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癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第八章 風の届くところ

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第55話 報せの朝

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

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エピローーーーーーーグ!

 夏の曇り空は低く、街を覆うように垂れ込めていた。

 修道院の門前では、若い修道士たちが掃除している。

 人々の話し声が、途切れ途切れにしか聞こえない。

 市場の喧騒は戻りつつあるのに、誰も声を張らなかった。


 ――あの日から、半月が経った。


 グライフェナウの街は、静かに再び動き始めていた。

 炊き出しの列ができ、子どもたちは焦げ跡の残る壁の前を走る。

 人々は目を合わせずに笑い、笑いながら目を伏せた。


 「マルガレータが、処刑されたらしい」


 市場の噂が風に乗って広がる。


 「修道院に火を付けたらしい」

 「それじゃ、死罪は仕方が無いな……」


 「らしい」という言葉だけが街を包み、信じる者と疑う者を、等しく沈黙させていった。

 灰の匂いを含んだ風だけが、街を横切っていった。

 実際、調理場で彼女は捕らえられた。

 幸いボヤではあったものの、火を付けたのは事実。

 彼女も言い逃れはしなかったという。

 いつの時代も放火は重罪だ。

 有力な商人に娘とて、例外ではなかったのだ。人々はそう言葉にして納得していた。


 ――けれど、誰も知らない。あの火が、誰かを逃がすための灯だったことを。





 それでも、食べさせなければならない人たちがいる。

 鍋の横で、ひとりの女性が椀を並べていた。

 リーナだ。

 まだ並ぶ人は少ないが、もう少ししたら大忙しになるだろう。


 彼女は、修道院から声が掛かったものの、何もおとがめはなかった。だから、そのまま寡婦の会にいる。

 彼が、またこの街に立ち寄ることがあったとき、温かい椀を手渡す為、今日も働いていた。


 通りかかった子どもが、摘んだ花の束を彼女に渡す。

 リーナは笑って言った。


 「ありがとう。そうやって、誰かを思えるのは大切な事よ」


 子どもは小さくうなずき、走り去る。

 風が通り抜け、花びらがひとひら舞い上がった。

 ――彼女は、もう声を張り上げて祈ることはない。

 けれど、静かに生きることを続けている。






 朝露の残る屋敷の庭で、イザベルは花弁を水面に浮かべていた。

 屋敷には人の気配が少なく、彼女の父も都へ出たきり戻らない。

 かつての信仰を、誰が継ぐのか。

 それを考えることが、今の彼女の日課だった。


 彼女の出した命令書は、結局うやむやにされたままだった。

 とは言え、それをほじくり返すことは得策ではない。

 心にわだかまりは残る。

 でも、田中が無事逃げられたのは分かっていた。あの日のボヤと騒ぎが、そう彼女に確信させていた。


 水に浮かぶ花が揺れ、光を返す。

 その反射を見つめながら、彼女は小さくつぶやく。


 「届かなくても……手を伸ばすことに意味があるのね」


 指先が水面を撫でる。

 波紋が広がり、消える。

 その目に映るのは、過去でも、神でもなく――これから生きていく自分の姿だった。






 同じ時刻、港町の朝。

 霧が白く、帆がぼんやりと浮かぶ。

 グレータは甲板の上で、濡れた髪を結い直した。

 海の匂いと、鉄の味のする風。

 指先に少しだけ、紙の感触が残っている。

 ギルドの帳簿を閉じた夜の、あのざらつき。


 グレータは、捜査の手が及ぶ前に冒険者ギルドから姿を消した。

 マスターは、印章が盗まれたと届け出ている。

 そのためギルドとは関係なく、グレータが()()()書類を偽造した、ということになっていた。


