7.プライベート
その日は休みだったので、日用品の補給も兼ねて外へ出ていた。郊外に出るとショッピングモールがあって、一箇所でだいたいのものが買えて便利だ。
隣接してるレンタル店へ行こうとしたら、留目さんらしき人物の姿が見えた。
プライベートな時間まで彼に会いたくないけど、思えば僕は留目さんのことを殆ど知らない。彼の口からプライベートな話は出ないからだ。
ちょっと尾行してみようか?
ほんの少しわき起こった好奇心に従って、僕は留目さんの後をついていくことにした。留目さんはモール内のフラワーショップに入っていった。
「そういえば留目さんって家族とかいるのかな?」
無意識に思ったことを口にしたとき「子供がいるみたいですよ」と、答えが返ってきた。
「へぇー。お子さんがいるんだ」
…ん? ちょっとまて。誰だ今の。
「とっても可愛がってるようです。俺は会ったことはないんですけどね」
固まっている僕を無視して、声の主である塹江刑事がなおも解説してくれた。
「いや、ちょっ、なんで塹江さんがここに?!」
「今日休みなんです。彼女もいないし暇だから買い物に」
「え?そんなイケメンなのに彼女いないんですか?」
「へえー。俺ってイケメンなんだ」
「いや、自覚ないんですか。…って、そういう話じゃなくて。塹江さんって留目さんと相棒だったのに、プライベートはあまりご存じないのですか?」
さっきの言い方が気になって問いただした。
「滅多に話しませんね。隠してるわけじゃないんでしょうけど。お子さんと二人暮らしみたいですよ。家にも上がったことないですし」
その言葉通りなら奥さんはいないようだ。
「そうなんですか。なかなかミステリアスですね留目さん」
元相棒すらプライベートは謎のようだ。ますます気になる。
「今は五十里さんが相棒なんですから直に聞いてみたらどうです?」
「ちょっと待ってくださいよ。僕は相棒じゃないです。それに、直に聞けって何を聞けば…」
「え?違うんですか?留目さんからそう聞いてたんだけど」
そういえば前に一緒に組むことになったとか言ってたような。あれって冗談じゃなかったのか。
そんな話をしてる内に、留目さんはふらりと店を出て車に乗り込んだ。僕は慌てて駐車場へ向かう。
「あ、じゃあ僕はこれで」
「留目さんの尾行ですか?俺も連れて行ってください」
「え?車で来てたんじゃないんですか?」
「いいえ。バスで。免許は携帯してますから俺が運転しますよ。尾行なら慣れたもんです」
そう言われるとお任せした方がいいのかも。素人の僕が尾行したら巻かれてしまうかも知れない。
塹江さんに運転を任せ、僕らは留目さんの車を追った。その時はちょっとだけドキドキしていた。まるで探偵みたいな気分になっていたからだ。
車は10分ほどで、とある住宅地へ入っていった。
「まっすぐ家に戻ったみたいですね」
「あ、家は知ってたんですか」
「ええ。入ったことがないだけで知ってましたよ。ほら、あそこです」
てっきりアパートかマンションに住んでいるかと思ったら、庭の広い一軒家だった。
「なんか意外です。留目さんここに住んでるんですね」
「判ります。留目さんって生活感ないですし、庭付きの一軒家に住んでるようには見えないですよね」
塹江さんも僕と同じく感じていたようだ。勝手なイメージで判断してはいけないのだけど、彼の言うとおり生活感がしないのだ。
「で、どうします?上がります?」
塹江さんの問いに僕はしばし沈黙する。勝手に押しかけるのはダメだと思うけど、以前僕の家に上がり込んだ前科がある。僕も強引な手に出てみようと思う。
「行きましょう」
僕の一言に、にっこり微笑む塹江さん。「そうこなくっちゃ」と顔に書いてあった。
車を空いているスペースに停め、僕らはインターホンを鳴らした。
「はい。…あ。五十里さんに塹江さん。どうしたんですか?」
インターホンのカメラから僕らを見たのだろう。
「ちょっと近くまできたので。上がって良いですか?」
塹江さんがごく自然に受応える。…さすがだ。僕ならしどろもどろだ。
「はい。お上がりください」
玄関は鍵がかかっていなかったのかすんなり開いた。僕らは広めで清潔感溢れる玄関を上がった。
「おじゃまします」
遠くで返事が聞こえた。
それにしても、部屋は手が行き届いている。きれい好きなのかも知れない。
「どうぞおかけになってください。今お茶を淹れますので」
ゆったりとしたソファに僕らは腰を下ろした。リビングは広めで居心地が良い。
と、僕の視界の端にキャットタワーが映った。
「留目さんって猫飼ってるんですか?」
僕が聞くとキッチンでお湯を沸かしながら答える。
「一緒に暮らしてます」
「へぇ~。僕も猫は好きですよ」
「それはうれしいです。塹江さん、どうしました?」
留目さんの言葉に僕は塹江さんを見る。と、顔が真っ青だった。
「ちょ…と、俺は失礼しようかな」
「え?」
「ああ、すみません。先に言うべきでしたね。家まで帰れますか?」
留目さんの答えに違和感を感じたものの、問いただす雰囲気でもない。それより、塹江さんの様子が気になったのもある。一体どうしたんだろう?
