第39話 二つの審判
独立試験の日が来た。
初夏の朝、王立魔法師協会の建物は、受験者とその関係者で賑わっていた。
私はリゼットと一緒に、試験会場の前に立っていた。
「緊張している?」
「少しだけ」
リゼットは深呼吸をした。
「でも、大丈夫です。師匠に教わったこと、全部出し切ります」
「その意気よ」
私は彼女の肩に手を置いた。
「あなたなら、できる。信じているわ」
「はい」
リゼットは頷いた。その目には、三年前にはなかった自信があった。
「行ってきます、師匠」
「行ってらっしゃい」
リゼットが試験会場に入っていく。その背中を見送りながら、私は心の中で祈った。
どうか、うまくいきますように。
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待合室には、他の受験者の師匠たちが集まっていた。
私は隅の椅子に座り、静かに待った。
「公爵夫人」
声がして振り返ると、ラヴァル副会長が立っていた。
「お弟子様の試験、拝見させていただきます」
「よろしくお願いします」
「クロード・モランの件、解決したようですね」
「ええ。おかげさまで」
副会長は微笑んだ。
「リゼット嬢の実力は、私どもも把握しております。公正な審査をお約束します」
「ありがとうございます」
副会長が去った後、私は窓の外を見た。
初夏の日差しが、建物を照らしている。
リゼットは今、試験を受けている。筆記試験、実技試験、そして口頭試問。全てをクリアすれば、正式な付与魔法師として認められる。
お腹の中で、子供が動いた。
五ヶ月半。もうすぐ六ヶ月になる。
「あなたも、応援してくれているのね」
私は小さく呟いた。
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昼過ぎ、エミールが待合室に来た。
「どうだ」
「まだ終わっていないわ。午後は実技試験よ」
「そうか」
エミールは私の隣に座った。
「マドレーヌは」
「別の待合室にいるわ。緊張しているみたい」
「そうだろうな。十九年ぶりに、娘の晴れ舞台を見届けるんだ」
私は頷いた。
「リゼットは、母親が来てくれて嬉しそうだったわ」
「よかったな」
エミールは私の手を取った。
「君のおかげだ」
「私は何も——」
「謙遜するな」
彼の目が、真っ直ぐに私を見ていた。
「君がリゼットを弟子にした。育てた。守った。そして、母親と引き合わせた。全部、君の功績だ」
私は何も言えなかった。
「誇っていい」
「……ありがとう」
私は彼の手を握り返した。
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午後三時。
実技試験が終わり、口頭試問が始まった。
待合室の空気が、緊張で張り詰めていた。他の師匠たちも、落ち着かない様子で結果を待っている。
私は目を閉じ、リゼットのことを考えていた。
三年前の出会い。工房の前に立っていた痩せた少女。粗削りだが才能のある護符。
弟子入り志願。試用期間。正式な弟子。
ロランの誘惑を断った日。エリーズが「おねえちゃん」と慕うようになった日。
クロードの陰謀。噂との戦い。母親との再会。
全てが、今日に繋がっている。
「公爵夫人」
声がして目を開けると、協会の職員が立っていた。
「結果が出ました。審査室へどうぞ」
心臓が跳ねた。
私は立ち上がり、審査室へ向かった。
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審査室には、三人の審査員が座っていた。中央にラヴァル副会長。
そして、その前に——リゼットが立っていた。
「師匠」
リゼットが振り返った。その顔には、涙の跡があった。
「リゼット……」
「合格しました」
その言葉が、ゆっくりと胸に染み渡った。
「合格……」
「はい。満点でした」
私は息を呑んだ。
「満点?」
「筆記試験、実技試験、口頭試問。全て満点です」
ラヴァル副会長が立ち上がった。
「リゼット・フォレ嬢。本日をもって、あなたを正式な付与魔法師として認定します」
副会長が証明書を差し出した。
リゼットが受け取る。その手が震えていた。
