している。他にもいろいろやっているらしいが、はっきりしない。そんなもので生活が成り立つのかというと、成り立たない。こうしてしょっちゅう実家に食事を恵んでもらいに来ている。畑に囲まれた掘っ建て小屋でいまどきテレビもない生活をしている。もう42だ。当然独身。一週間くらい伸ばしっぱなしの無精ひげは真っ白。ガリガリに痩せていて、これで太っていたら紐で絞り上げて強制的にダイエットしてやるところだ。

 馬木は一時期この叔父が大っ嫌いだった。父親の影響だ。父はこの叔父が大嫌いで、ゴミ、クズ、ダニ、「こういう奴が日本を駄目にしているんだ!」ガン細胞だ!と散々悪口を言っていた。馬木は中学23年の頃が反抗期だったが、反抗期にはとかく怒りを誰かにぶつけたいものだ、馬木はこの叔父を標的にしてずいぶん手ひどく攻撃した。叔父は今と同じように困った笑いを浮かべるだけで、それがいっそう馬木の怒りに油を注いだ。

 が、ある時ふと拍子抜けして白けてしまった。それで馬木の反抗期はあっさり終わった。困った人だが、今は怒りより哀れみを感じる。まあ、この人は駄目な人なのだ、先天的に社会になじめない駄目人間なのだ、と。

 それに、馬木は子どもの頃叔父が大好きだった。週5日、ほとんど毎日遊んでもらっていた。おじいちゃんおばあちゃんや両親は誕生日やクリスマスにオモチャやケーキを買ってくれたが、金のない叔父は毎日段ボールや厚紙で遊び道具を作ってくれ、二人でいろいろ遊びを発明して毎日毎日大騒ぎしていた。馬木は小学校では工作がやたらと得意だった。叔父の作業を見ていたからだ。今はテレビのない生活をしている叔父だが、この実家にはビデオやレーザーディスクがごっそりある。「こわいぞこわいぞ〜」と白雪姫の魔女で馬木をすっかり恐がりにしてしまったのも叔父だが、楽しい面白いアニメや映画をいっぱい見せてもらった。好きに見ていいと言われている叔父のコレクションの中には馬木がいまだに恐ろしくてとても見られないホラー映画やホラーコミックがどっさりある。馬木が映研に入って自分で映画を作ってみたいと思ったのは間違いなくこの叔父の影響だ。

 馬木の父は何かと人や会社の悪口を言うが、叔父が誰かの悪口を言っているのを聞いたことはない。馬木がどんなイタズラをしても叔父だけは絶対に怒らなかった。まだヨチヨチ歩きの幼い頃2階に行きたがる馬木を、叔父はいつも後ろからついてきた。なんでも自由にさせて、常に手の届く範囲にいた。今、馬木はまた叔父のことが好きになっているが、叔父がよく言うのは、

「ヨッくんはおじさんみたいにはなるなよ」

 という言葉だ。いつも眉毛を下げて困った笑いを浮かべている叔父だが、その眉間にはくっきり縦じわが2本刻み込まれている。端から見ているよりは悩みもあるのだろう。


 ふと、馬木は思い出した。青木先輩が「葉子は死んだ」と言ったのはどうやら叔父である葉子の父が死んで、自分と葉子の関係が切れてしまったという意味らしかったが、青木先輩にとって叔父さん自身はどういう存在だったのだろう?若すぎる葉子の母との結婚は人生のちょっとしたつまずきと映っていたのか、その後の人生こそ失敗と映っていたのか?2番目の奥さんとも離婚して挙げ句の果てに強盗事件に巻き込まれて死んでしまうなど、その叔父さんの人生もかわいそうなものだ。

 もしかして青木先輩は叔父にそんな人生を送らせた葉子の母と葉子を恨んでいたのではないか?

 いや、自分の父親ならともかく、叔父じゃあそこまで思わないか。よほど親しくしていたならともかく。


 叔父に尋ねた。

「叔父さんはビデオ少女の呪いの事件って知ってる?」

「さっき見た。ヨッくん、第一発見者だって? たいへんだったね?」

 叔父の小屋には電話はない。

「それもそうなんだけどさ。ビデオを見た女の人が同じバケモノに変身しちゃうって、どう思う? 叔父さんこういうの得意でしょ?」

「そうさね、あの顔は海洋系だよね? というと、クトゥルー神話かな?」

 さすが。人魚の話をする前から海関係を連想している。

「クトゥルー神話って何?」

「本があるはずだぞ。分厚いアンソロジー。ま、読んでも退屈でしょうがないだろうけどね。

 クトゥルー神話ってのはたしか1920年代のアメリカの作家H・G・ラヴクラフトの創作した一連の暗黒神話シリーズで、ラヴクラフト以外の作家たちも書いていて、いまだに小説はもちろん、映画やアニメやゲームでも作り続けられているんじゃないかな? ネクロノミコンって聞いたことない?」

