第40話 五人の未来
リゼットが独立試験に合格してから、二ヶ月が経った。
夏の盛り。王都は暑さに包まれ、人々は日陰を求めて歩いている。
私のお腹は七ヶ月を迎え、大きく膨らんでいた。動くのも少し大変になってきたが、毎日を穏やかに過ごしている。
「師匠、見てください」
リゼットが、一枚の紙を持ってきた。
「何?」
「工房の契約書です。王都の東区に、小さな店舗を借りることになりました」
私は紙を受け取った。
賃貸契約書。場所は王都の東区、商業地の外れ。小さな店舗だが、一階を工房、二階を住居にできる造りだ。
「いい場所ね」
「はい。家賃も手頃で、人通りもそこそこあります」
リゼットの顔は輝いていた。
「来月から、正式に開業します」
「工房の名前は決めた?」
「はい」
リゼットは少し照れくさそうに言った。
「暁の工房、にしようと思っています」
「暁……」
「夜明けの光、という意味です。月影の工房で学んだことを胸に、新しい朝を迎えるつもりで」
私は微笑んだ。
「いい名前ね」
「師匠の工房の名前をもじったんです。月影があって、暁がある。師匠がいて、私がいる」
「光栄だわ」
私はリゼットの手を取った。
「あなたなら、きっとうまくいくわ」
「ありがとうございます」
リゼットは深く頭を下げた。
「師匠には、本当に感謝しています。三年間、ありがとうございました」
「こちらこそ。あなたに出会えてよかった」
午後、エミールと一緒に庭園を散歩した。
夏の日差しは強いが、木陰は涼しい。ゆっくりと歩きながら、私たちは話をした。
「リゼットの工房、来月開業だそうだ」
「聞いたわ。暁の工房、という名前にするらしいわね」
「いい名前だ」
エミールは私の手を取った。
「君の弟子が、独り立ちする」
「ええ」
「寂しくないか」
「少しだけ」
私は正直に言った。
「でも、嬉しい方がずっと大きいわ」
「そうか」
「あの子は、もう一人前よ。私が見守らなくても、自分の足で歩いていける」
エミールは頷いた。
「君は、いい師匠だった」
「過去形にしないで。まだ師匠よ」
「そうだな。すまない」
私たちは笑った。
ベンチに座り、庭園を眺めた。
夏の花が咲き乱れている。赤、黄、紫。色とりどりの花が、庭を彩っていた。
「エリーズは」
「マルトと一緒に、絵を描いているわ。最近、絵に夢中なの」
「そうか」
「将来は画家になりたいって言っていたわ。昨日は職人になりたいって言っていたけど」
「三歳児らしいな」
「ええ」
私はお腹に手を当てた。
「この子は、何になりたいって言うかしら」
「まだ生まれてもいないのに」
「そうね」
私たちは顔を見合わせて、笑った。
夕方、リゼットとマドレーヌが公爵邸を訪ねてきた。
「師匠、お知らせがあります」
「何?」
「母と一緒に、暮らすことにしました」
私は目を見開いた。
「一緒に?」
「はい。工房の二階に、二人で住みます」
マドレーヌが頭を下げた。
「公爵夫人、本当にありがとうございます。娘と一緒に暮らせるなんて、夢のようです」
「よかったわね」
私は二人を見た。
十九年間離れていた母と娘。今は、隣に立っている。
「リゼットの工房を手伝うの?」
「はい。私は付与魔法は使えませんが、雑務くらいならできます。受付や、掃除や」
「母さんがいてくれると、助かります」
リゼットは母親の手を握った。
「一人で全部やるのは大変だから」
「頼ってくれるのね」
「はい。師匠に、教わりましたから。一人で抱え込まないで、頼れる人に頼っていいって」
私は微笑んだ。
「よく覚えていたわね」
「師匠の言葉は、全部覚えています」
リゼットの目が、真っ直ぐに私を見ていた。
「師匠は、私の目標です。これからも、ずっと」
胸が熱くなった。
「ありがとう、リゼット」
「こちらこそ」
夜、エリーズを連れて、みんなで夕食を囲んだ。
エミール、私、エリーズ、リゼット、マドレーヌ。五人でテーブルを囲む。
「リゼットおねえちゃん、おうちできるの?」
「そうよ、エリーズ様。来月から」
「エリーズもいく!」
「いつでも遊びに来てくださいね」
エリーズは嬉しそうに笑った。
「やくそく!」
「約束です」
リゼットはエリーズの小指と、自分の小指を絡めた。
その光景を見て、私は幸せを感じた。