「おめでとうございます。あなたは、月影の工房の名に恥じない、素晴らしい職人です」
「ありがとうございます」
リゼットは深く頭を下げた。
私は彼女の元へ歩み寄った。
「リゼット」
「師匠……」
「おめでとう」
私はリゼットを抱きしめた。
「よく頑張ったわね」
「師匠のおかげです」
「違うわ。あなた自身の力よ」
リゼットの涙が、私の肩を濡らした。
「ありがとうございます。師匠。三年間、ありがとうございました」
「こちらこそ。あなたに出会えてよかった」
私たちはしばらく、抱き合っていた。
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審査室を出ると、マドレーヌが待っていた。
「リゼット……」
「母さん」
リゼットは母親の元へ駆け寄った。
「合格したわ。満点で」
マドレーヌの目から、涙が溢れた。
「おめでとう……おめでとう、リゼット……」
「母さんが見届けてくれて、嬉しかった」
「私も……私も、嬉しい……」
二人は抱き合った。
十九年間離れていた母と娘が、ようやく一つになった瞬間だった。
私はその姿を見守りながら、胸が熱くなった。
エミールが隣に来た。
「よかったな」
「ええ」
「泣いているのか」
「泣いていないわ」
「嘘つきだな」
「あなたに似たのよ」
エミールは小さく笑った。
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夕方、公爵邸で祝いの宴を開いた。
リゼット、マドレーヌ、エミール、そして私。四人でテーブルを囲んだ。
エリーズは乳母のマルトに預けていたが、途中で「リゼットおねえちゃん!」と飛び込んできた。
「おねえちゃん、すごいね!」
「ありがとう、エリーズ様」
「エリーズも、おおきくなったら、おねえちゃんみたいになる!」
「楽しみにしていますね」
リゼットはエリーズを抱き上げた。
その光景を見て、マドレーヌが涙ぐんでいた。
「幸せそうですね、リゼットが」
「ええ。あの子は、もう一人じゃありませんから」
私はマドレーヌを見た。
「あなたも、もう一人じゃないわ」
マドレーヌは目を伏せた。
「私なんかが、娘の傍にいていいのでしょうか」
「リゼットが望んでいるなら、いいのよ」
私は微笑んだ。
「家族というのは、血だけで繋がるものじゃないわ。一緒にいたいと思う心で繋がるの」
マドレーヌは顔を上げた。
「公爵夫人……」
「これからは、リゼットの傍にいてあげて。十九年分の空白を、少しずつ埋めていけばいいわ」
マドレーヌの目から、また涙がこぼれた。
「ありがとうございます。本当に」
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夜。
祝いの宴が終わり、リゼットとマドレーヌは客室に戻った。
エリーズは眠り、エミールと二人、寝室で静かな時間を過ごしていた。
「長い一日だったな」
「ええ」
私はベッドに横になった。
「でも、いい一日だったわ」
「ああ」
エミールが隣に来た。
「リゼットは、これからどうするんだ」
「独立するわ。自分の工房を持つって」
「場所は決まっているのか」
「まだよ。でも、王都のどこかに小さな工房を開きたいと言っていたわ」
「そうか」
エミールは私の手を取った。
「君は、寂しくないか」
「少しだけ」
私は正直に言った。
「でも、嬉しい方が大きいわ。あの子が巣立っていくのを見届けられるなんて」
「君は、いい師匠だな」
「何度も言うわね」
「何度でも言う」
私は笑った。
お腹の中で、子供が動いた。
「この子も、いつかは巣立っていくのかしら」
「まだ生まれてもいないのに、気が早いな」
「そうね」
私は目を閉じた。
「でも、その時が来ても、きっと大丈夫。私には、あなたがいるから」
「ああ。俺も、君がいるから」
エミールは私の額にキスをした。
「おやすみ、シルヴィア」
「おやすみ、エミール」
初夏の夜風が、窓を揺らしていた。
一つの審判が終わった。
リゼットは、正式な付与魔法師になった。
そして、もう一つの審判——母と娘の和解も、成し遂げられた。
これから、新しい日々が始まる。
リゼットの独立。新しい命の誕生。家族の未来。
全てが、輝いて見えた。




