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地獄観光はネオンと共に

 極楽が極楽であるために、その運営側は忙しい。

 上級官房の天部が極楽の制度と理を整え、極楽治安執行局・明王部が治安維持を担っている。

 極楽観光課はといえば、窓口のベルが律義にちりんと鳴るたび、魂の娯楽を提供する。

 

 天望は申請書の束を両手で抱え、デスクに腰をおろした。机の上には、観光客向けのパンフレットの見本が散らばっている。白と金の紙面に、やわらかい極楽の光が反射した。

 端末にはガイドを担当する明日のツアー予定。極楽蓮池、蜘蛛の糸モデルコース。一番人気のルート。

 

「天望吏、来シーズンからのコース案が届いています」

「あ、もうあるんですか?」

「先ほどメールで」

「ありがとうございます。そしたら今日それの下見行けるかな……」

 

 確認する。どうせ既存ツアーの焼き直しと、ちょっと法話の内容が変わるくらいだろうと高を括りながら、来期極楽観光ツアーコース案のファイルを開く。

 

「極楽観光ツアー、お試し地獄付き……」


 *


「駄目だろ」

「私に言われても」

 

 第五審執務室、炎獄が帳簿に目を落としたまま一蹴する。天望の手元には、カラフルなグラデーション文字で作られたツアー原案のプレゼン資料。

 

「あのな、地獄は見せ物じゃねえ。極楽様をおもてなししてる暇なんかねえよ」

「でも、お釈迦様(うえ)もこれでと」

「知ったこっちゃ……おい、なんだそのダッセェ資料は」

「頑張って作ったんですが」

「無駄に文字をアーチにするんじゃねえ」

「ツアーに関して閻魔様の許可はいただいてるはずですが」

「……なんだと?」

 

 炎獄が振り返ると、部屋の奥の豪奢な玉座に腰掛けた閻魔が、扇子をぱたぱたとさせながら答えた。

 

「あー、なんか、この間釈迦と話してた時ノリで言ったかも」

「おい……」

「ま、でもそれ本決まりじゃないでしょ? とりあえず天望ちゃんが地獄見てみて、極楽視点で無理そうだなって思ったら俺からも釈迦(あいつ)に言っとくよ」

「ありがとうございます。では、見学させていただきます。焦熱地獄のあたりから順に……」

 

 天望が頭を下げた時、炎獄が筆を置いた。

 

「待て待て待て。お前、地獄ひとりで歩く気か」

「そのつもりですが……」

「危ねえ。ダメだ。地獄で事故は洒落にならねえ」

「……でも」

「炎獄着いてってあげればいいじゃん」

 

 何でもないように閻魔の声が飛ぶ。

 

「それは私も安心ですが……」

「閻魔。午後裁判あんだぞ」

「閻魔帳まとめてあるだろ? そしたら俺1人でもなんとかなる」

「でも」

「こっちは気にすんな。てか、天女怪我させて帰したら俺がなんか言われんじゃん。というわけで案内と護衛を命ずる」

「…………チッ、了解」

「ねえ上司に舌打ちやめれる??」


 *

 

 地獄庁・焦熱地獄方面。低くうねる熱風の中、視察許可証を掲げて歩く天女が一人。後ろには、腕を組んで渋々ついてくる鬼。

 

「これが焦熱地獄ですか」

「ああ。ここで亡者が茹でられてる。俺も最初はここで現場積んだし、ま、オーソドックスなわかりやすい地獄だな」

「へえ……熱消毒みたいな感じで合ってます?」

「合ってるわけねえだろ。哺乳瓶じゃねえんだぞ」

 

 足元の岩は赤黒く、遠くで釜の音が鳴っている。それを聞きながら、天望は端末を構えてメモを取った。

 

「“見学者の安全を確保するため、一定距離を保ちましょう”……うん、注意は必須ですね」

 

 焦熱地獄を抜け、血の池へ。天望がメモを取る手を止めた。

 

「……意外と、静かですね」

「昼はな。夜は地獄鳥が鳴く」

「地獄鳥?」

「でかい鳥。うるさいぞ。あと臭い」

「……観光向きじゃないですね」

「地獄だからな」

 

 血の池を抜けた先の岩に腰を下ろす。天望はメモ用の端末を膝に乗せ、ぱたぱたと手で仰いでいる。

 

「道ぼこぼこで……結構疲れますね」

「まあな。暑いか?」

「いえ、大丈夫です」

 

 ふたりの間に、ほんの一瞬だけ風が通る。炎獄が少し視線を落として言った。

 

「……怖くないか」

「何がです?」

「何って……刑場だぞ、ここは」

「ああ、確かにそうですね……でも、炎獄が居るでしょう?」

 

