表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白い結婚三年目、離縁届を置いておきますね  作者: 九葉(くずは)
第4章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/40

第35話 噂の行方

リゼットの母親を捜索して、一週間が経った。


エミールの部下たちが王都中を探し回ったが、あの女性は見つからなかった。まるで霧のように消えてしまったかのようだ。


「申し訳ありません。手がかりが途切れてしまいました」


部下が報告に来た時、私は工房で作業をしていた。


「孤児院の周辺、リゼット様が買い物に行く市場、全て調べましたが、それらしき女性の目撃情報はありません」


「そう……」


私は手を止めた。


「ただ、一つだけ気になることが」


「何?」


「孤児院の元院長——ドミニク・ガレという男ですが、数年前に解任されています」


「解任?」


「はい。孤児院の資金を私的に流用していた疑いで。現在は王都の外れで隠居生活を送っているようです」


私は眉をひそめた。


「その男と、リゼットの母親に関係が?」


「わかりません。ただ、リゼット様が孤児院にいた時期と、この男が院長だった時期は重なっています。何か知っているかもしれません」


私は考え込んだ。


元院長。資金流用で解任。リゼットの過去を知っている可能性。


「その男に会えるかしら」


「手配いたします。ただし——」


部下が言いにくそうにした。


「解任された人間ですので、協力的かどうかはわかりません」


「構わないわ。会うだけ会ってみる」


「かしこまりました」


部下が退出した後、私は窓の外を見た。


春の空は曇っていた。雨が降りそうだ。


リゼットは今日も独立試験の準備をしている。あの夜から、彼女は以前にも増して真剣に取り組んでいた。母親のことを知りたいという気持ちが、彼女を駆り立てているのかもしれない。