「俺猫アレルギーなんですよ。具合が悪くなっちゃって」
「あ、そうなんですか。それは知りませんでした。じゃあ帰りますか?」
なんせ僕の車で来たのだ。帰るなら僕が送っていくべきだろう。
「私が送っていきますよ。申し訳ないですが五十里さん。少し待っててください」
そう言うと、留目さんは塹江さんを連れて行ってしまった。僕は留目さんの家で留守番をする事になったようだ。たぶん子供が家にいるからか、帰ってくるからなのか家を空けるわけにもいかないのだろう。もしかすると単純に塹江さんの家を知っているから送ったのかも知れない。
「さて…どうしたものかな」
一人残された僕は所在なくリビングにいた。勝手にうろつくわけにもいかないし、ケータイでも弄って暇つぶししようかな?と、思った時だった。
ふわり。
何か柔らかいものが僕の隣にいた。
「え!…って猫だ。わぁ、かわいいなぁ」
真っ白でふわふわの猫がいつのまにか僕の隣にいた。大人の猫だがとっても美人さんだ。
「君は名前なんていうのかな?」
答えるわけもないが、ついなでながら僕は問いかけていた。人になれててゴロゴロのどをならせている。本当にかわいい。
「トロって名前だよ」
とつぜんの声に僕は体がビクンと跳ねた。
「え?だ、誰?」
辺りを見渡すが誰もいない。僕が驚いた所為か猫はリビングのドア付近に移動した。
「誰かいるの?」
しかし、誰も出てこない。僕は不安になってきた。空耳にしてはハッキリ聞こえたからだ。
「怖がりなんだね」
まただ。
猫、猫がしゃべってるのか?
「えっ…と、君が話してるの?」
半信半疑で猫に聞くと「そうだよ」と答える。
「ひあ!しゃべる猫なんて」
「あなたは誰なんだよ」
心臓がバクバクしている。が、不思議と怖くはなかった。
「僕は五十里…神音。留目さんと同じ職場の同僚だよ」
「しおんって名前なんだ。どんな漢字なんだよ?」
「えっと、神の音って書いて神音っていうんだよ。トロちゃん」
滅多に下の名前で呼ばれないので新鮮だったが、頭の中はパニックだった。その割に律儀に答えている自分が可笑しい。
と、くすくす声が聞こえ猫がひょいと持ち上がる。
「はじめまして神音さん。素敵なお名前ですね」
美少女とは、このことだろうか。
可愛い猫を抱き上げる可愛らしい少女。12歳くらいだろうか?
「え…あ。君は?」
「失礼致しました。私は舞幢と申します」
そう言って舞幢ちゃんは、メモ帳に自分の名前を書いてくれた。
この子が留目さんの子供!!!なんとまぁ似ても似つかないほど可憐な子なんだろう。似てると言えば丁寧な口調くらいだろうか。
「舞幢ちゃんだったの?さっきの」
「すみませんでした。ちょっと…その、驚かそうとしただけなんですが神音さんが疑わなかったもので、調子に乗ってしまいました」
そう言ってぺこりと謝る。
「いやぁ、いいんだよ。騙される僕も悪いし」
そう、こういうところが留目さんに遊ばれるんだよなぁ。自覚してるけどなかなか難しい。
「あ、お茶がまだでしたね。おかけになってお待ちください」
「おかまいなく」
いつの間にか猫は僕の側で丸くなっていた。キッチンで手際よくお茶の用意をする姿を見て、僕はほっこりしていた。
いいなぁ、留目さんったら可愛い猫に可愛い娘に囲まれて。っく~!うらやましい!
舞幢ちゃんの淹れてくれたお茶を楽しみながら、たわいの無い話をしてたら外で車のエンジン音が聞こえた。
「あ、帰ってきた」
そう言うと舞幢ちゃんは玄関へ向かった。あんな可愛い子に出迎えて貰えるなんて幸せの極みだなぁ。
「お待たせしました。あ、お茶…」
ひょっこりと現れた留目さんはティーセットを見て言葉を無くす。その様子が妙だったので僕は首をかしげた。
「舞幢ちゃんがいれてくれました。おいしかったですよ」
「舞幢…が?」
「はい。どうかしました?」
と、留目さんが膝をくずした。
「え!ちょっ。どうしたんですか?!」
慌てて駆け寄ると、留目さんは両手で顔を覆っていた。…もしかして泣いてる?
しばらくそのままでいた留目さんは、大きく息をつくと顔を上げた。
「失礼しました。舞幢が来てたんですね」
「えと…むかえに行きましたけど?」
「…そうですか」
そういえば舞幢ちゃんの姿がない。どういうことだ?
「今日は、あの子の命日なんです」
突然の告白に僕は固まってしまった。
「命日?」
「はい」
…うそだよね?また僕を騙してるんだよね?
「よかったら線香を上げてくれますか?」
愕然とする僕を促し、留目さんは仏壇のある部屋へ案内してくれた。そこには奥さんらしき人物の写真と先ほど会った舞幢ちゃんの写真が飾ってあった。
「舞幢ちゃん…と、奥さんですか?」
「はい。妻は病気で舞幢は事故で」
僕は胸が押しつぶされそうだった。
本当に、亡くなっていたなんて。
お線香を上げてリビングに戻ると僕はある事に気付いた。
「あの、塹江さんは知ってたのでしょうか?奥さんと舞幢ちゃんのこと」
「いいえ。知らないと思います」
「そうですか」
なんだか、好奇心で留目さんのこと知ろうと思ったけど、留目さんがプライベートを言わないのは言いたくない理由もあるからなんだろう。そんなことにも気付かないなんて、僕はなんて浅はかなんだろう。
僕は早々に家を出た。留目さんと猫のトロが見送ってくれたけど、その側にきっと舞幢ちゃんや奥さんがいるのだろう。
あんなに優しい幽霊がいるのなら、僕はまた会いたいと思った。