8.闇に光る目
この日は、夕方から雨が降ってきてすぐに暴風雨となっていた。
そんな悪天候の中、夜勤に当たると心なし切ない。何事もないと良いが、無いとしても朝までいなくてはいけないのでどう快適な夜を過ごすかが問題だ。
「いつものオカルトサイトにするか、視点を変えて不思議系のサイトにするか…問題だ」
僕は今夜の天候を逆手に取った最高の環境で楽しむ暇つぶしサイトを厳選していると、
「また気持ち悪いの見るの?ほんっとにそこだけは理解出来ないわ」
と、同僚の小鳥遊さんがあきれ顔で言った。
「あれ?小鳥遊さん今日当番でしたっけ?」
「違うよ。すごい雨だから迎えに来て貰うの。彼氏に」
「へえ、彼氏いたんですね」
「いるわよ。そういう五十里くんこそどうなの?」
「えっ?彼氏はいませんよ」
「…そうじゃなくて、彼女とかいないの?」
「いませんよ」
「だよね」
ならなんで聞くんだろ?と思ったが、僕は直ぐに頭を切り換えて、今夜のお楽しみサイトを厳選することにした。
「じゃあ彼が来たみたいだから帰るね」
「お疲れ様です」
気のせいか、小鳥遊さんは酷く呆れた目で僕を見ていた気がしたけど。あまり気にしないでおこう。
「私のお勧めはこれです」
その声と共に、タブレットを差し出された。
「え?…あ!留目さん」
相変わらず神出鬼没だ。まさか、留目さんも夜勤なのだろうか。
「最近アップされた記事は今宵にピッタリのものです」
「あれ?このサイト知らないなぁ。…ってこの、闇に光る目って奴ですか?」
「はい。そこそこ読み応えもあって程よく怖いです」
そこまでお勧めされたら読まないわけにも…って、まただ。またこのパターンだ。
「って。留目さん。なんでここにいるんですか」
「五十里さんと私は一緒ですから」
何をしれっと気持ちの悪いことを言うのだろう。
「一緒って、前から胡散臭いことを言ってますけど、僕と留目さんは単なる同僚であって一緒にいるものでもなんでもないです」
「またまたご冗談を」
「いやいやいや。こっちの台詞ですよ。早く帰ってください」
僕の様子を留目さんは不思議そうに見つめた。
「五十里さん、まさかと思いますが何も聞いてないのですか?」
「なんです?」
「所長から聞いてませんか?私と組むこと」
「所長?…いいえ、なにも?」
その答えに留目さんは小首をかしげた。
「そうですか。まぁ、あの方らしいですが」
留目さんがいう、あの方らしいというのは東雲真綾所長のことである。この科捜研の所長だ。若手ながら実力者で、その性格は豪快そのもの。なかなかの人物だ。
「所長がなんです?」
「所長から五十里さんと組んで捜査に当たって欲しいと命令されたのです」
「命令!?」
驚く僕をよそに、留目さんはこっくり頷いた。
思わず頭を抱えたくなる。嘘でも冗談でもなく、本当の話だったのか。
「というわけで、今夜も私と一緒に過ごしましょう」
「なにがというわけですか。いやですよ、また僕で遊んだりするんでしょう?」
「私は五十里さんを弄んだことはありません」
「ちが…もういいです。とにかく避けられない事態のようですし、この場は治めさすが納得はしてませんからね」
そう言いながらも僕は先ほどから留目さんが差し出した例の記事が気になって仕方が無かった。なんという僕のツボを心得た作戦なんだろう。これじゃあ言ってることに信憑性がない。
「残念です。…では、これはしまいましょう」
そう言って先ほど差し出したタブレットをしまおうとする。僕は慌てて止めた。
「それとこれとは話が違います。せっかくなので読ませて貰います」
まんまと罠にはまってしまった。言ってて自分が情けないが、こればっかりは仕方が無い。オカルトというおいしいエサに食いつくなという方が無理なのだ。
留目さんは何も言わずタブレットを差し出した。顔には出てないけど絶対にほくそ笑んでるに違いない。策士だな、留目さん。
雨が窓を打ち付ける音をバックに、僕は例のお勧め記事に目を通した。
