第7話 冒険者ギルド
※カクヨムにも同名のものを公開しています。
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導入編がおわり、いよいよ物語が進み始めます。
昼の鐘が1回鳴る。
修道院を出た田中は、リーナに教えられた南通りを進んでいた。
道の両脇には果物カゴを抱えた商人、荷車を押す農夫、香辛料の匂いを漂わせる屋台。
どこを見ても活気に満ちている。
やがて、酒場や鍛冶屋が並ぶ一角に出た。
その奥、古びた木の看板に剣と天秤の印が彫られている。
――冒険者ギルド。
彼は立ち止まり、しばらくその建物を眺めた。
扉の取っ手には無数の手の跡。
彼は軽く息を吸い、鉄張りの扉を押した。
中は薄暗く、酒と革の匂いが混ざっていた。
壁には羊皮紙がぎっしり貼られ、誰かが指でなぞりながら話している。
笑い声、怒鳴り声、椅子の軋む音。
街の音とは異なり、ここは常に騒々ししさに満ちていた。
掲示板の前に立ち、目を凝らした。
だが、並ぶ文字の形を見ても意味は掴めない。
――日本語じゃない。アルファベットっぽいけど、英語じゃなさそうだ。言葉は通じたけど、どうも、読み書きは無理なようだ。
あたりを見回す。
それでもこの世界のことを何も知らない彼にとって、好奇心は尽きなかった。
エルフの弓兵や、ドワーフの鍛冶師がいないか――。そんな淡い期待があった。
しかし、見渡す限り、皆が普通の人間ばかりだった。
肌の色も耳の形も、自分と変わらない。
鍛えられた体つきの男たち、軽装の女冒険者、荷を運ぶ若者。
それだけだ。
田中は少し肩を落とした。
――やはり、物語のようにはいかないか。
カウンターの奥には、1人の老人がいた。
白い髭をたくわえ、肩に毛皮をかけた体格のいい男。深い皺が刻まれた顔は、まるで風化した石のようだ。
だがその目は鋭く、燻銀のように光を宿している。
机には開きっぱなしの帳面と煙管。
面倒くさそうに煙を吐きながら、低く声を発した。
「なんだ。依頼か? 登録か?」
「冒険者、の。登録を、お願いしたくてきました。えっと、寡婦の会のリーナさんに、ここを頼るように言われて…」」
「フン……。酒場のドアと間違えたわけじゃないだろうな?」
「い、いえ。冒険者登録を……」
「ほぉ、命を粗末にする覚悟はあるわけだ」
ジイさんは小さく鼻を鳴らした。
近くのテーブルから、「また新入りかよ」「1週間持つかな?」などと冷やかす声が飛んでくる。
「お前らも最初は震えてたくせに」と一言。「そりゃないよ、マスター……」という場の笑いを奪うと、また帳簿に視線を戻した。
「名前を」
「田中、です」
「ターナカ……。聞いたことのない土地の響きだな。で、出身は?」
口を開きかけ、慌てて閉じる。日本の地名を出すわけにはいかない。
「えーと……。遠い東の方です」
「遠い東、ね。なるほど……。便利な言葉だ」
鼻で笑いつつも、追及する様子はない。
むしろ、口元には皮肉屋らしい薄い笑みが浮かんでいた。
「まあいい。名前と出身を書け。書けるか?」
「いえ、読み書きはできないと思います」
「なんだ、書けねぇのか。まぁ珍しくもねぇ。書ける奴の方が少ねぇ」
ジイさんは驚いた様子もなく、煙を吐いた。
ただ、帳面を指でとんと叩き、渋い顔をする。
「グレータがいねぇ日に限って、面倒なやつが来やがる。まったく……」
「グレータさん、ですか?」
「受付の女だ。書くのが速ぇし、字が綺麗なんだ。俺は字を書くと腕が攣る」
ぼやくような口調。
嫌味ではない。ただ本気で面倒らしい。
田中は苦笑して頭を下げた。
「申し訳ありません」
「いや、謝ることじゃねぇ。ああ、本当に面倒くさいな。……誰か代筆できるやつは――」
そう言いかけた時、背後から声が飛んだ。
「あたしが書いてやるよ」
軽やかな声だった。
振り向くと、赤茶の髪を結んだ戦士風の女性が立っていた。革鎧を身につけ、腰に長剣を下げている。
表情には自信と余裕。声にはよく通る明るさがある。
「カタリナか。おまえ、また暇してんのか」
「暇じゃないですよ。見かねて助けてあげるだけ。今日は、グレータがいないんでしょ?」
