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癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第一章 祈りの街グライフェナウ

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第6話 休日の修道院

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

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本日も、3話更新!

 朝の鐘の音が、石の壁を震わせた。

 遠くの塔からゆっくりと鳴り渡り、白い朝靄の中を渡っていく。


 田中は、硬い寝台の上でまぶたを開いた。

 木の板は背中にこたえるが、不思議と体のだるさはなかった。

 天井の木目をぼんやりと眺めながら、昨夜の出来事を思い出す。


 リーナに催眠を掛けた。

 神を信仰するのが当たり前という世界では、話者の言葉を素直に、それも強烈に受け入れてくれるのを感じた。

 今まで施術してきた人の中でも、トランスに落ちる速さ。深さ。どちらも最高クラスに感じた。(いわ)んや、それ以外の暗示も恐ろしいほどに通ると思う。


 ゴクリと、つばを飲み込む。


 これが、この世界に来て、切り札となるのか。アキレス腱となるのか。なんにしても使う時は慎重になる必要があると、田中は心に硬く刻んだのだった。




 さて――。この世界に来て2日目。

 修道院で一夜を過ごした巡礼者 (ということになっている)田中。

 あらためて思う。夢ではない。

 寝返りを打った時、麻布の衣が肌にこすれて、ざらりとした感触が現実を確かに教えてくれた。


 窓の外には白い光。

 朝の空気が冷たく、静けさの中に、炊き出しの湯気が漂っている気がした。

 彼は起き上がり、扉を押し開ける。


 修道院の廊下はひんやりとした石の匂いがした。

 遠くで足音。短い祈りの声。

 灰色の衣を着た修道士が通り過ぎ、胸に手を当てて軽く一礼する。

 田中も慌てて真似をした。どうやらここでは、それが挨拶代わりらしい。


 外に出ると、白い中庭に朝日が差し込み、湯気が立ちのぼっていた。

 大きな鍋の前で、数人の女性が動き回っている。

 その中に、見慣れた金髪の女性の姿があった。


 「おはようございます」


 声をかけると、振り向いたリーナの顔がほころんだ。


 「ターナカさん。おはようございます。よく眠れましたか?」

 「ええ、おかげさまで。……木の寝台は、思ってたより寝心地がよかったです」

 「ふふ。そう言っていただけると嬉しいです」


 手には木の杓子、袖は肘までまくり上げられ、冷たい水に濡れた指先が赤く染まっている。

 彼女は働きながらも、誰に対しても笑顔を絶やさなかった。

 その姿を見ていると、自然と体が動く。


 「何か、手伝えることはありますか?」

 「そう……。ですね。では、あちらの井戸で水汲みをお願いできますか? 2往復分、お願いします」

 「了解です」


 井戸までの距離はそう遠くないが、水が入った桶は思った以上に重い。

 慎重に歩いて戻る途中で、靴の裏が石畳の水で滑りかける。


 「大丈夫ですか?」

 「なんとか。……いやぁ、これ、けっこう体力いりますね」

 「ふふ。大丈夫ですか? でも、すぐ慣れますよ」


 リーナが笑いながら答える。

 その笑顔が朝日に透けて、淡く光って見えた。

 田中は2往復を終えると、軽く肩を回し、息を吐いた。


 「ターナカさんは、寡婦の会の人でもないのですから。ゆっくりされていればいいのに」

 「いや、何もしないと、かえって落ち着かないんですよ。体を動かしてるほうが気が楽です」


 彼女の目が一瞬だけ柔らかくなった。


 しばらくして、通用門の方から人の列ができた。

 炊き出しを待つ人々――農夫、旅人、母子、老人。

 リーナたちは器を並べ、麦粥を配る準備を始める。

 彼も列の最後尾にまわり、椀を配る手伝いをした。


 だが慣れない作業は、やはりうまくいかない。

 木椀を受け取った瞬間、手が滑り、熱い粥が飛び散る。


 「あっ……すみません!」


 彼女が慌てて布を取ると、すぐに駆け寄ってくる。


 「大丈夫ですか? 火傷していませんか?」

 「いや、平気です。たぶん、湯気の勢いに負けました」

 「ふふ、誰でも最初は1度はこぼしますよ。わたくしなんて3回もこぼしました」


 配膳が一段落すると、リーナが木椀を2つ持って戻ってきた。