それはある人物が経験した話で、知り合いの誘いでとある地方を訪れた際に遭遇した恐怖体験だった。
******
そこへ訪れたのは初めてだったが、よくある地方都市というか、これといって特徴も無い田舎に過ぎなかった。ちょうど暇をしてたとはいえ、こんな田舎にわざわざ出向くなんてよほど物好きとしか思えない。そう思いながら俺は隣で運転している知り合いKの顔を見た。
「もうすぐ着くぞ」
Kはうんざりしている俺の気持ちを知ってか知らずか、少し興奮気味で車を走らせている。Kに誘われたとはいえ、まさかこんな田舎へドライブに行くとは思わなかった。
「どこに連れて行く気だ?」
何度目かの同じ質問。だがその度に適当にはぐらかされた。もうすぐと言われてはまた聞くしかない。
「ここだ」
Kの言葉と同時に視界が開ける。そこは長い階段が目立つ古くさい神社のようだ。色あせた鳥居が不気味に感じられた。
「神社?」
車を降りながら俺が言うと、Kはさっさと鳥居をくぐり階段へ向かっている。
「おい、そこ登るのか?」
「早く来いよ。面白いもんが見られるから」
何のことか判らないが俺は着いていった。思いの外階段の傾斜がきつく登り切る頃には少し息が切れていた。先に登っていたKは、本殿と思われる古くさい建物の前に立っていた。
「こんなところ連れてきて。面白いもんってなんなんだ?」
「ここじゃない。もう少し上に本殿がある」
その言葉に上を見ると、獣道程度の参道が草むらに見え、それが上の崖に伸びている。Kが言うとおりなら、今見えているのは拝殿なのだろう。
「ここまで来たんだ、もうすぐだから行こうぜ」
内心もう飽き飽きしていたが、Kの言う通りなので大人しく着いていくことにした。これでくそつまらないものだったらどうしてやろうか、と俺は思っていた。
険しい参道をKと一緒に登る。草をかき分け虫に悪戦苦闘しながら進むと、ぽっかりと開けた場所に出た。あんなに生い茂っていた草木が消え失せ、岩のような地面の上にボロボロで今にも朽ち果てそうな祠のようなものがあった。
「ここが本殿?」
「そうだ。滅多にここまでくるやつはいないがな」
Kは一息つくと、その本殿へ近づいた。
「面白いもんってのはこの中だ」
「中って…ここに祀られてるもんだろ?なにが面白いんだよ」
恐る恐る近づきながら俺は中をのぞき込む。しかし暗くてよくわからなかった。
本殿はこぢんまりとしていて、畳一畳ほどの大きさだった。扉は固く閉ざされている。
「開けるぞ」
そう言うとKは扉を開き、なぜか俺の背中を押しつけた。
「え!?」
酷く間抜けな声が出たが、一体何が起こったのか認識するいとまもなく俺は本堂の中に倒れ込んでいた。目に映るのは逆光になったKの姿。
「悪いな」
そう言うと扉を閉める。俺はやっと今になって状況が掴めてきた。何故かは判らないがKは俺をここに閉じ込めたのだ。
「おい!」
慌てて扉に手をかけるが、びくともしなかった。きっと鍵をかけたのだろう。叩いても蹴っても扉は開かない。あんなにぼろぼろなのに意外と頑丈のようだ。
「待てよ!おい!K!!」
扉からの視界は狭いが、それでも参道を下っていくKの後ろ姿は見えた。
俺が叫ぼうが喚こうがKは振り向きもせず、そのまま消えていった。
「なんだよあいつ。こんなところに閉じ込めやがって」
腹が立つのと、訳の判らなさで頭が混乱する。そんな俺の後ろの方で、ごとり。と妙な音がした。思わず振り返る。が、真っ暗で何も見えなかった。
ここは本堂だ。神社である以上神として何かが祀られている。そう思った時、俺は言いようのない恐怖に体が凍り付いた。
「誰か…いるのか?」
いるわけがないと思いながらも俺は声をかけた。あの音以来何も聞こえない。
今更ながら、先ほどまで虫や鳥の声が聞こえていたのに、今はなんの音も聞こえなかった。
うるさいくらい自分の鼓動の音が聞こえる。
だいぶ暗闇に目が慣れてきたのか、薄らと中の様子が見えてきた。何かが床に落ちている。
と、耳元で呼吸のする音が聞こえた。
