第9話 荷物持ちの初仕事
※カクヨムにも同名のものを公開しています。
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朝の鐘が1回鳴り、街の屋根を揺らした。
淡い霧が石畳を包み、まだ冷たい空気が肺にしみる。
田中は、冒険者ギルドの前で靴紐を結び直した。
初めての仕事。
それだけで、胸の奥が少し熱くなる。
扉を押すと、油と鉄の匂いが鼻をついた。
中では、朝から酒をあおる者もいれば、依頼票を読み上げて喧嘩をしている者もいる。
そんな喧騒の中で、カタリナが手を振った。
「おはよう、ターナカ。眠れたか?」
「はい。おかげさまで」
「じゃあ今日から実戦だ。薬草採取と、商人の護衛。初仕事にはちょうどいい」
「ええと……護衛って、戦うんですか?」
「たぶん、戦わない。今日は街に近い中継所からだから、盗賊も出ないだろうしね」
彼女の言葉にはどこか頼もしさがある。
荷袋を受け取ると、革の匂いが新鮮に感じた。
ギルドの扉をくぐると、朝の光が眩しく広がる。
北門を抜けると、丘陵の上に葡萄畑が波のように連なっていた。
霞の向こう、塔の鐘楼が遠くに見える。
「ここ一帯、修道院の土地なんだよ」
カタリナが肩越しに言った。
「修道院の?」
「そう。畑も森も、全部ね。だから森の奥では、誰も木を勝手に切らない。神様に怒られるから」
「なるほど……信仰と土地が結びついているんですね」
「そういうこと。だからあんたも、あんまり大声出さないでよ。神様が怒るかもしれないから」
田中は苦笑してうなずいた。
しばらく道を進む。
低木だけだった周囲の景色が一変し、空を覆うような木々が迫る。
日差しも入らないそんな森に足を踏み入れた瞬間、空気が変わるのが分かる。
湿り気を含んだ風が頬を撫で、葉のざわめきが頭上から降ってくる。
木漏れ日が水のように揺れ、苔の絨毯が足音を吸い込む。
どこかで鳥が鳴き、遠くで水の流れる音がした。
土の匂いが、胸の奥に沁みる。
思わず深呼吸する。
「……いい匂いですね」
「森は生きてるからね」
カタリナはそう言って、ほんの少しだけ目を伏せた。
「昔ね、この森で仲間を亡くしたことがあるの」
「え……」
彼は振り向いた。
カタリナは笑って首を振る。
「気にしないで。もう何年も前の話。森ってのは、人を試す場所なんだ。恐れるやつも、慢心したやつも、油断したヤツも。みんな呑まれる」
「なるほど。僕も試されてるってわけですね」
「そういうこと」
カタリナは少し寂しそうに笑った。
森の奥の静けさが少しだけ怖く感じられた。
目的は月見草という白い花だった。
根が薬になるという。
また、似たような見た目をしているが、葉に毒がある雪見草に気をつけろと言われる。素手で掴むと腫れてしまうのだそうだ。
カタリナがそれぞれの見分け方、採取の仕方を教える。田中は膝をついて慎重に花を見る。
「花びら五枚、茎が青い。これで合ってますか?」
「正解。やるじゃない」
「考える事が仕事みたいなものだったんです」
「?」
「細かいことを見落とすと、痛い目にあう職業でして」
「なるほど。なら、生き残れそうだな」
そんな会話のあと、少し離れたところで声が上がった。
「うわっ、荷がほどけた!」
同行する若い冒険者が慌てて落ちた草束を拾っている。
田中が駆け寄る。
「見てもいいですか?」
「え? あ、ああ」
ロープを受け取り、手際よく結び直した。
「これで外れません。本結びって言うんです」
「ほんむすび……?」
ロープを引いて確かめた仲間が感嘆の声を上げた。
「これは固い!」
「こうやって、片方を緩ますと、簡単にほどけます」
