4.壁のなか
薄暗い。そして肌寒い。
僕は今、留目さんと一緒にある事件現場に来ている。
と言っても今残っているのは僕らだけなのだが。
「本当ですか?」
留目さんは、さんざん調べまくった現場にまだ何か残っていると主張している。
普段の僕なら納得いくまで付き合うけど、今まで彼にされた所行の数々を思うと素直に受け取れない。すっかり僕はひねくれてしまったようだ。
「五十里さんは勘を信じますか?」
「勘ですか?…うーん、どうですかねぇ」
「私の勘が囁いてるんです。ここになにかがある、と」
「帰りますよ」
言うに事欠いて勘だなんて!てっきり何かキッカケがあってのことだと思ったのに。
「落ち着いてください」
「落ち着いてますよ!留目さんふざけないでください。僕だって忙しいんですから」
「ふざけてません」
留目さんの真剣な様子に、僕は思いとどまった。
「で、どこが気になるんです?」
僕の問いに留目さんは壁をトントン叩いた。
「ここです」
「は?」
壁だ。ただの壁だ。何かシミが浮き出てるとか傷が付いてるとか血痕があるとか、そういったたぐいのない単なる壁だ。
「壁ですよね?」
「はい」
しばし見つめ合う。
しかし、留目さんはそれ以上何も言わなかった。
またか?また騙されてるのか?
僕が痺れを切らして口を開いた瞬間、留目さんが手で制した。
「今、聞こえましたか?」
「な、何がですか?」
一体どういうことだろう?
僕がそう思ったときだった。
かさり。
何か乾いた音がくぐもって聞こえた。
「聞こえました?」
留目さんの問いに僕は頷く。
その音は、不定期ながらも断続して聞こえていた。
「何の音です?」
「さあ?なんでしょうね」
かさ、かさ、かさ。
不気味な音が響いている。
「ねずみ、とかですかね?」
なるべく現実的な事を聞いてみるが、一方で僕の頭の中では今まで見知った恐ろしい怪談の数々が展開していた。
「ねずみがいたような形跡はありませんでしたが」
「じゃあ、鳥とか?猫かな?」
「どうでしょう。どちらにせよこの音の方向からしたら不自然だと思いますが」
留目さんの言葉に、僕は更なる恐怖がわき起こった。
なぜなら、音は壁の中から聞こえているからだ。
かさ、かさ、かさ ざり。
音が、変わった。
その瞬間体中のうぶ毛が逆立った。
「え?今…」
「引っ掻いてますね」
「や、やめてください。か、壁ですよ。壁の中から何かが引っ掻くわけが…」
ざり ざり ざり ざり
先ほどより大きくその音は響いている。
間違い無く、何かが内側から引っ掻いているようだ。
だが、そんなことはあり得ない。
さんざん調べた後なのだ。どこも異常は無かったし、ましてや壁の中に何者かがいるなんてあり得ない状況だ。
そんな僕の思考を知ってか知らずか、留目さんは無表情で言う。
「もしかしたら、この壁の向こうに部屋があって誰かがいるのかも知れません」
「やーめーてぇーーー!」
パニックになった僕をよそに、留目さんはなおも音を立てる壁を見つめて言った。
「どこかに入り口があるかも…」
「だめ、だめ、だめです。こ、これは赤い部屋ですよ」
「赤い部屋?ですか?」
留目さんはあんな有名な話を知らないのだろうか。
「ほら、壁に塗り固められた誰もいない部屋の、壁一面に真っ赤な文字で、ごめんなさいって書いてあった奴ですよ!」
「ああ。でもそれは作り話だと聞きましたが」
「でも、きっとそうですって!現に壁の内側から音がしてるし!幽霊ですよ!」
「そう決めつけるのは早計かも知れません。本当に人が閉じ込められているかも知れませんよ?助けてあげなくては」
「だめですって!誰もいないに決まってます。ヘタしたら呪い殺されるかもしれないですよ」
自分でも何を訳の判らない理屈をこねているのだと思う。でも、本当に恐怖を感じたなら誰でも止めると思う。本能で恐怖を感じたからだ。
「しかし…」
なおも渋る留目さんだったが、次の瞬間。
ぼこ!
大きな音を立てて壁が穴を開けた。
「ひっ!」
恥ずかしながら僕は留目さんにしがみついた。
その穴から白い手がにゅうっと伸びた。
ああ、とうとう僕は幽霊に呪い殺されるんだ…なんて儚い人生だったんだろう…。
よりによって留目さんの勘のせいで殺されるなんて。
なんかだんだん情けなくなって泣けてきた…。
「五十里君?」
なんで幽霊は僕の名前を知ってるんだろう?
まぁ散々ここで騒いでいたから知ったのかな?
って、なんか聞いたことがあるような声なんだけど?
「その声は、小鳥遊さんですか?」
留目さんの一言で僕はやっと気付いた。
そう、この声は同僚の小鳥遊さんだ!って、なんで壁の中に?
「留目さんも一緒なの?入ったはいいけど出口が判らなくて。壁空けるの手伝ってくれる?」
どうやら、壁の向こうにある部屋の入り口を見つけて入り込んだはいいが、出口が判らなくなったらしい。やむを得ず薄かった壁を壊すことにしたらしい。
ちなみに、隠し部屋には何ら手かがりらしきものはなかったようだ。一応改めて調べ直すことになった。
「いやぁ~助かりました。ありがとうございます!」
小鳥遊さんは、その場に似つかわしくないほどさわやかな笑顔だった。
「てっきり一緒に引き上げたのかと思ったら。どうするんです?現場の壁壊しちゃったみたいですが」
「そのことなんだけど、五十里君直しておいてくれる?」
「え?なんで僕が」
「留目さん悪いんだけど科捜研まで送ってくれます?すっかり汚れちゃって」
「構いませんよ」
戸惑う僕をよそに二人はさっさと話を決めて出て行こうとする。
「ちょっ!待ってください!これどうする…」
「じゃあまたね五十里君!後はお願いね~」
「え?え?ちょっと!」
僕の声は聞こえていないのか。
二人は無情にも僕を置いて行ってしまった。
なんで置いていくんだ。
と、背後で何か音がした気がした。
「え?」
見ると壁の穴から白いものがゆらりと揺れている。
「うそ…」
無人の事件現場に僕の絶叫が響き渡る。
例えアレが僕の錯覚だとしても。