「うわ!」
俺は驚いて後退する。すぐに壁に背中が当たる。薄暗闇に目をやるが誰もいない。
「なんだよもう、やめろよ」
情けないほど動揺して泣きそうになった。なんで俺がこんな目に遭わないといけないんだ。
俺は恐怖に震えながら、また扉に手をかける。なんとしてもここからでないと始まらない。外に出れば誰かに助けを呼べる。と、そこでやっとケータイの存在に気付いた。
俺は急いでポケットからケータイを取り出し助けを呼ぼうとした。ケータイのライトで辺りが明るくなる。
「ん?」
うつむき加減の視界の中、俺の目の前に何か黒いものが見えた。
俺は無意識にそれに視線を注ぐ。徐々に上の方へ視線を上げると、そこには何か光るものが見えた。
2つの光るもの。
それは
目だ。
認識した瞬間、俺は悲鳴を上げた。乱暴に扉を叩くと、今までのがまるで嘘のように扉は開き、俺は外へ転がり出た。いつの間に日が暮れたのか、辺りは夕焼けで真っ赤だった。
体はあちこち痛かったが、それどころでなく俺はすぐに本殿へ視線を向ける。
相変わらず暗かったが、明らかに濃度の違う黒いものが目を光らせて立っていた。
俺はまた悲鳴を上げて逃げた。草や木であちこち切ったようだが、なんとか長い階段も下り鳥居の外へ出ることが出来た。
Kはとっくにいなくなっていたと思ったが、なんと近くに車を止めてこちらを見ていた。
「K!どういうことだ!!」
俺がつかみかかると、Kはニヤニヤしたまま俺を見る。不気味に思い俺は手を離した。
「見たのか?あれを」
「あれって、お前…」
「見たのか?」
ニヤニヤ顔のままだったが、目は笑っていなかった。俺は圧倒され、激しく頷いた。
「そうか、じゃあ今度はお前の番だな」
そう言うと、Kは車に乗り込んだ。俺は慌てて助手席に乗り込む。
「なんの話だよ。あれはなんなんだよ、お前の番ってどういうことだよ」
まくし立てる俺に、Kは顎で前を向けと指す。思わず俺はフロントガラスに目を向けた。
「わ!あいつだ!」
いつの間にやってきたのか、真っ黒なそれが目を光らせ階段を降りていた。
「K!早く出せよ!追いつかれる!」
俺の叫び声にKは黙って車を出した。心臓が爆発しそうなほど脈打っている。あれはなんだ?なんでKは俺をあんなところに閉じ込めたんだ?何が目的なんだ?
色んな疑問が頭に浮かぶが、ただただ見たものが信じられない上に、恐怖心で言葉が出なかった。
しばらく車を走らせ、Kは落ち着きを取り戻した俺に口を開いた。
「俺もあれを見たんだ。お前にあれを見せたのは俺が助かりたかったからだ」
なんだ?と思ったが、俺は黙ってKを見つめた。何か言いそうな気配を感じたからだ。
「最初は目の錯覚かなにかと思って気にしなかった。だがな、あれは着いてくるんだよ。どこにでも現れ、だんだん近づいてくるんだ。最初は遠くから俺を見てるんだ。それがだんだん近づいてきて。とうとう俺の目の前に現れるようになった。俺は恐怖で気が狂いそうだったよ。それで必死に調べてあれから離れる方法を知ったんだ」
そこでKは口を閉ざした。
あれがなんなのか、なんのためにこんな事をするのか判らない。
だが、あれはひとたび獲物を見つけると執拗に追い詰め、そして…。
「お前もあれから逃げたかったら誰かに変わってもらえ」
一番いいのは、誰かを本堂に連れて行くのが一番なのだが、無理な場合は不特定多数の人にこの出来事を知らせるとよい。口頭もしくは文章で。その場合は人が多ければ多いほどよいのだ。
そう、インターネットなどで。
******
「留目さん。これって結構ベタっていうか、あんまり面白くないんですけど」
僕は記事を読み終え顔を上げた。が、留目さんはいなくなっていた。
「あれ?どこにいったんだ?」
と、その瞬間辺りが真っ暗になった。僕は驚いて体が固まった。
手元にあるタブレットの光で、なんとか周りを見ることが出来た。研究所の殆どが停電しているようだ。非常用電源に切り替わるはずだがうまく作動していないのだろうか?