 グレータのポケットの中に、小さな印章がある。

 彼女はそれを握りしめ、ぽつりとつぶやいた。


 「沈黙のままでも、意味はある。……ねぇ、マスター」


 声は波に消えた。

 彼女は祈らない。

 ただ、前を見て立つ。

 船が動き出し、海鳥が鳴く。

 風が頬を打つ。

 それだけで、生きていることを確かめられた。






 街はまだ朝靄の中に沈んでいた。

 石畳の上を行き交う荷馬車の音、遠くから聞こえる金槌の響き――商業都市らしい、せわしない音が戻ってきている。

 ヘルミーナはその音の1つ1つを、確かめるように聞いていた。

 かつてこの街を出たときを思い出し、いまはその喧噪が懐かしく、胸の奥をあたためてくれる。


 婚約者の彼は、鍛冶場の前に立っていた。

 煤にまみれた顔、太い腕。以前より少し痩せたようにも見える。


 「おかえり」


 その一言で、胸の奥がほどけた。

 彼女は言葉にならず、ただ笑ってうなずいた。

 彼の掌は硬く、焼けた鉄の匂いがした。その匂いは、どこか安心できる現実の匂いだった。


 昼過ぎ、鍛冶場の奥で2人は新しい店の話をした。


 「武器だけじゃない。修理と小物、旅人向けの道具も扱いたい」

 「なら、表にガラス窓をつけましょう。通りから見えるように」

 「それがいい」

 「多くの人の、憩いの場所にしたい。心が安まる、暖かい場所にしたいの」


 ヘルミーナがそう言うと、彼は小さく笑ってうなずいた。

 打つ鉄の音が、少し明るく響いた気がした。

 もう祈りの言葉も、涙も要らない。ただ、ここで手を動かし、生きていけばいい。


 外では風が吹き、旗がはためいた。

 市場へ向かう人々の声が混じり合い、街は確かに生きている音を奏でていた。

 ヘルミーナは小さく息を吐き、宙を見上げた。

 炉の光に照らされながら、ヘルミーナはゆっくりと髪を結い直した。






 そのころ、丘の上。

 草が濡れ、遠くに街の塔が霞んで見えた。

 旅装束の女がひとり、丘を登っていく。

 ゲルトルーデ。


 彼女は、夜中に礼拝堂で歌ったことを問題視された。

 それ以外の騒ぎとの関連も、強く疑われた。

 知らぬ存ぜぬを貫き通したが、修道院の心証も悪く、放校という扱いになった。

 むしろ、この程度で済んだのは、修道院も事をあまり大きくしたくないのだろうと想うことにした。


 かつて白い衣をまとっていた女は、今は粗末な外套を羽織り、手には破れた紙片を持っていた。

 そこに書かれているのは、古い祈祷文。

 そして、震える筆跡で書き加えられた1文。


 「願わくば、冒険者にも――光を」


 彼女は立ち止まり、目を閉じた。

 唇が、かすかな旋律を紡ぐ。

 それは、かつて礼拝堂で歌ったあの唄。

 静かに、風に乗って流れていく。


 癒やしを求めて歩いた者がいた。

 傷を負いながらも、誰かを救おうとした者がいた。

 その人に導かれ、光を見た者たちがいた。

 人はその名を口にしない。

 けれど、胸の奥に残る温もりが、確かに覚えている。


 ――あの人が、ここにいた。

 ――誰かの痛みを引き受けて、歩いてくれた。




 歌はやがて、谷を越える。

 リーナの手の中の、花びらがひとつ揺れた。

 イザベルの屋敷では、水面が小さく震えた。

 グレータの船の帆が、風を受けて膨らんだ。

 ヘルミーナの傍で、打った鉄が赤く弾けた。


 そして、丘の上で唄うゲルトルーデの目に、ひとすじの涙が光った。


 彼女の声は震えていたが、途切れなかった。

 それは悲しみではなく、願いだった。

 届かなくてもいい。

 けれど、いつか――この歌を思い出してくれたなら。


 「ターナカ……」


 最後に彼女は、小さく名前をつぶやいた。

 慈愛に満ちた表情で。

 心からの感謝を込めて。


 その微笑みこそが、彼が残した――癒やしの祈りだった。


第一章完結です!


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