「なんか聞いたことあるような・・」

 馬木の大の苦手としている類のものだ。

「そう。ネクロノミコンっていうのはそのクトゥルー神話に出てくる魔道書でね、それ自体もの凄い魔力を秘めているって代物なんだ。もちろん、創作だけどね」

「はあ。さすが詳しいねえ。それから?」

「本家ラヴクラフトの書いたクトゥルー神話にはだいたいのパターンがあってね、主人公が何らかの偶然、旅行に出たり、古書店で古い記録を見つけたりして、太古にこの地球を支配していた暗黒の神々の世界に触れ、今は海底や氷の底の暗闇に封印されている異形の怪物を現代に呼び覚ましてしまい、それに触れて破滅する、で、その日記や友人の話として小説が書かれている、というものなんだ」

「ふうーん」

「そこで今世間を騒がせている変身事件だね。クトゥルー神話的に解釈すると、何者かが封印されていた暗黒の神々の世界に触れてしまい、その力がこの世界に影響を及ぼし、そのような形で現れている。もしかしたら、その変身は古代の神々が現代に甦ろうとしている前兆なのかもしれない・・・・ってところかな?」

 叔父はニコニコ笑っているが恐がりの馬木はだんだん寒気を覚えてきた。

「その暗黒の神々って、海の底に居るの?」

「そうだよ。深海の暗闇に潜んで、また外の世界を支配するチャンスを伺っているんだよ」

「人魚・・」

「へ?」

「例えば・・、それが人魚として認知されていたり・・」

「あり得るかな? もともとラヴクラフトは海の生物が大嫌いで、人間が魚人になっちゃったり、暗黒の神がたこのバケモノみたいな姿をしていたりするからね」

 馬木は怖くなった。

「それって完全な創作なのかな? 何かヒントになった伝説や事件があったわけじゃないのかな?」

「完全な創作みたいだよ。かなり神経症的な人だったみたいだから」

「ふうーん・・」

 恐がりな馬木はつい想像してしまう。ラヴクラフトこそ、禁じられた魔道書「ネクロノミコン」に触れてしまい、狂気の内にクトゥルー神話を創出させていったのではないか?・・・・

「叔父さん。隠し部屋って聞いて何を想像する?」

「隠し部屋か・・。秘密の隠れ家か、秘密の隠し場所だね。よくあるのは暖炉の奥や本棚の裏に秘密の扉があるんだけど」

「扉はないんだ。もともとあった窓もドアもふさがれてるんだ」

「そこで死体を発見したの?」

「・・うん。背中合わせになった押し入れの天井板をはぐって、天井から覗いたんだ」

「そうか、それじゃあそこから出入りは出来るんだ?」

「まあ・・、出来ないことはないけど・・」

「中の様子はどうなってるの?」

「さあ?・・。真っ暗な中でかろうじて見える程度だったから・・・」

 警察でも中の詳しい状態は発表していないと思う。犯人しか知り得ない事実とかもろもろ伏せているのだろう。叔父は考えて言う。

「推理小説でも天井裏で生活している男の話なんてあるからそこで人がひっそり暮らしていたことも考えられなくはないね。自分の意志でそうしていたのか、それともその家の持ち主が密かに監禁していたのか? いずれそこで人が暮らしていたとすれば世間に対して決してその存在を知られたくない人物だろうね」

 誰だろう? この事件の関係者・・桜野家の人間で、そういう人物がいるだろうか?

「あと考えられるのはね、過去にそこで悲劇的な事件・・殺人事件が起きて、それを部屋ごと封印してしまった・・。海外物だと壁に死体を塗り込めてしまうんだけどね」

 馬木はゾッとした。

「ま、そんな物が出てくればいくらなんでも警察も公表するだろう。ないんだろう?」

 ない。

「じゃあ、隠し場所の場合だな。さっきのラヴクラフトの話じゃあそういうところから古い書物や日記が出て来るんだ。でも部屋丸ごととなると・・、なんだろう? ある程度大きい物かなあ? うーん、分かんない」

 馬木は思い当たった。桜野家の先祖が引き上げ、密かに祀っていたという人魚。その人魚か神棚が隠されていたのではないか? でも、それをあんな安普請の家に放置しておくだろうか? 意外性はあるかもしれないが、どうもピンと来ない。あの場所に人魚が埋められているとすれば、それはハマナスのことから考えても地下だろう。