「留目さん。どこですか?」
僕は真っ暗な中声をかけたが、返事はない。
ぼんやりと辺りが明るくなり、最低限の電力が回復したのか、足下が明るく光っていた。避難経路に点灯しているのだろう。
カツン カツン カツン
靴音が響き、僕はそちらへ振り返る。
薄明かりの中、それはゆっくり近づいてきた。
「と…」
留目さん、と言おうとして言葉を飲みこむ。
そこにいたのは留目さんではなかったからだ。
真っ黒なあれが、そこに、いた。
「ぎゃーーーーーーー!!!」
僕の絶叫と、轟く雷鳴が研究所に響いた。
その瞬間電力が復旧したのだが、それに気付いたのは朝になってからだった。
「で、何がどうなったらこんな事になるわけ?」
小鳥遊さんがため息交じりに僕を見る。目の前には壊れてしまったタブレット。隣にはたんこぶを冷やす留目さん。
「判らないです」
「私は何者かに頭を殴られて気を失ってました」
僕らの答えを聞いて、小鳥遊さんはまた深いため息をついた。
「いい?もう一度確認するわよ。私がここに来たときにはあなた方が床に倒れてたの。壊れたタブレットと、殴られた留目さん。これだけで充分に判るわ。鑑定しなくてもね」
ぎろっと睨まれ僕はすくみ上がる。
「いや、覚えてないんです。どう見ても僕が怪しいでしょうけど」
小鳥遊さんは僕がタブレットで留目さんを殴ったと疑っているのだ。まぁあんな状況だけ見ると無理もないが。でも、僕も気を失っていたわけでさっぱり判らないのだ。
「五十里くんの事だから、しょーもないオカルトサイトを見て、停電が起こってパニックになって、オバケかと思って、留目さんに殴りかかったんじゃないの?」
「まさかそんな」
いくら何でも。と言いかけたが、そう言われるとそんな気もしなくもなくなってきた。
「それに、そのタブレット。留目さんのよね?なんで五十里くんが持ってたの?」
「見て欲しい記事があるって留目さんが貸してくれたんです」
と、そこで留目さんが口を開いた。
「確かに私がタブレットを渡しました。ただ、どんな記事だったのか覚えてないのです」
「え?そうなんですか?」
「覚えているのは、五十里さんの悲鳴が聞こえたので行ってみたら、背後から殴られました」
背後?では、何者かが留目さんを襲ったのだろうか。
「五十里くんじゃないってことかしら?…でも、殴られたショックで記憶が曖昧みたいだし」
だからって小鳥遊さんはあくまで僕の仕業としたいのだろうか。その方がしっくりくるのかもしれないけど、いくらなんでも僕は殴りかかったりしないと…思う。もし、第三者だとしら、それは一体何者なんだろう?ここの所員とは思えないのだけど。
「とにかく、夜勤もちゃんとこなせないようじゃしばらくオカルトサイトは閲覧禁止よ」
「え!酷い!横暴ですよ」
「酷いのはあなたよ。留目さん、念のために病院へ行ってみて貰った方が良いですよ」
「はあ。そうします。でも、五十里さんも被害者だと思うのですが」
留目さんの言葉は届いていないのか、小鳥遊さんはギロリと僕を睨み、壊れたタブレットを差し出した。
「五十里くんがこれ弁償するのよ。いいわね?」
「ちょっ…!」
反論する余地もなく、小鳥遊さんは行ってしまった。
「大丈夫ですよ五十里さん。保証内ですからこちらで修理に出しておきます」
「あ。それは助かりました。それにしても一体何があったんだろう。あの記事の所為かなぁ」
「どんな記事だったんですか?」
留目さんは本当に覚えがないようだ。例の光る目のバケモノの話は、怖い話では良くあるものだし、それが本当の話とは思えないのだけど。
ふと視線を感じて窓を見ると、雨はまだ降っているようだった。窓の外は木々が生い茂り暗くなっている。そこから妙な視線を感じる。僕は目を凝らした。
そこには、あの光る目が見えたような気がした。