 天望が遠くの血の池を見ながら言う。それがどんな表情だったのか、炎獄には見えなかった。

 その言い方が、妙に胸の奥に残る。ここは炎獄が一番“鬼”である場所なのに。

 

「……俺だって地獄側だぞ」

「わかってますよ。でも炎獄がいると安心するので」

「……」

 

 安心なんて地獄には一番必要無いはずなのに、否定したくない自分が居てしまった事に炎獄は動揺した。

 

「こうして二人で地獄を歩いてるとなんていうか……そうですね……」

 

 天望の髪が地獄の風で揺れる。その横顔に、憂いも恐怖も無かった。

 

「修学旅行っぽい……」

 

 台無しだよ、と炎獄は思った。

 

「お土産とか買って帰れますかね……」

「ねえよそんな店は」

「欲しかったんですよねパワーストーン抱いてるオコジョのストラップ……」

「やかましい。行くぞ」

 

 衆合地獄。殺生、盗み、邪淫の地獄。焦熱や血の池が原罪を洗い流すための“罰”であるなら、衆合はむしろ“欲”の成れの果てそのものだった。

 無数のネオンが昼夜問わず瞬き、無秩序に光を散らしている。上空には黒煙が渦を巻き、天井のない夜が続く。

 

「なんか、派手ですね」

「亡者の性質がな。要は金とか性とかの欲に溺れた奴の地獄なんだよ」

「へえ、それでなんか、繁華街っぽくなってるんですね」

「おう。ぼったくりした奴はここで逆にぼったくられ続けるし、女を騙して金を得たホストとかはヘルプ席で一生テキーラを飲み続ける責苦を受けてる」

「最悪だ」

「鬼とかは普通に飲みに来るけどな、ここ」

「へえー……」

 

 手元の端末にメモを残す。昼のはずなのにまるで夜のようなこの地獄は、白と金の極楽に慣れた目には眩しかった。

 よく見れば露出の多い女の鬼も歩いているし、亡者が駐車場で鬼にカツアゲされている。

 

「治安悪し……と」

「地獄に治安の良い場所はねえ」

 

 呼び込みと安い音楽が混ざって、昼のはずなのに夜より騒がしい。

 その時、炎獄の端末が震えた。

 

「……閻魔? 悪い。二分だけ電話。そこにいろ」

「はぁい」

「絶対だぞ」

 

 炎獄が人波の向こうに消える。天望は柱に背を当て、端末に《視線注意喚起/誘惑型の勧誘多》と打ち込む。

 しばらく端末を操作していると、地獄庁のSNSが更新された通知が飛び込んでくる。

 

 ――

 十王裁判所第五審【公式】

 今日は忙しいので全員地獄にしま〜す

 ――

 

「……またやってる……」

 

 閻魔がアカウントを間違えたのか本気なのか、ギリギリわからない公式のつぶやき。案の定不謹慎だとか公式で言うななどの返信がついていて、炎上とまではいかないがボヤ程度になっていた。“あ、電話これの件か”と予想がつく。

 画面から目を離して上を見上げると、空は暗く、ネオンの光が反射して、極彩色がじわりと映っている。知らない空だ。

 

「え、お姉さん天人じゃーん! めずらしいねー!」

 

 ぬるっと声が滑り込んできた。声の方を見ると、そこにはやたら歯が白い男の鬼。髪は過剰に艶、スーツは無駄にきらきら。

 

「……すみません、仕事で来てまして」

「何時終わり? 俺すぐそこの店に居るんだけど初回なら五千円! でも俺お姉さんと飲みたいから、初回料金俺出すよ」

「タダ酒……」

「そー! 行こうよ!」

 

 ホスト鬼が馴れ馴れしく天望の手を引こうとする。天望は端末を抱えたまま、少しよろけた。

 

「あの、私連れがいて」

「マジ? じゃその子も一緒に行こうよ。うちけっこうイケメンいっぱい居るからさ」

「いや、その」

 

 背中に影が差す。路地の熱が一段だけ冷えた。

 

「条例違反だ」

 

 男の動きだけがぴたりと止まる。炎獄が音もなく間に入っていた。視線は男の手元に落ち着いたまま、声だけが低く届く。炎獄は胸元の身分証をほんの一瞬、角度だけで見せた。光が走る。

 

「十三条。担当亡者の責苦以外での客引き禁止。知らねえは通らねえ」

「い、いや、補佐官、今のは——」

「名刺出せ。処分は後で閻魔庁から通達する」

 

 言葉より先に、炎獄が半歩だけ前へ出る。距離が詰まった、という事実だけが男の喉を固くした。笑顔の白い歯が、少し乾く音。

 震える手で名刺を差し出す男から受け取ってポケットに入れる。

 