「ヨッくん、いやに熱心だね?」

 叔父が優しい目で馬木を見て言った。

「好きな女の子でもできたの?」

 どこから発想したのか、鋭い。

「頑張りなよ」

 叔父は馬木のやろうとすることに決して反対しない。今も優しい目でただ微笑んでいるだけだ。



 2時に桜野家のマンションを訪れた。葉子の行方で何か分かったか訊くと、今朝も警察から電話があったがまだ何も情報はないとのことだった。そこで馬木は紅倉美姫に捜索を依頼することを提案した。

「霊能者。面白そうね」

 と、母親は楽しそうに言った。

「あたしはいいわよ。でもねえ・・・」

 憂鬱そうにため息をついた。

「兄たちはあくまで桜野の名前が表に出ることを拒んでいるわ。午前中もそのことでね」

「お兄さんが来たんですか?」

「いいえ。会社の弁護士。兄たちはわたしのことを毛嫌いしているから」

 天使の顔であっけらかんと言った。肉親に対する情愛はひとかけらもないようだ。

「でも、・・もう4日です。葉子さんの身を考えたら・・」

 馬木が決断を迫ると母親はあっさり頷いた。

「そうよね。そうしましょう。あたしも霊能者って見てみたいわ」

 この人もやっぱりずれている。まあ、良かったが。

「ああ、そうそう。一つ思い出したことがあるのよ」

 母親は妖しく微笑んで身を乗り出し、馬木は赤くなった。

「あのね、雄二さんのお父さんにあたし、プロポーズされたことがあるのよ」

 あははは、と華やかに笑った。

「プロポーズなんてはっきりしたものじゃなかったけれど、それらしいことをね。お兄さんも奥さんと離婚していてね、理由は知らないけれど。それで弟の不始末を償うってわけでもないんでしょうけれど、わたしとどうか、って」

 それは・・、どうなんだろう?

「ま、それもそれで異常な話よね、弟の離婚した嫁を兄がもらうなんて。で、すぐにその話はなくなって、あたしもすっかり忘れていたんだけど、昨日部長さんと話してそういえばって思い出したの」

「はあ・・。それって青木先輩が何歳頃の話なんです?」

「そうねー・・、10か11くらいじゃなかったかしら?」

「両親が離婚したのはいつ頃なんでしょう?」

「んーと・・、雄二さんが5歳の時って聞いた覚えがあるような?」

「5歳・・・」

 まだまだ母親にべったりの時期だろう。その頃に母親が突然消えた、・・・自分を捨てたら・・、心に大きな傷を残すのではないだろうか?

「それでね、」

 母親は顔を寄せて今度はちょっと深刻そうに言う。

「今朝の警察からの電話だけど、雄二さんの持ち物の中からあたしの写真が何枚も出てきたんですって」

「えっ、何枚も?」

「そう。それも日付が8年前から去年の物まであるんですって」

 さすがにちょっと気味悪そうな顔をした。

「それって・・、ストーカー・・ですよね?」

「よねー? あたしスポーツはまるっきりなんだけど、泳ぐのだけは好きでね、スポーツクラブのプールでよく泳いでいるのよ。そのプールで盗撮した物まであるんですって」

「うーむ・・」

 松岡といい青木先輩といい。

「困っちゃうわよねー。こんなオバサンをねー?」

「いえ、そんな」

 真顔で否定して、馬木は思わず濡れた水着を着た葉子の母親の姿を想像して・・、真っ赤になってうつむいた。

「すみません・・」

「うふふ、かっわいいー」

 そういえば今日は紗恵ちゃんもいないのだろうか? 馬木は急に心細くなった。天使のようにあどけなく、同時に妖艶な、33歳のこの若すぎる母親が、4人も娘を生んでいるなんて、ある意味バケモノじみている。8年前というと、青木先輩は中学2年生か? 思春期の異性への憧れが芽生える頃、青木先輩はすっかりこの魔性の女性に魅入られてしまったらしい。

 なんだ、じゃあ青木先輩の関心があったのはこのお母さんで、叔父さんなんてどうでも良かったのか? しかし、縁が切れて、それで青木先輩はどう思ったのだろう?

「お母さんは、青木先輩のそういう気持ちにはまったく気付いていなかったんですか?」

「ええ。ぜーんぜん。子どもの頃から10年以上も会っていないもの」

「ストーカー行為を受けていたことは?」

「それもまったく。あたし、そういう警戒心ないみたい」

「気を付けた方がいいですよ」

 本気で心配になる。

「そうですか・・。じゃあ、青木先輩からお母さんに接触はなかったんですね?」

 その一方で葉子とは会っていたらしい。どういうつもりでいたんだろう? なんだかすごーく嫌な感じがする。

 ともかく紅倉美姫に葉子の捜索依頼をすることにして、由利先生に電話した。結果、まず由利先生からテレビ局に連絡して、後、お母さんの方から正式に依頼するということにした。

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