「おお!」
カタリナが覗き込み、口笛を鳴らした。
「やるじゃん!」
昼過ぎ、森を抜けると赤い屋根が見えた。
中継所。旅人や商人が立ち寄る簡易宿で、食堂もある。
乾いた地面を探す。そこに焚き火を起こし、パンと干し肉を分け合った。
煙が風に流れ、陽光が木立の間を縫う。
「こういうの、懐かしいです」
カタリナは首を傾げる。
「懐かしい?」
「会社のみんなで、キャンプをしたときと似た匂いがして」
「カイシャ……?」
「えっと、仕事仲間と集まる場所みたいなものです」
「ギルドみたいなもんか?」
「ああ、そうですそうです」
2人の笑い声が、森の外の風に溶けた。
昼食を終えた頃、街道の向こうから馬のいななきが聞こえた。
荷馬車を2台連ねた商人団が、砂煙を上げて近づいてくる。
先頭の壮年の男がこちらを見つけ、片手を上げた。
「おう、カタリナの姐さん。護衛の件、頼んでた通りでいいか?」
「ああ、予定どおりだ」
「助かる。南の丘で狼の遠吠えがあったって話が出てな。少し不安でよ」
男たちの荷馬車には、木箱と樽が無造作に積まれていた。
田中はふと目を細める。
縄が緩み、荷の重心が偏っている。坂道を降りたら、一瞬で崩れる構造だった。
「……少し、積み方を変えたほうがいいかもしれません」
商人たちが一斉に振り向く。
「は? なんだあんた、職人か?」
「いえ。ただ、上の荷が重すぎて、馬車が不安定に見えます」
男たちは顔を見合わせ、鼻で笑った。
どこかに、余所者を見るような視線が混じる。
「へぇ、随分と口の回る荷物持ちだな」
「理屈はいいが、こっちは慣れてるんだ」
「まぁ、そうですね。でも、ちょっとだけ試してもらえませんか?」
近くに落ちていた木の枝を拾い、馬車の横にしゃがみ込んだ。棒でその場所を示す。
「この角度、見てください。左の車輪、ちょっと地面から浮いてます」
「……あ?」
「重い箱を右下に。これを上に。樽は横に寝かせてください。安定します」
疑わしげに見つめていた商人の1人が、半信半疑で荷を組み替えた。
すると、不安定だった車輪が落ち着く。
「お、おい。軋まねぇぞ……」
「ほんとだ……」
「だから言ったでしょ」
田中は微笑んだ。
「力づくで押すより、バランスを取ったほうが安全なんです」
先頭の壮年の男が、腕を組んで唸った。
「……面白ぇ。理屈は分からんが、結果は確かだな」
カタリナが口角を上げた。
「ね、見た目より使えるでしょ。頭の回る荷物持ちは貴重なんだ」
男は苦笑して肩をすくめた。
「なるほど。姐さんの紹介なら信じよう。……よし、隊列に入ってくれ」
車輪が軽やかに回り始める。馬の尻尾が風をはたき、空気が少しだけ軽くなった。
彼はその様子を見ながら、心の奥に少しだけ誇らしさを感じていた。
夕陽が山の端に沈むころ、グライフェナウの城壁が見えてきた。
街の鐘が鳴り、人々が門へ列を作る。
香辛料と焼きパンの匂いが風に乗って流れた。
カタリナは荷を下ろし、肩を回した。
「よし、今日の仕事はこれでおしまい」
「お疲れさまでした」
「悪くなかったよ。思ってたより役に立った」
「それは嬉しいです」
「明日も来なよ。もう少し稼がなきゃ飯が食えないでしょ?」
「はい。お願いします」
2人は笑い合った。
夕陽が街を金色に染め、鐘楼がゆっくりと影を落とす。
田中は立ち止まり、静かに思う。
――この世界でも、人は働き、笑い、支え合って生きている。
そして、自分もその輪の中に少しずつ溶け込んでいる気がした。
明日もまた、鐘の音で始まるだろう。
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