 「お疲れ様です」と言いながら、彼に手渡す。

 湯気の立つ粥。塩気の薄い、大麦と根菜の味。

 それでも不思議と、体の芯が温まるようだった。


 「ありがとうございます。……この街では、毎日こうして炊き出しを?」

 「ええ。行き場のない人たちが多いんです。寡婦の会の方々も、交代で手伝っています」

 「寡婦の会? たしか、昨日少しその名前が……」

 「夫を戦で亡くされた方たちの集まりです。北方の遠征で、多くの方が帰らなかった……。皆さん、働きながら、祈りながら、なんとか日々をつないでいます」


 彼女の声には、淡い悲しみと誇りが混ざっていた。

 田中は椀を持つ手に力を込めた。


 「……そうですか。あの鐘の音には、そんな意味もあるんですね」

 「祈りと追悼、そして希望です。鐘が鳴るたび、皆、少しだけ前を向けるんです」


 顔を上げた。光を受けた横顔が、ほんの少しだけ寂しげに見えた。

 それでも笑う。人のために働くことを、彼女は迷いなく選んでいる。


 「ターナカさんは、これからどうされるんですか?」

 「冒険者ギルド……。昨日聞いた、冒険者ギルドに行ってみようと思います」


 彼女は、迷いなく答えた姿に、少し驚いている様子だった。


 「そう、ですね。それがいいと思います。確か……。そう、グレータさん。受付の方の名前です。以前も、巡礼者の方を紹介したことがあったので、私の名前を出して頂ければ、少し話がスムーズになるかもしれません」

 「なるほど、ありがとうございます」

 「市場(いちば)の南通りを抜けた先です。……くれぐれも無理はなさらないでくださいね」

 「無理、ですか?」

 「おひとりなんですよね? 誰でも最初は、不安になります」


 田中は少し笑って答えた。


 「そうですね。けど、僕はもうこの世界を現実として受け入れてますから」

 「受け入れてる、ですか?」

 「ええ。戸惑っても、結局は歩くしかないですから」


 リーナはしばらく黙って彼を見つめた。意味が理解できていない、という顔。

 やがて、目を細めて小さく笑う。


 「……やっぱり、ターナカさんは不思議な方ですね」


 ふたりの間に、柔らかな沈黙が落ちた。

 中庭では風が白布を揺らし、陽の光が石畳の水面を反射してきらめいた。

 鐘の音が再び響き、彼女が胸に手を当てて小さく祈る。

 田中はその隣で、同じ仕草を真似した。

 見よう見まねの祈り。けれど不思議と、心が静かになっていく。


 「わぁ!」


 目の前を走っていた、小さな男の子が転ぶ。

 膝を抱えており、良く見ると血が滲んでいた。


 リーナが、慌てて駆け寄る。


 「大丈夫? 痛くない? 修道士様に、お祈りしてもらわないと……」


 そう言われた子供は、「わぁ」と大声で泣き出してしまう。

 少し修道士のことが怖いのかもしれない。


 田中は、その膝に手を当てる。

 そして、ゆっくりと、優しく。でも、強い言葉を投げかける。


 「痛いの、痛いの、飛んでけー!」


 ビックリした子供は、田中の顔を見る。何をされたか理解できずに、きょとんとしているようだった。


 「ほら、もう痛くないよ」

 「ホントだ! 痛くない!」


 優しく微笑むと、男の子は、また走り出した。


 「ターナカさん、今のは?」

 「ええ、僕の故郷に伝わる、癒やしの言葉ですよ。思ったより効くんです」


 フフと笑った。親が子に、最初に伝える暗示。誰しもが、当たり前に使う定型句。


 リーナは、不思議そうに。でも、嬉しそうにうなずいた。

 彼女の笑顔は、光に透けて柔らかく滲んだ。

 その表情を見ていると、胸の奥が少しだけざわつく。心の中でより強く感謝の言葉を念じた。


 「では……行ってきます」

 「いってらっしゃい。夜の鐘が3つ鳴る前には、戻ってきてくださいね」

 「はい!」


 「ターナカさん。あなたに神のご加護がありますように……」

 彼女は胸の前に手を置き、彼への祈りの言葉を口にした。


 軽く手を振って、修道院の門を出た。

 街の方角から、人々のざわめきが聞こえてくる。

 パンの焼ける匂い、馬車の車輪の音、呼び込みの声。

 昨日よりも少しだけ賑やかで、少しだけ近い。

 歩きながら田中は思った。

 ――この街で、生きていくために、まずは一歩を。


 背後で、朝の鐘の音が2度響く。

 それは祈りの音であり、始まりの音でもあった。


7話以降は、毎日19:10頃更新予定です。

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