「本当にお人好しだな。……まったく。好きにしろ」
ジイさんはまた煙を吐き、帳面を投げた。
カタリナはそれを受け取り、彼の前に腰を下ろす。
「さて、名前はターナカでいいのね?」
「はい」
「出身は?」
「遠い東の方です。言ってもたぶん通じません」
「ふふ、旅人ってことにしておくわね」
彼女は、聞かれてもいないことをスラスラと書き込んでいくように見える。
時には、顔をのぞき込んだり、1歩回って背中を見たりもする。
「何を書いているんですか?」
「ああ、なに。死体で見つかったときに判別が付くように、背の高さ、髪の色、目の色。そう言ったものを書いておくんだよ」
(あ、簡単に死ぬんだ……)
田中は、背中に冷たいものを感じた。
カタリナはさらさらとペンを走らせながら、肩をすくめる。
「よくあるのよ。森で死体が見つかって、“誰だか分からん”ってね」
羽根ペンがさらさらと音を立て、紙に文字を刻む。その手つきは軽快で、迷いがない。
書き終えると、彼女は顔を上げて笑った。
羊皮紙をジイさんに突き返す。
「ほら、これで登録できるでしょ。……で、あんた、使える武器は?」
「いえ、その……。戦ったことないんで」
「……はぁ? じゃあ何ができるんだ」
困って言葉を探す。
「……荷物、持ち? ぐらいですかね?」
一瞬の沈黙のあと、カタリナは吹き出した。
「荷物持ちか! まあ、それも立派な役目だ。最初から英雄気取りより、よっぽどマシさ」
ジイさんも鼻で笑いながら、署名を加える。
「記録は済んだ。死ぬなよ、新人。――登録料は銀貨30枚だ」
「30……!」
「ちょっと高けぇが、これは“命の覚悟料”だ。払えねぇなら、諦めるか保証人でも立てろ」
「ちなみに、私の代筆料は銀貨3枚、って言ったらどうする?」
カタリナは笑い、顎でジイさんを指す。
「マスター、立て替え分、融通できる?」
「馬鹿言え。そんな金どこにある」
煙を吐きながら眉間を押さえたジイさんは、しばらく考え、ぼそりとつぶやいた。
「……まぁ、こいつを修道院に送り返しても腹が減るだけか。カタリナ、荷運びの欠員がいたな?」
「ああ、腰をやった若造が抜けてね」
「ならこいつを使ってやれ。登録料は小僧の負担にしておけ。報酬から天引きだ」
「あら、優しい。どうしたんです、珍しい」
「面倒を減らしたいだけだ。次来る時はグレータに回せ」
後ろの台から、ジイさんが銅の板を取り出した。
ハンマーで軽く叩き、印章を刻み、革紐を通す。
「ホラよ。ドッグタグだ。仕事のときは首にかけておけ。それが冒険者の証明だ」
「あ、ありがとうございます」
「死なねぇことが、一番の感謝だ。……頑張れよ」
ジイさんは煙管を叩き、軽く手を振った。
その姿は、やれやれとつぶやく職人にしか見えなかった。
カタリナは立ち上がり、帳面を閉じて彼に笑いかける。
「ってわけで、あたしのチームに臨時参加ね。荷物持ち、よろしく」
「ありがとうございます。ご迷惑をかけますが、頑張ります」
「うん、それでいい。無理するな。荷物は落とすな。あと、怪我したらすぐ言うこと」
「……はい!」
ギルドを出ると、外の光がまぶしかった。
昼を過ぎた陽が街の屋根を照らし、鉄の匂いと香草の匂いが混ざる。
カタリナは歩きながら、ちらりと彼を見た。
「あのマスター、文句ばっか言うけど悪い人じゃないのよ。戦場帰りでね。昔は“獅子のヴォルク”って呼ばれてたんだって」
「そうは見えませんでしたけど」
「今はただの面倒くさがり。けど、人を見る目だけは確かよ」
カタリナの笑顔が、陽光の中で少し柔らかくなった。
田中は銅の札を指先でなぞる。
冷たい金属が、確かな現実を感じさせた。
「さて、明日は荷物運びの仕事よ。市場の裏手。危なくはないけど、筋肉痛は保証するわ」
「了解です」
「いい返事。倒れる前に無理って言うんだ。マスターの教え、守るんだよ」
苦笑しながらうなずいた。
ギルドでのジイさんの声が、まだ耳に残っていた。
――面倒でも、やると決めたら最後まで。
そんな言葉が、胸の奥にじんわりと残っていた。
ギルドマスター。好き。
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