---


昼過ぎ、エミールが書斎に呼んだ。


「少し、面倒なことになった」


彼の表情は険しかった。


「何かあったの?」


「社交界で、噂が流れている」


「噂?」


「月影の工房の弟子が、実は犯罪者の娘だという噂だ」


私は息を呑んだ。


「リゼットのこと……」


「ああ。孤児院出身で、素性がわからない。もしかしたら、罪人の血を引いているのではないか、と」


「誰がそんなことを」


「出所は不明だ。だが、広まり始めている」


私の手が震えた。怒りだった。


「リゼットは何も悪いことをしていないのに」


「わかっている。だが、噂というのは厄介だ。真実かどうかは関係ない。広まれば、それだけで害になる」


エミールは窓際に立った。


「独立試験を控えた弟子に、こんな噂が立てば——」


「試験に影響が出る、ということ?」


「可能性はある。審査員の心証が悪くなれば、公正な評価を受けられないかもしれない」


私は立ち上がった。


「誰かが意図的に流しているのよ。タイミングが良すぎる」


「同感だ」


エミールは振り返った。


「ベルトラン商会との関連を調べている。今のところ、直接の繋がりは見つかっていないが——」


「でも、疑わしいわ」


「ああ。リゼットに接触してきた母親らしき女性、孤児院の元院長、そしてこの噂。全てが繋がっている気がする」


私は拳を握りしめた。


「リゼットには、まだ言わないで」


「いいのか」


「今言っても、彼女を傷つけるだけよ。噂の出所を突き止めて、潰してから伝える」


エミールは頷いた。


「わかった。俺の方でも動く」


「ありがとう」


私は書斎を出た。


工房に向かう廊下で、私は深く息を吐いた。


誰かがリゼットを狙っている。彼女の独立を妨害しようとしている。


なぜ。何のために。


答えはまだ見えなかった。


---


工房に着くと、リゼットは真剣な顔で作業台に向かっていた。


「師匠、おかえりなさい」


「ただいま。調子はどう?」


「はい。今日は複合付与の練習をしています」


リゼットの手元には、小さな指輪があった。防護と治癒促進、二つの付与を一つの品に込める高度な技術だ。


「見せて」


私は指輪を手に取った。


付与の紋様を確認する。二つの回路が、干渉することなく共存している。魔力の流れも安定していた。


「よくできているわね」


「本当ですか」


「ええ。この調子なら、試験は問題ないわ」


リゼットの顔が明るくなった。


「ありがとうございます」


私は指輪を返した。


彼女の笑顔を見ながら、胸が痛んだ。


この子は、何も知らない。自分に対する噂が広まっていることを。誰かが、彼女の未来を潰そうとしていることを。


「師匠?」


「何でもないわ」


私は首を振った。


「続けなさい。私は少し休むわ」


「はい。お体、大丈夫ですか?」


「大丈夫よ。少し疲れただけ」


私は工房の隅にある椅子に座った。


リゼットは心配そうな目で私を見ていたが、やがて作業に戻った。


私は目を閉じた。


お腹の子供が、小さく動いた。三ヶ月半。少しずつ、存在を主張し始めている。


この子のためにも、リゼットのためにも、守らなければ。


噂を潰す。真実を明らかにする。そして、リゼットを無事に独立させる。


それが、今の私の使命だ。


---


夕方、工房を閉める頃、思わぬ来客があった。


「失礼いたします」


扉を開けて入ってきたのは、若い女性だった。二十代前半、茶色の髪、穏やかな顔立ち。見覚えがある。


「あなたは……」


「お久しぶりです、公爵夫人。マリー・ローラン……いえ、今はマリー・ガレと申します」


私は目を見開いた。


マリー・ローラン。かつて、孤児院への寄付を取り次いでくれた商会の娘だ。数年前に結婚して、名前が変わったと聞いていた。


「お久しぶりね。どうしたの?」


「実は、お伝えしたいことがあって参りました」


マリーの表情は真剣だった。


「孤児院のことです」


私の心臓が跳ねた。


「孤児院?」


「はい。私、今は孤児院の運営を手伝っているんです。夫がドミニク・ガレの甥で……元院長の」


私は息を呑んだ。


「ドミニク・ガレの」


「はい。解任された後、叔父は隠居していますが、孤児院の運営権は甥である私の夫に移りました。私も、できる範囲で手伝っています」


マリーは一歩前に出た。


「公爵夫人、最近、孤児院の過去の記録を調べている方がいらっしゃいますよね」


「……ええ」


「リゼットさんのことでしょうか」


私は警戒した。


「なぜそう思うの?」


「リゼットさんは、孤児院で一番の年長者でした。私も、子供の頃に何度か会ったことがあります。とても聡明で、弟思いの子だった」


マリーの目が悲しげになった。


「弟さんが亡くなった時、彼女がどれほど悲しんでいたか……今でも覚えています」


私は黙って聞いていた。


「公爵夫人にお伝えしたいのは、叔父のことです」


「ドミニク・ガレのこと?」


「はい。叔父は、解任される前に、孤児院の記録をいくつか持ち出しています。その中に、リゼットさんに関する書類もあったはずです」


私は身を乗り出した。


「どんな書類?」


「詳しくは知りません。でも、叔父は『いつか使える』と言っていたそうです。何かの取引材料にするつもりだったのかもしれません」


「取引材料……」


「最近、叔父のところに誰かが訪ねてきたという話を聞きました。商人風の男だったと」


私の頭の中で、点と点が繋がり始めた。


ドミニク・ガレ。リゼットに関する書類。商人風の男。


「ベルトラン商会の人間かもしれないわね」


「わかりません。でも、叔父は金に困っています。情報を売ることくらい、平気でするでしょう」


マリーは私の目を見た。


「公爵夫人、リゼットさんを守ってあげてください。あの子は、何も悪いことをしていません」


「……ありがとう、マリー。教えてくれて」


「いいえ。私は、正しいことをしたいだけです」


マリーは頭を下げ、工房を出ていった。


私は一人、立ち尽くしていた。


ドミニク・ガレが持ち出した書類。リゼットの過去に関する何か。


そしてそれが、誰かの手に渡ろうとしている。


噂の出所は、おそらくそこだ。


---


夜、エミールに報告した。


「ドミニク・ガレか」


「ええ。元院長が持ち出した書類に、リゼットの情報があるらしいわ」


「それを誰かが買おうとしている、と」


「そう考えるのが自然よ」


エミールは腕を組んだ。


「ガレに会う必要があるな」


「私も行くわ」


「駄目だ」


「なぜ?」


「君は妊娠中だ。危険な場所には行かせない」


「でも——」


「シルヴィア」


エミールの目が厳しくなった。


「俺が行く。君は、リゼットの傍にいてやれ。彼女を守れるのは、君だ」


私は反論しようとしたが、言葉が出なかった。


彼の言う通りだ。


私には、守るべきものが二つある。お腹の子供と、リゼット。


「……わかったわ」


「明日、ガレのところに行く。結果は、すぐに報告する」


「お願い」


エミールは私の肩を抱いた。


「心配するな。必ず、真実を明らかにする」


「信じているわ」


私は彼の胸に顔を埋めた。


明日、全てがわかる。


リゼットの過去。噂の出所。そして、誰が彼女を狙っているのか。


嵐は、まだ続いていた。


---


その夜、私は夢を見た。


リゼットが泣いている夢だ。


「師匠、私は……私は誰なんですか」


「あなたは、リゼットよ。私の大切な弟子」


「でも、みんなが言うんです。私は犯罪者の娘だって。汚れた血が流れているって」


「そんなことない。あなたは——」


夢の中で、私は手を伸ばした。


でも、リゼットは遠ざかっていく。


「師匠……助けて……」


「リゼット!」


目が覚めた。


息が荒い。額に汗が滲んでいた。


隣でエミールが眠っている。起こさないように、私はそっとベッドを抜け出した。


窓から外を見る。


夜明け前の空は、まだ暗かった。


「大丈夫よ」


私は自分に言い聞かせた。


「必ず、守ってみせる」


東の空が、少しずつ白み始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