これが、私の家族だ。
血の繋がりだけじゃない。一緒にいたいと思う心で繋がった、家族。
「シルヴィア」
エミールが私の手を取った。
「どうした」
「何でもないわ。ただ、幸せだなって」
「そうか」
「あなたは?」
「俺も、幸せだ」
私たちは顔を見合わせた。
テーブルの向こうでは、エリーズとリゼットが笑っている。マドレーヌは優しい目で娘を見守っている。
お腹の中で、子供が動いた。
もうすぐ、この子も加わる。
五人が、六人になる。
夕食の後、リゼットとマドレーヌは帰っていった。
「師匠、また来ます」
「ええ。いつでもいらっしゃい」
「開業したら、最初のお客様になってください」
「もちろんよ」
私はリゼットを抱きしめた。
「頑張ってね」
「はい」
リゼットは涙ぐんでいた。
「師匠、本当に……本当にありがとうございました」
「泣かないの。これからも、ずっと師弟でしょう」
「はい……はい、そうです」
リゼットは涙を拭い、笑った。
「行ってきます、師匠」
「行ってらっしゃい」
二人の姿が、夜の闘に消えていった。
私は玄関に立ったまま、その背中を見送った。
「寂しいか」
エミールが隣に来た。
「少しだけ」
「嘘だな」
「……少しじゃないわね」
私は認めた。
「でも、嬉しいの。あの子が巣立っていくのが。自分の足で歩いていくのが」
「ああ」
エミールは私の肩を抱いた。
「君は、いい師匠だった」
「また過去形」
「いい師匠だ」
私は笑った。
「ありがとう」
夜、寝室で横になりながら、私は天井を見つめていた。
「ねえ、エミール」
「何だ」
「私たち、幸せよね」
「ああ」
「三年前は、こんな未来、想像もできなかった」
私は目を閉じた。
三年前。白い結婚の三年目。離縁届を置いて、家を出た日。
あの日から、全てが始まった。
エミールとの出会い。月影の工房の再出発。社交界での戦い。妊娠。出産。エリーズの誕生。
そして、リゼットとの出会い。弟子の成長。独立。
全てが、今に繋がっている。
「シルヴィア」
「何?」
「俺も、三年前は想像できなかった」
「何を?」
「こんなに幸せになれるとは」
エミールは私の手を取った。
「リディアを亡くしてから、俺は誰も愛せないと思っていた。一人で生きていくと決めていた」
「今は?」
「今は、違う」
彼の目が、真っ直ぐに私を見ていた。
「君がいる。エリーズがいる。もうすぐ、もう一人増える。リゼットも、マドレーヌもいる。俺は、一人じゃない」
私は彼の手を握り返した。
「私も、一人じゃないわ」
「ああ」
「これからも、ずっと一緒にいてね」
「約束だ」
「約束よ」
エミールは私の額にキスをした。
「愛している、シルヴィア」
「私も、愛しているわ」
窓の外では、夏の星が輝いていた。
エピローグ
秋。
リゼットの工房「暁の工房」が開業した。
小さな店舗だが、丁寧な仕事と確かな技術で、少しずつ評判を得ていった。
私は時々、エリーズを連れて工房を訪ねた。
「リゼットおねえちゃん!」
「エリーズ様、いらっしゃい」
リゼットは立派な職人になっていた。マドレーヌと二人、仲良く暮らしている。
そして、冬。
私は二人目の子供を産んだ。
男の子だった。
「リュシアン」
エミールが、息子の名前を呼んだ。
「リュシアン・ド・クレシー」
私は息子を抱きしめた。
小さな命。温かい命。
「ようこそ、リュシアン」
エリーズが、弟の顔を覗き込んだ。
「かわいい……」
「お姉ちゃんになったのよ、エリーズ」
「うん! エリーズ、おねえちゃんする!」
私たちは笑った。
窓の外では、雪がちらついていた。
五人だった家族が、六人になった。
これからも、きっと増えていく。
血の繋がりだけじゃない。一緒にいたいと思う心で繋がった、大きな家族。
私は幸せだった。
隣には、愛する人がいる。
腕には、愛しい子供たちがいる。
そして、心には、大切な仲間がいる。
これが、私の未来。
私が選んだ、私の人生。
白い結婚は、もう遠い過去の話。
今は、色とりどりの幸せに満ちている。
窓の外で、雪が舞っていた。
新しい季節の始まりを告げるように。
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