「天望。こっち」

 

 炎獄は天望の端末を持つ手とは反対の手首をぐいと引いた。勢いで足が揃う。路地の暗がりから灯りの方へ。通りの空気がすっと通る。繋いだ指は、そのまま離れない。

 

「補佐官、あの、初回五千円は、善意で……」

「善意なら路地でも掃け。あと店頭の看板撤去。口上は歩道に出る前に飲み込め」

「……はい」


 周囲で見ていた呼び込みが肩をすくめる。炎獄は振り向かない。天望の歩幅に合わせて、そのまま通りへ押し出す。

 ネオンの明滅が背中へ回ったところで、天望が小さく息を整えた。

 

「……すみません。助かりました」

「いや、一人にした俺が悪い」

 

 そこまで言って、ずっと掴んでいた手を離す。手のひらにまだ温もりが残っていた。

 

「ついてったらタダ酒飲めましたかね」

「お前な。これ以上金使う趣味増やそうとすんな」

「冗談です。行きませんよ」

 天望が顔を上げて、にっと笑った。

「飲むなら炎獄の家でいいんで」

「……あ、っそ」

 

 他意なんてない。言葉通りの事しかこいつは言わないとわかっていても、炎獄の心臓は跳ねる。


 *

 

 翌朝、十王裁判所の小会議室。白い蛍光灯と書類の山、紙コップの茶。

 

「——“お試し地獄付きツアー”、中止でいいな」

 

 開口一番、閻魔がさらっと言う。くるりと椅子を回して、茶をすすった。

 

「えっ、決まりですか」

 

 天望が資料を抱えたまま固まる。炎獄は横で腕を組んだ。

 

「早いに越したことはねえ。昨日の時点で“想定外”が出た」

「想定外……って、客引きの事ですか?」

「安全導線の外から接近が入った時点で、見学ルートは再設計。で、再設計コストかけるほどの公益はない。以上」

「炎獄、会計の人みたいですね」

「地獄は事務が命なんだよ」

 

 閻魔が資料をひらひらと指先で揺らす。

 

「“衆合ブロックは時折の呼び込みあり。想定はしていたが、現場制御の限界が露呈”……って炎獄が書いてる」

「そんなことまでメモらなくても……」

「メモるのが仕事」

 

 観光課の課長が咳払いした。

 

「極楽側としても、昨日の報告で“スタッフ及びツアー参加者のみで歩ける環境には至っていない”と判断します。精神衛生面でも、観光地の基準には合わない」

「ま、釈迦には俺から伝えとくわ。“客引きに絡まれた”で通るだろ。あいつ“駄目なもんは駄目”って言うし」

「でしょうね……」

 

 炎獄が指で机をとん、と叩く。

 

「代替案は出す。映像資料+出張講話。“地獄は見せ物ではないが、無知は危険”のラインで。“見る”のはスクリーン、“感じる”のは温度だけ」

「温度?」

「VR釜。開発室が作ってる。低温版」

「低温……“ぬるい責苦体験”」

「言い方他にあるだろ」

 

 課長がペンを走らせる。

 

「では、タイトル案、“地獄安全入門・第五審補佐官特別講話”。会場は極楽ホール。持ち時間四十五分」

「長えよ」

「質疑応答込み」

「長え」

 

 結局、ツアーはこれにて没となり、天望は抱えていた派手な資料を、名残惜しそうに伏せた。

 

「頑張って作ったんですけどね」

「無駄に文字をアーチにするなって昨日言っただろ」

「次はシンプルにします。極楽ベージュで」

「白地に薄い色の文字は罪だろ」

 

 一区切り。会議散会の空気が流れる。椅子が引かれ、茶が片づく。

 廊下に出て歩き出して数歩、天望が足を止める。

 

「でも、ちゃんと見に来てよかったです」

「そうだな」

「じゃ、また仕事で」

「ああ。仕事で」

 

 扉が閉まる。静かになった廊下で、炎獄はポケットから昨日の名刺を取り出し、裏に《B-1条例違反 金髪の鬼は厳重注意※殺さない》と覚え書きを入れて、仕舞った。

 

 その日の夕方。極楽観光課の掲示板に新しい紙が貼られる。

《お知らせ:来期“地獄付き”プラン中止 代替として“地獄安全入門(第五審補佐官講話)”を開催予定。詳細は後日。》

 窓口のベルがちりんと鳴る。天望はいつもの笑顔で応対しながら、端末のスケジュールにひとつ予定を打ち込んだ。

《第五審・炎獄鬼:講話打ち合せ(仮)》

 ただの業務連絡。そう画面に言い聞かせるように、指先で確定ボタンを押した。


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