他者も己も
己の成長と共に、他者の成長を欲するのは問題か?
仲良くするのは悪い事ではない。仲良くするのは悪くないが、馴れ合いになるのは良くない。
物書きならば、憧れる『文才』。この文才を私も手にする事は、まだ叶わないが、文才を手にしたいのであれば、多少の刺激も必要ではないか?
サイトの中で見られる『仲良しこよし』の相互ユーザ登録と、曖昧な感想通知。自分の欠点を見付け、その欠点を克服し、そしてその先にある未知の自分との遭遇によって、初めて相互ユーザ登録の意味を成すのではないだろうか?
かくいう私も過去に、作品を読んだら感想を書きましょう! なんて作品を幾度となく投稿した事がある。実際、私自身も感想を求めてはいたが、他の作品の感想欄を見て、その少なさに愕然としたのが、それらの作品の始まりだ。しかし、感想と言っても、褒めてください。などとは言っていない。けなされてもいいのだ。感性は人によって様々だ。だから、自分が『良し!』と思った作品でも、その捕らえ方に幅が発生するのは、仕方のない事だと思われる。
事実、物語の捕らえ方が変化するという事例は多々存在する。感想を残しても作者の訴えと違った観点からの感想が舞い込む事もあるからだ。
そこで、皆が口を揃えて言うのは『文才が欲しい』と言う一言である。文才があれば、伝えたい内容がスムーズに伝わると考えているようだが、いくら文才があっても、他者の感性を覆す事は不可能に近いと思われる。
何が言いたいのかと、そう思われるかもしれないが、要はユーザ間で甘やかした対応をするのではなく、お互いを刺激し、お互いの能力『文才』を磨く事が重要ではないだろうか? って事だ。お気に入りユーザ登録をする事もあり、お気に入り登録される事もある。そうした中で、お互いの作品を評価しながら、粗削りな部分を指摘し刺激する。『飴と鞭』その使い分けで、互いが互いに切磋琢磨し、己が潜在能力を開花させ、更には文才とまでは言わないが、物書きのスピリットと言うか、ソウルのようなモノを会得していくのでは、ないだろうか?
仲良くする事は悪い事ではない。悪い事ではないが、本当に仲が良い(表面的ではない)のであれば、他者の作品に必要な事をぶつけていけるのではないだろうか? それが本当の仲の良いユーザ登録、相互登録でないかと思われる。
もしかすると、気分を害された方もおられたかもしれないが、それも個人の感性の誤差だと思っていただけたら、幸いである。
悪気はない。悪意もない。不愉快な思いをされたのであれば、申し訳ありません。




